幕間:娘にとって想定外のこと

『腹に命が宿りつつあるぞ』


 娘は、母である竜の言わんとしていることがわからなかった。


「身に覚えがありませんし、心当たりもありませんよ?」


 唯一の心当たりといえば、治癒術士のヨハンを湯たんぽ代わりにした夜だ。しかし、普段鍛えているわけでもないヨハンひとりくらい、無力化することは簡単だ。

 悪くない身体つきではあったが。


「私が言っていることと、お前が考えていることは違うな。お前の腹に宿りつつあるのは、言わば魔力の結晶だ」

「魔力の結晶、ですか?」


 どういうことだろうか。

 娘は、人と比べて「できることがやや多い」と自負している。

 それでも、魔法や魔力に関しては「お前にその素養はないな」と、竜が言っていた。

 ますます思い当たる節がない。


「そうだな……」


 竜が少し考えるように間を置いて、


「娘、お前はいつも何を食べている?」

「食べ物ですか? そうですねえ……。山で採れる山菜や川魚、狩りで捕る兎などの獣に、麓で手に入れた保存食……。あとは、ときどき魔獣の肉などでしょうか」


 先日仕留めた熊型の魔獣など、獣と似た姿の魔獣は意外とおいしく食べられることが多く、腹持ちもいい。

 ただ獣ほど数がおらず、狩るにしても危険な相手なので、積極的にやり合いたい相手ではない。

 干し肉などにしてみても、「魔獣の肉」はどちらかというと珍しい薬の原料や「イロモノ」の部類に入る。一部の好奇心旺盛な人間以外には、食材として食べる者はおらず、麓であきなうことも少ない。

 なので、だいたいは娘の胃に入ることになる。


「なるほどな。原因のひとつはそれだろう」

「魔獣の肉、ですか?」

「そうだ。魔獣とは魔力を宿した獣。私のように、魔力をかてとする魔法生物の主な獲物だな」


 火竜である母は、眠っているこの火山の熱を魔力に変換して吸収しているため、当分の間食事を必要としない。

 腕が鈍らないようにと、たまに狩りに出ることがあるくらいだ。


「そういえば。お母さんはもしや、爪や牙での攻撃よりも魔法が得意なのですか?」

「そうだ。私は竜の中では力自慢な方ではない。人間に例えて言うならば、魔導師といったところか」

「あんなにお強いのに」

「人間などとは比べものになるまいな」


 つくづく竜族とは強い生き物だと、娘は感心してしまった。


「話が逸れたな。つまりお前は、日常的に魔獣の肉を口にすることによって身体が魔力に馴染み、体内に魔力を蓄えられるようになっていったのだろう」

「なるほど……? お母さんに挑むような輩が羨みそうな話ですね」

「言うな。忌々しい」


 母は、苦虫を噛み潰したような顔をする。


「原因のひとつということは、他にも要因があるということですか」

「そうだ。むしろそちらが大きいかもしれんな」

「と、言いますと?」

「魔獣の肉から魔力を摂り続けたとして、人間の体内で結晶化するほど蓄積することはまずない。日常的に私のそばにいて、私が放出する魔力を浴び続けことが主な原因だろう。その首飾りも、比較的魔力が強いしな」


 娘は首飾りに触れた。半透明の紅玉に似た鱗は、ほのかに温かい。

 たしかに、娘はほぼ毎日母のそばにいる。

 紅き竜の加護のある「逆鱗の首飾り」を身につけるようになってからは、その温かい――加護がなければ消し炭になるほどの高温だ――巨体に寄りかかってうたた寝することもある。

 麓に下りるときでも、首飾りは肌身離さず。麓の人間からは「紅き竜の巫女」の象徴としてとらえられている。

 つまりは、ずっと竜の魔力の影響下にあったことになる。


「竜などが持つ強大な魔力というのはな、長く影響下にあれば他者の魔力を変質させることがある」

「それで、私の中に魔力の結晶ができあがったと」

「命を宿すほどにな」


 母が唸る。口の端から小さな炎が漏れた。


「命を宿す、というのが、私にはよくわからないのですが」


 言いながら、娘は腹に手を当てる。


「それについてはよくわからぬ」

「お母さんにもですか?」

「私にとっても初めてのことだ。人間をそばに置いたこともなければ、その人間が日常的に魔獣の肉を口にして変質していたこともない」


 母は目を細める。

 多分、半分は呆れているのだろう。


「お前とも私とも違う命を感じるのだ。そのうち外に出てくるかもしれんな」

「……お腹を突き破ったりしないでしょうか」


 ぞっとしない想像だった。


「そのときはそれ・・を粉砕してやるから、心配するな」


 母はふっと炎を吐きながら笑った。




 娘は、母から剥がれ落ちた鱗の山の前に座っていた。

 この山だけでもけっこうな熱があるが、逆鱗の首飾りを持つ娘には関係ない。


「お母さんはああ言っていたけれど」


 剥がれてからだいぶ時間の経った、黒に近い色の鱗をひとつ取って、目的もなしに弄ぶ。


「特段、何か変わったようにも思えないな」


 片手で腹部に触れる。赤子のように腹を蹴るようなこともない。

 いざというときは母が干渉して破壊すると言うのだが、「命」と呼べるものがそこにあるらしい。不思議な感覚だった。

 手に持った鱗が、ぴきりと音を立ててふたつに割れた。首飾りにした逆鱗は穴を開けるのも苦労したが――そもそもどうして穴が開けられたのだろう――古い鱗は、竜の鱗といえども脆くなっている。

 両手で包んで力を入れると、さらに亀裂が入り、すぐ細かい破片になった。

 ふと思いついて、娘は左腕を水平に伸ばして袖を捲る。

 小さく砕いた破片を、肘を中心にして、密に並べていく。


「私の鱗です。なんてね」


 ぽつりと独り言を呟いて、左腕を下ろす。娘の戯れの跡は、そのまま地面に落ちる。

 はずだった。


「あら?」


 鱗の破片はひとつも落ちることなく、娘の腕に貼り付いたままだった。

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