vol.2 ~階段を上る~

 テーブルに置かれたメニューを僕らは見た。

 冗談抜きで、僕ら2人とも、ワインなんて「赤玉…」に口をつけたくらいしかなかった。また、居酒屋感覚しか持ち合わせていなかった僕の財布の中は、3千円くらいしかなかった。

 “一番安い料理は・・・”

 “ボトルは2,000円からか・・・”

 口にはしないものの、お互いの目を見れば考えていることはわかる。

 「お決まりになりました~?」

 女の人が小さい伝票を持ってやって来た。

 「え~、僕は、キッシュと250mlの白のデキャンタを」

 僕がそう言うと、女の人は黙って大きくうなずきながら伝票に書き込む。

 「僕は、ナポリタンを」連れの男がそう言うと、

 「お飲み物はよろしいのですか?」と女の人が聞いた。

 「いえ、いいです」

 「おい、何も飲まないのかよ」慌てて僕が聞くと

 「いや、いいんだ」と彼は引きつった笑顔で答えた。

 どうやら、彼の財布は僕以上に薄かったみたいだ。

 「少々お待ちください。」女の人は、小さいロットでパーマネントした髪をたなびかせてカウンター席の方に行った。

 「おい、なんだよ。ワインハウスで何も飲まないってのは」

 「いや、腹が減ってるんだよ」

 「ナポリタンいくらだった?」

 「900円」

 「た、高けえ~」

 「お前だって、キッシュって前菜みたいなもんだろ。前菜とワインだけで終わりかよ」

 「だって、しょうがないだろ。一番安い皿で600円なんだから」

 

 この時点で、煙草の本数はお互いに3本目。おひたしを盛る皿のような灰皿が小さく見える。

 

 4本目の煙草に火をつけたところで、音楽が流れ始めた。

 聴いたこともないJazzの曲だった。

 まもなく、女の人が、見たこともない小さなデキャンタと水が入ったコップをお盆に乗せて持ってきた。デキャンタは、今で言えば、小さいペットボトルに取っ手がついているような感じで、僕は「理科の実験みたいだな」って思った。

 ありふれたワイングラスに、少し黄色がかった白ワインを注ぐ。よく冷えていたせいか、見る見るうちにグラスの外側が白く曇る。ハウスワインといえども、一応、TVで見た知識(というほどのものじゃないけど)で、いきなり飲まずに、香りを嗅いでみたりした。

 連れの男が苦笑している中、ひと口。飲み終えると、いったん、テーブルの上において、グラスを眺めてみたりする。

 「どう?うまいかよ」と予想通りの連れの男の問いかけ。

 「うん。うまい」と言って、連れの男にグラスを勧める。

 男は、やはり、鼻をグラスの中に入れて香りを嗅ぎ、ひと口飲む。

 「どうよ」

 「うん。うまい」

 そのまましばらく、テーブルの上に置かれたグラスを男二人で見つめたりする。

 ここまで思い出しながら書いてて、いかに、僕ら2人がかっこわるいか自分でもよくわかるのだけど、このときばかりは、しょうがない。動物園に行って、初めて見る動物を落ち着かない様子で眺めているのと一緒だ。

 キッシュと、少し遅れてナポリタンが運ばれた。

 「どうぞごゆっくり」

 女の人の従業員としての普通の言葉が耳に痛い。メニューには、グラタンとか、タンシチューとか、おいしそうな料理がたくさんあるのに、僕らのオーダーはこれだけだ。現に、写真を見ていた中年の男女の席には、ワインクーラーに入ったワインと、サラダ、そして、フランスパンとチーズがテーブルに乗っていて、しかも、おそらくそれは前菜だろうから。

 なるべく味わって食べようと思ったキッシュも早食いの僕は2分足らずで食べてしまった。

連れの男のナポリタンは、食堂や喫茶店で食べるナポリタンとは見た目から違っておいしそうだった。

 「おい、うまいかよ」と僕が尋ねると、

 「こんなうまいナポリ、食べたことない」と言う。

 どれ、といって僕も数口食べたが、ほんとにおいしかった。どうやらケチャップで炒めておらず、変な甘さがなかった(トマトホールを使用している)。シメジやピーマン、マッシュルームとのコンビネーションも抜群で、量も多いながらおかわりできそうな感じだった。

 二人とも食べ終わっても、中年の男女の席にはメインの料理が届いておらず、相変わらず写真を見ながら談笑している。

 食後の煙草も吸い終わったし、間が持たなくなった僕ら二人は、店を出ることにした。

 「ありがとうございました」

 店の入り口に向かうときに初めてわかった。カウンター席の中は厨房になっていて、背の高い男の人が一人立っていた。

 「ごちそうさまでした」僕は、男の人の隣の洗い場のスペースを見た。

 当然のことながら、洗い物は何も入っておらず、銀色の普通のステンレスだった。

 女の人にお金を支払って、初めて階段を道路に向かって上ってるとき、始まったばかりの夜の温度を肌で感じ、なんだかほっとした。

 いつもの通りを歩き始めてすぐ、「俺、バイトやるわ」って男に告げた。

 



店内に流れていた曲

SONNY ROLLINS「St. Thomas」


https://www.youtube.com/watch?v=Z4DySQyteRI

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