6.3 止めなければならない

 幸いなことに、僕たちの緊張に反して緑の輸送車はだいぶ手前で停止した。自動ブレーキにしては発動が早い。対人センサーだろうか。


「ボウリングのピンみたいにならずに済みましたね」

「スプリットは取りにくいから諦めたのかも」


 輸送車の進路を塞ぐようにして二人で距離を取って並んだフォーメーションは、さながら一番取るのが難しい7番と10番ピンのスネークアイだ。


「とりあえずお礼を言わないと」

「無人車だと思うけどな」


 ランプが点滅した。人工的な意思を感じる灯り方だ。自動で扉が開き、エンジンが切られた。


 恐る恐る輸送車に近づく。サンダが先に接近して、様子を伺った。

 反応がないらしく、サンダの手招きに応じて僕も扉まで近寄る。


――オノデラさん、聞こえますか、クリスティナです。


「あ、はい! 聞こえます」


 輸送車の中にあったスピーカから声が聞こえて、返事をする。


――先程のミサイル、無事なようで安心しました。あれは私の意思ではありません。別の勢力によるものです。


「分かっています。なるべく見つからないように気を付けていたのですが……」


 僕の段ボール作戦がバレていたということか。完璧だと思っていたのに。


――彼らは焦っているようね。貴方が妹さんを連れ出してしまうことを、恐れているのかもしれない。


 リスク管理に余念がないことだ。僕が最後の最後で妹を使って、αの世界を牛耳ろうとするかもしれないと危惧しているのだろうか。だとしたら、自分の心の内にある欲望が、僕に転嫁されているとしか思えない。


――飛行機は敷地内に墜落しました。そこはすでにライゼル家の土地です。その輸送車に乗って、別荘まで移動してください。


「歩いていくには遠かったので助かります」


――2時間もあれば到着するわ。念のために警備を増やしておくから。


 気を付けて、と言ってクリスティナ女史は通話を切った。サンダが運転席に乗り込み、僕も助手席に座ると、輸送車はすぐに発進した。


「事情はよく知らないっすけど、ミサイルが飛んできたってことは軍が敵側ってことすよね?」


 サンダが身震いするポーズを取った。


「確率は高いと思う」


 あれだけ高性能なミサイルの発射は、セーフティとしての人的手順が組み込まれている場合が多い。僕とクリスティナ女史が接触してから、24時間も経たないうちにその判断を下せるということは、政府関係者を巻き込んでいるということだ。


「僕を木っ端微塵にして、妹と引き剥がしたいんだと思う」

「木っ端微塵って表現、久しぶりに聞きました」


 サンダが笑いながら言った。僕も笑った。


「他にコメントは?」

「ミサイルが飛んでくるといけないんで、もうちょい離れて座ってください」


 輸送車は何もない道を真っすぐに進む。

 お互いに口に出さなかったが、この状態で第二射があったらという緊張感が継続していた。適当な冗談を飛ばし合いながらも、僕たちの目線はずっと上空を彷徨っていた。


「代表も吸います?」

「雇用主を前にして違法性嗜好物とは、良い度胸だね」


 サンダが胸ポケットから白い棒を取り出した。特殊な草を乾燥させて、紙で包んだものだ。一本を口に咥え、片手で器用にライターで火をつける。煙はサイドガラスから外に流れていったが、僕の方にも不思議な臭いが漂ってきた。


「この国じゃまだ合法ですよ。このまま土に還るぐらいなら、一本ぐらいは吸いたい」

「吸ったことないな」

「じゃあ、挑戦してみてください」

「健康に悪いよ」

「健康に良いものなんて、この世にないですよ」

「寿命も縮む」

「不老の人間が言う事ですか、それ?」

「それもそうだ」


 結局一本貰った。白い紙とフィルタに、草が刻んで包まれている。サンダが先端に火をつけると、みるみるうちに煙が立ち昇る。慌てて口に咥えて息を吸うと咥内が熱気に襲われて咳きこんでしまった。涙が出てくる。煙を摂取する生き物なんていないと、僕の良識が訴えかけてくる。


「代表にはまだ早かったですかね」

「こんなもの、幾つになったって吸うべきじゃない」


 サンダが煙草を受け取り、火を消して携帯灰皿に放り込む。僕はというとまだ口の中に苦みが残り、咳が止まらなかった。


「大人になったら慣れますよ」


 サンダは飄々と言った。僕は子供ではない。けれど、大人かと言われると堂々と答えられる自信はなかった。


 僕の身体は老化しない。正確には定期的なメンテナンスで一定の肉体的年齢サイクルを繰り返している。まぁ、長期的な視点でみれば不老と言えるだろう。


 なら精神はどうだろう。

 精神は年を取るのだろうか。


 脳細胞も肉体と同様に若返っているから、ハード的には不老とみなすのが妥当なように思う。意識については、ニューロンやシナプスの組み合わせと重みづけの最適化がその正体なら、10年まえより年を取っていると言える。けれど、何もない部屋でじっとしている人間が環境に最適化したとしても、それは精神的に年齢を重ねたと認めてもらえないだろう。かといって、人格の成熟を尺度に据えるなら、その基準は歴史的文化的な影響を受けざるを得ない。


 僕は大人になれるのだろうか。

 大人だけれど、大人ではない。

 定義できないなら、誰も大人だなんてみなせないのでは?


 ぼーっと思考が巡っていた。間違いなく違法性嗜好物のせいだ。頭がグラグラする。あんなにも強い影響が出るとは思わなかったと反省した。サンダはというと、別荘の外壁が見えてきたことを素直に喜んでいた。暢気な奴め。


「珍しいな、人間の警備員ですよ」

「コントロールセンターの人間かな。専門じゃないと思う」


 ジーンズを履いた中年男性が、こちらに向かって手を振っていた。髭を蓄え、腹が出ている。都市部では見ないタイプの人間だ。僕たちも手を振り返した。


「大奥様から聞いとるでよ、早く入んなさい」


 インプラントの自動翻訳が訛りを再現する。野太い声だった。サンダを見ると訝し気に耳の裏に触れていたので、もっと妙な翻訳をされたのだろう。


「中に女の子もおるでよ。あんたァお兄さんだろう」


 妹がいる。その言葉に、僕の心臓は大きく高鳴った。分かっていた事なのに、ミサイルよりも緊張した。


 車を降り、門番の男性にお礼を言って、僕たちは門を潜った。顔認証も何もない、純粋な石造りの門だ。路面は幾何学模様に象られた石材で舗装されている。3階建てで、曲面が少ないことから古い建築物だと分かった。庭園は広く、プールとテニスコートが見える。


「俺はもう一服していくんで、代表、先に中へどうぞ」


 サンダは石壁に寄りかかって、手をひらひらとさせた。気を使っているつもりなのか。それとも、妹が苦手なだけか。きっと両方だろう。


 舗装された広い歩道が蛇行して玄関へ続いている。歩道の割れ目にライトが埋まっているのを見つけた。今は灯っていない。


 観音開きの重厚な扉だった。視覚から検索ができないが、材質はマホガニーに見える。暗色の木材は触れると冷たく、僕の侵入を拒んでいるかのように思えた。


 いや、チープな擬人化だ。

 扉は誰も拒まない。

 侵入を拒んでいるのは、僕自身だ。

 きっと、無意識下で別の僕が躊躇している。

 こんなにもレバーハンドルが重いわけがない。


 この先に妹がいる。

 立体映像でなく生身で。

 情報量が最大の状態で存在する。

 タイムラグのない最新の状態で存在する。


 本当に生きているのだろうか。

 ずっと幻と<食事>してきたような気さえする。

 あらゆるものに懐疑的になってしまう。


 僕が思う時、思うと省みられた僕がもはや過去の僕であるように。

 僕の目の前に現れていた妹の像は、その時点で妹ではないのでは。

 認識と現象のずれを、どう捉えればいいのだろう。


 あらゆるものが不確かだ。


 扉を開く。軋む音が鳴り響いた。足元には逆光で僕の影が映っている。

 別荘というのは本当らしく、中はどことなく生活感のない造りだった。パーティを見越してか、玄関ホールがやたらと広い。


 声を出すべきか迷った。

 1階はリビングルームとキッチンが大半を占めているようだ。いや、リビングというよりパーティルームと呼ぶべきか。クローゼットも中で暮らせる程度には広い。


 2階へ昇る途中の踊り場で、足音が聞こえた。

 歩幅が小さい。

 慌てているような、小刻みな音。


「スズ」


 妹だった。


 いきなり現れた。

 生身だ。立体映像でないことがはっきりと分かる。


 こうも違うものなのか。纏っている空気が、体重のかかっている床が、身に着けた衣服が妹の存在の延長だった。


 妹は白いゴシックロリータを着ていた。普段のファッションとは大分趣が異なるが、とても似合っている。僕の存在を認めると、妹は無表情のまま、ほんの僅かに目を開き、驚きを露わにした。


「迎えに来たんだ」僕は言った。「10日後、いや、もうあと9日か。それだけ待てば解放される。クリスティナ女史と、直接話を付けた」


 沈黙。その間、僕は妹をずっと見上げていた。手すりに右手を置き、透明な僕を通り越してどこか遠くを見ているような妹の姿は、一枚の絵画の様に思えた。


「そう」


 妹が頷く。これまでなら、頷くだけだった。いや、頷くような空気を僕が感じ取るだけだった。僕と妹は今、階段で会話している。まるで理想的な兄妹のように。


 上階から誰かの声がした。妹の名前を呼んでいる。

 女性の声だ。徐々に大きくなってくる。

 その声に反応して、妹が3階への階段を振り返った。何かに怯え、焦っているかのような素早い動きだった。


 声から遠ざかるためか、妹が階段を下りてくる。エナメルの靴とフレアスカートで動きづらそうに、手すりに捕まりながら。


「危ない」


 躓いて妹が落ちそうになる。僕は咄嗟に駆け寄り受け止めた。

 妹の体重が両手にかかる。軽い。すり抜けない。実在している。

 両手を支えて直立させるまで、妹はぐったりとしていた。


「体調が悪いのか?」


 妹は首を振った。


「どこか怪我をした?」


(助けて)


 妹の唇が動く。そんな風に潤んだ瞳が僕に訴えかけてくる。


「助けに来たんだ。襲われているのか?」


 妹を呼ぶ声が近付いてくる。

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