3.2 避けなければならない

「それでは会の始めに、この度、実験サンプル細胞の提供者として勇気ある申し出をしてくださいましたセドリック・ライゼル様にご挨拶をいただきたいと思います」


 ターヤの声と共に、セドリック氏が壇上にあがった。彼は彼で別の要人に掴まっていたらしく、明らかに研究者ではないスーツ姿の人間たちが彼を見送っていた。その姿を目で追うと、ターヤとも目が合う。特に意識したつもりはなかったが、確認の意味だと勘違いさせたらしく「オノデラ様からは会の終わりにご挨拶をお願いします」というメッセージがウインクと共に送られてきた。


「精悍で堂々とされていて、理想的な支配者といったところですね」


 彼の挨拶を聞いていると、ツチヤ君がいつの間にか背後に立っていた。冗談みたいな恰好をしているから、高級な給仕と勘違いされて研究員に話しかけられているところまでは見ていたが、その後どうなったのだろう。


「僕はそうじゃないと言いたいわけ?」

「支配者然とされていた記憶がありません」


 悪びれなくツチヤ君は言った。僕としてもした覚えがないので、見解は一致している。 


「そんなもの勘違いだよ。富の格差で支配なんてできない。妄想だ」

「それこそ傲慢でしょう。歴然とした機会と自由の格差を、自覚されるべきです」


 言いたいことは分かる。一般的な、つまり社会価値を保有する人口の99%は、自家用ジェットに乗れないし、月にコンビニも作れない。でも、それだけのことだ。


 少なくとも僕の国では人口減とエネルギーの余剰が、衣食住を解決した。思想統制もない。ジェットでなくとも民間機に乗ればいいし、月にコンビニがなくても困らない。αを除いた平均寿命も延びているから、時間的なアプローチによって質的な諸問題は量的に解決できる。社会価値を持たないから僕の会社を辞められない人間なんて、誰一人いないのだ。気軽に辞められるし、いつでも戻ってこられる。


 本当の支配というものは、僕にとっての遺言のように、人生を絶対的に拘束する。


「それでは、乾杯」


 ツチヤ君とつまらない小競り合いをしている間に、ライゼル氏の挨拶が終わってしまった。僕は慌てて大臣や彼の秘書官たちとグラスを鳴らしあった。視線をライゼル氏に戻すと、母親のクリスティナ女史と彼の息子のテーブルに近づき、グラスを傾けていた。


 不格好とはいえ、形式的なプログラム通りに進みはじめたことに安堵したのか、会議室がざわつきはじめる。


 面倒な社交辞令はツチヤ君に任せて、僕の興味は料理に移っていた。自分もAIも選ばない料理が提示されるという特殊な状況が僕をわくわくさせていた。この国は、あらゆる料理にスパイスが付くので、基本的に全てがカレー味なのだと昔聞いたことがある。それとも、僕とライゼル氏がいるから、間を取ってオリエンタルだろうか。


 そんな期待を込めて中央のビュッフェに近づいた。

 

 その時だった。


 高い音が響いた。振り向くと、真っ赤な液体が床に散乱している。血、ではなくワインだ。


 給仕ロボットの受け渡し口からグラスワインが落ちたのだ。


 ナイトウが僕の肩に手をかけ、一歩引かせた。


「大袈裟だよ」

「いえ、恐らく遠隔操作です」


 割れたグラスの周囲に人はいなかった。単純に給仕ボックスが落としたとは考えにくい。受け渡し口の構造上、準備してから無理な加速度をつけないとグラスは落下しない。


「誰かがぶつかったのでは?」

「その程度なら避けられるはずです」


 ナイトウは真剣な表情で片眼鏡に手を触れた。僕が見つめても、注文表示や給仕ボックス自体のメーカーや型番しか出てこない。やはり特殊な装備らしい。


 会場は一瞬しんとなったが、すぐに近くにいた研究員がタオルと掃除用具を持ってくると宣言して外に出ていった。自律型の掃除ロボットは、液体と固体を同時に掃除するのが苦手なので、直接取り除いて拭いた方が早い。


「どうなさいました」

 テーブルの後ろで声がして、振り向く。シン大臣の秘書だ。

「大丈夫ですか、具合が悪いのですか」

 秘書に肩を抱えられながら、シン大臣がぐったりと俯いている。

「おい、誰か救急車を! 様子がおかしい!」


 秘書が慎重にシン大臣の身体を床に寝かせた。口から泡を吹いている。意識が朦朧としているらしく、眼球が痙攣していた。


「毒物かもしれません、あまり近付かないように」

 ナイトウが冷静に警告した。耳の裏に手を当てている。本国に連絡しているのだろう。


 眼前の悲劇に対して「人間的」な振る舞いをしないことがプロフェッショナルの証だ。僕だって意識の裏側で、このニュースが公になった直後の政治的混乱を主因とした国債価格のボラティリティを計算し始めている。


「グラスが割れて皆の意識を逸れた時にやったんだ、きっと」

「例のウイルスが使用されている可能性は?」

 ツチヤ君がナイトウに尋ねた。

「ありえます。ただ空気感染はしませんのでご安心ください。念のため、この会議室は封鎖します」


 会議室にいた大半が専門の研究員だったことでパニックは起きなかった。シン大臣はタオルを枕にして横になっている。秘書と研究員はどうすることもできず、遠巻きに彼を見つめていた。


「大臣、医療ヘリを呼びましたので、すぐに到着します」

「……れ、は……い」


 秘書が話しかけると、シン大臣は何かを言いかけた。言葉が擦れているため、上手く聞き取れない。ヒューヒューという呼吸音が聞こえる。


「大臣、何か伝えたいことがあるのですか?」

「クロムさん、接触は避けてください」

 近寄った僕の肩にナイトウが手をかけた。

「αのウイルスなら、僕には影響はないはずだ」


 シン大臣の目は朦朧とした意識を彷徨っていた。声で判断したのだろう、僕の方に顔を傾け、口を動かす。


「あれは……シメイ、だった」

 単語が途切れて聞こえた。自動翻訳が判断を迷い、視界に複数の翻訳結果を並べる。

「私の、イシでは、ないが、必要なことだったのだ」


 悪夢にうなされているかのようだった。目の焦点が合っていない。


「イッツ、フォ、パ、ブリカ」


 もしかして、誰かからメッセージが送られているのか。

 視界にオーバレイされて、それに答えている?


「誰とやりとりをしているのですか、大臣!」

 シン大臣は応えない。既に言葉は意味を形作らないレベルにまで落ちていた。

「最後の言葉、聞こえた?」

「何かしら呟いていたのは分かりますが、正確には聞き取れていません」


 ナイトウが首を振る。僕も同じだった。少なくとも英語だった。どういう意味だったのだろう。パブリック? パプリカ? 公共のために、大衆のために、あるいはパプリカのために?


「お父さん、あの人どうしちゃったの」

 静まり返る会議室の中で、子供の声がした。

「分からない。だが、心配は要らないよ。きっと、すぐに治るからね」


 セドリック氏が息子を抱きしめる。いつの間にか彼の周囲をガードマンが取り囲んでいた。


「貴方だって、危ないかもしれないわ。もう帰りましょう。実験なんていつでも出来るのだから」

 クリスティナ女史は不安を隠し切れない様子だった。車椅子のハンドルを持つ手が震えている。

「だが、明らかに事件だよ。救急車も警察も来る。勝手に帰るわけにはいかない」

「それなら、どこか安全なところに避難しましょう。忘れないで。貴方には大きな責務があるのよ。そして私には、母親として貴方を生かす責務があるの」

「分かったよ母さん」


 そこで、パン、とセドリック氏が手を鳴らした。会議室にいた人間の視線が彼に集まる。


「皆さん、大臣が倒れた原因は分かりませんが、まずは彼の安全を最優先して救急車の到着を待ちましょう。それと、このプロジェクトを仕切っているこの国のエージェントがいるはずだね。この国の警察に、そもそも今回の話を伝えていいのかどうかも含めて、情報統制が必要だ。すみやかに仕事をしてもらいたい。我々がどうすればいいのかも含めて、早急に指示を出してほしい」


「私が現場責任者です」


 入口に立っていた男が、手を挙げた。さっきまで全く意識していない位置から声がしたので、僕は少なからず驚いた。研究員にも、政治秘書にも見える。その男は現場に完全に溶け込んでいた。


「特殊治安維持部門の隊長を務めております。名前は、まぁ、どうでもいいことですな。ライゼル様から的確なご指摘を賜りましたとおり、想定外の事態に対処を行わなければなりません。既に各国機関との合議を進めておる次第です」


 男の背後に部下らしき人間が集結し、直立する。日本の公安よりは、軍隊に近い組織らしい。


「大変申し訳ございませんが、しばらくの間、研究所の外に出ることを禁じさせていただきます。ネットワークも、外部通信については先程シャットアウトさせていただきました。すぐに進捗をご報告しますので、ご了承ください」


 有無を言わさぬ物言いだったが、反対する人間はいなかった。大臣が倒れてから5分と経っていないはずだが、確かに通信は止められていた。判断が早いことは、有能さの証拠だ。


「僕たちはどこにいけば?」

「そうですな、とりあえずは西の講堂に集まっていただけますか」


 ご案内しろ、と男が指示を出すと、部下たちは僕らを会議室から連れ出した。


「そんな場所あったっけ?」

「外から見た時に宮殿のような塔が見えましたよね。あの真下です。ここからロビーに出て反対側の廊下を進んだところにあります」


 あの隊長もナイトウも研究所の地図が頭に入っているらしい。ナイトウは広い意味で治安部隊側の要員らしく、僕らを引率して歩いた。


「視認レベルですが、例のウイルスとの症状が87%一致しました。二時間以内に戻ることになるかもしれません」

「またあの基地に?」

「場所も移動手段も、判断待ちです」


 つまり、じっとしているしかない。大変珍しい状況だ。誰かから指示されて、それを守らなければならない時点で、イレギュラーだと言える。


「大変なことになったね。折角の企画案が水泡に帰すかも」

「事が事ですから、致し方ないことかと」


 背後にぴったりついてくるツチヤ君に労いの言葉を送ってみたが、案外クールな回答だった。会場に早歩きで向かっていた時は鬼のような形相だったのに、今は澄ました顔をしている。表に出てきていない分、マグマみたいにエネルギーを溜め込んでいる恐れもあるので、それ以上突っ込むことは止めておいた。


「月面コンビニは面白いと思ったんだけどなぁ」

「非採算が過ぎます。スーパーボルケーノの方が、公共性があります」


 やはり第一案がお気に入りのようだ。彼女は真ん中にストレートを投げてくるタイプなので、腹案を持つことを嫌う。


「あれはロマンがない」

 現実的すぎる、というのが僕の感想だった。あまりにも本命で、優等生的だ。

「ロマンで賄えるエネルギーなど、たかがしれています。実利を示さなければ」

「実利を示して得られるエネルギーの方が、たかがしれていると思うけどね」


 再びつまらない小競り合いをしている間に講堂に着いた。

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