「命はいくらでも代えられる」

 花嫁創造計画。

 外道と呼ばれた博士の計画というには少し可愛げのある、しかしてその実態が掴めない名前だった。

 オレンジには皆目、その計画の中身に検討をつけることはできなかった。

 そして博士も、話してやろうなどと言っておきながら、その道中何も語らなかった。

 空を駆ける巨大な狼の背に乗って降り立った下界はまず、オレンジが倒れていたような深い森の中で、そこからさらに徒歩で街へと向かった。

 空を駆けるその狼――名をウルフィードは世界でも希少種とされているモンスターで、街中に降りれば大変な騒ぎになるので面倒くさいらしい。

 そして世界にとって外道魔術師で通っている博士は、バレぬようにマスクの代わりに面を被って変装してから街へと入った。

 街は活気で満ちていた。

 入ればまず見える、大きな市場。

 並ぶのは、今年も豊作だったという大量の穀物に大きく実った色鮮やかな果実。

 異国の言葉で大漁、を示すという旗を掲げた店の下で、氷の中に眠る大振りの魚達。

 試食用に焼かれた香ばしい香りを放つ肉屋には、種類も豊富なモンスターの肉が売られて、装飾品を売る店では、その店の売り物を巡るだけで世界を一周できる。

 そんな種類も様々、店によって特色も様々な市場で、博士は何も買おうとしない。それら一切を無視して、ひたすら突き進んでいく。

 市場に来たので、てっきり買い物をしていくのだと思ったのだが、そんなオレンジの予想を裏切って、博士も青髪も突き進んでいった。

「あの、買い物するんじゃ……」

「あぁ、買い物? するよ。ただね」

 はぐれないようにと、青髪に手を繋がれてオレンジは人混みを抜けていく。

 そうして博士について行くと、段々と日の当たらない影の中へと飛び込んでいって、薄暗い店に入ったかと思えばさらにその店の奥にある扉を護る男にチップを渡し、何かを耳元で呟いてその扉の奥へと通させる。

 仄暗いランプだけが照らす、狭く寒い通路を抜けていくと、博士はそこで面を外した。

「着いたヨ、オレンジ」

 博士はオレンジに、その通路を抜けた先を見せる。

 そこに広がっていたのは空こそないものの、しかし地上の市場に負けないほどの活気に満ち溢れた地下都市と、地下の市場だった。

 だが店に並ぶ内容は、地上とはまるで異なっている。

 全体的に、端的に言ってしまえば怪しい雰囲気。

 並んでいる機械の部品はいくつか錆びているものがあって、本はカビていたりどこか破けたりと保存状態がよくない。

 そして地上で並んでいた魚や肉と違って、地下の市場にはモンスターの牙や鱗、眼球などの部位が素材として売られていた。

 さらに小型のモンスターが、鉄檻に閉じ込められて売られていたりもして、店を見る人の目も、まるでついさっき人を殺したかのような、それくらいの衝撃を目の前にしたばかりのように瞳をギラつかせていた。

「いいカネ、はぐれるんじゃあないヨ。でないと奴隷の首輪を嵌められるヨ」

「ど、奴隷って……」

「青髪、こいつから目を放すんじゃあないヨ」

「りょぉかぁい! まっかせて、博士!」

 オレンジは再び、青髪に手を繋がれて人混みを抜けていく。

 奴隷という言葉が気になって周囲を見渡すと、鉄の首輪をつけられそこから伸びる鎖で引かれた少女や男、それこそ国も性別も年齢も関係なく、誰かに飼われているかのような扱いを受けている人々が見えた。

 奴隷という概念は、一応理解している。

 施設でお世話になるとなって、ホムンクルスの存在も知らなかったオレンジは、勉強のために歴史の本を中心に本を読んだ。奴隷の知識は、そこで得た。

 昔は全世界で奴隷制度が存在し、世界中に奴隷が存在した。だがとある王国の王が奴隷制度を撤廃。奴隷にも自由と人権があることを主張し、その主張に賛同した多くの人々によって、世界中で奴隷制度は撤廃された。

 だがそれから百年経った今でも奴隷を使役する国が存在し、奴隷売買が行われている国もあるという。

 すべては闇の世界の話、というのがその本の締めだったが、その本に従うのならば、オレンジが見ているのは、闇の世界ということだ。確かにここは地下に広がる都市。闇の世界というのは、表現としても間違っていないだろう。

 奴隷の首輪には即死の魔術が施されており、強制的に外すと死に至るという。確かに、奴隷にされてもいいことは何一つない。

 気を付けなければ、と、オレンジは青髪が握ってくれている手を強く握り返して離さないようにし、頑張ってついて行った。

 酷い臭いを放つ人やとてつもない巨漢の人、さらには緑髪に混じっているという獣人と見られる者まで、多種族の波に呑まれながらもオレンジは青髪の手を必死に掴んで離さなかった。

 離せばここで、奴隷にされる。その恐怖から、とにかく必死だった。

 そうして恐怖に呑まれそうになりながら、しかしその手を離さないようにしながら、ひたすら目は青髪を追い続けていた。

 どれだけ人に呑まれそうになろうとも、ただひたすら、世界の縮図と思えるほど美しい、他のどの種族にもない彼女の美しい青の髪を追いかけ続け、オレンジはようやく人混みを抜けた。

「大丈夫? オレンジ」

「は、はい……」

 とは言ったものの、絶えず漂う異臭や人に押し潰されたことでとても疲れてしまって、それが表情に出ていたのだろう。青髪はオレンジの目の前でしゃがみ込む。

「そら、乗って」

「で、でも……」

「早く。博士見失っちゃう」

 遠慮などしている暇はなかった。

 博士はすでに、目的地なのだろうテントの中に入っていた。そこから奥は、見えない。

 まだそこから長く続いているのだと思うと、遠慮した方が迷惑になることは明白だった。オレンジは若干の恥ずかしさを感じつつ、青髪におぶられた。

 そうしてテントの中に入って、博士を追う。

 テントの中はオレンジの想像よりも奥行きはなく、博士はすぐそこで立ち話をしていた。

 テントの中は異様に明るくて、壁際に大きなサイズの棚がズラッ、と並んでいるのが見える。しかしそれだけで、一見このテントが何を売っている店なのか、そもそも何かを売っているのかすらわからない。

 だがその棚に一つ一つラベルが張られていて、そこには人名と、明らかに生きていたのだろう年代が刻まれていた。それが見えた瞬間に、オレンジの想像力は掻き立てられた。

 同時、想像してしまったが故に起こったとてつもない気持ち悪さに襲われて、オレンジはさらに顔色を悪くする。

「大丈夫?」

「あ、青髪さん、ここって……」

「あぁ、死体売り場だよ。読んで字のごとく、死体を売ってる場所」

「なんで、そんな……お金になるんですか?」

「僕らホムンクルスを作る上で、人の細胞っていうのは必要不可欠らしくてね。だったらより才能のある人間から作った方が、いいのができるっていう考えから、ホムンクルスを研究する魔術師とか博士みたいな人には需要があるんだって。気持ち悪くなっちゃった?」

「ちょ、ちょっと刺激が強すぎて……」

「なんだネ、戻さないでくれ給えヨ、オレンジ。余計に臭くなるだろう」

 戻って来た博士は、そんな辛辣な言葉を述べる。

 死体があると意識するとその臭いを鼻が拾って、物凄く気持ち悪くなるのを必死に抑えるオレンジのことなど知ったことかと、そこで話していた人との会話に戻ってしまった。

 オレンジは死体のことを考えまいと、博士の会話相手に意識を向ける。

 博士と同じくらい高身長なので、おそらく男性。顔も手も足も、とにかく肌という肌の露出を抑えているために顔も見えないが、その声は中年くらいの男性を思わせる。

 そして口調はどこか大人びていて、品を感じさせる部分もあった。正直この地下の荒んだ空気にはそぐわないと思われる、そんな口調だった。

「あの方は……?」

「今回の依頼人。博士にお仕事を頼みに来た人だよ」

「お仕事……?」

 博士は依頼人から小さな袋を受け取る。

 ジャラジャラ、と中身を連想させる音を立てる袋の中身を確認した博士は、側にあった棚の一つを開けてその中身を確認した。

「悪くない。この保存状態なら、三日後には作れるだろう」

「本当かね。娘は、娘は蘇るのだね」

「本当だとも。私を誰だと思って依頼しているのかネ?」

「わかった。受け取り場所はいかがしよう。私は生憎と、おいそれと外に出られない身なのだ」

「おまえの国に届けるサ。うちには優秀な部下がいる。三日後の早朝には、おまえの部屋に届いているヨ」

「わかった。では待っている。ありがとう、本当にありがとう」

「構わないヨ。これが私の仕事だからネ」

 依頼人が差し伸べる硬い握手すら、博士にはどうでもよく映っているのだろうか。

 そのあまりにも素っ気なく、感情の欠片も感じさせない受け答えが、そう思わせる。

 依頼人が去っていくと、博士はその戸棚を勢いよく開けた。

 中の死体を想像して、オレンジは下がりかけていた溜飲が込み上げそうになるのを必死に堪える。そしてその中身がついに見えたとき、オレンジは耐えかねて青髪の背に嘔吐してしまう――


 ――と、彼女自身思っていた。

 だがその予想を裏切って、死体を見たことでその吐き気は徐々に治まっていった。

 オレンジが勝手に想像していた死体は腐敗し切っていて、汚泥に塗れた白骨死体が、その虚無の眼差しでこちらを見上げている様子だった。

 しかし博士が下した棚の中に入っていた死体は、とても美しい少女だった。

 真白の清楚な、言ってしまえば味気の無い、オレンジが検査のときに着る手術着のような布一枚を着せられて、顔には薄っすらと素に近い形で化粧が施されている。

 まるで、ただ眠っているだけのようで、今にも起き上がって「なんで起こすの」と文句を言ってきそうなほど美しく、肌も髪も、どこも痛んでいる様子がなかった。

 死体という表現が間違っていると思えるほど、その棚の中では、美しい少女が眠っていたのだった。

「今回はどんな子なの? 博士」

「とある王国の貴族令嬢サ。異国の王族との縁談がまとまっていたが、旅行中に強盗に襲われ死亡。まだ一四歳だったというのに、惜しいことだヨ。そのまま結婚すれば、王国同士の長きいさかいを止める存在になるはずだったのにネェ」

「可哀想……じゃあ依頼主って、その子のお父さん?」

「あぁ。異国の王子も彼女を諦めていないようダ。そいつももう二十歳になるというのに、執着心の強いことだヨ」

「愛情が深いんだよ、博士。この二人には、死んでも切れない、運命の赤い糸が繋がっているのさ!」

「そんなものは存在しない。いいからさっさと会計して来ナ。これを運ぶんだヨ」

「はぁい、ただいまぁ」

 オレンジを降ろすと、依頼人が渡した袋の中から数枚の金貨を博士から受け取り、店の店主と思われる男へと駆けていった。

 改めて少女の死体を見下ろすオレンジの頭に、博士は唐突に拳骨を落とす。

「髪の毛を落とすんじゃあないヨ。細胞を取る際に支障が出るじゃあないかネ」

「この子を、蘇生するのですか?」

「違うネ。これを元に新たなホムンクルスを作るだけサ。この娘自体が蘇る訳じゃあないヨ」

「でも、さっきは蘇るって」

「彼らにとってはそうなのだろうネ。事実はそうでないというのに、滑稽なことだヨ」

 と、青髪が戻って来た。その手には大きな袋を持っている。

 青髪は慣れた手つきで少女を袋の中に入れると、それを勢いよく背負しょいこんだ。腐らないように血が抜いてあるため軽いと言うが、それでも人一人を軽々担げる青髪の力に、オレンジは驚いた。

「さ、帰るヨおまえ達。オレンジは私の裾でも掴んでイナ」

 帰り道もまた、人という人でごった返していた。

 青髪とまた、強く手を繋いでいなければはぐれてしまいそうなほどだと思ったオレンジだったが、不思議と博士と共にいるとその心配はなく、博士が進んでいくと人々が勝手に避けていく。

 皆が博士の顔を見るなり距離を取り、近付くまいとしていたのだ。

 かの外道魔術師は、闇の世界でも通じるらしい。

 なるほど博士が人ごみの中でも悠々と歩いている理由が、わかった気がする。地上ではさすがに騒ぎになって面倒なのだろう。賞金首や暗殺者など、闇の世界の住人達が跋扈する地下だからこそ、彼は存分に利用しているのだ。

 故に、オレンジには話を聞く余裕までできた。

「あの子のホムンクルスを作って、どうなさるのですか?」

「欲しいというからやる、それだけのことだヨ」

「でもそれって彼女の蘇生、ではないのですよね……」

「フン。命なんていくらでも代えられるサ。その人物そのものに成り代わることはできずとも、しかしその人物の代行ならいくらでも用意できてしまう。私はその代替品を、用意してやるだけに過ぎないのだヨ」

 そう語る博士は、どこか遠くを見つめていた。

 すでに博士の頭の中では、ホムンクルス作成の手順が開始されていた。あとはそれを、実行に移すだけ。そう、その光のない、世間に対して興味がないと謳うその目は語っていた。

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