6.2 飛ばなければならない

「昔、こういうゲームがありましたよ。ご存知ですか代表?」


 イシカワが台車を押しながら呟いた。外から見れば今時珍しく人間の作業員が段ボールを運んでいるように見えるだろう。


 真面目に仕事をしていた補充ロボットからジュースを取り上げてスタッフに渡し、僕が段ボールの中に入り込んだ。作業服に着替えたイシカワが僕を台車に乗せて運んでいる。


「知らないな。段ボールに入るゲーム?」

 あまり面白そうではない。


「敵に見つからないように進む、いうなればスパイですね。その一環でこのように隠れたりします。前世紀のゲームですが」


「へぇ」見かけによらずレトロゲームに詳しいようだ。


 漠然と見つかるわけにはいかないとだけ説明したが、イシカワはどことなく状況を楽しんでいるように見えた。


 要人向けの秘密通路を抜け、ダイレクトに誘導路に出た。通常の外交官なら自動運転車で飛行機に向かうわけだが、今の僕は荷物になっているのでそうもいかない。しばらくするとイシカワが小型のフォークリフトを見つけてきて、運搬されることになった。


「このままウェルカムドリンクの補充のふりをして中に入れますので」

「ありがとう。ただ、もう少しゆっくり走ってくれると嬉しいかな」

「申し訳ありません。手動で運転するなど久しぶりなもので」


 言うやいなやガクンと揺れた。

 文句を言うわけにもいかないので、黙って耐える。


 今頃ツチヤ君とナイトウは何をしているだろうか、とぼんやり思った。可燃性の燃料を山ほど積んで都合よく事故を起こしたので、下手したら拘束されている恐れがある。弁護士の手配ぐらいはしてあるだろうけれど、10日間はツチヤ君も似たような狭い場所に押し込められているかもしれない。今期のボーナスはうんと弾まなければ。


 それから積み荷されるまで、大した不遇はなかった。イシカワが僕を段ボールごと手すりにぶつけたぐらいだ。


 運転手はサンダだった。指示するのを忘れていたが、一般のパイロットを巻き込むわけにもいかないので、ありがたい行動だ。


 位置情報を渡すとすぐに離陸した。入力してからは自動運転になるが、システム上免許を持った人間が乗っていないと飛行機は動いてくれない。


「旅客機の乗客が一人ってのは、おかしなもんですね」


 ファーストクラスに座っていた僕に、サンダが話しかけてくる。定常飛行が安定したのだろう。僕に対して必要以上に物怖じしないところがベテラン社員の貫禄といったところ。段ボールから出てきたせいで、僕の威厳が落ちているだけという気もするが。


「目的地の近くに着陸できる場所はあるかな」

「調べましたけど、バカでっかい敷地でしたよ。そのまま中に入れます」

「なら安心だ。僕は10日間そこにいることになるんだけど、誰にも言わないように。完全にオフラインになって、世界から隠れないといけないんだ」

「警察にもですか?」

「警察というか、公安にも、他の国のエージェントにも」


 サンダは苦い顔をした。厄介なことを聞いたと顔に出ている。


「怖い奴らにも?」

「怖い奴らって、例えば?」

「ツチヤさんとか」

「ああ、彼女は怖いね」


 予期しない人物だったので笑ってしまった。


「もう一人、怖い女性が来るかもしれないけど、まぁ黙ってもらわないと困る。妹と僕の命が危険に晒されるんだ」

「それはまた……あの、そんな話、俺が聞いても大丈夫なんすか?」


 サンダは不安げな様子で頭を掻いた。


「今のところ、我が社で君だけだよ。この情報を知っているのは」

「そいつは恐縮です。そのまま縮んで無くなりたいぐらいだ。ツチヤさんに緊急で集められた時に、嫌な予感がしたんですよ、ホントに」


 ほとんど強制だったのだろうな、と推測がつく。ただ、ツチヤ君が直接選んだという点で彼の事は信頼できた。


「もし良かったら、この別荘に一緒に泊まればいい。会社に戻るよりは情報が洩れる心配もないし、安全だよ」

「でもオフラインなんすよね。浮気が疑われるかもしれない」

「事が済んだら、僕が奥さんに説明するよ。菓子折りも送ろう」

「それはいいすね、あいつ腰抜かしますよ」


 フライトは快適に進行した。サンダは席に戻り、僕はファーストクラスで寝た。目を覚まして顔を洗ってから残り時間を尋ねるために運転席に入ると、中では音楽がかかっていた。曲名を調べようとして耳の裏に手を当ててから、通信をオフにしていた事に気付く。


「イーグルスの『Life in The fast lane』っすよ。発表は1976年」


 僕の仕草を見て、笑いながらサンダが教えてくれた。


「古い歌だね」

「歌に古いとか新しいは関係ないすよ。今聞いている人間が感じ取れるかどうかです。だから、常に今なんすよ」


 持論に触れたらしく、サンダは身体を起こした。


「歌詞が好きなんすよね。『追い越し車線の人生』ってフレーズが、好きだったんです。そういう生き方しかできない男の歌なんすよ」

「なんで過去形?」

「代表とこうしていると、追い越し車線に入った実感があって」


 サンダが僕を見る。


「それなりにしんどいんだなと気付いたもんで」

「僕は速度を出している気はないよ。どちらかといえば、最近までずっと停滞していたような気がする」

「そうですかね。色々やってたじゃないすか」

「【遺言状】に決められていた義務をこなしていただけだよ。強いて言うなら、ライフ・オン・ザ・レールだ」


 レールの上の人生。ずっとそうだったし、それが当たり前だった。


 けれど、これからはそうもいかないだろう。α細胞技術が公になれば、各国で自前のα化が推進されることになる。しばらくは積み重ねてきた技術と設備上の優位を維持できるかもしれないが、時間の問題に過ぎない。


「今回の事件で、レールの外に飛び出すことになる」

「よく分かんないけど、良いことなんすか? 悪いことなんすか?」

「さぁ。しばらく進んで振り返ってから評価するしかないね」


 ピコンと電子音が鳴った。どこかのエリアを通過したのだろうか。

 運転手を見ると、計器をじっと見つめていた。先程までのリラックスした表情ではない。真剣な顔だった。


「代表、そこのハッチ開けて、中の装備を着てください」

「これ?」


 言われた通りに運転手席の背後にあったハッチを開ける。オレンジ色のベストのような物が入っていた。随分と膨らんでいる。


「俺にも一つ貰えますか」

「うん」


 手前にあった方を手渡す。とりあえず着てみると、背中にリュックを背負うような不思議な形をしていた。素材は化学繊維で非常に軽い。喘息の治療で使うようなプラスチックのマスクが付属している。


「やっぱり間違いないすね」


 運転手は計器をしげしげと眺めていた。モニターに丸い円が映されて、何か点滅したものが近付いている。画面の右下に警告が表示されていた。


「何が?」

「ミサイルです」


 あっさりと言われた。


 サンダが即座に立ち上がり、僕を引っ張って運転席と客席の連結部へ出た。ガラスで保護されたカバーを乱暴に開けて、中のレバーを引く。


 僕が理解しているところによれば、飛行中、窓や扉は開かないように設計されている。与圧された機内が気圧差によって急減圧され、空気と共にあらゆるものが吸い出されてしまうからだ。にも拘らず、僕の目の前には人が飛び降りることができる程の穴が突然現れた。空間が歪んだような急激な吸引を受けて、床にへばりつきながら叫ぶ。


「待ってくれ! ミサイル?」

「ミサイルは待ってくれませんよ」

「え? まさかとは思うけど、飛ぶの?」

「飛ばないと下手すりゃ魚の餌です」

「下手しなければ」

「即死できるので、魚の餌になる感覚はありません」

「なるほど」


 それが合図のように、二人でマスクを装着した。

 カウントダウンはなかった。

 スカイダイビングの経験はない。


 強いて挙げるなら、つい最近ナイトウと一緒に27階の避難口からチューブを落下に近い速度で滑り落ちたぐらいだ。今回はヘルメットがない。あっても役に立たないのは僕でも分かる。


 飛んだ。


 落ちる、というより主体的だ。


 叫んでいた。ような気がする。


 それが悲鳴なのか絶叫なのか、頭の中での事なのか自分でも分からない。全身が空気の壁にぶつかり続けている感触があった。耳をつんざく物凄い音が鳴りやまない。身体が切り裂かれるようだった。寒い。


 直後、上空で何かが光った。

 ミサイルが命中したらしい。本当に危なかったのだ、と実感が湧く。

 何故だかその直撃を見て、逆に冷静になることができた。


 まだ落ちている。

 右下にサンダが見えた。


 今どのあたりにいるのだろう。

 飛行機は下降ラインに入っていたはずだ。


 高度2万フィートだとして、ええと、6000メートルぐらい。

 計算補助を開いても、計算式を組めない自分が苛立たしい。

 重力加速度は9.8m/s^2


 地面に激突するまで2分弱。

 わお。


 もう10秒は過ぎている?

 15秒か?


 時間がゆっくり流れているような気がする。

 思考が鋭化しているのか。


 まるで走馬灯。

 空が綺麗だ。


 何もない。

 青。


 美しい。

 何故、美しい?


 青が美しいわけではない。

 空はいつだって見ることができるはず。

 

 急に体が上に引っ張られた。

 パラシュートが開いたのだ。もし追撃のミサイルがあったら、逃げられないだろう。周囲を見回す。青。青。青。接近してくる飛翔体はない。サンダのパラシュートも見えた。航空会社のロゴが入っている。こんなところにまで宣伝を入れるのか。鳥ぐらいしか見ないのに。


 落下していた時とは感覚がまるで違った。

 浮いている。浮きながら落ちている。


 下方には農園が広がっていた。

 直角に区切られた緑。


 人工的な自然物。

 遠くに道路もある。どうやら居住地域ではないようだ。


 風を受けて右に流れていく。

 身体を捩じってみたが何の抵抗にもならなかった。


 ただ右へ。

 少しずつ回転して、左右が不明確になっていく。


 地面が近い。昔のアニメーションみたいに、空中で足を回す。

 近づいて初めて分かったが、農作物の背が高い。


 トウモロコシ畑だ。

 着地。どうにか通路側へ。

 勢いのままに走って衝撃のベクトルを流そうとして、すぐに転んだ。


「代表、お怪我は?」


 地面に突っ伏して大地の存在に感謝していると、先に着地していたサンダの声が聞こえた。顔に泥が付着している。


「何とか大丈夫」

「命が危ないって、あんなダイレクトな感じなんすね」

「あれは流石に初めてだよ」


 伸ばされた手を取る。パラシュートを脱いで土を払い、周囲を伺うと遥か彼方に輸送車の姿が確認できた。道路だ。


「人間がいないすね。俺、トウモロコシに突っ込んだので謝らないと」


 顔の泥を服で拭いながら、サンダが言った。


「畑である以上どこかにコントロールセンターがあるはずだけど、上空から確認できなかったな」


 かなりの大規模農園だ。ライゼル一家の別荘が近い以上、この辺り一帯が敷地という可能性が高い。オンラインなら現在地の土地名義人が分かるのだが、今はできない。


 荒野で男二人佇んでいても神様は助けてくれない。

 僕たちは道路に向かって歩き始めた。地平線が約4キロ先だから、目算でその半分程度だろうか。両足に車輪を装備したいと本気で思った。途中、太陽の位置と時刻でおおよその向かうべき方角と距離を割り出したものの、歩いていくには厳しい距離だとサンダが分析した。


 道路は老朽化し、あちこちが乾燥してひび割れている。先程見た輸送車はすでに視界から消えていた。どこまでも続いていそうな一本道が延々伸びている。バス停もないその道を、僕たちは歩いた。


「もうミサイルが来なきゃいいですけど」

「あれは……そうだね、予測できなかった」


 やはり空港で位置がバレていたのだろうか。それとも誰かのリークか。クリスティナ女史が始末しようとしたとは考えにくい。あまりにも突発的すぎる。


「あ、代表、新しい輸送車が来ましたよ」


 サンダの指さす遥か彼方から、豆粒ほどの緑の物体が移動しているのが見えた。運搬車なら積み荷の受け地か渡し場いずれかに辿り着くだろう。


「100年前ならヒッチハイク出来たかもしれない」

「この州だと100年前でも違法ですよ」


 サンダは事も無げに言った。妙なところに知識がある。


「掴まっていけば、センターまで行けるかな」

「時速80キロは出てますよあれ」

「自動ブレーキを使わせればいい」

「どうやって」

「そりゃあ、障害物にぶつかりそうになれば作動するよ」

「障害物なんて、どこにあるんです」

「ここに二つあるだろ」


 僕がそう言うと、サンダは露骨に渋い顔をした。君がいるだろ、と言わなかっただけ優しさを感じてほしいものだ。


 最初は点でしかなかった緑の輸送車が徐々に大きく見えてくる。かなりのスピードだ。輸送用だけあって車体も大きい。


「装備されてますかね」

「世界標準だよ。いけるいける」


 言いながら、違法な効率化で自動ブレーキが外されて事故を起こした事例を思い出してしまう。道路の真ん中で、僕とサンダはフリーキックで壁役を演じる選手の様に並んで直立していた。

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