4.4 入らなければならない
部屋で待つよりは退屈しないだろうという興味本位での行動だったが、ナイトウは護衛任務への使命感からか、その僅かな距離ですら離れてはくれなかった。
「ロイドは中にいるかい」
セドリック氏が道中通りかかった庭師のロボットに尋ねる。
「読書をされております」
「出てくるように伝えてくれる?」
「申し訳ありません。ルームコールを遮断されております」
「やっぱりか、しょうのないやつだな」
結局、5分ほど歩いて離れに到着した。真っ白な壁の簡素な平屋で、3Dプリントで造った避難住宅に似ている。今でも相当の資産が残っているはずだが、息子に財産の大半を譲り渡すまで、一時は世界一裕福な女性と評されていた人間の居住する邸宅とは思えない。
「なんというか、随分と質素なのですね」
正直な感想を述べてみる。地下が基本とはいえ、もっと豪勢に飾ってもよさそうなものだ。
「ここは季節になるとハリケーンが来ることがあってね、上物はこれぐらいで十分なの。1年に1回、スクラップアンドビルドすれば引っ越し気分も味わえるし」
「大胆な模様替えだ」
台風や地震に対する建築の基本スタンスが、いかに持ち堪えるかである僕の国とは少しだけ考え方が違うらしい。
「私はフルバリアフリーに建て直してもらいたいんだけどね」
「あら、あんな何もかもやってもらえる家なんてね、それこそ何も出来なくなってしまうのよ。身体が動くうちは、自分で出来ることは自分でやらなくちゃ」
「そう言って改装を繰り返して、地下がシンジュク・ステーションの構造図みたいになっているんですよ。前に訪日した時、そっくりだと驚きました」
「失礼ねぇ、ちゃんと把握しています」
「絶対嘘だよ。前にロイドが迷子になって出られなくなったことがあったろう」
セドリック氏が呆れた様子で言った。僕の自宅あるいは本社ビルは、どちらかというとクリスティナ女史のようにリゾーム型の発展を遂げているので、肩を持つことができず曖昧に微笑むしかなかった。
「ロイド! お客様と食事にするから、出てきなさい」
玄関前でセドリック氏が父親らしい威厳と共に強く戸を叩いた。しばらく待つと、小刻みな足音と共に戸がゆっくりと開く。
「今、本を読んでいるんだよパパ。いいところなんだ」
「へぇ、難しい本を読んでいるんだね」
背後から見ているだけのつもりだったが、思わず声をかけてしまった。彼が人差し指を栞代わりにして右脇に挟んでいる本のタイトルが見えたからだ。
「そうでもないよ。これは比較的古いから」
そう言って彼が開いて表紙を見せたのは、偉大な物理学者の名前を冠した科学論文誌の紙媒体だった。誇らしげに本を掲げる態度は、どことなく可愛らしい。
「ライゼル博士の私物ですか?」
「ええ、研究資料みたいなものは、みんな国の機関に預けてしまったけれど、スキャンし終わった紙の雑誌や記念品だとかは残してあるの。使わない部屋だから、あの子がよく勉強から逃れてゲームをするのに使うぐらいで、多分そこから見つけたのね」
「さ、本はどこでも読めるだろう。ママが料理を作りたがっているから、一緒に食べよう」
「ええー、前もピザを石窯で作ったけど、ほとんど炭だったじゃないか」
「いや、ほとんどじゃない。あれは炭だった」
セドリック氏は真顔で返した。彼の誠実な人柄を鑑みるに、それはこれから僕たちが食べることになる料理に一抹の不安を覚えさせるものだったが、心中を察したのか慌てた様子で付け加えた。
「まぁ、今回は大丈夫だよ、彼の秘書であるツチヤさんが手伝ってくれるし、アドバイザーとして人間のコックも呼んでおいた」
ツチヤ君は大丈夫だろうか。一通り器用にこなせるのは知っているが、料理ができるかどうかは実のところ未知数だ。炭を圧縮してダイヤモンドが皿の上に鎮座する事態にならないことを祈るばかりである。運命は、助っ人に呼ばれた人間のコックに全て託された。
「セドリック様」
今まで黙っていたナイトウが声を出した。振り向いて彼女を見ると、僕たちが歩いてきた道を見ている。その先に2体のロボットがいた。そのうち一体は、最初に僕たちを案内してくれたバーソロミューだ。こちらに向かっている様子だった。
「あれらは、室内用のキーパーですか?」
「ええ、そうです。変ですね、外に歩く設定にはなっていないんですが」
その瞬間、白い壁が爆ぜた。
認識の直後に、銃撃音が響く。
僕の身体に衝撃が走った。
ナイトウに蹴り飛ばされたのだ。
「部屋に入って! 早く!」
声が聞こえる。咳が出て、視界が回る。
蹴り飛ばされて室内に転がり込んでいたらしく、僕は既に戸の内側にいた。這いつくばって、更に中へと進む。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「なんとかね」
セドリック氏がクリスティナ女史を車椅子ごと抱えて入ってくる。
「サリィは無事?」
クリスティナ女史が言った。サリィというのが、介護用アンドロイドの名前らしい。
「まだ外にいる」
「どうしてバーソロミューが。防衛機能が暴走したのでしょうか」
「分かりません、ハックされたのかもしれない」
再びの銃撃の連射。部屋全体が軋んだ。
「ナイトウ! 無事か!?」
「顔を出さないで! 中にいてください!」
ナイトウの位置は分からないが、右手から聞こえた。囮になって回りこんだようだ。空気が射出される音が連続で発したので、何らかの反撃を試みているのが分かった。
「敷地内の指揮権はどうなっていますか?」
「さっきからアクセスしようとしているのですが繋がらない。敷地の中に防衛機能を備えた機体は他にもいます、全てが操られているならシリカたちも危ない」
「ママが?」
ロイド君が不安げな声をあげる。
三度目の銃撃。窓ガラスにヒビが入ったが、貫通はしなかった。二重構造の防弾仕様らしく、止められている。
「あらまぁ、高いのにしておいて良かったわぁ」
クリスティナ女史は落ち着いた感想を口にした。見た目より肝が据わっている。戸が開き、ナイトウが入ってきた。
「怪我はない?」
「問題ありません。二体とも機能停止しました」
そう言うと、ナイトウは耳の裏に触れた。通信を試みているようだ。右手に見たことのないデザインの銃を持っている。破壊という表現でないところから推測するに電磁銃だろう。
「シリカさんたちが危ないかも」
「すでに撤退したと思われます。通信が復活しました。衛星からの短期的なジャミングだと判定が出ています」
具体的な特定が進んでいる。それだけあからさまな手段だったというわけだ。
「どこの国の衛星か、どこの会社か、分かる?」
「発信源はゴルプレックスの気象衛星です。彼らも乗っ取られたと主張するでしょうから、しばらくは情報戦になります」
「僕にできることは?」
「ありません」
ナイトウは断言した。それきり、彼女は立ったまま、彼女一人の小部屋に閉じこもっているかのように通信を続けた。エージェントとして最大級のパフォーマンスを発揮している時のナイトウは孤高ですらある。
「サリィ。貴女、怪我してない?」
「問題ありません」
いつの間にか介護用アンドロイドが部屋の中に入れられていた。人形のような顔を、クリスティナ女史が皺だらけの手で撫でる。サリィは硬質な表情を崩さないまま、その運動を観察していた。
「誰も怪我をしなくて本当に良かった」
「ねぇ、外が危ないなら、地下からゲストルームに行こうよ。お母さんが心配だし、お兄ちゃんもあのメイドさんが心配でしょう?」
ロイド君の提案に僕は首肯し、セドリック氏も同意する。
「ごめんなさい。私は少し休むわ。心よりも身体が怯えてしまったみたいで」
「大丈夫かい母さん」
「オノデラさん、今日は息子のために来てくださって本当にありがとう。良かったら、これを機にお友達になってくださると嬉しいわ」
「光栄です。僕としても是非、仲良くしていきたいと考えています」
細い腕がゆっくりと伸びる。僕は歩み寄り、クリスティナ女史の手を包んだ。柔らかい皮膚の感触。見た目よりも強い力で、僕の手が握り返される。
「私はもう小さな子供じゃないんだよ」
「あら、何歳になってもね、私からしたら子供なのよ」
ころころと笑いながら、クリスティナ女史は僕の手を離した。
「サリィ、皆を連絡通路まで案内して。私はカプセルで休むから」
「畏まりました」
「一人で大丈夫?」
「ここは私の家よ? 年寄り扱いしないで頂戴」
「何歳になってもね、私からしたら母親なんだよ」
それから全員でエレベータに乗り込み(卵型ではなく旧来のデザインだった)、地下2階でクリスティナ女史と別れた。
「心配だな。サリィ、母さんはちゃんと薬を飲んでいる?」
「イエス。適切な治療を受けております」
「リハビリの回復傾向は?」
「トータルスコア、計画値87%です」
肉体的な限界かな、とセドリック氏が呟く。
「リハビリということは、大きな怪我をされたんですか?」
「2年前にガンを取り除いたんですよ。肺と、転移して何か所か。車椅子はそれからです。α以外の最新治療を余すことなく受けてもらっていますが、100歳を超えてから医療AIが予期しない不具合が増えました」
「ナチュラルであることに、強いこだわりがあるのですね」
「思想というより意地なのかもしれません。説得はもう諦めましたよ」
エレベータを出ると、ほんの少し生物的な臭いがした。発生源は黴、あるいは埃だ。しかし、清掃は行き届いているように見える。地上階は咄嗟の事でよく観察できなかったが、本邸と違い、全体的に物で溢れているために染み付いたものだろう。居住者の歴史と性格は、そのまま建物に反映される傾向にある。
地下2階は物置を兼ねているらしく、エレベータホールの壁を紙の本棚が埋め尽くしているのが特徴的だった。角に置かれた観葉植物としてのサボテンが居心地悪そうに佇んでいる。ロイド君のために用意されたのであろう椅子には、手製のカバーがかけられていた。
「この紙の本は、ライゼル博士の私物ですか? すごい量だ」
「ここに面白い本が沢山あるんだよ。情報は古いけど」
ロイド君が目を輝かせて言った。そういえば昔はそうだったな、と懐かしい気持ちになる。自己という媒体だけでどこでも情報を得られるから、その習慣は失われてしまった。彼が恵まれた環境を維持して信用スコアも思想審査もパスするなら、いずれ同じになるだろう。
僕たちはサリィに先導され、連絡通路の動く歩道に乗った。
天井から浴びるライトと運ばれていく自分の身体は、植物工場の仕組みに似ている。ただ、僕は植物と違って成長もしないし、熟すこともない。腐ることは、あるかもしれないが。
「向こうは無事ってことは、料理が出来てしまっているかもな」
「ちょっとぐらい襲われていた方が、僕たち安全だったかもね」
父と子の総意としての会話は、銃撃と同じぐらい漠然とした不安を僕に与えた。
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