3.4 掛けなければならない

 帰りの道のりはスムーズだった。


 寝ていたからだ。


 潰れたカラスのような機体には両手を伸ばす余裕さえなく、通信の遮断とイヤホン付きアイマスクを装着されていたせいで、それぐらいしかすることがなかったのである。あんなに狭苦しい場所で、元の乗組員は平気だったのだろうか。明らかに、人間の存在よりも構造上の性能が優先されていた。もっとも、現行機では人間が乗るスペースが存在しないので、払下げの軍用機としては極めて正しい方向性をもったデザインといえるのだけれど。


 降り立ったのは軍の基地らしいことまでは推測できた。イヤホン付きアイマスクは臭いまでは遮断しない。機体が多いせいで、独特の鉄臭さがある。オートチェアに乗せられて運ばれながら、揺れと加速度から建物の構造もおぼろげに描くことができる。


「お疲れ様でした。私共の不手際で予定が変更になり、申し訳ありません」


 アイマスクが外されると、課長のオサダが対面に座っていた。右手には研究所に残ったはずのチョウ博士も座っている。


 どちらも現実の存在ではない。立体映像が座標を合わせたソファに腰掛けていた。見回してみると、僕が初めて会話した部屋と同じ造りだった。ソファもテーブルも壁紙も同じものを使用している。こういう部屋が世界中にあるのだろう。


 僕の隣にはツチヤ君も座っていたが、オサダは彼女の奇抜なファッションを見ても眉一つ動かすことはなかった。事前にナイトウが報告していたのだろう。そうでないとしたら、驚愕の胆力というしかない。


「あれは想定外の出来事だったはずです。僕からすれば、比較的気楽なサンプルの採取が終わって仕事を終えた気分だったので、人体実験のフェーズまで行かなくて助かりましたよ」

「全くですねぇ、実に残念」


 チョウ博士が心底惜しいという様子で拳を握る。勘弁してほしい。本当に。


「シン大臣が襲われたのは、ウイルスの抗体作成を遅らせるためだったのでしょうか。非効率かもしれませんが、結果的に僕やライゼル氏は帰国していますし」

「原因は調査中です。そういえば、意識を失う直前に何か呟いていたのを聞き取られたということでしたが」


 オサダが目線を落とした。僕がいる部屋のテーブルには何もないが、あちらにはボードがあるのだろう。


「何と言っていたのですか」

「確証はないのですが」僕はシン大臣の最後の姿を思い出す。

「公共のため。イッツ、フォ―、パブリックと聞こえました。パープルやパプリカかもしれないんですが、それだと訳が分からないので、公共や大衆という意味だと思います」


「なるほど」オサダは頷き、こめかみに触れて目を瞑った。思考筆記だろう。僕との会話も、恐らく動画で記録されている。


「彼の秘書も、グラスが割れた直後から大臣の様子がおかしかったと証言しています。誰かとコールしていたか、メッセージを強制的にオーバレイされたか。多分いずれかでしょう」

「ルータに記録は?」

「ありません。あそこは基本的に独立型ですし、外部からだとしても、不審な通信は補足できます」

「なら、内部の誰かがダイレクトにデータを送ったのかな」


 ツチヤ君に聞いてみる。喋りたそうな顔をしていたからだ。


「そうとも限りません。ARのポップアップぐらいでしたら、私でも仕込めます。それに、あらかじめシン大臣のインプラントにタイマセットしておくことも可能です」


 違法ですが、とツチヤ君は付け加えた。表現方法はどうあれ、通信手段は大臣自身が持ち込んだ可能性もあるという説はオサダの興味を引いたらしく、彼の中でツチヤ君の評価が上がったのが分かった。


「殺された方法は、やはりウイルスでしたか?」

「ええ、そちらはほぼ確定だそうです。首筋に特殊な針が刺さっているのが判明しています。実行犯はまだ不明です」


 オサダは明言を避けたが、位置関係からして秘書のうちの誰かだ。推測が容易なだけ、隠す気がないことが分かる。そして、実行犯が分かったところで、直接指令を下した人物まで辿り着くことはないだろう。


「状況からして、給仕ロボットで注意を逸らしてから犯行を指示して、意識が朦朧としている大臣にデータを送ったという順かな」

「心拍数や脳波を遠隔で測定できる機材が豊富ですからねぇ。やろうと思えば、現地調達も可能ですよ。機構的には似てますから」

「現場で機材を勝手に持ち出したら分かるんじゃない?」


 チョウ博士の言葉にナイトウが反応する。


「うーん、正直なところ、測定データには正確さを求められますが、測定する機材の方には求められないので。そのあたりは雑なのですよねぇ。ターヤさんも謝っておいででしたよ。仕方ないんですよねぇ、科学者の性質ですよ」

「個々人の短所を安易に一般化すべきではないと思うけど」


 ナイトウは腕組みしてチョウ博士を一瞥すると、やがて諦めたように溜め息をついた。


「まぁ、そう苛立つな。任務は想定外に終了したが、成果もあった」

「実験は、途中で終わってしまったのでは」


 オサダの言葉にナイトウは顔を上げた。丁寧な口調だったが、会議の前に聞いていないという若干の責めを帯びていた。


「これは、あまり大手を振って成果だと公言しにくいのですがねぇ」

「どういうこと?」

「大臣がウイルスで倒れたわけですからねぇ。純粋に科学的な観点からいえば、特大の材料が手に入ったわけですよ。倫理観や損得を抜きにすれば、失敗や悲劇は貴重なデータですからねぇ、積み重なるほどに進歩するわけです」


 チョウ博士が上機嫌な理由はそれか。


 僕はそこでようやく理解した。だから残ったのだ。ライゼル氏と僕がいなくなっても、問題が生じない。それだけ貴重で新鮮なサンプルを得られたから、帰国の指示が出た。


「ですので、抗体の作成は予想より早まるでしょうね。細胞の仕組み自体も、オートファジーの特異説がより有力になりました。よりミクロなレベルで相互干渉を起こすわけです、昨日試したところによ」「実験報告はレポートにまとめてくれればいいから」


 饒舌になり始めたチョウ博士をナイトウが止めた。


「どうも、ウイルス作成側はこの技術に頓着していないように思えますね」

「ええ、それは各国とも一致した見解です。被害者にしても、α細胞の使用者が、ピンポイントで狙われていて、いずれも古い人間です。きちんとした傾向と意図がある」

「私怨を持つという事は、単独犯でしょうか」

「関わっている人数は多くないと思われます。最低限、ニューデリーの研究所と同等の設備や研究チームを個人で有することのできる人物かと……」


 ひょっとして、当初は僕も容疑者の一人だったのではないか。そんな疑念が頭をよぎった。数週間の観察期間を経て、疑いが晴れたのかもしれない。オサダが口ごもった裏にある意味を、僕は何となく想像することができた。それは彼の仕事なのだから、特に思うところはない。


「被害者の過去を繋げてみれば、犯人像が浮かび上がるんじゃないですか?」


 当然、その程度の事は考えているだろう。質問の意図は、何故未だに浮かび上がらないのか、という点にある。


「時代が古すぎるんです。半世紀以上前ともなると、記録が曖昧で、しかも要人や我々の様に特殊な機関に所属していた人物となると、情報の受け渡しが国同士の条約に引っかかる場合があって、まぁ、なんとも面倒なんですよ」


「大半が権力者ですから、最初の事件以降、ウイルスで死んだのか、メンテナンス不備で倒れたのか、たんに隠れているのか、公にならないケースが増えています」


 オサダとナイトウの声にはやるせなさが籠っていた。機密レベルが高いと、情報収集もAI任せというわけにはいかなくなる。ちょっとした揺らぎや機微の補足よりも、直接的な交渉事が増えるためだ。その弊害を直接被っているのだろう。


「これだけの規模で各国の情報機関が連携し合うのは初めてというのもあって、足並みが揃っていないというのが現状です。一部の国からすれば、絶対的な貧富の壁への亀裂です。逃す手はない」

「もうずっと、表向きは平和でしたからね」


 小競り合いを除けば、戦争という紛争解決手段は忌避されるようになっている。これは先進国の人口減によってエネルギーの大量消費が望まれなくなった結果であり、つまるところ、割に合わなくなったのだ。


「ですが、手詰まりということはありません。相手側からの動きが増えるほど特定は容易ですので、対象は徐々に絞られつつある。富裕層へのパンデミックを引き起こすつもりがないのであれば、時間的猶予もあります」


 愚痴めいた状況報告ではあったが、オサダは前向きな態度を崩さない。そうでもしないと、公安の課長なんてやってられないのかもしれない。


「それで、これから僕はどうすれば良いでしょうか」


 ようやく本題だ。咳払いをして、椅子に座り直す。


「ニューデリーの方での進捗を見て、段階的に解除になるかと思われます。一週間といったところかな。クロムさんの存在の重要性を踏まえれば、一応、この事件が落ち着きまでは何らかの形で保護を継続することになるかと」


 オサダがチョウ博士を見た。


「大体それぐらいですねぇ。そこにいた方が良いと思いますよ、身の安全を確保できます。基地内は核シェルター並みですし」


 そう言われると、悪くはない気もしてくる。名目上、危険から已む無く退避しているのだから、仕事も会議も出席せずに済むだろう。


「いえ、代表の身の安全は私どもが守りますので」


 そんなことを考えていたら、僕が答える前にツチヤ君が掌を前に突き出した。


「でも、核シェルター並だってさ」

「核シェルターなら五か所もお持ちでしょう」

「そんなに持ってたっけ?」

「夜中に不安になる度に建設を指示なさるので、増えていくんです」


 覚えていないのですかと呆れられたが、記憶になかった。二か所ぐらいだと思っていた。自分の総資産額は大まかに把握しているつもりだが、固定資産の詳細までは諦めている。


「忘れかけていましたが、そういえばクロムさん大富豪でしたねぇ」

「そうでもないですよ。規模ならライゼル一家の方が上だと思います」


 世界中の金持ちが生き続けるためのコストが、僕とライゼル氏の一族に吸収されているが、僕の個人的な主義で国政に絡もうとしていない分だけ、嵩が増えない。代わりに運用率はこちらが上だ。


「よっぽど僕に仕事させたいらしいね」

「お言葉ですが【遺言状】の条項に」

「分かってるよ」


 ツチヤ君の言葉を遮って、椅子に背をもたれた。そう、これは義務だ。僕が僕であり続けるための規定であり、呪いだ。


 目を瞑り、条項数を思い浮かべるだけで、自動的に浮かび上がってくる。空間に刻まれる文言は、まばたきしても指先でフリックしても消すことができない。

 

2.3.3 <公共の福祉>を<保全>するべく<努力>を惜しまず、<積極的な対処>を行うこと。


 このままシェルターに閉じこもっていたら、該当する可能性が高い。解釈を委員会にかけている間に大きな事件に発展すれば、そこでアウトだ。手段を持ちながら何もしないことは僕の人生に許されていない。


「先程、被害者の関連付けが困難だと仰られていましたが、それを可能にする人物に心当たりがあります」

「代表、それは」

「それしか思いつかないんだ。巻き込んでしまえば、あっちにも努力義務は発生するだろう。交渉は僕がやる」


 ツチヤ君が黙って僕を見つめる。リスクを大きさを測りかねている顔だった。僕にだって、どうなるかは分からない。


「その人物というのは、一体どなたですか?」

「僕の妹です」


 反抗期で、ちょっと目を離すとブロックチェーンを寡占したり人工衛星をジャックしたりしてしまう、おませな子だ。


「……ご家庭の事情に口を挟むべきではないかもしれませんが、隔離されているということは存じております」


 流石というべきか、オサダは妹の正体を多少なりとも認識しているようだった。伊達に公安の課長を務めていないということか。


「一時的にあらゆるネットワークへの参加権限を付与することになると思います。もしもの時は、全て僕の側で対応しますので」

「あの、ちょっと待ってください。クロムさんの妹さんは、それ程の存在なのですか? 資料には記載がありませんでしたが」


 ナイトウが小さく手を挙げた。訝しげな表情で僕を見ている。


「一個人に、そこまでの情報処理能力があるとは思えません」

「完全に一人でゼロからスタートなら厳しいかもしれないけど、僕の会社と公安局が提供できる情報があるし、それに、追加の当てもある」

「追加ですか」

「ライゼル氏に依頼して、あちらの国家機関の情報も出してもらう。お互いに死活問題ではあるから、多分通るよ」


 水の中にマグネシウムを投げ込む様な行為ではあるが、あらかじめ伝えておくだけフェアだ。これは万が一暴発してしまった時のための、こちら側の言い訳にもなりうる。


「妹とライゼル氏への依頼を直接実行できるのは、多分、今地球上で僕だけです。妹の方にはログの監視を付けてもらって構わない。いかがでしょうか?」

「過去の事件を鑑みても、上への協議が必要になります。幾つもの機関から許可を取らなければなりませんが、それ以上の対案がないのも現実です。早急に結果をお知らせします」


 オサダは覚悟を決めた様子だった。


 まだ執行猶予中だから、そこ一つだけ取ってみても面倒な手続きがありそうだ。AIを使う側の人間を解き放った結果の範囲予測を、AI自身が判定可能かどうかという疑問もある。


「妹には、次の<食事>で依頼してみます。ライゼル氏の方はすぐにでも」


 まだ別れてから3時間も経っていない。寝ていなければいいが。


「お願いします。私も協議を出してきますので、これで失礼します」

「じゃあ私も、抗体が完成したらお知らせしますので」


 オサダとチョウ博士の立体映像が消えた。彼らが座っていたように見えたソファには皺ひとつなく、彼らの存在に質量が伴っていなかったことが分かる。


「それじゃ、コールしてみようか」

「シュヴァルツ氏経由でコンタクトを取った方がよろしいのでは?」


 ツチヤ君が常識的な発言をするので、出鼻をくじかれた気分でこめかみから手を降ろした。


「うーん、でも折角ダイレクトな連絡先を交換したわけだし、一回それやっちゃうと次からもそうしなきゃいけないような気がしてくるんだよ」

「気分ではなく、ビジネスマナーの問題です」

「これはビジネスじゃなくて、世界的な問題への対処だ。直接かけた方が、スムーズだよ。ね、ナイトウはどう思う?」


 言い合いになりそうだったので、中立な第三者の意見を求めた。


「どちらでもいいので早くコールしていただけますと幸いです」


 実務的な意見だった。僕もツチヤ君も反論する余地がない。そう言われては仕方がないので、僕は自分の主義を貫き通して、直接コールをかけることにした。耳の裏に手を触れて、セドリック氏のアドレスを脳裏に浮かべる。


「え」僕は驚いて目を見開いた。まだコールはかけていない。

「どうされました?」

「いや、まだなんだ。僕からじゃない。向こうからコールが来た」


 同時のタイミングだったのか。僕の聴覚にコール音が響く。セドリック氏からだった。


「あ、ハロー。オノデラです。まさに今、コールしようとしていたんですよ」

「そうなんですか? すごい偶然だ。運命かもしれませんね」


 コールの向こう側で白い歯を見せて笑うセドリック氏が想像できた。


「ええと、先にご用件を伺います。どうされたんですか?」

「実は、オノデラ氏に相談したいことがありまして」


 セドリック氏の声が一段低くなった。最初の挨拶とのトーンが違いすぎて、社交モードから意識を戻すのが少し遅れ、曖昧な相槌を打ってしまう。


「他に話せる相手がいないのです。可能でしたら直接、お話がしたい。研究所から帰ったばかりで恐縮ですが、我が家に来てくださいませんか? 飛行機は手配いたします」


 ビジネス上の連携という雰囲気ではなかった。明らかに動揺している。強いストレスを感じている様子だった。


「勿論、構いません。飛行機は自分のもので向かいますので心配しないでください。あの、一応どういうご相談かだけでも、伺っておいて良いでしょうか?」


 あちらから頼み事があるのなら、僕の頼み事も容易に進められるかもしれない。そんな打算的な発想からの質問だった。


 セドリック氏はしばらく沈黙し、やがてはっきりとした口調で言った。


「シン大臣を殺した犯人の件で、ご相談したいことがあります」

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