4.2 聞かなければならない

 ライゼル家の本邸は森の中にあった。


 周辺は山で囲まれていて、屋敷と滑走路を除けば、上空から見ても人工物の方がずっと少ない。必要なものは向こうからやってくるから、これで十分なのだろう。セレモニーの出席などでの肉体的な移動ロスはどうしているのか、という点だけが疑問だった。文化的に立体映像での出席が認められる割合が多いのか、意志によって認めさせているのか。是非参考にさせてもらいたいところだ。


 飛行機を降りると、接近してきたリムジンの扉が自動で開いた。無人車だ。石造りの正門までの道のりにも人間は一人もいない。木々のざわめきと鳥の鳴き声だけが聞こえた。鳥の姿は見えなかったので、環境音も人工かもしれない。


「あの人は、多分人間かな」


 麦わら帽子を被った男性が球体を象った植木の手入れをしているのが見えた。アンドロイドと人間の区別は比較的簡単で、動きが綺麗すぎるのがアンドロイドだ。


「ロボットの可能性もあります」


 ナイトウが指摘した。それを言うなら神様やゾンビの可能性だってあるが、極端な例を挙げるよりも常識的な意見の方がナイトウには有用だと、短い付き合いの仲で僕も分かってきた。


「ロボットなら人型にする意味が薄い」

「完全に無人というわけでもないのですね」

「少ない方だとは思うけど、制御士は必要だよ。リモート用の仕事場が近くにあると思う」


 通路の両サイドには銅像が不規則に配置されていた。見つめてみると、ギリシア神話の登場人物たちだと分かったが、次の銅像は昆虫学者のものだった。検索で判明するということはモデルがあるのだろうが、どうも趣味に一貫性がない。


「あれは、レールでしょうか?」


 反対側の景色を眺めていたツチヤ君が言った。振り返って視覚をズームにすると、森の中に枕木と線路が見えた。ところどころ盛り土もある。工事中と思しき箇所が多い。


「線路幅が狭いから、模型を走らせているんじゃないかな」

「この敷地を一周するとなると、事業と言える規模ですよ」

「あの、何のために走らせるのでしょうか?」


 ナイトウから発せられたのは、あまりにも素朴な疑問だった。


「そりゃ、遊ぶためだよ。蒸気機関車とか、昔の鉄道を走らせるわけ。パーツを3Dプリントで出して組み合わせたり、エンジンを繋いだりして」

「なるほど」


 相槌は打たれたが、理解はできないという顔だ。蒸気機関車に乗って喜ぶナイトウを想像してみたが、翼を携えた白馬のように空想上の存在でしかありえないなと思って止めた。現実に見たければ遺伝子操作が必要だ。


「多分、ライゼル氏か、彼に近い人の趣味だね」

「お子様のものでは?」

「子供はああいうもので喜ばないよ。喜ぶのは大人だけ」


 ノスタルジィに価値を見出せなければ、不便さを尊ぶことはできない。もっとエキサイティングなものは他に幾らでもある。


 玄関前の広場でリムジンが止まった。外に出ると、入り口前に一人の女性が立っている。瞳が緑色で、肌はセラミック。アンドロイドだ。


「ようこそいらっしゃいました。バーソロミューと申します」

「よろしく」


 黒いロングスカートに隠れて見えなかったが、足はボールホイールだった。内部は不明だが、外見は旧型だ。等速の動きで僕らを先導するバーソロミューについていく。ロビーを埋め尽くす深紫の絨毯の先に、大きな卵のような形のエレベータがあった。予想通り、屋敷の中心に位置している。設備の大半は地下に埋まっているのだろう。


「あれはライゼル氏が描いたものですか?」


 僕は一枚の絵画を指さした。屋敷の窓から、外の森を描いたものだ。ロビーの壁に両脇に飾られた絵は、大半が油絵の風景画だった。一枚だけ、明らかに小さな子供が描いた絵もある。抽象度が高すぎて判然としないが、5人が笑顔で描かれていることだけは分かる。子供が描いたとして、ライゼル夫妻に、クリスティナ女史。最後の一人は髪の青さで分かった。車椅子の後ろにいた介護用のアンドロイドだ。


「あれらはシリカ様が描かれたものです。旦那様が絵を描いたことは、私の記録する限り一度もありません」

「シリカ様というのは、セドリック氏の奥様?」

「イエス」

「ひょっとして、森の中の鉄道もシリカさんのもの?」

「イエス。シリカ様が整備されています。シリカ様が許可なされば、ゲストの方は、シリカ様が運転する鉄道に乗車することが可能です」

「へぇ。許可が下りる可能性は、どれぐらい?」

「およそ98%です」


 シリカ・ライゼルという名前は、ライゼル一族が支配するホールディングスや公共法人の役員名簿で何回か見たことがあったが、人となりについて知るのはこれが初めてだった。性別も外見も分からないが、少なくとも趣味人のようだ。


「オノデラ様がお乗りください。お嬢様方は、奥のゲストルームにてお待ちください。後でシリカ様とクリスティナ様がいらっしゃいます」


 呼ばれたのは僕一人だったので、ここで別れるらしい。


 それにしてもAIがどういう判定で二人を「お嬢様」と呼んだのだろうか。僕のイメージするお嬢様像とはナイトウもツチヤ君も完全にかけ離れている。


「何か?」

「いや、ごめん、なんでもない」


 思わずナイトウとツチヤ君を交互に見てしまい、笑いを堪えた。


「それでは代表、しばらくの間、失礼いたします」

「公共性の高い情報である場合は、公開をお願いします」


 二人の挨拶をあとにして、大きな卵のようなエレベータに乗り込む。ひび割れをイメージしているのか、左右に開く扉はギザギザだった。階数表示のボタンは最初からB10が灯っていて、勝手に動き始める。初めに感じられたゆったりとした加速度が徐々に消えていき、今度は逆向きになって、止まった。


 ヒヨコになった気分だ。ヒヨコよりは確かな足取りで、見たことのない階層への一歩を踏み出す。


   *   *   *   *


 ギザギザ扉の外で、すぐにセドリック氏が出迎えてくれた。というより、そこはすでに彼の部屋だった。フロアが丸々自室なのだ。半径20メートル程の半球形の空間で、柱は見当たらない。壁面全体がスクリーンになる設計は、劇場型のアトラクションなどでよく見かける。


「ようこそ来てくださいました。こんな田舎で驚いたでしょう?」

「いえそんなことは。僕も早く解放されて、こういうところで暮らしたいですよ」


 これは半分本心だ。ただ、そこまで俗を捨てきれないから、きっと数日で飽きてしまうだろうという予感はしている。


「私はこの国では嫌われ者なのでね、都市に居を構えると不都合が多いんです」

「そんな」僕は笑った。ジョークだと思ったのだ。「貴方ほどの社会価値を提供している人間は、他にいないのでは?」


 セドリック氏は名実共に、この国最高クラスの富豪だ。この社会において、それはイコール社会価値総額におけるハイエンドな貢献者であることを意味している。


「社会の価値と人間の価値は違うということです。生き続けられない人間からすれば、当然の怒りだ。オノデラ氏の国では違うのですか?」

「うーん、僕はまぁ、あまり人と接する機会がないので」


 わざと言葉を濁した。そういう勢力や団体が存在することは知っている。だが、他の国に比べればマイナーであることは否めない。自己責任を標榜したがる政治家のせいなのか、情報統制なのかは判然としないし、深く考えたこともなかった。


 促されるまま穴の開いた卵型の椅子に座った。エレベータのデザインといい、卵が好きなのだろうか。


「何か飲まれますか?」


 セドリック氏が片手を挙げる。乳白色のボックスが近寄ってきて、メニューを表示してくれた。


「では、オレンジジュースを」

「私も同じものを」


 声に反応して、ボックスの排出口にカップが二つ置かれ、オレンジジュースが注がれていく。お互いに手に取って、何も言わずに口に含んだ。適度な酸味が乾いた喉を潤してくれる。


「多分、このジュースみたいなものなんですよ」

「ほう」

「このオレンジジュースは、高級品ですよね。マーケットで安売りされている大量生産品とは違う。栄養も品質も厳重に管理されているから、健康に貢献する度合いが他のオレンジジュースより強い」

「ええ、確かにそうです」

「でも、一般的な価格の3倍だったら買う人は少ないでしょう。そして、その選択の差は食品だけでなく、学習環境だったり、傷病保険だったり、スポーツジムの会員になるかならないかだったりするわけです。そんな物事の積み重ねが、健康寿命に正比例することなる。結果的に、裕福さで命を買っていることは、α細胞でもオレンジジュースでも違いはない」

「理屈は分かるのですが」セドリック氏はオレンジジュースを一気に飲み干した。「そこまでシニカルな判断を、満たされていない側の人々は受け入れないんですよ。だから毎週、本社前でデモが起きる」


 言葉ほど、うんざりしている様子はない。セドリック氏の青い瞳は、フラットに事実を観察する経営者のままだった。


「その事実を前にして怒るか、受け入れるかの違いが、国民性なんでしょう。空気というか、雰囲気かな」


 セドリック氏の国では、自らの主張を明確にすることが、一人前の成人であるという認識が昔から根強い。勿論、それは当たり前のことではあるのだが、僕の国においてその能力は「空気を読む」に代替されている。


「それでも、反応がどうあれ、根源的な欲求は同じです」


 セドリック氏は空のカップをテーブルに置き、足を組んだ。


「誰だって生き続けたい。いや、死にたくはない、という方が正確かもしれないが、生命としてのプログラムが、我々にその意思を持たせている。金持ちも貧乏人も、同じ生命体だ」


 僕は黙って、話の続きを促した。話の核心に近づいているという実感がある。


「我々にとって父親というのは、プロメテウスのような存在だと思います。彼は天界から盗んだ火を人類に与え、繁栄を促した」


 庭園にあった銅像にギリシア神話の神様がいたことを思い出した。名前はもう忘れてしまったが、並んでいる中にいたのかもしれない。


「確か、火を盗んだ罰として、プロメテウスは山頂に磔にされて、鷲に肝臓を啄まれる責め苦を負うんですよね。でも、不死だからずっと苦しいまま」


 どこで読んでのか思い出せないが、エピソードだけは記憶に残っていた。無意識のうちに思うところがあったことを認めざるをえない。


「似ていませんか?」

「僕たちの父親は不死ではなかったし、磔にされて責め苦を受けているのは僕たちだ。神話より酷い」

「かもしれません」


 セドリック氏は苦笑していた。あんまりだ、と自分でも思ったのかもしれない。


「大きな岩を山頂に乗せろと命令されているのに、乗せたら転がり落ちてしまうので何度も繰り返し運ばなければいけない話も、プロメテウスでしたっけ?」


 連想して浮かんできたエピソードだが、こちらの詳細は随分と抜け落ちていた。


「そちらはカミュですね。『シーシュポスの神話』です。こちらも神の怒りを買って受けた罰だ。そちらの方がイメージに合いますか?」

「どちらも、神の怒りを買ったのと、罰を受けているのが同一人物という点では救いがある」


 繁栄としての火を与えたと言い切れるほど、僕はα細胞を真っすぐに称えることができない。火は文明であり、戦争でもある。だから神様は怒ったのだろう。勝手なことをしおって、と。


「α細胞の技術は」


 彼の声は真剣だった。


「我々の父親たちが作り出したこの技術は、万人に開かれたものだったはずです。国際的なルールで保険適用外になったのは、後付けの措置に過ぎない」

「全ての人間が『生き続ける』ことを事実上禁止したのは、合理的な判断だと思います。ルールの内側で守られている人間の勝手だと言われるでしょうが」


 このルールこそが、僕とセドリック氏の富を絶対的なものにした。


 一身専属の特許権ではなく、再現不可能な技術の独占的処置を行う団体という圧倒的な利権構造は、一介の研究者に過ぎなかった父親たちの発想では到底達成しえない。せいぜいが面倒な遺言を残すぐらいが関の山で、法的な対応など思いつきもしなかったはずだ。僕たちを供物として歪んだ社会構造を維持し続けているのは、外ならぬ社会そのものなのである。


「ですが、何故いまその話を?」

「お呼びした理由に、関係があるからです」


 セドリック氏が立ち上がり、耳の裏に触れた。


「この部屋に追加で妨害をかけました。盗聴器でも音波測定でも、会話を盗み聞くことはできません。ネットもそれ自体を遮断してあります」


 セキュリティへの自信に、妹の顔が浮かんだ。完全に独立した情報は情報とは呼べない。そんなような事を言っていた。この状況でなら僕かセドリック氏から直接聞くことができる。それこそがセキュリティホールと言えるだろう。


「最初に謝らなければならないことがあります。講堂でオノデラさんと議論したとき、私にはまだ決心がついていなかった。だから、犯人像をミスリードするため、嘘をつきました」


 天才たる犯人像の推論は、あれ自体に違和感を覚えないものだった。


 セドリック氏の本心からくるものではなかったとすれば、他に何かあるのだ。


 僕たちの知らない何かが。


「シン大臣が倒れた時、あの場にはもう一人いたのです」


 僕は思い出す。落ちたワイングラス。呻き声。彼は虚空を見つめて怯えていた。


「私は彼と同じものを見ていました」

「何が見えていたのですか?」


 セドリック氏を見る。彼も僕を見ていた。フロアに生きている存在は僕たちだけだった。発した声は広い空間に吸い込まれるように消え、何も反響しない。やがて決心したように息を吸い、セドリック氏は言った。

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