5.2 進まなければならない
ライゼル一家は地上まで見送ると言ってくれたが、エージェントたちの反対もあり、危険が完全に去ったわけではないからと固辞した。エレベータホールで別れて、またいつか、と具体性のない約束をしてから地上に出る。ナイトウが少し遅れて合流してくるのを待ってから、無人のリムジンに乗り込んだ。
「捜査はどうなったの?」
「屋敷の中で見つかるものはないでしょうから、彼らに一任しました。本命はあくまで衛星からの逆探知です。給仕ロボットのコントロールを同時に奪うのは、かなり無理をしたはずですから」
「ああ、言われて思い出してきたよ。危うくハチの巣にされるところだった」
爆ぜた壁の臭いが今になって蘇る。
「2体同時だったのでしょう? よく対処できましたね」
ツチヤ君が感心するように言った。
「戦闘用ではないのもありますが、何というか、途中から動きが鈍くなったような感じがありました」
「コントロールが不十分だったってこと?」
「そうですね。セキュリティ上で主導権の奪い合いをしていたのかもしれません。エージェントたちが発見したのですが、庭園には他にも停止したアンドロイドがいたそうです」
「本当はもっと多くを操るつもりだったということかな」
「その可能性が高いです」
何らかの妨害によって、それが失敗した。だからあの程度で済んだというなら、幸運だったのかもしれない。
「今は大丈夫なの?」
「はい。エリアの通信を全て停止してありますし、直接の襲撃に備えて警護が増員されています」
「なら安心かな。ゆっくり帰るとしよう」
飛行機に乗ってしまえば、またせわしないネットワークに取り込まれることになる。こうした特殊な状況でなければ、仮想的にでも、隔離された自由な一個人として存在できる機会はない。位置情報も、感覚記録も、ヘルスログも、いつだって記録されている。
――ガ…ガガ……ガ……――
振動のような音が、どこかから聞こえた。無人のリムジンは安定した走行を続けていて、道路にも庭園にも人間はいない。
「ノイズ、でしょうか」
ツチヤ君が耳に手を当てる。最初はエンジンの不調ではないかと思ったが、それにしては波長が不定期だ。
「ここですね、キャビネットの中からです」
ナイトウが慎重に手を当てる。座席下にある小物用のスペースに発生源があるらしい。ナイトウがゆっくりと開く。
「何があったの?」
「これは……電話機?」
黒く長方形の塊が取り出される。緑色のランプが点滅していた。
「あ、これ、トランシーバーですね。近距離用の無線機です」
「通信サーバが停めてあるのに動くんだね、ビーコンみたいなもの?」
「名前の通り、
直接通信する仕組みということらしい。昔の人はこんなにも巨大な塊を持ち歩いてやりとりしていたのか、と少々感心した。
――…えますか?
声が聞こえる。ノイズ混じりだが、その声の主には聞き覚えがある。ナイトウからトランシーバーを受け取って、僕が応答した。
「ハロー、こちらオノデラです。体調は大丈夫ですか?」
――ああ、よかった。ありがとう、もう平気よ。
クリスティナ女史だ。この方法なら、ナチュラルの人間でも通信ができる。それにしたって骨董品ではあるけれど。
――貴方のお土産で作ったシリカの料理、頂いたわ。ありがとう。
「あ、わざわざお礼を伝えるために連絡いただいたのですか。恐縮です。全ての野菜が僕の自信作なんです。お味はいかがでしたか」
「最高だったわ。どれも甘みがあって濃厚で。シリカの料理だから少し怖かったのだけれど、貴方の秘書さんがお手伝いしてくれたのね」
ツチヤ君の方を向くと、見えない相手に向けて、小さくお辞儀をした。
――ロイドがね、私のところに走ってきて、どうしても貴方に訊きたいことがあるというものだから、これを引っ張り出したのよ。繋がって良かったわ。確かそこに入れてあったと思ったから。
「ロイド君がですか?」
――いま代わるわね。
クリスティナ女史がそう言うと、トランシーバーの向こう側で受け渡しがあったらしく、ノイズが一瞬激しくなった。
――どうも、オノデラさん。ロイドです。
「こんにちは。さっき別れたばかりだけど」
――あそこにはパパがいたから。
セドリック氏には聞かれたくない質問ということか。何だろう。想像力を働かせてみたが、特に思い当たる事柄はない。宿題を教えてほしい、というなら単独で解決できないかもしれない、というそこはことない不安があった。
――パパの部屋にいたでしょう? あれはお仕事じゃないよね?
「うーん、まぁそうだね。ビジネスじゃない」
僕は口籠る。仕事ならメールやVRで済む。仕事相手なら家族で食事も共にしない。彼の経験から導かれたその推論は概ね正しい。
――パパと何をして遊んでいたの?
ロイド君の質問は予想外のものだった。ビジネスではなくプライベートなら遊びだという二元論的発想は微笑ましいが、そこに正解はない。
「どうしてそれを知りたいのかな」
質問の意図を汲む、という大人の判断で返す。
「教えてくれたら、僕もパパと遊べると思って」
「ああ、そういうことか。普段は一緒に遊べていないんだね」
――うん。僕がゲームばかりしているんじゃなくて、遊んでくれないからゲームや読書しかすることがないんだよ。
ゲームや読書は遊びではないのか、と思ったが彼にとっては違うのだろう。あえて指摘はしない。
何と答えるべきだろうか。
かなりの難問だ。僕は思考を巡らせた。
チェスだとか、ポーカーだとか、適当な事を言うと彼の信頼と勇気を裏切ることになる。かといって、君のパパと世界中の富豪たちを震え上がらせるウイルスの作成者に関わる重要な手掛かりについて話し合っていたと教えるわけにもいかない。
ツチヤ君とナイトウの視線を感じた。
早く答えるべきでは、と急かされている気になる。
ないか。何か適切な、遊びは。
生半可なその場しのぎではすぐに看破されてしまうだろう。
予想の裏を突かなければ。
「……バトミントンだ」
――バトミントン!? パパの部屋で!?
ロイド君が驚いた声をあげた。僕も咄嗟に出た答えに自分で驚いていたので状況は同じだ。
「ちょっと、代表、いくらなんでもそれは」
「他にもっと良い例があったでしょう」
「仕方ないだろ、思いつかなかったんだ!」
トランシーバーの送信口に手を当てながら、車内での非難を躱す。
「遊びに来たとはいったが、君のお父さんとは業務上のパートナーのような関係にある。君は子供だから知らないのも無理はないけど、大人の社会では、身体を動かすスポーツをして親交を深めるものなんだよ」
前世紀はゴルフが主流だったけど、今や時代はバトミントンだ。
僕はそう付け加えた。小さな真実を混ぜ込んで嘘のデティールを固めるのは基本中の基本である。整合性を獲得するために頭をフル回転させながら、フロアや庭園の配置を思い出していく。テニスコートやグラウンドに類するものはなかった。室内で、かつ、非電源系、しかも立体映像でもVRでも実施困難という縛りが成立する必要があった。
――僕もできるようになったら、一緒に遊んでくれる?
「勿論だとも。何なら次に僕が来るときには一緒にやろうじゃないか。ただ、君のお父さんはしばらくは忙しいと言っていたから、来週あたりにならないと無理かもしれないね。しばらくは、こっそり練習しておくといい」
こっそりとね、と強調するのを忘れなかった。
これで時間は稼いだ。少なくとも、来週一杯セドリック氏が多忙なのは嘘ではない。本人が零していた事だ。
――約束だよ。
「ああ、楽しみにしているよ。あ、クリスティナさんに代わってもらえるかな。一応、挨拶を」
――うん。
すぐ隣にいたのだろう、応答はすぐだった。何か押し込めるものを堪えている様子で、楽しそうな声が聞こえる。
――ええ、ええ。そうよね、バトミントン、ね。ふふふ。
「近々伺うことになると思いますので、宜しくお願いします」
――大丈夫ですよ、任せて。秘密特訓しなくっちゃあいけないわね。
良かった。とりあえず味方になってくれるようだ。僕は丁寧にお礼を言って通信を切った。肺に溜まっていた空気を思い切り吐き出して、背もたれに体重を預ける。
「いいのですか、あんな出鱈目なこと言って」
「出鱈目じゃない。バトミントンは世界最高のスポーツだ。大富豪もこぞってやってる。……これから、そうなる」
ツチヤ君は呆れ顔だったが、傘下企業にスポンサーになるよう指示しておきますと言ってくれた。なんて優秀な秘書だろう。
「あの、ネットで調べたらすぐに分かるんじゃないでしょうか」
ナイトウが小さく手を挙げる。
「そうだ、まずい。このエリアの通信制限が切れる前に偽装してSEOをかけないと。急いで戻ろう、すぐにグループと関連会社で大会を企画するんだ。これでWikiの競技人口を書き換えよう。ああ、これ手動運転に切り替えたらダメかな」
リムジンは優雅な速度で飛行機を目指していた。
ネットワークに接続できない状況がこんなにもどかしいと思ったことはない。
到着するやいなや、僕は全力で飛び降り、全力でタラップを駆け上がった。
「急いで! 早く!」
ツチヤ君とナイトウは示し合わせたかのように歩いていた。何を聞いていたんだあの二人は。
「先程、ゆっくり行こうと仰られていたもので」
ツチヤ君はスカートの端を摘まんでたくしあげながら一歩ずつ上る。
「世界情勢は刻一刻と変化しているんだ。そんなことじゃ置いていかれるよ!」
「世界はそっちの方向に進んでいないと思うのですが」
ナイトウはおざなりに周囲を警戒しながら、一歩ずつ上ってくる。
「決まった方向なんてないんだ! 僕たちが進む先こそが未来だ!」
ポジティブな僕の名言が空にかき消え、ハッチは締まった。
* * * *
異変が分かったのは飛行機が発着してすぐだった。
僕はどうなるわけでもないのに飛行機のリラクゼーションスペースをぐるぐる歩き回っていた。生体の通信がオンラインであることをを示すゲージが視界の端に表示されると、考えていたアイデアを怒涛の勢いでメールに流す。最優先はセドリック氏だが、ネットへの工作もスピード勝負で指示する先が多い。ツチヤ君はプライベートルームで作業しているから、同じように忙しくしているだろうと思っていたら、通路扉が開かれた。
ツチヤ君が青褪めた顔で立っている。
すぐ後ろにナイトウもいた。
「代表、落ち着いて聞いてください」
「どうした?」
「スズ様が
何か持っていたら落としていたかもしれない。声は出なかった。言葉の意味を反芻して、ゆっくりと理解する。背中から嫌な汗がじわりと吹きあがった。
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