「悪魔は人の心に棲みつかない」

 後日。

 オレンジは洗濯物を取り込んでいた。

 背中には、博士が北の聖女から担保として受け取った儀式用の剣が差されていた。

 だがオレンジ自身はそれが聖女から貰ったものであることも、そもそも儀式用なので刃もない剣であることも知らされていなかった。

 ただあの日、剣を持って来た博士はオレンジに手渡して。

「いつまでも箱入り娘というのもネェ。来ナ」

 と言われるがまま連れ出され、とある剣術道場に通わされ、必要最低限の護身剣術を会得させられたのである。

 会得まで一ヶ月を要したが、しかしなんとか、最低限の防御ができるくらいにはなった。

 その過程で、博士は面白いものを見たという表情を二、三度見せた。

 オレンジは比較的、ぜい肉も筋肉も付きにくい体質だったようなのだが、彼女に輸血し続けていた龍族の血が、彼女の膂力を底上げしていた。

 ホムンクルスのような爆発的能力の向上こそなかったが、少なくとも本来彼女が発揮できる力の二倍から三倍以上の力を発揮していた。

 その結果、その細い腕には重すぎるくらいの剣を軽々と振り上げ、薙いで見せた。

「その剣はおまえにやるヨ。売ってしまうのも考えたが、護身用ダ。それで自分の身は護りナ」

 以上の理由から、オレンジは剣を持ってさえいれば、外に出られるようになった。

 再び矢を射かけられたとしても、これならば防御できる。

「結局入り浸ってるし」

「赤髪さん」

 洗濯物を取り込み終えて、畳んでいる最中。赤髪がやってきた。

 この施設からさっさと逃げろと言ってくれた彼女だが、二ヶ月近くも逃げる様子のないオレンジを見てもう諦めている様子だった。

 オレンジが畳んでいる服が、それぞれ誰のものかで仕分けされているのを見れば、もういいか、なんて思ってしまう。

「逃げろって言ったはずよ? 私は」

「でも、私……もっと、博士のことを、知りたくて」

「世界が認める外道よ、あいつは。それ以上何も知ることなんて、ないと思うけれど」

「そうでしょうか」

「ま、あんたがそれでいいのならいいんだけど。生きたのなら死に給え、なんて言う奴の言いなりになって死なないでよね」

「ありがとうございます、赤髪さん」

 赤髪は耳まで真っ赤になって、自分の服だけ取って行ってしまった。

 オレンジには理解が届かないところだったが、赤髪が優しい人であるということだけはわかっていた。

 オレンジにはそれだけで充分だった。この二ヶ月、彼女を気にかけてくれるホムンクルスの面々は、皆が優しく手を差し伸べてくれた。

 そんな彼女達を作り上げたのが博士であるということが、オレンジの興味を刺激していた。

 世界に外道と呼ばれる博士が、人の道徳に沿ったホムンクルスを作り上げ、さらに人々に与えているその事実に、物凄い好奇心を掻き立てられる。

 外に対しての恐怖を持った自分まで、わざわざ道場に通わせたほどの人が、外道などと呼ばれる意味がわからなかった。

 もしかしたら、世間で言われているよりもずっと、博士は外道などではないのかもしれない。

 では何が、博士を外道と呼ばせるのか。

 彼女の知りたい部分はそこだった。

 この二ヶ月でもまだ知り得ない部分。そこに興味をそそられる。

 博士はそれこそゴミ処理の一種であるかのように言うが、実際にホムンクルスを送られて喜ぶ家族を見て来た。

 だから知りたいのだ。

 博士が何故、外道と呼ばれているのかを。

「博士? いらっしゃいますか? ……失礼します」

 返事がなかったので部屋に入る。

 博士の服を持って来たオレンジが入ったのは、博士が使う研究室の中でも、オレンジが入室を許されている部屋の一つだった。

 聖女に依頼された花嫁の試作機を作っていると聞いていたのだが、このとき博士はいなかった。

 かつてオレンジが入ったのと同じ作りの部屋で、数十にも及ぶ液体の入ったカプセルが並んでいる。

 唯一違う点があるとすれば、そのうちの一つに人が――少女が入っていたことである。

 液体の中にいるので青色に見えるが、おそらく色白の肌をした少女は耳が特徴的で、常人よりも長く尖っている。

 身長が少し高めで、顔つきもどこか大人びて見えるのだが、体つきは幼い方だ。

 まるで、妖精のような美しさの少女がカプセルの中で眠っていた。

 今回の花嫁のようだ。

「なんだ、オレンジか。何をしているのだネ、こんなところで」

 突然声を掛けられたことに、オレンジは驚いた。

 しかし博士が神出鬼没なのではなく、カプセルの中の少女の美しさがそれだけ、オレンジを虜にしたということだった。

「この子が今回の花嫁さんですか?」

「そうだヨ。死体の保存状況が悪かったから完全な肉体の復元はできなかったけどネェ。その代わり、ハイエルフの肉体を付け加えることで補った」

「ハイエルフ……?」

「エルフと呼ばれる、森林の守り人一族の中でも、魔術に長けた高位の存在……遥か太古に神森と呼ばれた森を護っていた種族の直属の末裔だヨ」

 オレンジはよくはわかっていなかったが、しかしとりあえず人外だということと、魔術に長けた種族だということだけは理解した。

 人外と思われる部分は耳以外に見ていないものの、しかし特別な種族であることだけは理解した。

「オレンジ、おまえも三日後の受け取り日は一緒に来ナ。北の聖女なんてそう拝めるものじゃあナイ。せめてこの世界の有名人くらい、頭に入れておくべきだヨ」

「そんなに凄いお方なのですか?」

「私からしてみれば、神代の聖女ジャンヌ・アビスには到底及ばないがね。しかし奴隷解放の英雄と呼ばれるだけのことはしているヨ。今は解放した国の警察組織のナンバーⅡだが、実際に国内で最も権力を持っていると言える」

「警察組織……博士は、逮捕されてしまわないのですか?」

「何を心配しているのだネ? 青髪め、また余計なことを吹き込んだようだネェ」

 と、オレンジに鉄拳が落ちる。

 力は絶妙。オレンジが痛がることはなかったが、しかし自分に何故鉄拳が落とされたのか、オレンジにはわからなかった。

 この直後、青髪に激痛の鉄拳が落とされることなど、知る由もない。

「いらぬことを心配するんじゃないヨ。あの程度の小娘に、私が捕まるとでも思っているのかイ――と言っても、おまえはあれの顔を知らなかったネェ。まったく、面倒なことだヨ」


  ▼  ▼  ▼  ▼  ▼


 三日後。

 あの日のような雨だった。

 初めて博士と共に、貴族の家に花嫁を届けた日と同じような、少し強めの雨だった。

 少女を飾る真白のウエディングドレスが、雨で汚れてしまわないか懸念される。

 だがそれは杞憂で、何やら特殊な魔術が施されているとかで、ドレスは雨も泥も弾いた。

 かれこれオレンジが仕事に付き添うのは五度目になるが、未だにこのドレスを誰が作っているのかはわからないままだ。

 青髪曰く、仕立て屋がいるということだが、その人に関する情報はまるで教えてくれなかった。

 博士も「おまえも会うことがあるだろうネ」としか言ってくれない。

 まさか博士が作っているのでは、などとも思ってしまったが、博士がチクチクと裁縫に勤しむ姿など想像できないし、想像するのも難しいのでおそらくないだろうとは思っているのだが。

「濡らすんじゃないヨ。ドレスの加工も完全じゃあない。しっかり傘を差しておやり」

「は、はい」

 オレンジは一生懸命に少女と並びながら、傘を差してやる。

 少女と言っても彼女の方がオレンジより背は高いため、オレンジは一生懸命に背筋を伸ばしながら、なんとか並んで歩いていた。

 聖女様の家まで狼に乗って直接行かないのは、いつものことである。

 依頼が秘密のものばかりだからか、博士は決まって依頼主の家に直接行こうとはしなかった。

 オレンジが最初に付き添った依頼のように、多くは依頼主すら気付かないようにこっそりと運ぶのである。

 やはり世界に外道と蔑まれる人であるからか、騒ぎにしたくないようだ。

 それを悟ってか、博士が花嫁を連れる日は雨が降る。人の往来が少なくなる。

 受け取り場所には元々人けのない場所を指定する客が多いと博士は言うが、それでもまるで天は彼を味方するかのように、雨を降らせていた。

 オレンジの言語指導は緑髪がやっているのだが、彼女の勧めでオレンジが読む本の中に、ジューンブライドというものがあった。

 太陽暦を基にした一二の月の第六月に挙式を上げた花嫁は、幸せになれると言う言い伝えだ。

 その月を司る神の御加護が得られるとか、そう言った理由らしい。

 第六の月は一年を通して雨が多いと言うから、雨が降るのは祝福なのだろうかと、オレンジは少女を濡らさぬようにしながら考えていた。

「そら、もう少しだヨ」

 聖女が指定した場所は、今までの例にもれず、人けの少ない場所だった。

 オレンジが気になって前もって調べたところ、聖女が奴隷解放のために戦ったとき、敵国が使っていた要塞の跡地だという。

 聖女の軍を迎え撃つために敵国が埋めた地雷が未だ埋まっている可能性があるため、一般人は立ち入り禁止になっていた。

 受け取り場所として、これ以上打って付けの場所もないくらいの場所である。

 だがそれにしても――

「静かな場所ですね、博士。静か過ぎる、くらいに」

「そりゃ、一般人の立ち入りを禁じている場所だからネェ」

「でも、なんか、とても静かなのに、見られているような……」

「やぁ、魔術師殿」

 オレンジの訴えが聞かれるよりも否定されるよりも先に、それらを断じるかのようなタイミングで聖女が現れた。

 オレンジは初対面なので彼女が聖女だとはわからなかったが、博士の反応で依頼人なのだということを察した。

「依頼通り。貴様の妹を連れてきたヨ。確認がお望みだったろう、どうぞ、近くでし給えヨ」

 聖女はゆっくりと歩を進め、花嫁へ。

 花嫁は頭を下げ、ウエディングベールを取りやすい位置に。

 聖女はベールを取り、花嫁の顔を確認する――と思ったそのとき、オレンジは咄嗟のことに反応できなかった――いや、反応し切れなかったというのが正しいか。

 聖女はオレンジを両断しようと剣を振りかぶり、オレンジは背中の剣ではなく差していた傘で受け止めようとして両断されたのだから。

 もしも剣で反応していれば、傘を両断されてその勢いで斬り飛ばされることもなかった。

 故に反応し切れなかったというのが正しい。習った道場の剣術は、このときまるで披露できなかったのだから。

 聖女はオレンジを引き剥がすと花嫁を引いて後退。

 それと同時に潜んでいた鎧の騎士達が出て来て、博士とオレンジを取り囲んだ。

 突然のことでオレンジは先を失った傘の残骸を手放せず、その場で狼狽える。

 冷静なのは騎士も聖女も含め、博士だけだった。

「これは、どういうことかネ? 貴様からは一つきの間、見逃される約束だったはずだが。まさか聖女に裏切られるとは、思わなかったヨ」

「にしては随分と落ちついてられる。私でさえ、未だ手が震えているというのに」

 聖女の顔色は悪かった。これ以上ないくらいに青い。

 まるで、初めて人を殺した子供のようである。それを犯罪だと、許されぬ罪だと自覚している子供のようだった。

「そんなに金に困っていたのかネ? 国を治める貴族の聖女とは思えないネェ。奴隷解放からすでに年月も経っている。国全体が財政難、というわけでもない。おまえが一声かければ、破産するまで支援してくれる熱狂的支援者もいるだろうに」

「そんなことをさせられるか! これは私の、私達の問題だ! 私だってこんなのは不本意だ! だが……だが……」

「なんだネ、煮え切らない。奴隷解放の英雄と言っても、やはりガキだネェ」

 オレンジは、聖女の背後に何か彼女自身でもどうしようもない事情を感じ取った。

 だが博士にそんなものは関係ない。

 マスクのせいで口元は見えないものの、その目下で表情は窺い知れる。とはいっても、オレンジだけの話であるが。

 オレンジの見立てでは、博士はいたずらに口角を上げてはいたものの、決して笑ってはおらず、かといって怒ってもいなかった。

 どこか、寂しそうに見える。

 聖女を操り、自分を捕まえようとしている何者かの背景を感じたからか、それとも――その心の内は、オレンジでも知ることは適わない。

「さて、では交渉決裂ということでいいのだネ? ではそこの娘は返してもらおうか。そこらの没落貴族にでも売り飛ばしてやろう。何、変態の多い貴族だ。性玩具くらいには使ってくれるだろうサ」

「貴様、我が妹を性奴隷にしようと言うのか!」

「貴様が買わないのだから、他の奴にはそれくらいの価値しかないだろう。人間なんてのは知恵だけが回る獣の総称だヨ。生物の果ては種族を後世に残そうと言う本能に従って、腰を振るだけサ。だから性奴隷はよく売れる」

「貴様の心には、悪魔が住んでいるのか……」

「何を言っているのかネ、聖女」


「悪魔は人の心に棲みつかない。ただ側から囁くだけダ。人はただ、その言葉に従うか抗うかを選ぶだけであり、すべての責任はその人間にあるのだヨ。故に私のこの発言も、貴様のこの行動もすべて、悪魔の責任ではない。我々の責任ダ」

 聖女は静かに目を伏せる。

 無言のまま花嫁を連れていくと、それを合図にしていたのか他の騎士達が博士とオレンジに詰めより始めた。

「立ちな、オレンジ。とりあえず、この場を切り抜けるヨ」

 博士は淡々と、そう告げる。

 まさかこの場を切り抜けろなどとは言わないですよねと、オレンジが不安になったときだった。

「さぁ、なんとかしな」

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