5.3 探さなければならない
ブランク明けの監視付き、遺言状規則の制約有りのハンデ戦だったとはいえ、妹が
本人を幽閉するという手段は、確かに一発で勝負がつく。だが、それを実行するのは困難だし、動かすものの大きさも段違いだ。クラッカーなら美学としてありえない。そして明らかなタイプの犯罪だ。サイバー部門だけでなく、刑事たちに追われることになる。結果論ではあるが、AI判定でも、このリスクは過少に見積もられていた。
「軍隊?」
「中東の工作員と判明しています。逮捕者は9名、リーダー格の男を含め4名がトラックで逃走し、行方は掴めていません」
ナイトウから送られた男たちの画像は、全員正面を向き、カメラを見据えていた。画像検索にかけると難民地域で活動している映像がヒットした。つまり、従軍経験のあるチームが非武装地域で着替えたにすぎないということだ。
「犯行声明は?」
「ありません。逮捕者は、上からの指示に従っただけだと証言しています」
「傭兵みたいなものかな」
「非公式ですが直属です。状況から王族のαが複数名、ウイルスの作成者に脅されていると考えられます」
通信大手の次は石油王か。
苛立ちを隠せず、指を強く噛んだ。
「僕たちへの攻撃が囮だったわけだ」
攫われたホテルの搬送口からトラックが発進した映像を見る。時刻は僕たちがバーソロミューたちの銃撃を受けた後、食事をしている時だった。タイミング的に間違いない。
「給仕アンドロイドたちの銃撃を止めさせるために、妹にわざとハックさせた。そこに集中させてから場所を絞り込んで、各所に待機させておいたチームが突入」
「恐らくそうです。一瞬動きが弱まったのは、スズさんが主導権を争ってくれていたということですね」
ナイトウは冷静だった。目に揺らぎはない。彼女はこれが仕事なのだ。
復路には往路よりも時間が必要で、僕は空に縛り付けられたまま話を聞くことしかできない。ただそれだけで、焦りが身体を震えさせているというのに。
「お怪我をされていなければ良いのですが」
ツチヤ君は落ち着かない様子で、涙ぐんでいた。彼女が取り乱すのは珍しい。
「彼らのミッションは誘拐です。暗殺ではありません。通信不可の施設に幽閉されていると考えられますので、無理に暴れたりしない限りは、怪我をさせるようなことはないかと」
「
多分。
ネットワーク内で破壊神のように振る舞ってはいるが、妹が直接的な暴力に訴えたことはない。分を弁えている、というより、人と会うことがないため発揮される機会がないだけかもしれないが。
「貴重なカードを切っただけのことはある。妹が動けなくなるなら、その価値はあったわけだ。疑問なのは、どうして誘拐したのか」
「それは……自分たちの罪を軽くするためでは?」
ツチヤ君がハンカチを目尻に当てながら、ようやく顔を上げた。
「違うな。石油王だって命懸けなんだ。自分の身の安全のためなら、殺すのが確実だと判断するだろう。トカゲの尻尾は切り落として、また買えばいい」
「そうすると、ウイルスの作成者が誘拐しろと指示したということですね」
「それが妥当だ。でも、ウイルスの作成者だって同じなんだよ。自分の身を隠すためなら、殺害すればいい。それなのに、わざわざリスクの高い方を選んでいる」
見つかりたくはないが、それは絶対ではない。そんなところだろうか。世界中のαたちを怯えさせ、実際に何人か殺しておいて尚、妹一人を殺さないのはパーソナリティを絞る手掛かりになるだろう。
「実際のところ、この事件での情報を加えたら、犯人像はかなり絞れるんじゃない? AI判定で逮捕状を出せるのは何%必要なんだっけ?」
「国際事件の場合、逮捕は95%、任意で80%です。判定待ちですが、まだそこまでの条件が揃っていません」
「中東の王族が持つ権限に詳しい人間なんてそうはいない。衛星の乗っ取りも、外部に委託したとして、少なくとも誰に委託すればいいのかを把握している。それに誰がαであるかどうかを知っているかだって、一応は個人情報だ。入力できる情報は多い」
「容疑者は世界中にいるのです。今回のような絞り込み方は時間がかかります」
ナイトウが片眼鏡に触れながら答えた。決定打がない、ということだろう。
「それでも、情報が増える一方なら、いずれ特定できるのですよね?」
ツチヤ君が言った。縋るような声だった。十全な情報、登録、手掛かり、事件。それらが揃えば最も確率の高い答えはモニターに表示される。神に祈るよりは、そちらを待つ方が堅実だ。
「希望的観測ではある。何カ月も先かもしれない。分かるのは、今は見つかりたくない、ということ」
何を待っている?
妹を攫った理由は、尋常でない速度で真実に辿り着こうとしていたからだろう。
僕が依頼するまで、妹の行動は制限されていたし、せいぜい僕にヘルメットを贈ってくれる程度でしか関わってはいなかった。
突然現れた異質な存在に、驚いたはずだ。
規格外のジョーカー。想定外のモンスター。
だから、リスクを冒してでも場から排除した。
結果的に自分の正体が明らかになるまでの猶予を縮めようとも、そうしたかった理由は何か。そうすれば間に合う、いや、そうしないと間に合わないからだ。
では、一体何に?
AI判定で特定されるまでの必要情報と所要時間は、シミュレート済なのかもしれない。通信大手のトップを抱き込んでいるなら、非公開のスパコンも使用できるし、何より対応が的確過ぎる。誰に何を伝え、どこを動かせばどう動くかを理解している。
イレギュラーに対する行動で、相手側の輪郭が見えてきたような気がした。
欲しがっているのは時間だ。そこまで長くはないはず。
「妹が、僕を助けてくれた」
見殺しにできたはずだ。そうすれば、財産と権限の一切は妹が引き継ぐことになる。やはり、一々桁を数えなければならない社会価値総額と把握しきれない資産に埋もれた人生なんて、まっぴらごめんだったのか。
「何に基づいてかな」
「代表」
「ごめん、分かってるよ。それぐらいは」
3.1 <家族>は<相互に><愛情>を持たなければならない。
3.1.4 <幸福>を<祝福>し、<不幸>を<回避>すべく、<最大限の努力>を行わなければならない。
【遺言状】規則なんて、破るつもりなら、いつだって破り捨てられる。ペナルティがあるというだけ。妹の言葉を借りれば、罪は罰より先にあるのだから。選択肢はいつも目の前にある。けれど、呪いだとか鎖だとか文句を言いながら、僕は従ってきた。
妹は違う。あいつは最初から捨てている。基本項目も細則も守る必要なんて、どこにもない。ともすれば外部記憶から抹消して、覚えてすらいないだろう。
「行き先を妹が攫われたホテルに変更する。他の予定は全てキャンセルを」
「かしこまりました」
ツチヤ君は畏まって一礼し、作業を開始した。
ナイトウは無言で自分の席に戻り、通信を始めた。
僕はその場にあったリクライニングを倒し、目を瞑った。
無事だろうか。叫び声は出さなかったに違いない。
小さく舌打ちして、工作員たちを睨んだのだろう。
こんな手を使わせるほど、真実に漸近していたのだ。
今の僕には何も見えない。まだ、何も。
* * * *
ツチヤ君は最後まで渋ったが、僕の代わりに仕事をしてもらうため本社ビルに帰らせた。考えてみれば僕の代理として慌ただしい残業生活の最中、日本からニューデリーまで突然呼ばれて、酷いスケジュールのプレゼン作成を渡されたと思ったら殺人事件に巻き込まれ、帰国したその足でアメリカに飛び、ようやく帰還するという長期出張だ。普段から週休3日の7時間勤務という非人道的なスケジュールで働いている彼女でも、流石に堪えただろう。
42階のスイートルームに争った形跡はなかった。
部屋はそのまま保存されている。
現場を仕切る刑事からそう教えられた。捜査権を無理やり公安に移したのを訝しんでいたが、中東連邦の工作員が逮捕されている時点で国際事件に該当する旨をナイトウが説明して、その場は収まった。
「『MA3』による電子器具の破壊活動っていうのは、どういうもの?」
操作レポートに箇条書きにされた記載を見ながら、ナイトウに訊いた。
「部屋全体を電子レンジの中のようにする機構ですね。大抵の電子記録がこれでクラッシュします」
「何か手掛かりになりそうなものは?」
「ゴミ箱は中身ごと持ち去られたようです。メモなどもありません」
妹が座っていたと思われるアーロンチェアからは毛髪が発見されている。バスルームにも使用した形跡は残されていた。確かにここにいたのだ。しかし、今この部屋には誰もいない。置き去りにされたルームサービスは帰らない主人を待って冷めきっていた。
「食事中だったのかな」
「ルームサービスの運搬車から記録を取りましたが、運ばれたのは朝ですね。ずっと中にいて残したままだったので、回収されなかったのでしょう」
テーブルの上を見る。前菜は空、スープスプーンが使用された形跡はあるものの、スープ皿も空だ。記録を見ると、メインは仔羊ショルダーだったらしいが、それも皿しか残っていない。添え物の野菜だけが手つかずだった。料理名はレギューム・ア・ラ・グレックと表示されている。ようはピクルスだろう。
メインディッシュの皿の上には、もういらない、とでも言うかのようにナイフとフォークが直角に重ねられていた。
「何かありましたか?」
「いや、食べかけだな、と思って」
「情報収集に集中していたのでは」
「好き嫌いもしてる」
「普段はなさらないんですか?」
「分からない」
<食事>であれば、妹が残すことはない。だが、このルームサービスは括弧のつかない栄養補給としての食事なのだ。偏食してもいいし、最初から頼まないことだって可能だ。箸を持ち込んだって指摘されない。
「妹がピクルス嫌いなのを、今日初めて知ったよ」
「そうですか」
「どうやら手掛かりはなさそうだ。妹の『クラスメイト』たちなら、何か知っているかもしれないけど、そっちは望み薄かな」
協力したといってもクラック専門だろう。主目的は説明されていないはず。
「スズさんが誘拐されたことで、表向きにも堂々と捜査が行えるようにはなっています。これから合同会議ですので私は戻りますが、参加されますか?」
ナイトウが言った。片眼鏡がライトを反射して光っている。考えてみれば、彼女も撃ち合いから生還したばかりなのだ。僕のような紛い物と違い、本物の公安局員はタフだ。
「僕は、公安局であてがわれた部屋に戻るよ。本社に戻れるならそうしたいけど」
「申し訳ありませんが、現在は解放できかねます」
「だよね。いいんだ、自由じゃないのは慣れてる」
会議で進展があったら教えてほしい、とだけナイトウにはリクエストしておいた。きっと、何も出てこないだろう。そんなに重要なら既に報告され、同期されている。会議まで取っておく必要がない。
公安局に向かう護送車の中で、僕たちは無言だった。
ナイトウはずっと耳の裏に当てて情報の整理をしていたし、僕は宙を見ていた。視界には何もオーバレイされていない。目に映ったものが次から次へと通り抜けていく。
ナイトウは僕がショックを受けていると思っているようだ。僕はというと、ぼんやりしていた。客観的に見ると、そう表現されるのだろう。
妹とは<食事>の時にしか会わない。
お世辞にも仲は良くない。
現状が普段と異なる点は、意志を持って会おうと思った時に、会うことができるかどうかだ。普段だって断られるかもしれないけれど、それでも意志を伝えることはできる。今は伝える存在がいない。
喪失感の正体は、行使したことのない選択肢の不在でしかない。失くしてから惜しくなるなんてバカみたいだけれど、いざ失われてしまえば、かつて在った輪郭を指でなぞって、その大きさを想像するしかない。
どうやら、それは僕にとって、僕が想像していたよりも大きかったようだ。
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