人間は、体力や天分においては不平等でありうるが、約束によって、また権利によってすべて平等になる
「遅かったですね。荷物を置いてくるだけなのに」
「ちょっと小用で」
少女は地下壕の出入口に立って、静かに腕を組んでいた。人民服の袖が雨に濡れて湿りを感じさせる色味に変わり、暗い闇に溶け落ちる。
俺は遅れたことを謝りながら駆け寄って、そして止まる。ざりとスニーカーが地下壕の砂を踏みしめて、強く強く制動をかけた。
「……わかりました。行きましょう」
一瞬眉間に皺を寄せた後、かぶりを振って踵を返す。
ざりっと革の靴を鳴らして小さく崩れた岩のかけらを踏みしめる。雨音にかき消されて消えていく音を連続させながら、
「…………また来ることはないだろ」
今日はいろいろとありすぎた。
ダンジョンを名乗るモニターに、おかしな地図たち。大昔のトーチカ。
核攻撃に遺品漁り。まだそれといった死体を見ていないのが奇跡だ。
だが、ここに戻ってくることはもうない。
俺はアレを信用することはできないし、いつの日にか夢に見た“ダンジョンもの”だと考えることもしない。
「じゃあな」
小さくこぼして、先を急ぐヤオの後に続いた。
爆風によってか、へし折れた木の枝。ざわざわと騒々しい葉の群れをしり目に、また戻る。
きちんと踏み鳴らされた道は歩きやすい。
歩いていると、木々の不規則な形に途切れた昏い海が遠くに目に入った。
ざあざあと降りしきる雨が、スネアドラムみたいに強く強かに細枝を打ち鳴らす。黒い雨垂れの降り注ぐ大海は、まるで地獄の窯をのぞきこんでいるよう。
ふと木陰から、降る雨に負けないように立ち上り、燻る煙を遠くの町に見た。
「…………」
「第三神殿のほうですね、鎮火したみたいです」
神さまが人を生かし給っているかはわかりませんが。
そうだ、ここは、まだまだ核の雲の下。
肩をすくめたヤオの靴に泥が弾け、まだまだ続く雨脚は強い。
白いスニーカーを黒く土色の泥にはねさせながら、ぬかるんだ道を降りていく。
木々をなぎ倒すように衝撃が走ったのだろうか、へし折れて道に転がる尖った枝。若々しい萌木の芽が葉の陰に垣間見えた。
地面に突き刺さった色とりどりのガラスの切片、粉々になったレンガと岩の欠片。加工された木材の破片。近づくにつれて、その黒味が増していく。
炭になった小さな持仏らしき木が道に転がって、ただ黒い雨に打たれるのみ。墨のような色の水滴が、涙のように石にこびりついた。
視界が広がる。森が切れて、街の一部へ。押しつぶされた倉庫や緑色の帽子が木々の間に見える。
「……ここは」
もうすっかり薄く、少なくなってしまった白い煙を天に向けながら、降りしきる黒い雨にうたれ続ける石の箱。
黒く焼けた燭台が、雨にじっとりと浸されながら粉々に割れたステンドグラスの向こう側から突き出されている。
「ニャバン市第2区人民公社……兼
小さく十字を切った。
「神さまは沈黙を保たれた。ホー
ヤオは人民服に縫い付けられた市松模様の刺繍を、ぎゅっと握りしめる。
「第2区人民公社は全滅です。資料も、銃火器も。全て散逸しました。
「え?」
耳を疑い、少女に目をやる。
眼を瞑って首を横に振った彼女はそのまま、黒い雨に打たれながら祈った。
「神さま。どうか、旅立つ人に安らぎを。ここが無用に荒らされることもないように」
せめて、せめて、これくらいは。
最後に付け加えて、居直る。
「行きましょう。今日中にどこか……
「どこかって……」
「まずは第3区人民公社。そこが駄目なら、第4区人民公社。第5区人民公社。ニャバン管区沿岸巡防署。どこかで匿ってもらいましょう。
――それが、今の生存に。そして
彼女は短い黒髪と額の角を市松模様の防空頭巾に隠しながら、分厚い雲の切れ目から射す薄明の光に向かっていく。
毅然に、力強く進む少女は、どこか遠い先を見据えているような。
「…………そういえば、名前は?」
くるりと振り返る。
今更か。俺は小さく、軽く。苦笑して、返した。
「俺は……俺は水島。
「じゃあ、もう一度。私はヤオ・ランファン。
回答を聞くことなく、にこりと薄く口角を上げ、一礼。
緑の武骨な人民服を纏って、赤い聖書を小脇に抱え。軍服みたいに統制された風体で。薄く明るい光芒を背負い、小さく煤に汚れた手を伸ばした。
ああ、勿論だ。
首肯。右手を重ね合わせる。
分厚いきのこ雲に覆われた、
《――――社会契約を確認
当
15%の国民負担を適用します》
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます