4.竜と娘の日常:竜の逆鱗

 娘が、自分の髪を束にして片手でおさえている。もう片手には、よく研がれた刃物を持って。


「本当にいいのか?」


 竜は問う。こうして声をかけるのは、本日二度目だ。


「ええ。人里と山では、生活する上での勝手が違いますし。私は動きやすいほうが好きです」


 そして娘は髪を持ち上げ、うなじの裏から、掬い上げるように刃物をあてる。

 切り離された黒髪が、さらさらと流れて下を向く。

 腰まであった美しい黒髪は、肩までの長さになった。


 娘は髪の束をかんたんにまとめ、汚れないよう地面に広げた布の上に横たえる。そして、竜への供物から見繕った鏡を見ながら毛先を整えた。


「うん、軽くなりました」


 鏡であちこちを映してたしかめたあと、機嫌よさそうに笑う。


「本当によかったのか?」


 と、竜は再度問う。


「お前たちには、『髪は女の命』という言葉があるのだろう?」

「まあ、そうですが。これはこれで似合っていますし」


 私は可憐な巫女ですから。

 もっともらしくうそぶく娘に、竜はじっとりとした視線を送る。


「それにですね、こんなにもきれいな黒髪です。なかなかいい値がつくと思いませんか?」

「お前はそういう娘だったな……」


 呆れながらも、竜はうまい言葉を見つけることができなかった。



 とすり。

 竜の足元で、そんな音がした。

 音に気付いた娘が、竜の元まで歩いてくる。


「これは何でしょう?」


 娘は何かを拾い上げた。娘の手のひらよりひと回りほど小さな、くれないのかけらだ。そのまま陽にかざす。半透明のかけらは、宝石じみた輝きを放っている。


「それは私の鱗だな。ときどき生え変わる」

「とてもきれいです。よく落ちるのですか?」


 娘が、竜と鱗とを交互に見比べる。

 竜の巨体に対して、鱗が小さいと思っているようだ。


「それは顎の下の鱗だな」


 竜が教えてやると、


逆鱗げきりんですね」


 娘は、手の上の逆鱗をしげしげと見ている。


「あなたから剥がれたばかりだからでしょうか、あたたかいです」

「火竜である私の鱗だからな、特別な加護もある。熱や炎にいくらか耐性がつくし、私に触れても火傷せぬ。持っているといい」

「あら、それはとても貴重なものですね。ありがたくいただきます」


 娘は竜に笑顔を向けた。



 二日後。

 午睡を楽しんでいた竜は、うかれた娘の声で起こされた。


「見てください! うまくできました!」

「なんだ、ずいぶんと賑やかだな……ん?」


 娘が精一杯両腕を伸ばし、掲げてみせているのは首飾りだった。

 竜が顔を近づけてよくよく見てみると、穴を空けた逆鱗に、つやがある黒い紐――先日切った娘の髪を編んだもののようだった――を通し、両隣に玉を丸く加工したものが編み込まれている。

 竜から見ても、なかなか洒落た一品だった。


「私が作ったんです! これならいつも身に着けていられます!」


 珍しくはしゃぎながら、娘はそれを首にかけてみせた。

 竜はひと呼吸置いたあと、


「なるほど、よくできている。お前の巫女装束にも合うだろう」

「ですよね! 今度、首飾りに合わせた巫女装束も作ってみようと思っているんです!」


 竜は、娘に当たらないようため息をつく。


「そうか。ところでな、娘よ」

「はい?」

「竜の鱗というのはたいそう硬い。今まで私が人間から傷ひとつ負ったことがないのは、お前もよく知っているだろう」

「それはもちろん」


 娘は上機嫌だが、竜の言わんとしていることはわかりかねているようだった。頭上に疑問符が見えそうだ。


「娘よ。お前、どうやって私の鱗に穴を空けた」


 ぱちりぱちりと、娘は瞬きをする。そしてそのままゆっくりと小首を傾げ、


「……何となく、こう、普通……に?」

「……」


 竜が何度問い詰めても、娘が口を割ることはなかった。



 余談として。

 娘が竜の鱗に穴を空けた方法は、後の世に「竜殺し」と呼ばれるようになる技術群のひとつだと判明するが、それはまた別の話。

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