第二章/トイレの花子さん
第1話/先生
1.
「学校というのは、ひとつの社会なのですよ」
僕の隣に立つ彼女は、そう言った。
「川原くんは学生の頃に言われなかった? 『そんなことじゃあ、社会に出たらやっていけないよ』って」
言われたことがある。
懐かしいものだ。懐かしいが、決していい気をしたものではない。
『一歩引いてものを言ってあげている』とでも言わんばかりの、あのものの言い方に対して、憤りとまではいかないまでも、苛ついてはいた。
「わたしから言わせてもらえば、そんなことを子供に言うのはお門違いなのよね。大人には大人のコミュニティがあるように、子供には子供のコミュニティがある――それは、ひとつの立派な社会でもあるのよ。それに、自分たちにとっての社会を押しつけたところで、価値観や形成されているものが違うのだから通用するはずがないのよ」
それは、このトラブルにも言えることよね。
と、由々さんは続ける。
「自分たちにとっての社会――いえ、世界と呼ぶべきかしらね。それを軸にして物事を考えているから、解決できないのよ。できるわけが、ないの。人の気持ちは誰にだってわからないけど、理解しようと歩み寄ることはできる」
でも。
歩み寄ることはできるが。
「歩み寄り方が間違えていれば、誰も心を開いてくれない。一度固く閉ざした心は、その人に対して開くことはない。子供の頃に見えていたものは、いずれ大人になるにつれて見えなくなっていく――それが
それは、現実ではない。
と。
目を細める由々さん。
それは価値を見極めるような、それは値踏みするような、そんな眼差しだ。
「少なくとも、この学校で起きている事件は、そういったものだね。そういったものに、歩み寄って考えるのがわたしたちなのよ」
と、市瀬由々さんは言った。
いいや、『市瀬由々さん』と呼ぶのは、この状況では適切ではない。
この場所では、こう呼ぶのが適切だろう。
先生、と。
僕たちふたりは夕日に照らされる廊下で言葉を交わしてから、仕事に戻る。
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