5.花嫁と妹(前編)

 流行病はやりやまいの混乱も過ぎ去り、村も山も、すっかりいつもの日常を取り戻していた。

 巫女はいつもどおり、山の品々や村々の名産品を携えて、ふた月ぶりにある村へと下りた。


「髪、伸びましたね」


 品物と代金をやりとりしながら、巫女は感心していた。


「まあな。さすがにあの短さで花嫁衣裳着るわけにはいかねえっていうか、リリアナがうるさくてさ」


 アカネは苦笑する。最近婚約したのだという。

 いつも短く切られていた赤い髪は、今は肩に届くほどの長さになっている。

 野性的だった雰囲気もどこか落ち着いて、元々の美しさに女性らしい柔らかさが加わった印象だ。

 そばをすれ違う村人たちが、ちらちらとふたりを見ている。


「式はふた月後だそうですね」

「ああ。いっそのことやらないってわけには、やっぱいかねーみたいでさ。急だけど、今のうちだろうって」


 アカネは腹に手をやる。

 先日懐妊がわかったそうだ。 

 婚約者である治癒術士ヨハンは、「へたれのくせに手が早い」と、周りからどつき回されているらしい。


「おめでとうございます。色々と楽しみですね」

「そうだな。巫女様には色々と世話になったしな」

「あら、何のことでしょう」


 じとっとした目で見てくるアカネを、巫女は笑顔でかわす。

 巫女が何をどうしたにしても、決断したのはふたりだ。


「ということは、婚礼衣装はリリアナさんが?」

「ああ、かなりはりきってるよ。ヨハンの分もな。あいつにまかせりゃ、アタシらも立派に夫婦に見えるだろうよ」


 嬉々として婚礼衣装作りに取り掛かるリリアナの姿が想像できたので、巫女は笑ってしまった。


「心強いですね」

「まったくだよ。そういや巫女様、まだリリアナには会ってねーの?」

「はい。今まで品物のやりとりをしていたので」

「そっか。なら行ってやってくれよ。前に約束した巫女様の衣装、はりきって作ってたからさ」

「それは楽しみですね。さっそく伺うことにします」


 アカネが村人に呼ばれたのをいい区切りとして、ふたりはそこで別れた。



 リリアナの元へ向かいがてら、巫女は村を見渡す。

 治癒術士ヨハンと助手アカネの結婚という祝い事の準備が、慌ただしくも村全体の雰囲気を高揚させているように思えた。


「いいことです」


 巫女はひとりで頷いた。



 巫女はリリアナの家の戸を叩く。


「ごめんくださーい」


 間もなく、「はーい、ただ今ー」と戸が開いた。


「あ」


 出てきたのは、リリアナの兄・治癒術士ヨハンだった。


「術士さん。こんにちは。このたびはおめでとうございます」

「いえ、そんな! 巫女様には色々とお世話になりまして……」

「あら、何のことでしょう」


 巫女は柔和な笑顔を浮かべる。

 巫女は少し背中を押しただけで、進む道を決めたのはふたりだ。こういうやりとりがあるたびに言おっていこうと決めている。


「今日はこちらにいらしているんですね」

「はい。祝言しゅうげんの準備もありますから、最近は仲間の治癒術士たちが村々を回ってくれているんです」


 巫女を中に案内しながら、ヨハンは近況などを話す。

 巫女はちらとその顔を盗み見る。

 栗毛の髪にメガネをかけた優男風の顔。特別ひ弱なわけではないが、体格がいいわけでもない。普段の言動もどこか頼りない。

 しかし、治癒術士としての仕事ぶりは別人のように頼もしい。

 その落差が、今まで少なくない女たちの心を動かしてきていたのだろう。

 治癒術士の仕事絡みで何かあるたび、小さからぬ騒動が起きてヨハンが奔走すると。ヨハンのみ知らぬうちに、知人以上恋人未満という、微妙な関係と感情の女たちが増える。

 アカネとリリアナは、日頃から頭を抱えていた。


 今回の婚約の件は、彼女らと、彼女らに想いを寄せる者たちへ衝撃と安堵をもたらした。

 が。似たようなことはこれからも起こるだろうなと、巫女は心の中で苦笑する。

 生まれ持った性分というのは、結婚という転機を迎えても、きっとすぐには変わらない。

 巫女がそんなことを考えているうちに、ヨハンが足を止めた。


「リリアナ、巫女様がおいでだよ」

「え! 待って、今行く!」


 戸の向こう側からリリアナの声がして、どたばたという物音のあとに戸が開いた。


「巫女様、お久しぶりです!」

「はい。リリアナさんもお元気そうで何よりです」


 巫女とリリアナは、お互いの片手を軽く上げて打ち合わせた。小気味いい音がする。


「ふたりともずいぶんと打ち解けてるね……?」

「巫女様とは仲良しだもん! ねえ巫女様、できあがった衣装、さっそく着てみてもらえませんか?」

「それはそれは。ぜひ」

「それじゃあ中へどうぞ! あ、お兄ちゃんはここまでね。偶然でも覗いちゃだめだよ!」

「そんな、僕がいつも覗いてるみたいに……」

「転んで部屋入ってきそうだもん!」


 うろたえながら抗議するヨハンを押し出して、リリアナは巫女を自室に招き入れた。

 部屋の中には、片づけたばかりとおぼしき布地たちと、たくさんの服が衣装掛けに並べられている。


「ちょっと散らかってるんですけど、こっちです」


 リリアナは、片づけきれなかった小物をどかしながら巫女を先導する。


「これが巫女様の普段着。山でも動きやすいように、装飾は少な目です!」


 そう言って取り出したのは、巫女が普段から着ている巫女装束の意匠を取り入れつつ、装飾は抑えた機能的な服だった。

 以前、ヨハンが巫女に持ってきた布地と同じ生成りの織物を下地として、差し色はそれぞれ紅、赤紫、紺色の三着。

 ところどころ、リリアナの遊び心と思われる小さな飾りがついているのがかわいらしくも、甘くなりすぎない配分が見事だ。


「素敵ですね。色、形、装飾、どれもばっちりです」

「ほんとに!? 自信あったんだー! さっそく着てみてください!」


 リリアナはぱっと笑顔を咲かせる。

 そして、巫女を部屋の角、衝立ついたてと布で仕切られた場所に連れて行く。


「着替えはここで。お兄ちゃんがうっかり入ってこないように見張ってますから!」


 リリアナはそう言って、部屋の戸の方を向いて仁王立ちした。

 頼もしい背中である。


「では」


 巫女は角に入り、衝立と布で入口を閉じて着替え始めた。

 実際に着てみると、一着一着大きすぎず、なおかつほどよくゆとりがあって動きやすい。細部の丁寧さもよくわかる。


「リリアナさん、着心地もちょうどいいですよ」


 目隠しの布をめくって出てみると、リリアナとヨハンがもつれ合うように戸の前の床に転がっていた。

 巫女はそれを冷静に観察し、


「ついには物音まで消せるようになりましたか」


 と、頷く。


「違う、違いますから! ほんとに転ぶとかわけわかんない! もう奇跡なんじゃないのお兄ちゃん!?」

「僕もそうなんじゃないかと思えてきた……」

「いいからどいてよー! 重い!」


 何をどうやったらそこまで絡まるのかというあれやこれやを力技で解いて、リリアナは再度、兄を部屋から追い出した。


「なんなのほんと、なんなの」


 小声でぶつくさ言いながら、リリアナは髪や服を整えて巫女に向き直った。


「やっぱり似合う! 巫女様きれいに着こなせてます!」

「ありがとうございます。リリアナさんの仕事の丁寧さがよくわかる、素敵な服です」

「わー、嬉しいです! あとはちょっとこのあたりを調節して……」


 リリアナはしつけ糸を切り、


「こんな感じかな。完成です!」


 満足げに胸を張った。


「ありがとうございます。私の巫女生活にも張りが出ますよ」

「えへへっ。あ、そうだ!」


 ぱんと手を合わせてリリアナは衣装掛けに駆け寄り、何やら探り出した。

 そして、一着の赤い衣装を持って来る。


「これ、お兄ちゃんとアカネちゃんの結婚式に着てくれませんか?」


 巫女装束をより華やかに、かつ紅色と朱色を効果的に入れて落ち着きを出したそれは、巫女の礼服だった。

 巫女の普段着三着と、ヨハンとアカネの婚礼衣装。ふた月という短い期間に、リリアナはこれだけの衣装を手がけていた。


「お兄ちゃんとアカネちゃんが無事にくっついたのって、やっぱり巫女様のおかげだと思うんです。だから、私の力作で結婚式に出てほしいなって」


 リリアナは頬を少し赤くして俯く。


「ええ、ぜひ。華やかな結婚式にしましょう」


 巫女は優しく微笑んで、リリアナの頭をぽんぽんと撫でた。


「お礼に、リリアナさんの礼服は私が仕立てましょう」

「え、いいんですか!?」

「もちろんですよ。ひとりでこれだけ作るのは大変だったでしょう?」

「ありがとう巫女様!」


 リリアナは目をきらきらと輝かせて、巫女に抱きついた。


「ところで巫女様、ふたりから結婚式に招待されました?」

「いえ、正式なお誘いはまだですね」

「うっそ!? もー、信じらんない! 変なとこで抜けてるんだからお兄ちゃんたちは!」


 リリアナは勢いよく部屋から出て、外にいたヨハンに詰め寄っている。

 巫女は赤い礼服をそっと衣装掛けに戻してから、ふたりの間をとりなしに向かった。



 リリアナにせっつかれたヨハンとアカネのふたりから正式に式への招待を受け、巫女はそれを快諾した。


「ではまた、式の前日に」


 リリアナの採寸と簡単な打ち合わせを終え、生地や小物を仕入れてから、巫女は竜のいる山へと帰った。



 それからは、いつも通りのふた月が過ぎていく。


 山歩きの途中で出くわした魔獣を狩り、肉を処理して毛皮や骨などの使える部位を麓の村々で順番に商い、式に着けて行く装飾品などを揃えた。

 竜の古い鱗を使った品々を作りつつ(竜はそのたび微妙な顔をする)、リリアナの礼服作りも忘れない。

 相変わらず境界線を越えてくる人間もあとを絶たないので、その対応にも出向いていれば、月日などあっという間に流れていった。



 荷物をまとめ終え、巫女は最後に得物の点検をした。


「えー、あとは装飾品と、祝いの品と……これくらいですか」


 長い柄の先に燃える炎をかたどったような赤い刃は、毎回研いでいるだけあって刃こぼれひとつない。刃の中心にはめ込んだ紅い鱗も、宝石のように鮮やかだ。


「もう行くのか」

「はい。リリアナさんと、お互いの礼服を合わせないとですし」


 身体に荷物をくくりつけながら、巫女は竜に向き直る。


「では、行ってきます!」


 カツンと、得物の柄を地面に軽く突き立てて、巫女は竜に笑いかけた。


「何事もないとは思うが、気をつけろよ」

「もちろんです!」


 巫女は、むき出しの赤い刃を掲げて見せた。



 その日の近道を早々に見極め、巫女は村への道を数時間ほどで踏破した。

 魔物除けの鈴、身に着けている逆鱗の魔力を獣たちが警戒したか、幸い得物をふるう機会はなかった。

 巫女は鞘代わりの布を刃に巻きつけてから、昼過ぎの村に入る。


「あ、巫女様!」


 さっそくリリアナに見つかった。


「リリアナさん。こんにちは」

「巫女様こんにちはー! って、何その長いの?」

「旅のお供ですよ。私も丸腰では下山できませんから」


 コンコンと柄で地面を軽く突き、巫女は身の丈を超える得物を立てて存在を主張する。


「あ、もしかして、あのときの……」


 リリアナは情景ごと思い出したようだ。少し腰が引けている。


「それは置いておいて……。巫女様、さっそく衣装合わせしましょう! 他の準備はみんながやってくれてるし!」

「おふたりの衣装も?」

「それはもう、私が抜かりなく!」


 リリアナは自信たっぷりに、小さな胸を拳で叩く。


「だから、最後の仕上げは私たちの衣装くらいなんです! すぐ終わると思いますけど、早く早く!」


 巫女はリリアナに手を引かれて、村の中心部に導かれていく。

 すれ違う村人たちは老若男女問わず、どこか浮き足立ったような、熱っぽい雰囲気を出している。

 慌ただしくも生き生きと準備に追われる村を通り抜けて、巫女は治癒術士ヨハンとリリアナの家に到着した。


 まずは、巫女とリリアナの礼服を合わせる。

 先に巫女が試着して、リリアナがしつけ糸を手早く切るだけで巫女の礼服は完成した。

 リリアナは満足げだ。

 次にリリアナに試着をさせ、リリアナが色々と感動しているうちに巫女が細部を調整すると、こちらも完成した。

 明日どの小物を合わせるかお互いに検討したが、これもさほど時間がかからずに決まった。

 巫女とリリアナの好みなどが近かったためだ。


「巫女様と衣装合わせするの、楽しい……!」


 リリアナの感極まったひと言で打ち合わせは終わり、ふたりはほっと息をついた。



 新郎と新婦は式の前日、実家で独身最後の夜を家族とともに過ごす。

 慣例に従って、巫女は村の宿に引き上げるために荷物をまとめる。

 家を出ようとしたところで、リリアナとアカネの下の弟妹きょうだいたちに全力で引き留められてしまった。


「私、ずいぶん前から宿の手配をしてあるのですけれど」

「知ってるよ! でも巫女様うちに泊まってってよー!」

「みんなでご飯食べようよ!」

「ごはんたべたらおふろねー」

「じゃあわたし一緒に寝る!」


 そして、アカネの弟妹たちに全力でまとわりつかれる。


「この前巫女様が泊まっていったとき、宴会のせいでほとんど話せなかったでしょ? だから、今夜はアカネちゃんちに泊まってもらおうってみんなで決めたんです!」


 さすがに私の家は、一応新郎がいるのであきらめました! と、リリアナも巫女にまとわりつきながら食い下がった。


「こちらも新婦の家ではありませんか」

「女同士だったらいいんです!」

「いいんですー!」

「ですー!」


 リリアナの真似をして、アカネの幼い妹弟たちがきゃっきゃと騒ぐ。


「それにもう、宿の方は私が断ってきちゃいました! あとでそれなりの埋め合わせをするってちゃんと約束もしてきましたし!」

「こら、勝手なことして巫女様困らせんな」


 こつんと、リリアナに軽く拳骨を落としたのは、


「アカネちゃん!?」


 ゆったりとした部屋着に身を包み、長くなった赤い髪を軽くまとめたアカネが、呆れ顔で拳をねじ込むようにぐりぐりと動かす。


「アカネちゃん、痛い、痛いから!」

「痛くしてるからな」


 ねじ込む動作をやめないまま、アカネは巫女に顔を向ける。


「巫女様、久しぶり。こいつらが勝手言っちまって悪かったな。宿は取り直してあるから安心してくれ」

「え!? 痛っ」

「なんかやらかすだろうとは思ってたんだよ。だから先回りしておいた」

「お久しぶりです、アカネさん。助かります」


 巫女は笑顔で挨拶をする。


「だいたいお前ら、巫女様が泊まっていったら騒いで絶対寝ないだろーが。明日起きられなくなるぞ」

「えー、だってー」

「この前は遊べなかったしー」


 幼い弟妹たちが不満を口にする。

 アカネは小さく息を吐いて、


「だってもへったくれもねーよ。寝なかったら花嫁さんは見られないんだぞ?」

「アカネちゃん、そろそろ手を……」

「アタシはよく寝て寝坊しないお前らに祝って欲しいなー」


 ぐりぐりとリリアナに拳をねじ込みながら、アカネは幼い弟妹たちを見回す。

 こどもたちはぽかんとしたあと、お互いの顔を見合わせて、黙って頷いた。


「よっし。これで安心してここでの最後の夜を過ごせるな」


 アカネはようやくリリアナの頭から手を下ろしたが、


「さいご……」

「最後」

「ねえちゃんいなくなっちゃう」

「さいご?」


 瞬く間に、別の騒動の種が広がってしまった。

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