閑話1:気弱な治癒術士と男前な助手

 治癒術士ヨハンと、その友人兼助手のアカネが洞穴から脱出したとき。すでに巫女とヨハンの妹リリアナの姿はなかった。

 あのあとすぐに、村へと向かったのだろう。

 そして今、残されたふたりは距離を取って温泉に浸かっていた。


 竜と巫女の領域にある温泉は、湯煙が多い。

 多いというか、不自然なまでに湯気が濃い。


「巫女様め……」


 アカネの口から、恨めしげな声が漏れる。

 そのまま鼻まで浸かってしまう。少し離れた相手に聞かれたくないような愚痴を、湯の中でブクブクと、空気を吐き出しながら呟く。



『お説教が終わったら温泉、どうですか? このあたりは魔法がかかっているので、隠されるべきところは湯気がかかるようになっています。竜以外は誰もいませんから、混浴でもかまいませんし』



 アカネとヨハンを洞穴に閉じ込めたあと、どこか楽しげな巫女の言葉が頭の中で繰り返されている。

 どういうつもりかわからないが、丸岩の蓋が開ききったあとで見つけた香炉といい、今入っている温泉といい、きっと巫女の思惑通りに進んでしまっているのだろう。

 できればお膳立てなどされたくはなかった。しかし、これを好機と捉えた自分がいたことは否定できない。

 多分、アイツもそうだ。そう思いたい。

 アカネはさらに、目の下まで体を沈めた。


「り、リリアナにどう説明すれば……。いや、わかってないかな? そうだといいな……」


 ぶつぶつと、狼狽えるばかりの情けない声が聞こえてくる。

 アカネに聞かれても構わないのだろうか。

 いや、恐らくそこまで頭が回っていない。


「ぷはっ」


 アカネは湯から顔を出す。湯気の向こうにいる幼馴染が、ビクッと反応したのを気配で察した。


「こーなったらお前、腹ぁくくれ」

「へっ!?」

「アタシは逃げ回んのはやめた!」


 アカネは立ち上がると、ばしゃばしゃと湯の中を進む。


「え、ちょ、アカネ、アカネさん!?」


 慌てふためくヨハンの影が見える。もっと近づくと、メガネをかけていない、栗毛の優男風の横顔が見えた。

 ここまで近づいても、身体の大半は濃い湯気に覆われている。ヨハンから見たアカネもそうなのだろう。だから、気にすることはない。

 アカネは両手でヨハンの顔をしっかりとつかんで正面を向かせる。


「ヨハン、お前、アタシにしとけ!」

「へっ!?」

「お前もう十九だろ! アタシだって十八だ! 遅くはねえが早くもねえ、つまり適齢期ってやつだ! アタシのふたつ上の姉さんがいつ結婚したか覚えてるか!」

「じゅ、十七……」

「こどもを産んだのは!」

「その翌年と、去年……えと、十八のときと、二十歳のとき」

「そうだ! つまりそういうことだ!」


 ヨハンの瞬きがいつもより多い。動揺している。

 アカネだって余裕はない。瞬きするどころか、逆に凝視したままだ。

 顔も赤いかもしれないが、きっとそれは温泉のせいだ。ヨハンの顔も赤いのだからそうに違いない。


「アタシはお前の幼馴染だ! お前の情けないところも、やるべきことには真剣になるところも、ガキのころから良く知ってる! 全部ひっくるめて、ヨハン! お前のことが!」

「はいっ!」

「すっ、……」

「すっ……? ったあ!?」


 思わず頭突きをしてしまった。ヨハンが呻いている。


「つまりっ、す……好きなんだよずっと前からっ! これくらい察しろバカ! つかお前から言えよ!」

「だってそんな、僕はこんなで」

「あーうるさい!」


 アカネはヨハンの頭をつかむ手に力を込めて、自分に引き寄せた。

 そして目を閉じて、勢いのままヨハンに口づけた。歯が思い切り当たって痛かったが、そんなことを気にするほど冷静ではなかった。感触すらもよくわからない。

 とりあえず、息苦しくなったので顔ごと離す。


「あ、あか、アカネっ!?」


 ヨハンは真っ赤な顔で目を白黒させている。もう温泉のせいだとかは言えないなと思ったが、アカネもきっと、名前どおりの顔色をしているのだろう。

 正直、穴にでも入ってわめき散らしたい気分だった。


「あーもう落ち着けよ! アタシたちにはもう」


 そこまで言って、少しだけ言いよどむ。


「……………………既成事実、が、ある」

「………………………………ハイ」


 アカネは手を離し、ふたりで同時に頭ごと視線を逸らした。

 しばらく沈黙が続く。

 沈黙を破ったのは、意外にもヨハンだった。


「……あの、アカネ、さん」

「…………なんだよ」

「こんな僕でよかったら、その、これからもずっと、一緒にいてください……」

「……」


 アカネは一度鼻まで湯に浸かる。そしてゆっくり水面から顔を出して、


「……おうよ」


 短く返事をしたのだった。




 翌日、ヨハンの熱が引いたのと入れ替わりで、アカネは高熱を出した。

 ヨハンは本調子でないながらも献身的に看病をしてくれた。

 巫女が戻ってきた夕刻には、アカネに流行病はやりやまいの陽性反応が出た。


「のぼせて湯冷めでもしましたか?」


 歯にものが詰まったような受け答えしかできないふたりを、巫女はいつも以上ににこやかな笑顔で見ていたのだった。

 しかし、ふたりにとってそれ以上にきつかったのは、


「え、お兄ちゃんも温泉入ったの? 身体大丈夫だったの?」

「いや、まあ、その……」

「ふたりとも顔赤くない? まだ治ってないの?」


 村で再会したリリアナの、曇りのない瞳だった。


「なに? ふたりともまたけんかしてるの? アカネちゃんのお説教そんなにこたえたの?」

「あ、うん……こたえたといえば、こたえた……。でも、けんかはしてないよ」

「ふーん? 早く仲直りしてよね」


 リリアナは布地を持ってさっさと行ってしまった。巫女のために衣装を作るのだとはりきっている。


 ふたりが結婚を前提に交際を始めたことを村の大宴会で発表させられたのは、それから二日後のことである。

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