5.卵生のフルコース
5.1 誘わなければならない
地下1階の連絡通路から本邸の地下へ入ると、ゲストルームの前には今までどこにいたのか分からない数の人間の使用人が集まっていた。主人の無事な姿を確認すると皆一様に喜び、シリカさんから解散を告げられると、危惧していた未来が杞憂に終わったという晴れやかな表情で持ち場に帰っていく。
こうした場合、視覚映像の共有ではなく肉眼で状況を確認したいという欲求が、まだ人間に残っていることに時折気付かされる。無意識のうちに生身の感覚器官で得られたデータが最上位の信頼を置けるものと考えているわけだ。
「お義母さまは?」
「少し疲れたみたいでね、部屋に戻ったよ。カプセルに入るって」
「メディカルケアを受け入れるなら、αも受け入れてくだされば良いのに」
「説得は飽きるほどしたけど、僕たちが現実を受け入れるしかない」
「ママ!」
ライゼル夫婦の話に割って入るようにして、ロイド君がシリカさんの足元に抱き着いた。
「あら、急に甘えんぼになっちゃって。こっちは大丈夫だったから、心配してくれてありがとう」
「でも指を怪我してるし、服も焦げてるよ」
「ああ、これは言ってみれば、名誉の負傷ってとこ」
シリカさんの指には包帯が巻かれていた。白と水色のストライプのエプロンには血痕のような染みが何か所も付着している。
「主成分はトマトソースです」
「分かってるよ。お疲れ様」
ツチヤ君が調理場から戻ってきて、僕の斜め後ろの定位置に収まった。流石というべきかメイド服に一切の汚れはない。エプロンをしたのだろうか。エプロンみたいな服の上にエプロンを着ることになるが、一時的とはいえ彼女にファッション上の妥協をさせるのは中々の偉業といえる。
「この国のエージェントが、あと二十三分で到着予定です。しばらくはIoT型の機械類は使用しないでください」
ナイトウは襲撃後から連絡通路を通ってここに来るまでずっと耳の裏に手を当てたままだった。今も会話をしながら通信を維持している。
「ほとんどですね」セドリック氏は溜め息をついた。
「母だったらオフラインの家電を持っているかもしれない。でも冷蔵庫や洗濯機がいきなり動き出しても大した脅威にならないのでは?」
「中身を乗っ取って踏み台にされる可能性が高いのです」
ナイトウが答えた。バーソロミューがアクセス連携していた電化製品は多かったはずだ。そのルートで侵入して操作を奪ったのだろう。
「購入の前段階で仕込まれていた、ということですね」
「メーカーは統一されていますか?」
「バラバラです。出来る限り自社製品を選んでいるつもりですが、全部じゃない。それに中身の部品までいくと把握は不可能です」
「時間がかかると思いますが、全量検査をお勧めします」
「多分、これからエージェントたちがやりたがるでしょう。まぁ仕方ないか」
ナイトウの質問に物怖じすることなく自然に応える姿は堂に入っている。感心しながら見ていると、背後から何かメッセージ性の高い視線を浴びているような気がしたが無視することにした。
「ね、とりあえずは無事だったんだからさ、難しい話はそれぐらいにして食事にしましょうよ」
シリカさんがセドリック氏とナイトウの肩をぐいぐいと押してゲストルームへ連れていく。ロイド君がそれを追い、僕たちも中に入った。
「そういえば何を作ったの?」
「色々です。シリカ様が最初に全ての野菜を切り刻んでしまったので、大半はパスタソースになりました」
「え、全部を?」
かなりの量があったはずだ。それだけでも重労働である。
「すごくカラフルだったから、色別のソースにしてみたの。赤いのと黄色いのと緑の3色ソースよ。インド料理ってルーの容器が沢山あるでしょう。あのイメージね。パスタを取って、それぞれのソースにつけて食べるわけ」
食卓にはそれぞれ大きな鍋が6種類並んでいた。色味がはっきりと分かれていて鮮やかだ。
「大変ユニークな発想だが、味はどうかな」
セドリック氏が悪戯っぽく問いかけた。顔は少々引きつっている。
「大丈夫! 人間って学習する生き物だから、味付けはツチヤさんとあそこの彼がやってくれたわ。私は演出担当のプロデューサーってとこね」
シリカさんが掌を向けた方を見ると、白い服に身を包んだ中年の男性が頭を下げた。短期間で過酷な労働をしたためか、どことなくげっそりとしている。セドリック氏とロイド君が強めの感謝を込めて労い、彼はそのまま退場した。
「これはお義母さまに持っていってくれる?」
シリカさんが3色ソースを取り分け、人間の使用人に託した。
「ほら、こっちの3色は私たち食べられないんだから、ロイドも沢山食べなさい」
その言葉で3色ソースが2種類で計6種類置かれていた理由が分かった。本当に全部まとめて切り刻んでしまったらしい。ロイド君に渡された黄色いソースの材料は、パプリカと南瓜、あとは卵にクリームあたりだろう。残った分量を見るとクリスティナ女史とロイド君の二人分しか減っていない。ナス科野菜混入ソースは使用人たちが後で美味しく頂くことになりそうだ。
「シリカ様、そのようなことは私がやりますので」
「いいのいいの! 貴女はゲストなんだから、座ってて!」
手伝おうとするツチヤ君を制し、シリカさんはレードルを手離さなかった。その光景を眺めながら、趣味としての料理は振る舞うことがメインの楽しみなのかもしれないな、とぼんやり思う。
「失礼します。生物肉は食べられますか? 培養もございますが」
人間の給仕が僕たちに尋ねた。
「問題ありません。アレルギーなどもないので、あるものは全て頂きます」
これは僕の自慢だ。思想上においても食に制限はない。
「私はαです」「私もαです。アレルギーはこれを」
ツチヤ君とナイトウが同じように答えていく。二人とも内部記憶からローカル通信で使用人に分析表を送った。
食事は滞りなく進行した。括弧の付かない通常の会食は、何をどの順で食べても良いし、目の前の相手も会話をしてくれる。彼らは僕に似ていないし、同じ父性の遺伝子を流用もしていない。骨格も筋肉も人格も有意な類似性はなく、物を口に運ぶ姿を見ても吐き気をもよおすことはなかった。セドリック氏が意図的に話題を誘導して、襲撃の件を遠ざけたのも、平和なひと時の演出に役立っていた。
さっきまで命の危険に晒されていたとは思えない。
それとも、だからこそ食べるのだろうか。
食欲は個体の維持のための原始的な欲求だ。
目の前の赤いソースを見つめると、成分表示と予測カロリーが視界に表示される。大匙一口当たり54kcal。僕が荒野の獣だとして、これが最後の補給なら、この餌場から1キロまでの間に次の獲物を見つけなければ飢えてしまう。そうしてエネルギーを喰らい、次の餌にありつく。動けなくなるまで、つまりは死ぬまで、これを繰り返す。
不老となった生き物でも、エネルギーの供給は必要だ。
三大欲求のうち、自分の遺伝子を受け継ぐ別個体を作る本能とメンテナンス休憩は、文化と技術の発展によって徐々に存在感を失いつつある。いつか外的なエネルギー補給すら必要となくなるかもしれない。
何もかもと繋がり、ずっと存在し、だからこそ触れ合わず、交換しない。
それが、今のところ人類が目指している方向性だ。
それは路傍の石に似ている。
「代表?」
声をかけられて、意識が現実に戻された。
「ごめん、ちょっと考え事を」
「エージェントが到着しました。感覚記録の提示を求めています」
「分かった。アドレスを送って」
視覚・聴覚・嗅覚の外部記憶化されたメモリーデータを、言われたとおりに送信する。彼らはVRで僕たちが受けた襲撃の様子を追体験することになるが、その分だけ時間がかかるし装置が比較的大きめなので、現場では事情聴取が先になるだろう。
ゲストルームと廊下の境目では、ナイトウがエージェントの代表と思しきサングラスの男性とやりとりをしていた。ここから先がどちらの縄張りなのか争っているようにも見える。あの手の人種は職業柄感情を表に出さないのではっきりとは分からないが、お互いから友好的な雰囲気は感じ取れない。険悪なのかと言われると、事務的なだけという気もする。
「事情聴取に合わせて、先程の話を彼らに伝えますか?」
セドリック氏に訊いた。彼の目元は僅かな迷いを帯びてはいたものの、静かに首肯した。
「では、これで懸念事項は解決ですね。襲撃という新たな種は増えましたが、まぁ一つ一つ片付けていくしかない。僕も聴取が終わったら、帰ることにします」
「ありがとう。このような事件に巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」
「気にしないでください。実は、すでに何者かから一度狙われているんです。同じ主体かどうかは不明ですが、あれは僕を狙っての発砲だったかもしれない」
この可能性を、僕は高く見積もっている。バーソロミューを始めとした屋敷内の給仕アンドロイドを暴走させることができるなら、何故いままでやらなかったのか。あの時、あの場所における最大の異分子は、僕の存在だ。捜査を進めるなかでエージェントたちも同様に結論付けるだろう。
ライゼル家に仕込んだ踏み台は、一度きりの使い捨てで、何度も仕込めるわけではない。それなりに貴重な駒だったはず。屋内で一族の誰かを暗殺する目的なら、もっと確実に実行できた。
つまり、あれは僕へ向けた脅しではないか。
だが、何のために。
社会の不満が僕を殺すことはあっても、脅される覚えはない。
「オノデラさんもう帰っちゃうの?」
僕とセドリック氏のやりとりを見ていたシリカさんが残念そうな声をあげた。
「ええ、充実した時間でしたが、仕事も溜まっていることですし」
「全く持ってその通りでございます」
軽い冗談のつもりだったのにツチヤ君が追認した。
「ゲストなんて久しぶりだからさ、泊まっていってほしかったなぁ」
「シリカ、元々私の頼みで忙しいなか来ていただいたんだ。無理を言ってはいけないよ」
「そっかー。あ、じゃあさ、次来るときは妹さんも連れてきてほしいな。確かいらっしゃるんでしょう? 最近ロイドが私の作った服を着てくれなくなっちゃって困ってるの」
「着せ替え人形みたいにされるのは嫌だよ」
椅子に座ったまま、ロイド君が呟く。
「妹ですか。まぁ、誘ってみます」
僕は快く応じた。絶対に成功しないリクエストを受け付けても視界にエラーメッセージは表示されない。社交辞令は実行に移そうとしたときにコンパイルエラーが出る。
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