われわれ地方の指導機関の一部には、党の政策は指導者だけが知っていればよい、大衆に知らせる必要はない、と考えているものがいる。これが我々の活動が上手くいかない基本的原因の一つである

「……また戻ってきたのか」


 木々がざわめく、細枝が揺れる。

 森の奥にある小さな小さな岩山のふもとに、人一人が入れるくらいの防空壕がある。今までは平和に、倉庫の用しかなしてこなかった、洞窟が。

 そう、目の前にあるのは、小さく口を開いた土と砂の洞窟。人一人が立って入るのがやっとの狭さで、奥へ奥へと闇の中に続く。

 小さく張り出した木の梁が、黒い雨に染まって黒く変色する。大粒の慈雨に打たれた砂が解けてポロリと転がり落ち、濡れた石がざあざあと降りしきる雨の音を吸い込んで、重く鈍く、湿った色味に変わった。


 段々と暗くなっていく黒く厚い雲に、やまない雨が降り続く。


「……元はトーチカ、コンクリート製の防御施設だったんです。大昔……とは言っても30年くらい前ですか、東瀛民主主義人民共和国が建国されるよりも前。ここを数多の亜人たちが奪い合っていたころに建造されたと聞きました」

「ってことは、ここはずいぶん古いのか……老朽化とか大丈夫なのか」


 ふと脳裏をよぎった疑問に、ヤオは軽蔑したような冷たい目線で答える


「――それを気にしても詮無きことです。私たちが心配するのは、ここに荷物を置いた後でほかの散華の民ディアスポラと合流できるか。高度な医療を受けられるか。そして、ここからまた苦難の道を歩めるのかどうか。神さまが救ってくださるなら、いいんですけども」


 緑色の人民服の腰から、じゃらりと音を立てて鍵の束が取り出された。


「それはあの控え室の……」

「ええ、第2区人民委員だったラビ・ホー……ホー老師おじさんが持ってた物です」


 炭と煤に汚れた鍵の束をクルリと回して、呟く。


「ホー老師は集会堂シナゴーグの管理者……日高見でいうところの巫、つまり神官でした」

「神官……あそこは教会だったのか」


 こくり、頷く。


「本国の東瀛人民は概ね無宗教・無信仰ですが、散華の民わたしたち契約の民ゴブリンなど……亜人と契約の地の統治にあたっては信教の自由を保障しつつ現地のコミュニティに入り込むように人民公社を整えました」


 だから、散華の民の間では集会堂シナゴーグの管理者が人民委員を兼任しているんです。

 常識でも説くかのようにヤオは語った。


「亜人……」

「私達東洋鬼やゴブリンも亜人と言われますが…………彼らも私達も、同じヒトですよ。同じホモ・サピエンス・イアポーニア。ちょっと身体的に異常があるだけ。泣きもするし、笑いもします」


 仏頂面で説明する少女。立ち話も止めましょうとだけ告げると、さっさと防空壕の奥へと入っていく。

 市松模様の防空頭巾が、緑色の人民服と対比されてやけに目に焼き付いた。


《侵入者1の領土侵犯を確認しました》


 甲高いビープ音が、突然脳内に響き渡る。


「っ! なんだ!?」

《侵入者1の領土侵犯を確認しました

 当陣地は非武装状態です。速やかな武装を推奨します

 繰り返します……》


 数時間ぶりに聞いた無感情で無感動な声。平坦に聞こえる機械的な音の連なり。パソコンが壊れた時に聞こえるビープ音は、それらをより強烈に味合わせてくれた。

 がちゃり。闇の中で、どこかの木の扉を開けたのだろう。ビープ音がいったん止んだ。


《侵入者1、領土範囲外に出ました》


 俺は地下壕の中に入り、長く長く続く扉の列を無視して走る。最も手前の一つの扉が内開きに開いておりヤオはここに入ったんだろうと推察できた。

 手にした銃をそのままに最奥の鉄扉を開ける。

 鈍くさびた音を小さく響かせて、豆電球の明かりとモニターのブルーライトが目を突き刺した。


《国家元首の外遊終了を確認。総時間は1時間26分です》

「教えてくれてどうも。どう考えても必要ないと思う」


 あえて皮肉気にこぼす。

 ここがどこか、どうして俺なのか。もっと必要な情報があるだろとも付け加えた。

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