2.星空とともに

 巫女の帰還から、さらに一年と少し経ったころ。

 ルリとヒスイは、ふたりでアーベンの家に来ていた。


「今日はヒスイさまもお泊まりだね!」


 アカネの年若い弟妹きょうだいたちがはしゃぐ。

 大部屋の中は、アカネの幼い親戚たちで大変賑やかだった。


「それではアカネさん、リリアナさん。ふたりをよろしくお願いします。術士さんにもよろしくお伝えください」


 ふたりの母である巫女が、家主のアカネとリリアナにあいさつをしている。

 ヨハンは村の男衆に連れ去られるようにして宴会へ担ぎ出されたため、不在だ。

 アカネは笑いながら、


「ああ、任せてくれよ。子供らも喜ぶしさ」

「次は巫女様も泊まっていってくださいね!」


 リリアナは少し未練があるようで、巫女に目で訴えている。


「ありがたいですが、母が心配しますので」


 巫女はそれに苦笑で答えた。

 巫女の母――紅き竜は、巫女が旅から戻って以来、山を空けて外泊することにいい顔をしない。

 気持ちはわからないでもないが、少し心配しすぎだとルリは思っている。


「ルリ、ヒスイ。ご迷惑のないようにするのですよ」

「心得ている、母さま」

「大丈夫です、おかあさま」


 ルリとヒスイは、それぞれ素直に返事をする。

 巫女は優しい笑顔で頷き、アカネとリリアナたちに見送られて、山へと帰って行った。



 ◇ ◆ ◇



 自然と勃発した枕投げのあと、大部屋の子供たちはそれぞれの親に怒られ、寝床に入る。

 元気はありあまっていても、体力が尽きるのが早い。灯りが落ちると、そう時間も経たないうちに眠り始めた。


 寝息と、ときどき小さないびき。虫の音と、聞き取れない寝言の中、ルリはふと目を覚ます。

 それはルリだけではないようで、


「ねえさまも、起きているんですか……?」


 ヒスイの控えめな声が聞こえた。


「ああ。ふと目が覚めた」

「ボクもです」


 ヒスイが小さく笑う。

 しかし、困ったことになった。

 一度目を覚ますと、中々眠れなくなるのは、魔法生物であるふたりも変わらないからだ。


 母の腕にある鱗でも思い出して数えるか、と思ったところ、ふたり以外の誰かが起きた気配がした。


「……おしっこ……」


 目をこすりながら起き上がったのは、アーベンだ。

 ルリも身を起こす。


「アーベン。起きたのか」

「ルリさま……ヒスイさまも……」


 寝ぼけ声で、アーベンはルリと、続けて起き上がったヒスイを交互に見る。


「小用? 暗いからついていこうか?」


 言うが早いか、ヒスイは静かに寝床から抜け出す。ルリもそれに続いた。


「うんと、うん……。くらいの、こわいから……いっしょに……」

「じゃあ、一緒に行こうね」

「私も行こう。顔を洗いたい」


 そうして、三人はそっと大部屋を抜け出した。



 ルリが水場で顔を洗っている間に、ヒスイとアーベンは厠から戻ってきた。手を拭きながら、すっきりとした顔をしている。

 アーベンはすっかり目を覚ましてしまったようだ。


「目が覚めてしまったな。しかし遊ぶわけにもいかないし、戻るか」

「はーい」


 アーベンは、両手をそれぞれルリとヒスイにつなぐ。

 大部屋に戻ろうと一歩を踏み出した時、三人の視界が一転した。


 家があったはずの周囲は、白い地面と暗青色の草原に。見渡すばかりに広がる星の海は、より明るく。

 三人は、生き物の気配が極端に乏しい場所に立っていた。


「ここ、どこ……?」


 アーベンは不安そうに、つないだ手に力を込める。


「聞いたことがある。ときたま、夜の世界との境界が薄くなると」


 ルリは、その手を握り返しながら言った。


「ルリさま、それってどういうこと?」

「私たちが暮らす世界から、夜の世界に迷い込んでしまったということだ」

「でも、少しすれば戻れるって、紅玉こうぎょくのおばあさまがおっしゃっていたから大丈夫だよ」


 ヒスイが優しく笑いかけながら付け足す。


「そういうことだ。アーベン、少し歩いてみるか?」

「うん! みんなでたんけんだね!」


 アーベンの顔からは不安が消え、はしゃいだように笑った。



 黒と暗青色の世界に生き物の気配はなく、ときおり、ホタルのような小さな光が目に入る。

 三人は、白い地面を気ままに歩いていた。


「あれ、なにかひかってるよ」


 アーベンが立ち止まり、ほとんど影のような草むらを指さす。

 ほんのりと白く光るものが、そこにあった。


「ふむ。小石だな」


 ルリがひとつ、淡く光る白い小石を拾い上げる。


「わー、きれい!」

「いるか?」


 ルリは小石をそのままアーベンに渡す。


「いいの? ありがとうルリさま!」

「あっちにもあるな」

「あ、ぼくもみつけた! ルリさまにも、はい」


 ルリとアーベンは、どんどん小石を拾ってはお互いに渡していく。


「ヒスイ、お前はいいのか?」

「ボクは大丈夫です。ひとつ拾いました」


 ヒスイは手の中の小石を見せた。


「そうか」


 ルリはそれ以上追求しなかった。苦笑していないで、ヒスイももっと拾えばいいのに、と思いながら。



 ◇ ◆ ◇



 ルリたち三人は、白い砂地に座って星空を見上げていた。


「さすがに飽きてきたな。まだ戻れぬものか」


 生き物の気配が極端に薄いせいか、星の光がやけに鮮やかに感じられる。

 ルリとアーベンの膝の上には、お互いに見つけて渡し合った光る小石たちが、小さな布に包まれて乗せてある。


「ほしぞらって、ルリさまの目ににてるね」


 アーベンが、紺碧に金の粒を散らしたようなルリの目を覗き込む。


「そうか?」

「うん。ルリさまの目って、よるのそらみたいにあおくって、おほしさまみたいにきらきらしたものがあるよね。いっつもおもってたんだ」


 アーベンは朗らかに笑った。


「そうだ! ルリさま、おおきくなったらぼくのおよめさんになってくれる?」

「ぶっ」


 ヒスイが噴き出し、げほごほとむせる。


「大丈夫か?」

「だ、だい」


 言えていないが、ヒスイはむせながら「大丈夫」だと手の動きで訴えた。

 アーベンがその背中をさすっている。


「ぼ、ボクは、大丈夫だから、続け」


 ヒスイは胸をたたきながらむせて続けていた。


「……それで。突然どうした、『およめさん』とは」


 ヒスイの背中をさするのを交代して、ルリは聞く。


「えっとね、ルリさまはいつもぼくとあそんでくれるし、だいすきだからだよ」

「そうか」


 ルリは、言葉で表しづらい、複雑な表情をした。にやけそうになるのを、我慢しているように見えるかもしれない。


「今は無理だぞ」

「だから、ぼくたちがおおきくなってから。ぼくのおとーさんおかーさんも、おとなになってからけっこんしたんだよ!」


 アーベンは口を尖らせる。


「……考えておく」

「うん!」


 アーベンが満面の笑みを浮かべると、静かすぎる夜の世界が一変した。

 三人は、夜の世界に迷い込んだときにいた水場へと戻ってきたのだ。


 夜の世界を歩き回って疲れていた三人は、そのまま大部屋に戻り、すぐに眠りに落ちた。



 ◇ ◆ ◇



 ルリとヒスイのお泊まりの翌日。ふたりは、山のいただきに帰ってきていた。


「ルリ、どうしたんです?」


 ぴったりとしがみつくルリを、娘が不思議そうに見ている。


「母さま。私は今まで性別を持たなかったが、母さまと同じになることに決めた。だから、こうして参考にしている」

「あら、そうでしたか。なら、あとで一緒に温泉に入りましょう」


 娘は、ルリが持ち帰った多量の小石を見て、楽しそうに微笑んだ。



 一方、アカネたちの家では。


「ルリさまにもらったんだよ。ぼくもたくさんあげたんだー」


 アーベンが、ごろごろと「白い小石」を広げる。

 アカネとヨハンは、おおいに吹き出しむせるのだった。

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