7.3 生きなければならない

「プリントガンよ。私が作ったの、凄いでしょう」


 拳銃の生成は違法だが、不可能ではない。パーツ別にデータを入手してボタンを押せば、組み上げは誰でも可能だ。シリカさんなら発砲の機構も簡単だろう。

 僕はゆっくりと両手を挙げた。


「妹たちは、どうしていますか?」

「スズちゃんとサンダさんは飛行機に乗ってきた他のエージェントが拘束している。貴方には最後にお礼を言いたかったし、確認しなければいけないことがあったから、私が担当したの」

「確認ですか」


 優先事項があるならば、妹もサンダもまだ無事のはず。


「ノーで答えてね。立ったままで大丈夫だから」


 シリカさんは銃を向けたまま、耳の裏に空いた手を当てた。彼女はすでにオンラインに繋がっているようだ。飛行機にルータがあるのかもしれない。


「貴方は、クリスティナ・ライゼルからα細胞の再現実験に関わるデータを受け取りましたか?」


 決められた文章を読み上げるような平坦な質問だった。僕を真っすぐに見つめているシリカさんの左目が、淡く黄緑色に光っている。


「ノー。何も受け取っていません」

「貴方は何か私たち政府関係者に、隠している事実がありますか?」

「ノー。何もありません」


 どちらも正直な答えだ。測定器も反応しようがない。

 質問から推測するに、クリスティナ女史との空港の部屋でのやりとりを、この国の政府は外側までしか見ることができなかったのだろう。僕がある種のフェールセーフとして、データを受け取ったのではないかと懸念しているのだ。


「……そう、ありがとう。クロムさん、本当にスズちゃんの安心のためだけに動いていたのね。読み違えていたわ」

「【遺言状】によると、家族を守るのは家長の務めですから」

「シスコンだねぇ」シリカさんが苦笑する。「そんなことだから口をきいてもらえないのよ?」

「気を付けてはいるんですけど、やっぱりそう見えますか」

「そうとしか見えないってば」


 確認事項は終了して、残ったのは向けられた銃口だけになった。シリカさんが一歩、慎重に近付いた。僕は両手を挙げたまま動かない。


「助けてもらう方法は?」

「私と同じく、こちら側に立ってほしい。貴方がオーケーすれば、日本政府とも裏で協定を結ぶことになります」

「なるほど」


 祭り上げられた案山子として、生き続けるわけだ。α細胞の再現実験を表向きは奨励しつつ、裏では成功しないように仕向ける。出資を受けた研究機関では、似たような事が、ずっと続いていたのかもしれない。


「正直に言えば、お断りしたいですね」


 考えるまでもない。僕にとって、それは生きているとは呼ばない。生かされているだけだ。


「残念だけど」シリカさんは首を振った。「政府はα細胞を、今のシステムの維持を優先している。貴方が頷くかどうかは、支払う労力の問題なの。お願いだから、トリガーを引かせないで」

「僕が撃たれたら、別の誰かが選ばれるわけですね」


 誰になるだろうか。血縁者なら妹になるが、受けるわけがない。


「イエスと言ってくれれば、何も変わらないでいられるの。私は、貴方を撃ちたくない」

「多額の社会価値を支払う人間だけが生き続けるなんて」


 僕は吐き捨てるようにして言った。対案のない憤りでしかないと知りながら、そう言わずにはいられなかった。


「既存の社会構造というのは、多かれ少なかれそういうもの。奴隷制も資本主義もそうだったでしょう? 世界中の権威者の寿命を握ることで、貴方の国も、私の国も権力を保っている。それを脅かすものがあるなら、そっと芽を摘んでやればいい。これまでと同じよ。貿易も難民も原油もバイオも、そうだった」

「国のためにエージェントに復帰したのですか?」

「いいえ。それは建前。本当は私のため」

「ロイド君のためでもある」


 僕の言葉に、シリカさんは初めて動揺をみせた。瞳が潤み、僅かにプリントガンが小刻みに震える。それでも元プロだけあって、隙はない。


「私ね、貴方のこと好きよ。スズちゃんも、サンダさんも好き。お義母さまだって大好きだったし、ツチヤさんも、ナイトウさんも素敵な人だって思った。最愛の人と結婚してから毎日が楽しくて、ロイドが生まれてからは更に幸せの連続。涙が出るほどにね」


 シリカさんは目を細めた。

 照準を合わせた先に、自身の願いを見るかのように。


「私は毎日ハッピーに、楽しく遊んで暮らしたいの。ずっとこの夢を見ているような最高の生活を続けたい。それっていけないことかしら?」


 僕は黙っていた。不老のシステムが生み出す利益を享受して生きてきた最たる存在である僕に、その希望を否定する権利はないように思えた。


「もうすぐ、正午ですね」


 視界の端に映る時刻に目をやった。

 まだ3分ある。永遠のように遠い。


「……ええ。特別なニュースのない、ね」


 シリカさんが引き金にかけた指を僅かに曲げた。

 時間稼ぎは限界のようだ。


「狙うなら、心臓を」

「どうして?」

「ロイド君が見たらショックを受けるかもしれない」


 僕の挑発が言い終わると同時に、空気が抜けるような短い音が炸裂した。

 衝撃で身体が窓に叩きつけられる。

 呼吸ができない。

 倒れたまま大きく咳きこむ。

 口の中が酸っぱかった。胃の中のものが逆流したのか。


「クロムさん、実はロボットだったりするわけ?」


 シリカさんが言った。僕はまだ起き上がれず、床に頬づりしながら彼女を見上げた。右手で胸に触れたが、血の感触はない。


「……う、まい、ですね。狙いが、正確で良かった」


 言葉を一音ずつ意識して発声しながら、シャツに手を当てて確認した。貫通しなかったようだ。痛みが大きいのは、心臓の若干下のあたりで、肋骨が悲鳴を上げている。


「クッキーのトレイか」

「夜中、妹に貰ったんです」


 シャツの下に仕込んでおいたステンレス製のトレイを取り出す。胸部に位置していた箇所で、プリントガンの銃弾が止まっていた。


「呆れたわね。気付いていたの?」

「いいえ。妹は脱走する途中の弾除けのために持ってきただけです。シリカさんがエージェントなのは、正直いって驚きでした」


 脱走にも拘らず弾除けが必要と判断している時点で、妹も無謀な計画であることは理解していた。どのみち狙われることになるなら同じだと僕が残るように説得したのだ。トレイは、万が一のために隠していた保険でしかない。


「本当に面白いわね、貴方たち兄妹は」シリカさんは感心したように音のない拍手をする。「でも、それだけのこと。一発防いだところで、どうにもならない。例えこの場所から逃げたって、同じこと」


 再び銃口が向けられる。僕は半身を起こして、壁にもたれながら昏い穴を見ていた。


「僕を貫くはずだった銃弾でさえ防がれるんです。隠し通せるはずがない。いつかは明るみにでますよ」

「いつかそうなる未来があるなら、そこに至るまで最大限引き延ばす努力をすればいい。夢を見ている間は、夢から覚めないもの」


 夢を見続けるために。生き続けるために。


「歪んだシステムだ」

「歪んでいないシステムなんて、あるの?」

「クリスティナさんは、その歪みに抵抗しようとした」

「でも失敗した。私たちがそうしたから」


 時間が進む。

 呼吸は収まってきたが、動けそうにない。


「仲間になりなさい。何が問題なの? 誰も困らないじゃない?」

「その生き方は美しくない」


 僕は目を瞑って、最期の一撃を待った。

 

 死を待つ暗闇は、寝る直前のベッドとは異なる。


 黒くて粘り気のある恐怖という名の生き物が、足元から這い寄ってくるような感覚があった。原因は覚悟の違いだろう。もう二度と起き上がることはないと信じられるかどうか。今までに一度も経験したことのないのに、それが確実だと分かる。死んでしまえば、もう現実はない。空が落ちてくる方が、まだ現実的ではないか。僕はいなくなるのだ。僕の世界から。


――?


 プリントガンが撃たれない。


 死の直前に見るという走馬灯は、時間がゆっくり流れるものだというけれど、それにしては長い。それとも、気付いていないだけで、もう死んでいるのか。絨毯の感触は掌から伝わってくる。呼吸もしている。さっき撃たれた衝撃で、まだ上半身全体が痛む。背中をぶつけた時に痛めたかもしれない。


 薄目を開けてみた。

 銃口がない。

 シリカさんは耳の裏に手を当てて、虚ろな目をしていた。


「どうしました?」

「貴方も観ればいい。もう繋がるから」


 シリカさんが僕にメッセージを送った。耳の裏に手を当ててネットワークに繋ぐ。メールボックスにはうんざりする量の数字が点滅していたが、無視して送られたメッセージに記載されたリンクを見つめて飛んだ。


 自動翻訳がすぐに入らず、補正のない映像には読むことのできない記号がロールしていた。少し遅れて、ヒンディー語だと分かる。久しぶりにオンラインに繋がって、ソフトウェアの更新があちこちで行われているせいで、機能が完全ではない。


 スクリーンにはニューデリーの国立研究所が映っていた。

 主席研究員のターヤさんとチョウ博士が並んでいる。

 インタビューに答えているようだ。

 映像の右上にライブ中継の文字が浮かんでいた。

 再現実験の成功というワードが大きく表示されている。


「お義母さまが、彼女たちに伝えたということ……?」

「きっと、導いたんじゃないでしょうか。自分たちで正解に辿り着けるように、そっと手掛かりを与えたんだと思います」


 必要な時間とは、この事だったのか。

 視界に投影されたスクリーンの中で、ターヤさんとチョウ博士はマスコミの相手をしている。主席研究員であるターヤさんにスポットを当てたいのに、チョウ博士が喋りすぎて煙たがられているのが分かる。


「自分を囮に使うなんて」

「名誉も称賛も、必要がなかったんでしょうね」


 寂しかった、とクリスティナ女史は語っていた。彼女の心に空いた穴を埋める方法は、目の前の研究だったのだ。誰のどんな言葉も求めていない。きっと、孤独を深めてしまうだけだろう。


「タイミングが完璧すぎる。あの研究所も息がかかっていたとしか、ああ、でも、もうそんなこと、関係なくなっちゃったのか」


 茫然として独り言を呟くシリカさんは、もうプリントガンを構えていない。視界に投影した映像が見やすいよう、壁の方を向いていた。


「僕を仲間に引き入れるどころじゃ、なくなりましたね」

「上の方は今頃大慌てでしょう。でも、もう遅かった。完敗ね」

「あのまま続いていたら、僕を撃っていましたか?」

「クロムさん、思ったより頑固だったからなぁ」シリカさんはバツが悪そうに指を髪に絡ませる。「人質を取れば、頷いてくれると思っていたのに。多分、気絶させて運んだかな。私の仕事はそこまで。その後は条約を結んだり色々してから、政府の人間が、ちょっとだけ脳を弄ったかもね」


 恐ろしい未来だ。

 監禁されてから、僕はもう一度選択を迫られただろう。その時になったら、どう答えていたか分からない。惨めでも生き続けることにしただろうか。それとも、意地を通しただろうか。案外、すぐに降参したかもしれない。


 僕は自分の主義というものに潔癖でないのだ。瞬間的になら独善的な選択ができても、ゆっくりと時間をかけてダラダラとした状態で選択肢が置かれていたら、いずれかを掴み取るエネルギーが得られない。生きるべきか死ぬべきかが問題になりえても、どちらも選ばない状態のまま、死んだように生きていたと思う。


「立てる?」

「ええ、何とか」


 手を貸してもらって立ちあがった。

 殺傷能力の低いプリントガンだったおかげで心臓に穴は開かなかった。本格的な拳銃ならステンレストレイ程度の厚みは物ともしない。だからこそ、強気に出られたのだが、想像以上に威力が強く、まだ胸部に鈍い痛みがあった。


「許してもらえるとは思わないけど、本当にごめんなさい」


 シリカさんの頬に涙が伝った。少女のように泣きじゃくるようなことはなく、凛とした姿勢のまま、僕を見つめる。


「撃つように誘導したのは僕ですし」背中についた絨毯の毛を払いながら、僕は言った。

「別に怒ってませんよ」


 たまたま立場が、主義が、生き方が違った。その結果として衝突したのだ。そこに悪意はない。何に対して怒ればいいのか、僕には分からない。


「そう。ありがとう」


 短くそう言うと、シリカさんは踵を返して部屋を出ていこうとした。


「あ、待ってください。一つだけ教えてほしいことが」

「何?」シリカさんが振り返る。

「セドリック氏は、貴方の正体をご存知なんですか?」


 実の母を失い、最愛の妻がエージェントだという事実が、僕には残酷なように思えた。世界の半分の権力者たちの寿命を握る立場である以上、それは仕方のないことなのかもしれない。ただ聞かずにはいられなかった。


「ええ、知っています」シリカさんは頷く。「だって、それが原因で結婚したんだから。でも、私たちのラブロマンスっを語るには、ちょっと時間が足りないかな」

「そうですか」


 僕の答えを待たずに、シリカさんは去っていた。

 心のどこかで安堵している自分がいる。

 重ね合わせたのだろうか。

 恋人のいない僕と。

 結婚した彼とを。

 可能性の一つとして。


 まるで最初から誰も訪れなかったかのように、部屋は静まり返っていた。プリントガンの銃弾がめり込んだステンレストレイを拾って、机の上に置いておく。このトレイは、あの髭面の管理人が捨ててしまうだろう。鈍く持続する胸の痛みも、そのうち消えてなくなる。何もかもが思い出になってしまって、そして、いつか思い出せなくなる。

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