6.4 諦めなければならない
「スズちゃ~ん! どこ~?」
声の主が階段から3階から降りてくる。反響が小さくなって、聞き覚えのある声だと分かった。
「シリカさん」
3階の階段から顔だけを覗かせたシリカさんは、星形のサングラスをしていた。階段から降りてくる振動で実態だと確認できる。セドリック氏の本邸で会った時と違い、貴族がある日スチームパンクと和装に同時に目覚めたような、随分とアヴァンギャルドなファッションだった。
「あら、クロムさん。もう着いたの?」
「何故ここに」
「お義母さまから、妹のスズちゃんが悪い奴らに狙われていて、別荘で匿っているって教えてもらったの。一人じゃ退屈だろうから私とロイドが来たわけ。私たちも着いたのは午前中よ」
「はぁ」
人がいるのは予想外だった。
時間帯から考えて、クリスティナ女史は僕との通信を終えた直後に、この話をしている。僕たちが飛行機で向かっている間に、シリカさんたちが先に到着したのだろう。大陸を横切るのは太平洋横断よりずっと早い。
僕が迎えに行く以上、妹を独りで閉じ込めておく必要がなくなったということか。詳しい経緯を知らない妹は、下手に動くことで僕に危害が加わる恐れを持ったまま逃げられない。僕もまたシリカさんたちを置いて「悪い奴ら」に狙われている妹を勝手に連れ出すことができない。
善意の檻とでもいうべき、緩やかな縛りだ。クリスティナ女史が必要な時間を確保した今、僕たちの重要性が落ちた結果とも言える。
「スズちゃんったら超キュートよね! お人形さんみたい! 見てそのドレス、私がデザインしたの。似合っているでしょう!」
「えぇ、まぁ」僕は妹を横目で観察した。
「そうですね」
人形的であることにかけては、他の追随を許さなかった妹だが、今はきっと違う意味なのだろう。肯定も否定もしにくかった。
「ママ、止めなよ。嫌がってるよ絶対」
階上からロイド君がひょっこりと顔を出す。
「それよりバトミントンやろうよ! 次は負けないから!」
妹が僕の腕をぐっと掴んだ。直感だが、妹は多分この二人が苦手だ。眩しすぎる善意に抗えないのだろう。気持ちは少し分かる。
「バトミントン、やったんだ」
僕が呟くと、妹は僕を睨んだ。
大サービスではないか。見てみたかった。頬が緩むのを我慢しながら、ロイド君に向かって手を挙げた。
「次は僕とやろう」
「オノデラさん、またすぐに会えるなんてラッキーだね!」
「ロイドったら、あのね、お二人は避難してここにいらっしゃるのだから、あまりハシャいじゃ駄目よ」
「えぇー、ママの方が酷かったよ」
妹が怯えていた。どんな悪意も狡猾さも裏切りも粉砕してきた電子の破壊神が震えていた。この数年、まともに人間と接していないのだ。久しぶりのコミュニケーションがハードランディングだった点は否めない。まぁ、バトミントンに関しては僕にも否があるのだが。
その後、サンダと門番の男性が入ってきて、部屋の準備をすることになった。準備といっても上空2万フィートから身一つで放り出されたので荷物はない。サンダは別荘の敷地を見て回るといって再び出ていき、門番の男性にはベッドメイクをするからと下へ行けと言われ、シリカさんはロイド君を連れて着替えに戻った。
人の別荘で、しかもオフラインだと、どうやったって手持ち無沙汰になる。廊下にいても仕方ないので1階に降りた。
そこで再び妹との邂逅があった。
同じ屋根の下とはいえ、そう呼ぶのがふさわしい。
30人は収容できるパーティルームの中心に、妹が立っていた。まだ白いゴシックロリータのままだ。案外気に入ったのか。妹のファッションセンスについては、完全に未知の領域だ。
待っていたのかもしれない。僕の姿を見ると妹は近くにあったドーナツ状のソファに座った。向かい側にはもう一つ、同じドーナツソファがある。来い、ということか。お互いに言葉を交わさず、僕もソファに腰掛ける。
「さっきも言ったけど、正確にはあと9日と4時間で解放される」
無言。微動だにしない。
「攫われたのは依頼の結果だけど、クリスティナ女史を突き止められたのも同様に、依頼の結果だ。ナイフとフォークの十字架がなければ、多分僕は気付かなかった」
小首をかしげた。本当にそうなのか、と言いたげだ。
「だから、依頼はあれで達成。制限も解除したままでいい、委員会には僕から伝達しておく」
首肯。当然、という顔。
三往復も会話してしまった。今日の良き日に花火を打ち上げたい。
間が開く。相槌というものが皆無なので、話題が飛びがちになるが、もう慣れている。
「あとで僕ともバトミントンしないか?」
無言。蔑むような眼だった。やっぱりダメか。
いつも通りの沈黙。妹が喋らないので、僕が黙れば必然的にそれは訪れる。ただし、いつもと違って、今日はテーブルを挟んでいない。
「どうしてクリスティナ女史が時間を必要としたか、分かるか?」
首を振る。データ上で知っていても、直接会ったことはないから答えようがないのだろう。僕にだって完全に把握できているわけではない。ただ、こうだろうな、という漠然とした想像をしている。
「α細胞の再現実験の成功を、表に出すんだと思う」
素っ気ない表情。想像の範囲内だということだろう。
「公開されれば、どこの国も自前の施設で理想的な遺伝子を持つ細胞を使って、不老のサイクルに入ることができるようになる。『選別』はあるだろうけど、今よりハードルは下がる。僕たちやライゼル一家の歪な利権構造も、これで終焉を迎えるだろう」
すぐに崩壊するわけではないけれど、それはまさに老化する肉体のように、僕たちの資産は先端から、表面から、内部から、少しずつ乾燥して剥がれていくことになるだろう。時間をかけて、必然的な摩擦の中で失われる運命にある。
「でも、それでいい。国が持てないからって、無理やり企業体に押し込んだやり方が間違っていたんだと思う」
無言。というより、僕の話を聞いているようだ。
「今までみたいに派手な遊びや失敗はできなくなる。
子供が大人になるように。
身の程を弁えて。
規律正しく。
社会の価値に準じる。
「今更、
肩を竦めてみせた。妹は黙って僕を見ている。
「やるしかない」
僕は言った。それは決意であり、諦念でもあった。
「来る途中、ミサイルを撃ち込まれたのは話したっけ? あれはきっと、僕たちがそれを嫌がって、暴れまわると恐れている連中がいるんだと思う。その不安も、ここで大人しくしていれば消えてなくなる」
「それで良いの?」
不意に妹が口を開いた。目が合ったまま、動かない。
その瞳を通して、多くのものを幻視した。それは今まで僕が当然の様に触れてきた豊かさ全てであり、もはやゲームのスコアにしか見えないアカウントの残高だった。
「いいよ。そっちこそ、どうなんだ?」
「構わない」
「そうか」
そのうち、財産を分割する割合だとか、即時の社会価値化が困難な不動産や証券の取り決めだとか、そういう実務的な話をしなければいけない日が来る。多分、妹は交渉も主張もしないだろう。それは確信めいた予感だった。最初からそんなものに縋っているのは、僕だけなのかもしれない。
「あと9日だ。ゆっくりしよう」
妹は肯定も否定もせず、立ち上がった。階段を昇り、見えなくなるまで僕はその背中を目で追っていた。
それから、まどろんでいた。ドーナツ状のソファの窪みに腰を落とすようにして、自分が溶けているのではないかという気分に浸る。覚醒したのはサンダの声が煩かったからだ。
「代表、ベッドメイク終わったそうなんで、寝るなら上でどうぞ」
「ああ、うん。いいや、夜までは寝ない」
「寝てたじゃないすか」
身体を起こし、両手で万歳して背筋を伸ばした。
「まだ夕飯まで時間があるな。サンダ、僕とバトミントンしないか」
夕飯前の運動に丁度いい。明日ロイド君とやるとして、格好悪いところは見せたくないので練習台が必要だろう。
「それ、さっきロイド坊ちゃんにも誘われましたよ。流行ってるんですか」
「そうだよ。知らなかった?」
僕は事も無げに言った。
嘘ではない。これから真実にしていくのだから。
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