4.3 蹴らなければならない
「父です。アルファード・ライゼルの立体映像が、シン大臣の前に立っていました。何故それが私に見えたのかは分かりません。父はシン大臣を問い詰めていました。自分を殺した理由を覚えているか、と」
「シン大臣がライゼル博士を殺したと?」
「真実かどうかは分かりません。昔、彼は治安維持部隊や特殊な諜報員だったのかもしれない。出世して政治家に転身するのは、よくあることですから」
気が付けば僕は身を乗り出していた。セドリック氏は立ったまま、椅子の背もたれに手を置き、独白するかのように続けた。
「この事は、他の誰にも話していません。治安維持部隊の人間にも、私の国のエージェントにもです」
「どうしてですか。何らかの進展が見込めるかもしれない」
「もしも」セドリック氏が語気を強めた。「もしも、ですよ。あの立体映像が本当に父で、彼が生きているのだとしたら説明がつくのです。α細胞を発明した本人なら、再現実験も成功する。原理を理解しているから、ウイルスの作成もできる」
「落ち着いてください。彼の死亡は確認されているはずでしょう」
「記録なんて当てになりません。いくらでも改竄できます。永遠の命を約束して
僕には判断がつかなかった。立体映像だってライゼル博士の写真さえあれば幾らでも生成可能だ。しかし、セドリック氏が目撃したという立体映像は、ウイルスを作成した犯人についての有力な手掛かりであることは確かだろう。彼にだけ見えた理由はなんだろう。
息子だから?
いや、理由にならない。もしもライゼル博士本人だとして、どうして今頃になって復讐を果たしたのか。疑問が泡のように現れては答えを得られずに消えていく。
「なぜ、僕にだけ教えてくれたのですか?」
ようやく言葉にできた疑問がそれだった。この疑問だけは、確実に答えが得られる。突然頭の中に流れ込んできた黒く粘り気のある液体を掻き出さなければ、すぐに僕というボートは昏い思考の底に沈んでしまう。
「自己保身ですよ」
セドリック氏は自嘲気味に言う。
「もし父が生きているなら、現状を許すわけがない。目的は技術の解放です。それはすなわち、『我々の』キャッシュフローの源泉が止まることを意味する」
だからオノデラ博士の息子である僕に話した。言葉にされて、ようやく理解できた。これは根本的なところで彼と僕の父親像が違いすぎたためだ。ライゼル博士は、どうやら息子から尊敬される博愛の士だったらしい。
「立体映像が本人だったかどうかは置いておくとして、技術の解放が目的なら論文にしてネットに流せば良いはずです」
「混乱を招く恐れがあるからではないでしょうか。自分たちが巻き込まれた時の事が念頭にあるのかもしれない。現実的な判断として、必ず『選別』が始まることになる」
「徐々に解放していくというわけですか? しかし、それは結局……」
「ええ、今と大して変わりありません。おかしいですよね、自分でも考えがまとまらないんです」
今よりも更に人口が減れば、あるいは可能かもしれない。一人一人が有能で真っ当に機能する細胞の役割を果たしてくれるなら、どんな社会システムでも生き続けることができる。しかし、その発想は前世紀に嫌というほど失敗を経験している。
現実的な路線として、その実現は少子化の一途を辿る先進国に限定されるだろう。生死のサイクルを受け入れている、又は受け入れざるを得ない国々での人口が『減らない』状況になれば、エネルギー不足が顕著になる。
「オノデラ氏なら、どうされますか」
「僕ですか」
「もし、あの時に父親の立体映像を見たのが、私でなく貴方だったら」
セドリック氏と僕の立ち位置を逆にして、父がシン博士を問い詰めるシーンを頭の中に思い描く。想像での父の声は、スピーカーから流れる遺言状の解釈問答と同じ、抑揚のない声だった。
「きっと」僕は少し考えてから言った。
「蹴っ飛ばしますね」
セドリック氏の目が見開かれる。ややあって、彼は少し笑った。
「立体映像ですよ」
「立体映像でも、です」
肩をすくめてみせる。
「そうすると思います。なんならドロップキックしてやりたい」
「基本的な事を失念していました。私の父とは、違うのですね」
「ええ、生前に親子らしいやりとりをした記憶はありません。記録上も、その手の動画はないんです。精々、写真だけ。だから、『僕ら』にとっての父親というのは、忌々しい呪いのような遺言状規則なんですよ」
「でも、その反抗で不興を買って、追い出されるかもしれない」
「その時はその時です。晴れて自由の身だ」
実際、妹はそれに近いことをやろうとした。世界のあらゆるシステムにちょっかいをかけて、法的に血筋から追放される寸前までいったのだ。
「強いのですね。貴方は」
「鬱憤が溜まっているだけですよ」
「私は駄目です。多くの人間が私から離れるでしょう。慈善事業や政治への結びつきを強めているのは、私の臆病さの表れですよ。失うのが恐ろしいんです」
「貴方ほど多くを持っている人間はいないのに」
「だからこそ、です。幸福は階段に似ています。高いところに昇れば昇るほど美しい景色を眺めることができる。そして、その分だけ落下した時の衝撃が大きい」
セドリック氏は溜息をついた。背筋を伸ばして、片手を挙げ何かを呟くと、半球の壁面がスクリーンとなって、フロア全体の景色を変えた。見渡す限りの荒野と青空が広がっている。
「エアーズロックの頂上です。少し気分を変えたい。落ち着かなければ、バベルの図書館あたりにしますが」
「いえ、これが良いです。開放感がある」
足元の枯れ草が風に吹かれている。雲の動きも早い。もちろん、それは単なる映像でしかないのだが、まるで本当にエアーズロックの頂上でテーブルを挟んで会話している錯覚を味わうことができた。
「人に話すことができて、すっきりしました。来てくれて本当にありがとう、心から感謝します」
「いつでも呼んでください。会談ということにして、仕事をサボる口実にできる」
「ああ、私もその手を使いたいな。お会いするためにスケジュールを無理に圧縮したので、これからしばらくは忙殺される予定です」
「もし休みたくなったら、今度は僕が呼びますよ」
「お願いしたいですね。シュヴァルツに嫌味を言われるでしょうが、飛んでいきます」
「そちらの秘書も怖いんですね」
「固いんですよ、彼は。頭がガチガチなんです。非公式のサイボーグなんじゃないかなと疑ったことすらあります。研究所でお会いした、ええとツチヤさんか。彼女は優しそうに見えますが」
「いやもう全然。多分彼女は僕を躾のなっていないパンダか何かだと思ってるんです。すぐ皮肉を言うし、ヒステリックだし、交換してもらいたいぐらいですよ」
これを聞かれたら大変なことになりそうだが、幸いにして誰も聞いていない。セドリック氏は紳士なので、漏れはしないだろう。そんな事を考えながらお互いの秘書の悪口を言い合ったところで、地上にいるツチヤ君とナイトウの存在を思い出した。
「今、地上にナイトウという日本のエージェントが来ています。重要な情報であれば共有するためです。今伺った事を話すことになりますが、大丈夫でしょうか」
「ええ、おかげで決心がつきました。私も担当のエージェントに視覚記録を提出します。話していただいても構いません」
それを聞いて僕は少しホッとした。ナイトウの刺すような視線に、耐えきれる自信がなかったからだ。喋るだけなら気楽ではある。
「シリカがお相手をしているんですよね。だったら、今頃は機関車かな。ゲストは珍しいので、振り回されているかもしれません」
セドリック氏は飲み終わったカップをボックスに預けて、エレベータを指さした。上りましょう、という意味だろう。あれはエレベータです、という紹介ではないはずだ。
僕も立ち上がり、再び卵の中へと回帰した。
* * * *
上昇するエレベータの中で、僕たちは並んでいた。不思議なもので、こうした場合、対面で向かい合うということはない。もちろん縦列にもならない。二人しかいないのに、顔を合わせず、横に並ぶことになる。このフォーメーションは打ち合わせも、誰かに教えられたわけでもなく、自然とこうなるのだ。
「奥様は色々やられているみたいですね。油絵が飾ってあるのを見ました」
「中に飾ってあるのは、ほとんどがシリカのものです。庭の彫刻もご覧になったでしょう。あとは楽器と、作詞作曲、服のデザインと、陶芸に、サロンの会員向けにエッセイも書いている。先月はジュエリーを作っていました。ブランドの立ち上げをする度に、私や息子がCMに引っ張り出されるので大変ですよ」
柔らかな表情だった。家族に向ける愛情とはこういうものかと、少しだけ後ろめたい気持ちが燻ぶる。
「そういえば、息子さんの絵も飾ってありましたね」
「あれは、ロイドが3歳の頃に描いたものです。最近、恥ずかしくなってきたのか外してほしいと頼まれましたが」
「恥ずかしいものなんでしょうか」
僕には分からない。その経験を得る機会はなかった。
「そういうもの、なんでしょう。シリカも私も意地でも外しませんが」
思い出は素晴らしいものですから。セドリック氏はそう言って二本の指を広げてエレベータの壁の一部をスクリーンに変えた。卵の内側に映し出されたのは、セドリック氏と赤毛の女性と幼児の視覚記録だった。多分、シリカさんと息子のロイド君だろう。セドリック氏の外見年齢は、今と変わらない。息子だけが研究所で見た彼よりも幼かった。
「最近はレトロゲームに夢中で、私たちに構ってくれないんです。連れ出そうとすると、母のところに隠れてしまう。研究所に行く時も、母が行くなら一緒に行くと言ってついてきたんですよ。我々が外出ばかりしているから、お婆ちゃん子になってしまって」
「研究所でも、ハードを持っていましたね」
「インプラント手術まで、あと5年は必要です。それまでは旧式で我慢してもらうしかない」
「子供に入れるタイプは認可が下りないんですか?」
この分野について、僕はほとんど門外漢だ。事業投資はしているが、専門知識はない。インプラントの開発は、ライゼル一族の、つまりはこの国の主力産業で、大人になれば固有な主義を持たない限り、ほぼ全員が埋め込んでいる。
「理論上は可能だとデータを出されましたが、私が拒否しました。脳の発達を阻害する危険性が排除できないし、なんというか、ナチュラルな成長をしてもらいたいのです。自分と同じように体験して、似たような悩みを抱えて、それから大人になってほしいんです。エゴかもしれませんが」
「お気持ちは理解できます」
僕やセドリック氏のように、今インプラントを入れている人間は、開発が始まった時点で十六を超えていた。物心ついた時から思考や感覚がネットワークに接続されているという経験はない。そうやって育った子供が、何を感じて何を感じなくなるのか想像もつかなかった。
「紛争地域ではもう実例がありますし、そのうち他の国から成功事例が出てきて認可せざるをえなくなるのでしょうね。想像がつく。年寄りだらけの国にも、案外弱点があるものだと近頃はよく思いますよ」
卵が割れ、今度はヒヨコが二匹になって地上へ出た。
セドリック氏の先導についていく。部屋ではなく玄関ホールのようだ。迷いがないところをみると、敷地内の人間の位置が把握できるのだろう。
「シリカ!」
セドリック氏が大きく叫び、手を振る。その先に人間が5人いた。ナイトウとツチヤ君、車椅子に座っているのがクリスティナ女史で、後ろに介護用のアンドロイドが立っている。残りの一人、ウェーブのかかった赤毛の女性がシリカさんだろう。それにしても、一人だけメイド服なのは本当に目立つ。
「きゃぁあ!」
甲高い声が響いた。よく見るとシリカさんは何かに乗っている。バランスを慎重に取りながら徐々に近づいてくる乗り物に、僕たちも接近する。距離が半分になったところで、それがホバーボードだと分かった。2メートル平方の板で、人間が乗ったまま浮いて移動できる代物だ。エネルギー効率は歩いたほうがずっと良いので、工場以外では遊びでしか使われていない。
「ハロー、ダーリン」
「楽しそうだね」
「すっごくね! さっき三人で乗ってみたんだけど、バランスがすっごく難しいの! 重心を誰も把握できないから、どうやっても揺れるわけ」
僕が重大な話をしている間にそんなことしてたのか。
顔を見てやると、ナイトウはバツが悪そうに小さく咳払いした。ツチヤ君は素知らぬ顔で立っている。何かございましたか、と言わんばかりだ。
「あ、貴女がオノデラさんね。ハロー、ええと、『こんにちは』。シリカ・ライゼルです」
ホバーボードから降りて彼女と握手する。自動翻訳があると知りながらも一部を日本語で発音してくれたのは、彼女なりのサービスだろう。僕も一応英語で返答する。
「貴方のお土産、気に入ったわ。それが特別な理由も、とってもクール。実は最近ね、料理に凝っているの。自分で食材を選んで、自分で調理するわけ。あれって一種の総合芸術よね」
「そんなこと言って、袋を開けた時には悲鳴を上げていたのにもう忘れたの?」
「ああ、もう! お義母さま、言わないでって言ったでしょう!」
先にパプリカの袋を開けたんです、とツチヤ君が耳打ちで教えてくれた。
触れる程度では何ともないのだが、やはりαになる手術を受けている人間にとっては悪魔の食べ物とみなされるらしい。今、ナス科野菜詰め合わせの紙袋はクリスティナ女史の膝元に収まっていた。
「こっちは私と孫が頂くわ。ありがとう、とても美味しそうね」
目を細めて、クリスティナ女史が笑顔をみせてくれた。
「是非どうぞ。世界中の金持ちが食べることを許されない最高の贅沢です」
「この世界へのせめてもの反抗というわけね」
「そういうものが、一つぐらいはあっていいと思いまして」
僕の二重螺旋ビルを彩るパプリカたちは、そんな些細な漠然とした嫌がらせだけのために作っている。
「素敵だわ。ええ、そうですよ。うんと美味しそうに食べて、羨ましがらせてみせますとも」
「母さん、ロイドはどこに?」
「あの子なら、離れにいますよ。お姉さんたちが来たから、引っ込んでしまったの。読みかけの、紙の本があるといって」
「地下?」
「いえ、私の部屋だと思うわ」
「これから食事にするから、呼んでくるよ。シリカはその間に、準備をしておいてくれるかい?」
「オッケー。あ、お義母さまの家まで行くならホバーボード貸そうか?」
「遠慮しておくよ。転んで怪我するのがオチだ」
面白いのにー、とシリカさんが口を尖らせる。
それから腕まくりをして、料理への意気込みを語ったところで、ツチヤ君が手伝いを申し出た。熊ぐらいなら素手で倒して鍋にできるという噂があるぐらいだから、やはり料理ができるらしい。あの噂は真実だったのかと感動する思いである。
そんなことを考えていたら、横から視線を感じた。ナイトウだ。
会談の内容はどうだったのかと目で主張している。
「食事の準備で待つだろうから、そこで内容を教えるよ。許可は取ってある。セドリック氏も、彼自身でエージェントに伝えるから、そちらとも連携をしておいて」
「分かりました」
口角が数ミリ上がった、ように見えなくもない。
おおよその流れが決まったところで、シリカさんとツチヤ君は屋敷に戻っていった。地下1階にゲストルームがあるのだそうだ。
僕、ナイトウ、セドリック氏とクリスティナ女史は、四人でロイド君を呼びに行くことにした。クリスティナ女史の後ろには介護用のアンドロイドがついていたが、1人と数えるべきかどうかは、個人の主義による。
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