4.生贄志願の少女(後編)
「どうして私だけ村に帰るんですか?」
巫女が村への手土産をまとめるのを手伝いながら、リリアナは疑問を口にした。
そもそも、兄と引き換えに生贄となるつもりで来たのだ。なのに、兄もアカネも置いて自分だけ帰るのは釈然としない。
「何も言わずに出てきてしまったのでしょう? みなさん心配していますよ。術士さんとアカネさんのことも知らせませんとね。今頃きっと大騒ぎでしょう、いきなり三人もいなくなってしまったんですから」
「そっかあ……」
リリアナの脳裏に、親しい村人たちの顔が浮かぶ。
兄が攫われてリリアナやアカネが気が気でなかったのと同じように、親がいない者同士、リリアナたちと家族同然に暮らしてきたアカネの兄姉妹弟たちも心配しているだろう。
リリアナは、急に麓の村が恋しくなった。
「それに術士さんはまだ病身ですし、助手でもあるアカネさんがいれば看病の方も大丈夫でしょう。竜も、この件は了承しています」
「え、じゃあアカネちゃんはここに泊まるんですか? お兄ちゃんと一緒に?」
「ええ。かわりに私がリリアナさんのお宅に泊まらせてもらいます。夜の山は魔物と魔獣のものですし、私でもさすがに危なくて登れません」
山の中で遭遇したような魔獣がうようよといる。
そんな光景を想像してしまって、リリアナはふるっと身体を震わせ、思わず巫女にしがみつく。巫女は優しく微笑んで、リリアナの頭にぽんぽんと手を置いた。
「では、そろそろ行きましょう。村の方々にはお騒がせしてしまったお詫びをしないといけませんしね」
「じゃあ、お兄ちゃんとアカネちゃんに声をかけないと」
「大丈夫ですよ、まだ取り込み中でしょうし。それより、明るいうちに出てしまいましょう。おふたりには私からあとで説明します」
そう言って、巫女は薬草や山の品々などをまとめ終えた。リリアナは少しためらったが、巫女に促されて早々に山を下りることにした。
登りと違い、下山は拍子抜けするほど順調だった。
「魔物も魔獣もいないですね」
「魔獣除けの鈴と、昼に仕留めた魔獣の毛皮を持っているからですよ。臭いを警戒しているんです」
私自身のことも。と、巫女は笑った。
山歩きをしていると、魔獣たちに遭遇することは日常茶飯事で、対処しているうちにあちらが巫女自身のことも警戒するようになったそうだ。
昼間の光景を思い出し、十分にあり得ることだろうとリリアナは思った。
昼下がりに出発したというのに、村には日没前にたどり着いた。巫女と一緒だったからといっても、だいぶ早い。
「『今日の近道』をあちこち回りましたからね。山の状態によって毎日変わるんです」
「じゃあ、さっきの道を逆に行ってもこんなに早くは着かないんですか?」
「そうですよ」
そんな会話をしながら、ふたりでリリアナの家に向かった。
ちなみに、リリアナは巫女から借りた村娘の服を着ている。巫女服もどきは乾いていたので持ち帰ってきたが、きれいに洗われていても、魔獣の血が付いたものはやはり気になる。解いて型紙の再検討をしたあとで、捨ててしまうことにした。
「ここが私とお兄ちゃんの家です。隣が」
「あ、リリアナだ!?」
リリアナが隣の家を指さしたそのとき。戸が開いて、リリアナより少し歳上の少年が出てきた。
「巫女様もいる!」
「え、リリアナいたの!?」
「巫女様今までどうしてたのー? アカネ姉は?」
「おねえちゃんどこー?」
「ヨハンどこいんの?」
あとからあとから、顔立ちや雰囲気がアカネに似た、幼子から大人までの住人がわらわらと出てきた。みんなアカネの
「事情は私から説明しますので、まずは夕食にしませんか?」
巫女は大人数に面食らった様子もない。
そのまま、巫女、リリアナ、アカネの家族たち全員で食事をとることになった。
アカネの家で食事をしながら、巫女がことのあらましを説明していたところに、リリアナ帰還と巫女の来訪の知らせを聞きつけた村人たちがあとからあとからやってきて、どういうわけか大宴会に発展した。
「巫女様はいける口かい?」
「成人していますから、嗜む程度にはいただきますよ」
「じゃあ十五は過ぎてるんだな。飲んでくれや!」
巫女は盃を受け取って、村人たちと談笑していた。
強引に勧められた酒はにこやかにかわし、逆に相手を酔い潰したりしていて、偶然見かけたリリアナは呆気にとられることもあった。
リリアナがうつらうつらし始めたころ、巫女とリリアナはそっと宴会を抜けた。
「巫女様いいの? 抜けてきちゃって」
眠さで口調もくだけたものになってしまう。
「いいのですよ。私は術士さんやアカネさんの代わりにリリアナさんのお世話をするつもりで来ましたから」
「私だったら、あっちでみんなと一緒でも、こっちでひとりでも寝られるのに」
「あちらは今は騒がしいですしね。小さい子たちがこちらに来ることもあるでしょう」
「そっかあ……」
そう言っているうちに、瞼が上がらなくなってきた。横になったらすぐにでも寝入ってしまいそうだ。
「寝室の準備はできていますね。さあ、こちらへ」
「じゃあ巫女様も一緒にね……」
「はい、わかりました」
巫女とリリアナは寝間着に着替え、同じ布団に入った。隣にいる巫女からはなんだかいい匂いがして、そしてなぜかひどく懐かしく感じた。
前にもこんなことが、あったような。
「おやすみなさい、リリアナ」
慈しむような巫女の声を聞きながら、リリアナは眠りに落ちた。
その夜、リリアナは夢を見た。
『お姉ちゃん、ほんとに行っちゃうの?』
『行くわ。どうしても聞きたいことがあるし』
『だって、今まで戻ってきた人なんていないんだよ? 食べられちゃうんだよ?』
誰かを必死に引き留めていた。
『私が行かなくても、誰かが行くことになるの。だったら、行きたがっている私がいいでしょ』
『だめだよ、だって、だって!』
顔も名前もわからない。「お姉ちゃん」と呼んではいても、自分にとってどんな関係の相手だったかも、記憶に
ただその人は、見惚れるような、それでいて有無を言わせない笑顔でいたと思う。
「行かないで……」
自分の声で目が覚めた。辺りは薄暗く、寝起きの頭では時間の当たりがうまくつけられない。
寝直そうと布団をかき集めて、リリアナは隣に巫女がいないことに気がついた。代わりに、アカネの幼い妹弟が何人か眠っている。
「巫女様……?」
ほかのこどもたちを起こさないように、そっと布団を抜け出す。巫女はどこに行ってしまったのだろう。
冷えないように薄い毛織物を羽織ると、厨房から微かに物音が聞こえた。煮炊きの匂いもする。
ぼんやりした頭のままそちらに歩いていくと、
「起こしてしまいましたか」
巫女が、手慣れた様子で野菜の皮を剥いていた。
すでに下ごしらえの終わった野菜や、塊のままの肉もある。リリアナと巫女だけでなく、アカネの家族たちの分までまかなえそうなほどの量だった。
「目が覚めてしまったので、厨房をお借りしていました。熊の肉もありますよ」
「熊って……昨日の?」
「いいえ。魔獣ではなく、普通の熊肉ですよ」
「なんでそんなに熊を……」
アカネもそうだったなと、山にいる赤い髪の女のことを思い出す。
そういえば、兄の具合は良くなっただろうか。ふたりでけんかしていないといいけれど。
と、仕事以外で不在にしているふたりのことを思う。
「私も手伝います。起きちゃったし」
「ではお願いします。まずは着替えて顔を洗ってきてください」
「はーい」
リリアナは素直に返事をして、まだ眠い目をこすりながら身支度を始めた。
朝食の準備ができたころに、アカネたちの家族が起きてきた。
「これ、巫女様とリリアナが作ったの?」
「おいしそー!」
子供たちがわっとやって来て、わいのわいのとにぎやかだ。
大量に作られた朝食は雑穀の雑炊に、香草で包んで蒸し焼きにした熊肉、野菜の盛り合わせに、発酵させて砂糖で味付けした乳製品など。この村では一般的なものだった。量が量だったので、アカネの家の食卓に広げられている。
「私たちふたりで作りました。手を洗ったらみんなで食べましょう」
「はーい!」
やいのやいの言いながら、幼い子供たちが手洗い場に向かって消えていく。
「おもてなしするつもりだったのに、逆に私たちの分まで用意してくださるなんて申し訳ないわ」
入れ替わりに入ってきたのは、アカネの姉だ。数年前村の男に嫁いで、去年生まれたふたり目の赤子を背中におぶっている。
「気になさらないでください。ついつい作りすぎてしまっただけですから」
ついつい、で十人分以上の朝食を用意することはないだろう。さすがにその言い訳は苦しいな、とリリアナは思った。
アカネの姉もそう思ったようだが、あえてそこは口にせず、
「だったら遠慮なく。妹や弟たちが戻ってきたらいただきます」
背中の赤子をあやしながらお礼を口にした。そして幼い
「では、私はそろそろお
「え、一緒に食べないの?」
村人たちに中身を配り終えて空になった籠をまとめ始めた巫女に驚いて、思わず声が出た。
「味見ついでにいただきましたしね。そろそろ竜の元に戻りませんと。術士さんとアカネさんも放っておけません」
「でも」
巫女の言うとおりだ。
リリアナを送り届けるという用事も済んだし、巫女は竜のいる自分の領域に帰る。どこもおかしいことはない。
しかし、今朝見た夢のせいだろうか。このまま会えなくなるのではないかという思いが、頭の片隅に居座っている。
それをどう言ったものかと、口を開けたり閉じたりしながらしていると、
「また来ますよ。衣装の出来上がりも楽しみですし、あなたのお兄さんとアカネさんもお返ししませんとね。またちょくちょく下りてきます。いつもどおりに」
巫女は優しく笑って、リリアナの頭にぽんと手を置いた。
「……そうやって、また病気しないでくださいね」
思わず出た言葉に、
「はい、気をつけます」
巫女は苦笑して答えたのだった。
そして、まったく余韻など感じさせずに竜の元へと帰って行った。
◇ ◆ ◇
リリアナを送り届けてから数日後。
ヨハンと、ヨハンから病を
また宴が開かれそうだったのだがそれは遠慮し、今度は早々に竜の元へと帰ってきた。
「慌ただしいのもようやく終わりました。色々品物も出してしまいましたし、少し売り物を仕入れたり作ったりしないとですねー」
間延びした声とともに、両腕を上げて伸びをする。そして何をするでもなく、両手足を伸ばしたまま、その場に転がってしまった。
「はあ……」
ため息をつくと、岩の陰から竜が現れた。
「珍しく気が抜けているようだな」
「ええ、まあ。このひと月は色々ありましたからね」
治癒術士ヨハンの来訪から始まる、流行病に対する対策に奔走し。
自分も過労で倒れてしまい、竜が治癒術士の青年を連れて(攫って)来たこと。
自分が治ったらヨハンが病に倒れたこと。
ヨハンを追って、リリアナとアカネがやって来たこと。
そして、彼らを村まで送り届けたこと。
「ふあーっ」
寝転がったまま、また思い切り伸びをする。
「リリアナさん……術士さんの妹さんから聞いたのですけれど。術士さんとご友人のアカネさん、交際を始められたんだそうです。おそらく、結婚を前提とした」
竜を見やる。竜は何も言わずに巫女を見ていた。
「ひとまずは安心ですね。ずっとじれったく見ていましたもの」
「病み上がりのせいかと思っていたが、お前の様子はおかしかったな」
「あら、お母さんから見てもそうでしたか?」
「私からだからこそ、だ」
巫女は一瞬意表を突かれたような顔をして、ふふっと笑った。
「あの村は私の故郷でして。彼らのこともよく知っているんです。あのにぎやかさ、懐かしかった。向かいに住むおじさんは無茶なお酒のすすめ方をするので、こちらから早めに酔い潰すんですよ。なるべく少ない量で」
と、巫女はしまりのない顔で話す。
「娘よ」
「大丈夫です」
竜の言葉を遮るように、娘は上半身を起こす。
「私のことを覚えていなくても、私がいなくても、彼らは元気です。私もです。それに、私が帰るところは、お母さんがいるこの山ですから」
へへへ。と、巫女は子供のように笑った。
「それならそれはいいが。娘よ」
竜はもったいぶることはせず、
「お前、腹に命が宿りつつあるぞ」
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