3.3 話さなければならない

 クラッシックな造りの扉を開けると、100人程度を収容できそうな空間が広がっていた。講演台から放射線状に座席が配置され、段差が上がっていくタイプだ。


「次の指示があるまでは、ここで待機していただきます」


 隊長の部下がアナウンスする。講堂には会議室にいた人間のうち、治安維持部隊の何名かを除いて、全員が集まっていた。


 僕とツチヤ君、ライゼル一家と介護用のアンドロイド、それと彼の部下と思しき人物が二人。研究員が十四人。それに大臣の秘書官などの政治関係で五名。他にも何人かいたと思ったのは、ライゼル氏の国のエージェントや公安関係の人間が混ざっていたのだろう。隠れて警備に当たっている人間も外にいるはずだ。


 全員合わせても空間を持て余すので、僕たちは思い思いの座席についた。


「なんというか、手持ち無沙汰だね」

「お暇でしたら、ライゼル氏と親交を深められてはいかがですか」

「ああ、そういえば話す機会がなくなったわけだ」


 予定では、シン大臣が積極的な立ち回りをしてくれるはずだった。彼はその仕事でやってきたのだから当然そうなるだろう。しかし、当の大臣がいない今、僕とライゼル氏の間に積極的な業務提携を構築する理由はない。お互いに存在は知っていたが、これまで不可侵の間柄ではあったのだ。


「なんというか、近付くのが少し怖いんだ。似ているからかな」

「失礼ながら代表はライゼル様ほどハンサムではございません。結婚もされていませんし、お子様もいませんよね?」

 本当に失礼だ。間違いなくわざとなので、無視して続ける。

「境遇の話だよ、境遇の。ほら、僕も彼も、父親の財産を受け継いだろう?」


 生まれついての大富豪といえば、さぞかし聞こえはいいだろう。

 何もかもが自由で、何でも手に入れることができる。


 けれど、生まれつき平均的な人間が得るはずのあらゆる障害がクリアされてしまった、何もない、いや、義務しかない世界に取り残された不幸さを、彼ならば理解してくれるだろうか。何もかもが不自由で、本当に欲しいものは最初から失われていることを。


「確かに、似通ったところが多いかとは思いますが、それでも別の人生です。ご家族も、国も、守り守られる相手も、趣味も嗜好も全く異なるのですから、当たり前の事。怖れる理由を、測りかねます」

「僕は、まぁ、ひねくれているからね。同じような境遇から出発した人間が、多少の差こそあれ、真っすぐに伸び伸びと、『まともに』生きているのを見ると、自分がみじめに見えてしまうんじゃないかって、思うんだよ」


 そうなったら、僕は劣等感で消えてしまいたくなるだろう。そして、ライゼル氏が本当にそんなにも立派な人物だったなら、彼は僕を見て優越感すら抱かず、ただ失望するだろう。


「そういうものですか」

 ツチヤ君は肯定でも否定でもない相槌を打った。僕の感傷に興味を持たないところが、僕が評価している彼女の最大の長所だ。

「まぁ、向こうから来る場合は、対応せざるをえないでしょうけど」


 そして、勝手な気を利かせるところが、最大の短所だ。


 気配を察して振り向くと、セドリック・ライゼル氏が「Hi」と短い挨拶と共に掌をこちらに見せた。背後に控える彼の秘書と思しきサングラスの男性が恭しく礼をするので、僕は恐縮して二人に席を勧めた。ツチヤ君も素知らぬ顔で頭を下げる。


 彼らがこちらに来るのを察知した上で話題を振ったのだろう。先に教えてくれればいいのに。


「シン大臣は無事でしょうか?」

「あれが例のウイルスなら、本当の意味で死を迎えることになるでしょう」

「残念です。彼を仲介して、僕たちで何かしらのプロジェクトが始まると思っていたので」

「考えることは同じですね」


 僕は笑ってみせた。多分、後ろにいる彼の秘書が活躍したのだろう。秘書の顔に私は有能です、と書いてある。


「それにしても不思議だと思いませんか」

 セドリック氏は身体を寄せて、耳打ちするような素振りを見せた。

「何がです?」

「彼を狙った理由ですよ。さっきからそれで、シュヴァルツと喋っていたのですが、答えが出なくて」


 名前を呼ばれて秘書が再び頭を下げた。サングラスの隙間からダークグリーンの瞳が見える。


「政治家なら、暗殺される理由は幾らでもありそうですが」

「この研究所への訪問は、予定外の突発的なアクションだったはずです。それにしては準備が良すぎる、ということでは」


 ツチヤ君が参加した。僕を否定するときだけ饒舌になる気がする。


「はい、仰る通りです。そもそも、この場所への移動自体が国家レベルでの機密情報ですので、襲撃犯はそれを察知できる勢力だと考えられます。大臣を昏倒させた原因の解析待ちになりますが、例のウイルス側にしても、覇権を狙う者であったにしても、疑問が残ります」

「さっき聞いたんですが、9割で例のウイルスだそうですよ」


 言ったら不味かっただろうか。いや、時間の問題だろう。何しろ、この場所こそが最先端の専門機関なのだ。


「だったら尚更。抗体作成を止めたいなら、狙うべきは私か、貴方だ」


 はっきりとした口調でセドリック氏は断言した。僕も同意見だ。一大臣を殺害して得られるメリットなど、たかが知れている。


「ウイルス製作側の意図が、いまいち掴めませんね」

「半世紀近く世界中で研究しても達成できなかった再現実験に成功していること、国家レベルの情報収集能力があること、この二つは確実です。そして、そうにも拘らず、せっかく作ったウイルスに対抗する動きを根元から絶つつもりがないように見える」


 ライゼル氏の言葉をまとめると、浮かんでくる人物像はたった一つしかない。


「悪の組織の天才科学者みたいな奴が、いるのかも」


 つい声に出してしまった。バカなことを言うなというツチヤ君の冷たい視線を浴びたが、思わぬところでセドリック氏が笑ってくれたので救われた。


「いいですね、それ。確かにそうです、納得のプロファイリングですよ。ヒーローの反撃を、待ってくれているわけですね」

「ウイルスをいきなりばら撒けば、ゲームオーバーだったはずです。テロ組織に提供してもいいし、何ならレシピをオープンすればいい。でも、それはしていない」

「ウイルスの最初の犠牲者は、ブラジルのマディ・ゴールドマン氏です。表向きは不動産王ですが、裏の顔はマフィアのボスでしたので、正義の味方のつもりなのかもしれません」

「いやシュヴァルツ、それだとシン大臣が標的になった理由が不明だ。彼はクリーンだと調査結果を渡してきたのは君だろう」

「調査の範囲はあくまでここ30年程度のものです。年寄りばかりですから、遡るにも限界があります」


 シュヴァルツ氏が反論する。叩いて埃の出ない者などいない、というわけだ。


「そうすると、動機から推測すると犯人はかなりの年寄りということですね」


 ツチヤ君が小首を傾げた。人差し指を唇に当てて微笑んでいる。こんな表情を、普段してるところは見たことがない。


「うーん、私のイメージではないな」

「ライゼル様は、どういった犯人像をご想像なのですか?」

「少なくとも確実なのは、再現実験の成功という時点で、中心人物は間違いなく天才だということ。そして、天才という存在は、我々の理解を超えていなければならない」


 セドリック氏のブロンドの髪が揺れた。彼の鋭い目と余裕のある口元が、僕たちを捉えていた。


「天才を測る尺度は、時間しかない。何故なら、この世界の誰よりも先に立っているから。凡人たちが天才のいる方向を目指して、積み重ねを経て、振り返った時にようやく道筋が見える。その距離の長さこそが、天才性を表している。本来であれば人類が30年50年100年かかって到達するはずだった場所に、ワープでもするかのように突然現れるわけだ」


「ずっと若い世代だとお考えなのですね」

「新しいものは、いつも若者が生み出すんだ。私を含めて年寄りが増えすぎたから、余計にそう思うのかもしれないが」


 セドリック氏は僕よりも年齢が上のはずだが、細胞を入れた世代としては真ん中辺りの部類に入る。それでも、見た目は二十台後半で表面的な衰えなど微塵もないわけだから、実年齢というものが意味を持たなくなっているのだが、精神の方はそうもいかない。この種の自虐は、世界的な兆候だった。


「あ、すみません。コールが」


 ナイトウからだった。


 振り向くと、講堂の入り次で直立している。口頭で伝えに来ないということは、機密扱いの連絡を意味する。


 彼女と目を合わせながら、こめかみに触れて、通話をオンにした。


「ご歓談中のところ申し訳ありません。準備が終わりました。結論として、帰国を優先することになりました。17分後に軍用機が着陸予定です」

「それだけなら、別に直接言えば良かったんじゃない?」

「先程の蠅もそうですし、シン大臣の件を見れば、既に敵方はこちらの動向を完全に掴んでいると考えるのが自然です。専用コールなら傍受はできません」

「分かった、ありがとう。ええと、どうすればいいかな」

「9分後に連絡しますので、そこで講堂を出て滑走路まで直進してください」

「オーケー」


 コールを切る。


「すみません。そろそろ次のアクションがありそうなので、推理大会はお開きになりそうです」

「そうですか。残念だ。こうやって気軽な会話が出来る機会なんてないに等しいので、楽しかったですよ。情報交換も兼ねてまたご連絡しても宜しいですか?」

「ありがとうございます。僕も有意義な時間でした」


 それから、お互いに連絡先を交換して、また食事でもというところに落ち着いた。単なる社交辞令だが、社交辞令を送る相手というものは、僕にとって貴重な存在なので嬉しいのは本当だった。きっと彼らにとって<食事>というものは、満たすべき条件も、リンクも注釈も付いていない、温かで優しいものなのだろう。


 ちなみに、ツチヤ君もシュヴァルツ氏と秘書同士で連絡を取り合うことになった。一応は秘書たちの資料作りも日の目を見そうな展開になったので、帰ってから愚痴を聞かされる羽目になることは避けられそうだ。部下思いの僕としては胸をなでおろす結果になって喜ばしいかぎりといえる。

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