第2話/潜入調査


     2.


 市瀬探偵事務所は、普通の探偵事務所ではない。

 友人に紹介されたこの職場――市瀬探偵事務所に就職して、半年ほど経過した。

 フィクションで語られる探偵と、現実の探偵は違う――それこそ、少年少女の夢を台無しにしてしまうといっても過言ではないほどに違うなんて話は、今更するまでもなく有名な話ではある。

 現実の探偵は殺人事件なんて仕事はまず請け負わず、警察に行くことを奨めて、取り合わない。

 探偵は司法機関ではないのだから、犯人を逮捕する権限がない。

 これは市瀬探偵事務所でも同じだ。

 しかし、市瀬探偵事務所は、フィクションで語られるような探偵事務所でもなければ、現実のような探偵事務所でもなかった。

 市瀬探偵事務所が取り扱う案件は――だ。ほかでは、眉唾とさえ言われ、相手にされないような案件が行き着く先。そこが、この市瀬探偵事務所である。

 市瀬探偵事務所。

 そんな案件に対して、真面目に取り組むのが市瀬探偵事務所である。

 今回、所長の市瀬由々が受けた依頼は、小学校への潜入捜査だった。

 それは数日前に遡る。

 紺野冬至こんのとうじさんが、市瀬探偵事務所にやってきた。

「お前たちに、ぴったりな仕事を持ってきたぜ」

 応接室に座った僕と由々さん、そして紺野さん。この場にいるのは紺野さんだけではなく、彼の隣にもうひとり、男性が座っていた。

 県立花宴学園初等部の校長先生をしていて、周々木鏖すすきおうというらしい。校長先生にしては随分と若い印象を受ける。四十代くらいだろうか。

「何があったのか、詳しく聞かせてもらえますか?」

 由々さんが促しに応じて話を始める。

「このような話は、あまり外部にするべきではないと思っているのですが、紺野さんの紹介ですし、信じて話をさせていただきます。くれぐれも他言無用でお願いします」

「はい。こちらも信頼を第一にしていますから」

「…………本校で、病気が蔓延まんえんしているのです」

「病気?」

「はい。四年一組の生徒が一週間ほど前に高熱で倒れました。それから今週までで、その四年一組全体に感染して、クラスを学級閉鎖にすることになりました」

「インフルエンザのような感染症でしょうか?」

 時期的にインフルエンザが流行するのは少し早いが、真夏でもインフルエンザは発症するケースがある。夏場の環境がインフルエンザウイルスに適していないため、流行こそしないものの、インフルエンザになり得るケースは十分にある。まだまだ秋口の時期だが、インフルエンザであると考えられるだろう。いや、そうではなくとも、そういった類いの感染症であることは十分に疑える。

「――いいえ」

 しかし、周々木鏖さんは否定した。

「検査のところ、何も発見されませんでした」

「? それはどういうことですか?」

「感染症によるものではない――それどころか、ただの風邪。知恵熱と診断されました」

 知恵熱。

 赤ちゃんなどが患う病気のひとつ。

 あるいは、頭を使いすぎたときに発症する病気のひとつ。つまりは、原因不明。

「ほかのクラスでも同様の症状は見受けられますが、四年一組ほど流行はしていません」

 病気じゃないものが蔓延している。

 話はわかったが、病気なんてもの。どうすればいいというのだろうか。

 いくら取り合えない案件を取り合う場所とは言っても、流石に病気となってくると私立探偵には無理だ。行政が担当する問題になってくる。むしろ、学校側が何かしらの手を打ったほうが確実ではないだろうか。

「そこで、だ」

 紺野冬至さんは、にこにことしながら、身を乗り出す。

 この人、紺野冬至さんは『この手の案件』をよく持ち込んできてくれる人物である。確かフリーライターをやっているのだったか? 先月の『くだん』に関する案件を持ち込んできたのも、この人だ。

「学校長としてはどうしても言いづらいみたいだから俺から言わせてもらうと、だな。患者たちは、全員こう言ってるんだよ――」


 


「――ってな」

「花子さん?」「花子さん?」

 僕と由々さんは口を揃えた。

「花子さんって、あのトイレの花子さんですか?」

「その通りだ、川原くん。あのトイレの花子さんを見たって言ってんだ。どうだ? これはまさに、市瀬探偵事務所の案件だろ?」

 こういった都市伝説レベルの事象がもたらした被害について調査するのが、市瀬探偵事務所である。しかし、どうする? 学校というのは、閉鎖的な空間だ。部外者が這入り込めばそれだけで一気に目立ってしまう。調査なんてできるものじゃない。

「そこでだ。市瀬さん。あんたを臨時教員として学校に潜入してもらう。学校という機関への部外者の侵入が困難というのであれば――関係者になってしまえばいい。それで、川原くん。お前は清掃員として学校に這入れ」

「は、はあ。しかし、紺野さん」

 由々さんは困り顔で言う。

「紺野さんが言うのは勝手ですし、私としても別に構いませんが、やはり校長先生のご意向も伺わなければ」

 と、周々木校長へと視線が集まる。

「私は構いません。産休でひとり教員が抜けているので助かります」

 話がスムーズだ。

 紺野さんと周々木校長で打ち合わせがされているのだろう。

「そこで市瀬さん。あんたの教員免許をどうするかって話なんだが」

「あ、教員免許のことなら心配いりませんよ」

 わたし、教員免許は持っていますので。



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