しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用してしきに無辜を殺傷し惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る

 太陽が爆ぜたら、こんな感じなんだろうか。

 地獄が現れたら、こんな感じなんだろうか。


 あたりに回った炎が器用にちろちろと舌を出す。倉庫だか住居だか、もはや何なのかわからない家屋が火に包まれ、内側へ吸い込まれるようにして焼け崩れていく。

 街灯にくくりつけられたのぼり旗に赤い腕が伸ばされ、まもなく火の粉になって消えた。


 ここはどこだろう。考えるよりも先に、足が動く。黒く舗装されたアスファルトは鉄板よりも熱いのか、炎と炭に混じって蜃気楼がもわりと立ち上がるのが見える。

 ごほり。熱に焼けた喉の奥から血の混じった空気が咳き込まれた。

 逃げなきゃ。どこへ? 人民突撃隊へ。公社のみんなが待っているはず。

 歯を食いしばり、舞い散る火の粉を振り払う。こういう時・・・・・、どうすればいいか。この国ではそれがものごころついた直後から教え込まれている。この国の人民であれば人民委員はもちろん、浅黒く小柄な契約の民オラン・アスリにも、私たちのような角を持つ散華の民ディアスポラにも、誰に聞いたってわかること。


「……でも、どうやって」


 ぎりと歯ぎしり。ごうと音を立てて吹きすさぶ熱風が、ここが地獄などではなく現実だと知らしめる。

 ピカり。左目を貫き刺すように、輝いた。

 今にも焼け落ちそうな土塀の向こう側、人民医院のほうから閃光が垣間見え、次の瞬間には立ち並ぶ平屋から瓦屋根を吹き飛ばしながら爆風が一気に距離を詰めてくる。

 残った柱を赤い炎が呑み込んで、次はお前だと笑いかけた。


「……っ」


 絡まる足。迫る焔に、真っ黒に焼けただれた墨。小径に点々と、土塀によすがるようにして置かれた細長い炭は、まるで力尽きた人間の様で。

 嘘だ、嘘だ。みんな逃げたにきまってる。人民委員や浅黒い肌のゴブリンはべつとしても。神さまは私たち散華の民・・・・を守ってくださる。

 ずきり。神経がないはずなのに、額の角が痛む。差別の対象ともなってきたそれを火の手から隠すよう、ぎゅっと市松模様の頭巾ヒジャブを深くかぶった。


「第三神殿は駄目だ。海へ逃げろ!」


 遠くで絶叫した男が、焔にのまれて消えていく。

 浅黒い肌のゴブリンオラン・アスリたちが家財か何かを運び出そうとして、三度目の閃光と共にどこかへ消えていく。

 それを傍目に、走る。この地獄から逃げ出したいがために、平屋の大黒柱に挟まれて呻くゴブリンたちを見捨てて。

 私は考える。どうすれば生きられるのか。みんながどこに逃げたのかを。

 第三神殿、この土地の中央省庁群。その俗称。かつて戦禍に燃えた2つの神殿になぞらえられたその高層ビル街がダメ・・だということは、もはや統治機構は消滅したと見てもいいのだろう。

 東瀛人民軍や武警は総じてその指揮系統を奪われてしまった。


「……人民公社に行くしかない」


 地震、雷、火事、津波。ついでに怒った父からも。どんな災害が起こったって、人民公社に逃げ込むことから始まる。ただそれを再確認しただけだったが、炎の中を歩くには十分な目標になる。


「でも、私は」


 左腕を抱き込むようにして抑える。緑色の人民服に刺繍された籠目模様がその感触を指先に伝えてくる。

 ざらりと煤に汚れた六芒星、東洋鬼トンヤングィの一族であることをしめす紋章。額の皮角と相まって散華の民を差別し続けてきた紋様が、直近の集団へ混ざることを拒否させる。

 ゴブリンが多いこの都市で慎ましく生きてきた東洋鬼を、一体だれが受け入れるだろうか。

 無感情に集団化を望む人民委員が、ただ神さまを信じてコミュニティに完全に入ることを拒んできた私たち東洋鬼を受け入れるのだろうか。


 ごう、火炎を纏った熱風がふきすさぶ。悪魔はけらけら笑いながらねめつける。

 このまま悩むことは生死にかかわる。そう割り切って、西の端。海に面した集会堂シナゴーグを目指した。


「人民公社は、農協や区民会館に併設される……なら!」


 東洋鬼わたしたちの信仰の、コミュニティの根幹。そこにきっと、一つくらいは公社がある。

 きっと、きっと。神さまは私たち散華の民を救ってくださる。


 走る。脂に引火して嫌なにおいをまき散らす契約の民ゴブリンが、のたうち回りながら炭になる。

 走る。無感情に避難誘導を続けていただろう人民委員が、倒れて来た電柱の下敷きになる。

 ガラスが体一面に突き刺さった少女が泣きわめく。緑色の人民服を着た小柄なゴブリンの群れは、大きく布みたいに垂れ下がった皮膚を地面にこすりつけてどこか炎の向こう側へと消えていく。


 大路を超える。

 水を求める男、横たわる老人、ハリネズミになった母に泣きつく赤子。

 小道へ入る。

 下敷きになった少年、水をこぼしてこと切れた老婆、圧死した人民委員。

 大路へ出る。

 折れた電柱とモズのはやにえ、火だるま、自殺者。壁面に焼きついた人影が、そこにいただろう哀れなヒトを指し示す。

 大路を曲がる。

 炭。炭。炭の群れ。どこかの人民公社だったのだろう建物を焼き焦がした後、残ったのは折り重なった炭の束だけ。


 吐き気をこらえ、息を止める。

 角を持つ人種がいないのは、幸運の賜物か。


 走れ。走れ。奔る衝動を抑えながら、海沿いの道を走る。

 水を求めたのか、海におちた死体たちがぷかぷかと浮かんでいる。その上を。

 まるで材木。丸太みたい。あおむけで、うつぶせで。或いは今も白波の中でもがきながら、人々は海中に没する。


「……よし、ここまでくれば」


 崖沿いの道を走れば、石でできた集会堂がみえてくる。

 裏手の海岸沿いの崖に大昔のトーチカを併設……倉庫代わりに使った、石造りの聖堂。

 高い時計塔がまだ無事なことを確認して、ほっと一息。ここまでは衝撃波も爆風も届かない。

 私は神さまに感謝しながら、固く閉ざされた木製の扉に手をかけた。


 閃光、衝撃。


 暗転




「…………う」

 気が付くと、私は茂みにいた。

 記憶がぼんやりする。どうしてこんなところに? 答える人はだれもおらず、自問するしかない。

 がさりと揺れる緑の葉。痛む体の節々に苦言を呈しながら、人民服ごしに臀部をはたく。

 どうやら集会堂の傍に植えられた植え込みに横たわっているのだとわかって、恐る恐る背中に小枝が刺さっていないか確認した。


「……なんでこんなとこに」


 背中をさすり呟いた途端。

 パチリと、何か。軽い木材が弾ける音がした。


「っ!?」


 跳ね起きる。突然の筋肉の駆動に足が悲鳴を上げて、勢いを殺せず地面に顔面から滑り込んでしまう。

 痛い。防空頭巾に守られていない下あごを砂にこすりつけ、無様にも地に這いつくばった形だ。

 熱い。感覚器でないはずの角にまで感じられる痛み。ひりひりと、じりじりと。鉄板で熱される肉のような。


 ……熱い?


 うつぶせに倒れたまま、見上げる。


 石の壁を這いあがって立ち上る炎。割れたガラスが目の前に突き刺さる。

 空に立ち上る真っ黒に煤こけた雲と、背後の市街地に立ち上る柱のごとき四本目のきのこ雲がその現実をつきつける。

 がらりと音を立てて、高い高い時計塔が内側に向かって崩れ堕ちた。


「――――嘘だ!」


 私は叫んで、うっとうしい防空頭巾ヒジャブを振り払う。一本の小さな角があらわになり、黒髪が火の粉のに紛れて散った。

 焼け残った木製の扉が固く閉ざされる。赤熱した取っ手に布っ切れを巻き付け、強く血が出るかと思うほどに握りしめた。

 灼かれた掌が痛む。飛び散る火の粉が熱い。


 私は歯を食いしばり閉ざされた扉をあけ放ち、その中身を見た。


「何、これ」


 視界に移るのは、折り重なる炭と、憎々しく悍ましい肉の群れ。

 燭台に押しつぶされた人の頭が見える。飛び散ったステンドグラスが華のように咲いたものが見える。手足を曲げて焼きだされた赤子がみえる。がれきに挟み込まれた男が見える。


 神さまに救ってもらえなかった鬼たちの末期まつごが見える。見える。


「嘘だ……」


 無意識のうちに後ずさりした。脳が理解を拒む中、絢爛なほどの地獄にびちゅりと水っぽい音がする。

 ぱっと、反射的に目に入れてしまう。

 炎の中から、呻いて、這い出す、人の影。

 炭化しかけた足を引きずって、助けてくれと言わんばかりに腕を伸ばす。

 額から伸びた大きな角。焼け爛れた皮膚。黒く盛り上がった肉に塞がれた顔が、もはや人の形を留めない。

 まるで悪鬼羅刹。人民服に刺繍された籠目紋が、私とおなじ人間の……いや、おなじ“鬼”という種族であることを示す。


 何事か、焼きついた喉で呟いた後、動かなくなった。


「……なん、で」


 神さま、どうして。


 声が出ない。焼けついた喉が乾ききり、息をするだけで何本もの針が刺さったみたいに痛い。

 足が折れる。顔が引きつる。途方もない無力感と、誰にも赦されない罪科。

 地獄に蜘蛛の糸は降りてこなかった。神様はただ沈黙を守り続けるだけ。

 どうして。

 力が抜けた腕で、黒く焼け焦げた砂を握る。

 どうして。

 地面に落ちた水滴が、熱気に当てられて消えていく。


 私は力なく手を組み、焼けていく集会堂の中、祈った。


「…………誰か・・


 誰か、誰か。どうかお救いください。

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