私は父と子と聖霊の御名によって、あなたの罪を赦します

 鈍く、重く。音を立てて鉄の扉が閉じる。かろうじて豆電球が灯っていた部屋の外は、暗い暗い土と砂の洞窟。一切の明かりも、音も。その鉄の扉を挟んだ先の冷たい外気が、静かに俺の身を包む。

 まるで、愛想をつかして拒絶するかのように。

 知ったことかよ。ちっと舌打ちして、ざらりと音を立てて擦れた砂の壁に手をあてがう。


「碌な説明もなしに、こんな頭のおかしな状況に追い込んだんだ」


 だから俺は悪くない。あの得体のしれないモニターが悪い。


 混乱する状況を理不尽への怒りに転嫁して、おもむろにかぶりを振った。


「まずは外に出ないとな」


 埃っぽい防空壕のような洞窟を一刻も早く抜け出すべく、もろい土の壁を頼りに歩を進める。

 洞窟にはいくつかの小部屋があるようで、鉄の扉を最奥にしてそこから一直線に外へと続くこの洞窟から枝分かれするかのように5-6個の木の扉があった。

 窓はなく、鍵が締まっているのかどうかも定かじゃない。モニターが乗っていた木製の机と同じかそれよりも古い木のような気がする。


 要があれば開けてみよう。心に決めて、防空壕と思しき洞窟の出口をくぐる。


「……っと」


 低い木製の梁にぶつからないよう屈みがちに踏み出した。


 暗闇に慣れ始めていた目が、ほんの一瞬戸惑うみたいに眩む。洞窟を抜けた先は木々の生い茂る森の中で、太陽を臨みにくいといってもだ。

 木の葉の陰から見える空は暗く、分厚い。雨が木々にぶち当たり、更に視界を悪くさせる。

 黒い、黒い雲が中天を覆い、あたりは影を落したかのように暗い。まるで夜とでもいうかのように、一切の日光がさえぎられる。


「どこだ、ここは……」


 爆風によってか、へし折れた木の枝。ざわざわと騒々しい葉の群れをしり目に、歩き出す。

 きちんと踏み鳴らされた道は歩きやすい。あのトーチカを、もともと何らかの用途で使っていたのだろうか。ふと考えて、首を振る。

 歩いていると、木々の不規則な形に途切れた昏い海が遠くに目に入った。

 ざあざあと降りしきる雨が、スネアドラムみたいに細枝を打ち鳴らす。黒い雨垂れのおかげか潮の香りはしないが、写真の通り海に面した土地だ。


 ふと木陰から、降る雨に負けないほどの業火を遠くの町に見た。


「…………っ」


 そうだ、ここは、核の雲の下。

 一秒ごとに数百人の命が減っていく、死の街。モニターに映されていた数字が脳裏をよぎり、己の頬を叩く。対岸の火事の気分で、ダンジョンものの異世界に来たような感覚でいてはダメ。

 何よりも、誰かと出会うのが先決だ。

 俺は周囲に人の痕跡がないか見渡した。


 遠くに見えるは燃え盛った街。海の真ん中で煙を上げる巨大な船。

 すぐ近く、生い茂る森の片端から覗く大きな石造りの建物は、まさに瓦礫にかわっているようだ。


「とりあえず、石造りの建物を目指すしかないな」


 白いスニーカーを黒く土色の泥にはねさせながら、ぬかるんだ道を駆け出した。


 木々をなぎ倒すように衝撃が走ったのだろうか、へし折れて道に転がる尖った枝。若々しい萌木の芽が葉の陰に垣間見えた気がする。

 地面に突き刺さった色とりどりのガラスの切片、粉々になったレンガと岩の欠片。加工された木材の破片。近づくにつれて、その黒味が増していく。

 炭になった小さな持仏らしき木が道に転がって、ただ黒い雨に打たれるのみ。墨のような色の水滴が、涙のように石にこびりついた。


 視界が広がる。森が切れて、街の一部へ。押しつぶされた倉庫や緑色の帽子が木々の間に見える。

 ほんの少しの全力疾走に息を切らしながら、巨大な石造りの建造物の前へ。


 白い煙を天に向けながら、降りしきる黒い雨にうたれ続ける石の箱。

 黒く焼けた燭台が、粉々に割れたステンドグラスの向こう側から突き出されている。

 割れたステンドグラスに手を傷つけないよう注意しながら、そっと白く煙を吐き続ける石の段に手をかけた


「……誰もいねえな」


 真っ黒の炭の真ん中に岩を置いたら、大体こんな感じだろうか。焼けた内装に、天井のど真ん中が崩れた教会と表現するのが正しいだろう。

 焼け落ちた門扉が正面に見える。岩にたてかかるようにして、黒く煤けた燭台が倒れている。

 火事でもおこったのか、燻る黒煙を消し去るように雨は降るだけだ。

 石造りの時計塔が内側に崩れたあと、建物にぽっかりと空いた大穴はもはや雨宿りすらもできない。

 誰も、死体らしきものも見当たらないまま、焼石は水をかぶって白い煙を吐く。



 そのとき、ガラリ。音を立てて、瓦礫が崩れた。

 ステンドグラスに近い、神父が立つ講壇の真下。小さな瓦礫を押しのけて、焦げた床が揺れる。

 古錆びたギアの駆動する音が響き、重苦しい床下の戸が開いた。


「何だ!?」


 俺の目の前で床下から這い出てきたのは、濃緑色の服を着た少女。

 黒い髪に黒い瞳。パッと見れば日本人のような顔立ち。

 ただその額には、一本の小さな角が見えた。


 角の生えた少女は俺をその視界にとらえる。目を見開き、驚きをあらわにする。

 ぽつぽつと、瓦礫に黒い雨が滴る音がする。俺も少女も、誰も微動だにしない、ピンと張りつめた空気。


 少女は黒い雨に濡れた目元を緑色の袖でぬぐって、絞り出した。


「……助けて」


 縋る。

 市松模様の頭巾を握りしめて。煤だらけの頬を黒い雨に濡らしながら。

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