9.叔父の結婚(中編) ~刈り姫~
ミストとキララが席を外して戻ってくると、スカイの姿が消えていた。
ふたりと目が合ったバーニスが、苦笑いを浮かべて円卓の下を示す。
覗き込んでみると、膝を抱えて震えているスカイがいた。
「どうしたの、コイツ。さっきまで出来上がってなかった?」
「いや、聞かれた噂話について教えたらば、ね」
バーニスは苦笑する。
幼なじみたちはお互いの顔を見合わせ、好奇心で輝かせた目を向ける。
無言で続きを催促されたバーニスは、やれやれと杯を置いて、「語りの気分じゃないから、普通に話すことにしよう」と口を開いた。
「だいたい一年前のこと。公にはあまり知られていなかったけど、この王都では連続してある事件が起こっていてね」
それから少し考えるような仕草をして、
「若い娘ばかりを狙う暴漢が、密かに世間を騒がせていた。被害者は相当数いたらしい。らしいって言うのは、大まかな件数すらわからなくてね。いや、これは仕方がないことなんだ。襲われた娘たちは、かわいそうに心までひどく傷ついてしまって……。誰にも知られぬよう固く口を閉ざしていたり、儚くなってしまう者も少なくなか……まあ待て、まだ続きがある」
「被害者が多くなるにつれ、事件は世の人の知るところとなった。あるとき、そんな彼女たちに救世主が現れたんだ。下手人を追い詰め制裁を加えたのは、まだ成人したかどうかくらいの少女だったそうだ」
――少女がひとり、宵闇を歩く。
まんまと誘い出された獲物は、麻痺毒の針を打ち込まれ、おおよそ男にとって耐え難い罰をその身に与えられる。
ただし、かろうじて命までは取られない。
少女は、人々の間で『刈り姫』と呼ばれた。
『刈り姫』は、女に支持され、男には畏れの対象として噂されるようになった。
「それだけなら普通の英雄譚だよね。どうしてスカイは震えてるのー?」
キララがちらと足元を覗き込む。円卓の下の幼なじみは、しっかりと両手で耳をふさいでいた。
「それが、まあ。刈り姫の制裁方法は……男にとっては苛烈なものでさ。効果的であることには違いないんだけども」
バーニスは一旦話を切る。
「そのころには、『刈り姫』の手口を真似て狼藉を働く不届き者も出ていたんだ。『刈り姫』は次々と、そいつらにも制裁を加えていった。命までは取らず。でも」
そして少し苦い顔をして、
「男として殺されるというのは、どういうことだと思う?」
◇ ◆ ◇
杯の果汁は空になっていた。
「ひとり、取り逃がしたの」
「あのときの男ですか」
巫女が杯をあおり、果汁を飲み干す。
「うん。あいつに逃げられて、そのあと巫女さんに負けて。私は
「あのときは兵士もあなたを追っていましたから、離れざるをえませんでしたね」
「一応書き置きはしておいたけど、思ったより大騒ぎになっちゃってたなあ。すぐにでも戻って、トドメをさすつもりだったんだけど」
一年前、月の明るい夜のこと。
ラニは男を追い詰めている途中で巫女に出会い、短い鍔迫り合い合いの末、敗北した。
そして王都を後にしてから今まで、巫女をはじめとする奇妙な一行との一年を過ごすことになった。
「仮に戻っていたとして、難しかったでしょうね。
「何をしてでもやってやるつもりだったんだけどね。でも、巫女さんたちが強すぎだて……」
ふっと、ラニは自嘲気味に息を吐く。
何度も何度も、巫女たちから逃げ出して、王都へ戻ろうとはした。
しかしその度、軽くつままれるだけで阻まれてしまったのだ。
何もかもが常識はずれの武芸者に、竜。そして、もはや人間とはいえない鱗の巫女。
一対一でも敵わないとわかってからは、大人しく案内役としての仕事を果たしていた。
「晴れて故郷に戻ったわけですが、あなたには心残りがありますね?」
ラニが顔を向けると、巫女は優しく微笑んでいた。
またもお見通しかと、ラニは渋い顔になる。
「なかなかお似合いですよ、あなたがたは。師匠はあの年で浮いた話もありませんし、そろそろ腰を落ち着けて欲しいと思っていたところです」
「でもあの人、冒険大好き旅大好きでしょ。そもそも留まってくれないよ」
声に出してから、しまったとラニは口を押える。
が、遅かった。巫女の笑みが明らかに深くなっている。
「だからこそ、
「あー、なんかすごくわかる気が……。やっぱりクラノさんの『愛弟子』だね」
「それもありますが、師匠は私の叔父ですからね」
「えっ!?」
内緒ですよと、巫女は片目を軽く閉じた。
あの叔父にしてこの姪とは、なるほど納得だ。血筋とは恐ろしい。
曖昧な笑みを浮かべながら、ラニは何気なく、王都の暗がりに目をやる。単なる癖だ。
そして、目を見開いた。
あの背格好、あの男は。
ラニは
「ラニ!」
巫女の声を振り切るようにして、夜の王都を音もなく駆け進んだ。
標的を定めてからのラニの動きは、自賛するほど早く速い。
目の前の男は、ようやくといった様子で立っているが、それもあまり保たないだろう。即効性のある麻痺毒を、吹き矢で打ち込んだのだから。
「あなたは逃げて。あっちなら人がいるから。早く!」
顔は男に向けたまま、ラニは怯え戸惑う少女を叱咤する。
少女は乱された衣服ごと身体をかき抱き、ラニが示した方向へとよろけながら逃げ去っていく。
その後ろ姿が見えなくなったところで、ラニは改めて、ついに膝をついた男を見下ろした。
粗野なだけの目と、一年前につけた腕の傷。巫女の乱入により「刈り損ねた」男に間違いなかった。
「お前、まさか……『刈り姫』か!」
「黙れ。どうでもいい」
ラニは、男の胸を蹴って倒す。そし、て開いた片足の腿を踏んで固定する。
「大人しくていれば見逃したものを……」
服の中から、小さな手に馴染む小ぶりの鉈を取り出す。
「や、やめろ……」
「安心して。命までは取らないから。ただ、お前のような者に、命を紡ぐ『可能性』は必要ない!」
酷薄に言い捨て、ラニは「そこ」に躊躇なく鉈を振り下ろし――
寸前で、鉈と男の間に割り込んできた赤い薙刀に阻まれた。
「邪魔しないで!」
ギィンという金属音とともに、鉈と薙刀が跳ねる。ラニは後ろに飛び退き、乱入者である巫女を睨んだ。
いつもと違って真面目な面持ちの巫女は、仰向けのまま動かない男の
「……そこ、どいて」
「できませんね」
「そいつは罰を受けなくちゃいけないの!」
「あなたでなくともいいでしょう。それこそ、兵士の仕事です」
「だって、そいつは……!」
ラニは強く歯噛みする。
この男が特別なわけではない。だが、一度「刈る」と決めた獲物を逃がしてやる気は、さらさらなかった。
そもそものきっかけは、ラニの側仕えをしていた少女が襲われたことにある。
少女はある日を境に、ひどく落ち込み、様子がおかしくなった。
ラニは、少女に根気よく声をかけ続けた。そして、嗚咽する少女から、すべてを聞かされたのだ。
恐ろしい話だと思ったし、同時に、抑えようのない怒りに心が焼かれた。
ラニはすぐさま準備を整え、自分を囮にすることで、少女の
それからは、多発していた模倣犯を「刈り取り」に出向く日々を送っていた。
一年前、今のように、巫女に阻まれるまでは。
「命までは取らないって知ってるでしょ!?」
「お前がやる理由にはならねぇな」
ぽんと、ラニの頭に重さがかかる。
まったく気配を感じなかった。見ずとも、誰かはわかる。
「お前、囲まれてたぞ? 頭に血が上って見えてなかっただろ。こんな治安の悪そうなとこにひとりで突っ込むくらいだもんな」
見上げたクラノは、いつも通り緊張感のない笑顔。
後ろを振り返ってよく見ると、伸びているゴロツキと、それをきつく縛るミストとキララ。ミストは、仕上げとばかりに、ゴロツキを足蹴にしていた。
物陰からふたりを狙った覆面を、スカイが素早く叩きのめす。ラニを見て、なぜか若干顔を青くした。
他にも、大盾を振り回す男に、矢じりを硬い粘土の玉に変えた矢で、眉間を的確に狙う女エルフ。
軽い動作で大剣をとり回す老重剣士。バーニスは歌で精霊を呼び出し、賊を次々眠らせていた。
「どういうこと……?」
「
尾が二股の猫に擬態した妖精竜コハクも、屋根からクラノの肩に飛び乗る。
「ヒスイはどうしています?」
「留守番。寝てるよう言っておいた」
「そうですか」
巫女は今までのやりとりなどなかったかのように、コハクと世間話を始めている。まだ男を足の下にはしているが。
「すぐに兵士が来ます。知らせを回しておきましたから」
巫女はいつも通り穏やかに笑い、ラニに向けて唇だけを動かす。
お、ひ、め、さ、ま。
と。
「姫さま!」
巫女が口を閉じるのと同時。
ラニにとって、懐かしい顔が飛び込んできた。
「姫さま、ご無事ですか!? この一年、
ラニよりひとつ年上の、側仕えの少女だった。ほとんど飛び掛かるようにしてラニに抱き着いてくる。
少女の後から、兵士たちも大捕物に加わろうと押し寄せてきたが、「元・魔王討伐隊」がこなした仕事を見て目を丸くしていた。
もう、「刈り取る」とは言えない状況だ。ラニはため息をついた。
後処理は兵士たちに任せて、ラニと側仕えの少女、クラノたちは、宿の待合室を貸切にして集まっている。
宿に戻るまでもゴタついていて、大まかな説明さえできていない。幼なじみ三人衆などは好奇心を隠そうともせず、ラニたちを見てくる。
「この状況に一番明るいのは私でしょうから、簡単に説明しますね」
巫女が一歩前に出て、全員の視線を集める。
「一年前、王都で噂されていた宵闇の仕置き人『刈り姫』。その正体は、こちらにおわします、空の名を持つラニ姫様。正真正銘、砂漠の国の王女です」
巫女はまるで、芝居の冒頭を物語るかのように一礼してみせた。
「さて、罰を下す相手はひとりで十分だったのですが。正義感の強い姫様は、当時多発していた模倣者どもにも等しく罰を与えました。『男として、二度と狼藉をはたらけぬように』、と」
スカイが青ざめた顔で、ぶるりと震えた。年長者の男性陣も、微妙な顔をしている。
雪山で顕現したヒスイ少年がいなくてよかったと、ラニはほっとする。幼いながら彼も男だ。自分でやってきたことではあっても、子供に聞かせる話ではない。
「しかし、姫様は少々やりすぎました。はじめは英雄として支持されていた『刈り姫』も、その罰の苛烈さから、男を中心に恐れられ、やがて畏れの対象となってしまったのです。いつしか、『刈り姫』は追われる側になりつつありました」
側仕えの少女がわずかに俯く。
あのころ、この少女が何度かラニを止めようと言葉を尽くしてくれたことを、今さらながら思い出した。
「正体を正確に知られないまま、『刈り姫』は兵士に追われることとなりました。そのとき出会ったのが私です。姫様の最後の標的――先ほど私が足の下にしていた男ですが――を手にかける寸前で、割って入りました。それからはみなさんご存じの通り。やや強引にですが、私たちの旅に同行していただきました。そして、今日このときに至ったわけです」
途中に「竜との遭遇」だの「魔王討伐」だのが抜けている気がするが、藪から蛇を出すような真似はすまい。隣に立つ少女が失神しかねない。
ラニが微妙な顔をしそうになるのをこらえていると、巫女はまた優雅に一礼した。
「さて。それで、どうなさるんです?」
巫女が、悪戯めいた笑顔でラニを見やる。
ラニはぐっと詰まった。いじわるな振り方だ。
「私は……」
仲間たちの視線が集まる。
腹をくくるしかない。と、ラニは覚悟を決めた。
まずはあの余裕の笑顔を崩してやろうと。
「クラノさん。私と結婚してください!」
「ん!?」
猫に擬態したコハクの背から竜の翼が飛び出したり、側仕えの少女が静かに気を失ったりと、場が混乱に支配され。
三日後、クラノはラニの父である砂漠の国王と一騎打ちをすることになった。
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