3.幻想のアライアンス
3.1 省みなければならない
それにしても、と僕は思った。
ベッドに寝転び、天井を見る。空調は効いているが、異国の空気はどこか独特の臭いのようなものがあって落ち着かない。
気付いたら外国だ。人生一寸先はニューデリーである。もしかしたら明後日はコンゴに、来週はルクセンブルグに、来月は宇宙ステーションにいるかもしれない。
「今のところ予定はありません」
冗談で言ったのだが、ナイトウは真面目に答えた。椅子に座ったら、と二回促しても頑なに断って、扉の前に立っている。内と外、どちらを警戒しているのかは聞かなかった。
「分からないよ。さっきの蠅が危険視されて、場所を変えるかも」
「AIの判定待ちです。続行が多数派ですが」
「思うんだけどさ、リスクを恐れて最上の方法を求めるから計算量が増えて、時間がかかって、その間に新しい問題が起きて、また再計算して、また問題が起きてを繰り返してるんじゃない?」
「懸念事項が雪だるま式に増えているのは確かですね」
「まるで大雪だよ。雪かきに出たのに、家から見えていた雪だるまは大きくなっているし、知らない場所に新しい雪だるまが増えていたりするわけだ。そして、雪だるまは球体の体積の増加で済むけど、最適なルートを出すための計算量は階乗で増える」
巡回セールスマン問題より、ほのぼのしたイメージではある。
「雪かきの時に、雪だるまを片付けたりはしませんよ」
「そうなの?」
意外な方向からの指摘だった。思わず身体を起こして反応してしまう。
「ええ。大体、道に避けて置かれていますし」
「ひょっとして北国の出身?」
「まぁ」少し考えるようにして、ナイトウは人差し指を顎に当てた。「雪が降る地域の生まれではあります」
奥ゆかしいガードだった。雪が降るだけなら、ほぼ国内全域だ。とりあえず、赤道付近の生まれでないことを教えてもらえたと考えよう。
「大雪の中で凍えて待ってばかりだ」
見えない不安が積もって、外にも出られない。
「空調を切りましょうか?」
「そういう意味じゃない」
「分かっています」
ナイトウは表情を変えなかった。こういう場合、会話の中身よりも、他愛もない会話そのものが意味を持つのだろう。悪くはない。
「時間が経てば全て溶けますよ」
詩的な慰めだった。この感性は僕にはない。鉄鉱石のような人間だと思っていたけれど、最初の頃より打ち解けてきたのか、隠していたのか。僕は澄ました顔をしているナイトウを見て、少し評価を改めた。
――お楽しみのところ申し訳ありませんが、試案が出来ました。
頭の中に声が響く。ツチヤ君からのコールだった。時間がないので承認を省略していたのを忘れていた。
「ただ喋っていただけだよ」
ナイトウが不思議そうに僕を見たので、手を振って何でもないとジェスチャした。耳の裏を指さして、ツチヤ君からのコールだと教える。
――私と比較すれば、お楽しみでは?
「安易な相対主義は問題を見失うから気を付けた方がいい」
――ご安心ください。問題のボールは今、代表がお持ちです。
ツチヤ君がそう言い終わると同時にファイルが届いた。
開いてみると、通常の会議で使用するプレゼン資料と同じ密度と美しさで作られている。流石と言うほかない。僕に嫌味を言うだけの時間を確保する余裕すらあるとは。
「お仕事でしたら、私はしばらく隣の部屋にいますので」
「ああ、うん。ありがとう。パーティで会おう」
ナイトウはあっさりと出ていった。扉の前に立っているだけなら、別に構わなかったのだが。
――それでは。お返事をお待ちしております。
「少し休憩してていいよ。じっくり検討するから」
なるべく急いで返そう、と密かに誓った。
――ありがとうございます。それでは。
コールが切れる。緊張の糸が切れて、ため息が出た。最近、これが癖になってしまっている。
再びベッドに寝転がり、視界上でファイルを開いた。
直ぐに返してやろうと思いはしたものの、ツチヤ君が本気を出しているだけあって読み応えはあった。推定拠出額も大きい。まだ計画段階とはいえ、事業計画に与えるインパクトはかなりのものになるだろう。
イエローストーン国立公園を始めとしたスーパーボルケーノが保持するエネルギーを分散させるプロジェクトが第一候補で、補足にヒマラヤ山脈の火山活動状況が並んでいた。大規模な労働力の活用を期待する以上、必然的に登場する話のスケールも大きい。
規模の問題から、どうしても環境か宇宙か深海か、地球に縦だの横だの細長い穴をあけるとか、その手のものに偏りがちだ。一括りにしてしまえばエネルギーを大量に消費するタイプになる。
予想通りではあった。
セドリック氏の陣営も大体同じだろう。わざわざ集まってやる以上は、集まらなければできないことしかできない。そういう意味で、最初から選択肢は少ない。そこに社会的義務や、【遺言状】による制約や、時間的都合が加わって、その中でやりたいことはもっと限られる。集合論を繰り返して、僅かに重なり合った色の濃い部分を選んでいるに過ぎない。
それは本当に自由意志と言えるのだろうか。
けれど、自由であれという発想もどこか強迫観念めいている。
有力なものを眺めてコメントを入れてから、リプライを返す。結局、ツチヤ君に要求していた検討時間は全て使い切ってしまった。
「ヒーリングミュージックを。プライベートモードで」
声に出して、音楽をかけた。AI診断に沿って、僕の精神状態にもっとも適した音楽が選択され、頭の中でピアノが旋律を奏ではじめた。題名も作者も知らないが、悪くはない。悪くはないものしか選ばれないシステムだから。
ツチヤ君からのリプライを待ちながら、柔らかな音の遊びに精神が安らいでいくのを感じた。
意識が落ち着き、リラックスして、全身の力が抜けていく。
* * * *
「だから寝てしまった」
「言い訳はそれだけですか?」
廊下を早歩きで進む。背後から迫ってくるツチヤ君にも、時間にも追われていた。ナイトウはツチヤ君の隣で、同じく無言のまま僕のあとをついてくる。ナイトウからすれば誰とも接触せずに部屋に閉じこもっているのが最も安全だったろうから、そちらの風当たりは強くない。
「リプライはご覧になりましたか?」
「今まさに見てる。やっぱり火山と宇宙にしよう。月に有人のコンビニ立てるのってどうかな。ノスタルジックなやつ」
「理由はなんです?」
「面白いからだよ」
これは寝ている間に思いついたアイデアだった。音楽を聴きながら意識が遠のいていく浮遊感によるものだろう。睡眠の甲斐もあったというものだ。
「費用対効果はほぼゼロでは? 宣伝にしても見込みが曖昧すぎるかと」
「効果は後からついてくるよ。無意味だから意味がある。この差は時間が埋めるんだ。ほら、月の開発計画で現地にコンビニがなかったら作業員は不便だろう。それを皮切りに、街を作っていくわけ」
エレベータに乗り込む。会場は1階の大会議室だ。
実際のところ、会議などというものは始まる前から終わっている。意思確認の場に過ぎない。ディスカッションはネットワーク上で済むため、会議室という空間は基調講演などの待合室や今回のような用途にしか使われない傾向にあるが、何故だか公共施設には必ず存在する。旧世代の名残だろう。
「そういえば、チョウ博士たちも参加するのかな」
「彼はパスするそうです。ターヤさんは責任者なので、出席するとおっしゃっていました」
ナイトウが答えた。研究員たちからすれば、政治上の都合に付き合わされるのは御免だという事だろう。
「自由参加でいいのにね。もしくはVRにして料理は各自部屋で食べればいい」
「直接会うことに強いインプレッションがあると信じているのでしょう」
ツチヤ君が吐き捨てるように言った。その信念のお陰で、彼女は今ここにいるのだ。大臣たちが誰もいない会議室の真ん中でゴーグルをかけ、チキンバレルを頬張っている姿を想像して少し笑えたのだが、ツチヤ君の手前、やれやれ全くだという表情を維持した。
エレベータの扉が開くと、右手に研究員たちが集まっていた。給仕ボックスも待機している。大会議室の外側で所在なさげに雑談しているということは、中に大臣たちがいるのだろう。警備の都合上、少数精鋭で来ていると思ったが、そうでもないのか。参加者は思ったより多かった。
「遅れてすみません」
僕たちが現れたのを見て、研究員たちが中に入っていく。会場は会議用の長方形テーブルを二つ合わせて作った島を配置した質素なものだった。反面、そのテーブル上に準備されている料理は一流ホテルの外注と思しき銀食器がを並んでいて、やる気と場所のミスマッチがいい味を出している。美しいテーブルクロスも、無骨なステンレスの脚を隠せていない。
「ああ良かった。ゲストが不在じゃ始まりませんから」
ターヤが僕を見てパッと顔を明るくした。大臣の相手をするのが嫌だったのだろう。僕も嫌だったが、遅れた負い目もあって仕方なく彼女の横に立つスーツの男性に挨拶した。
「お会いできて光栄です。サルマン・シンと申します」
髭面の大男が、僕の手を強く握る。経済産業大臣は副業で、日頃はヒーローとして戦っていそうな風貌だった。筋肉ではち切れそうなスーツは、ピンチになったらびりびりに上半身だけが破れる仕組みに違いない。
「今回のことは世界経済の安定に寄与するもの。自ら犠牲となって抗体試験に望まれたそうで、国民を代表して感謝申し上げます」
「え、ああ、そうですね。目的は不明ですが、できることをするだけです」
笑顔をキープしながら、ナイトウを横目で見る。
いつから志願したことになったのだろう。何らかの情報操作が行われたことは明白だ。現場責任者に苦情を申し入れたかったが、当のナイトウは僕の警護という任務を忘れているのか、机の料理を見ながら「これはもう食べてもよいのですか」などターヤさんに聞いている。
じっと見ていたら目が合った。
唇が動き、毒味ですと主張された。
「素晴らしい心掛けかと。昔は良い行いをすれば、天国やヴァルハラに行けると言われたものですが、今はそうもいかなくなりましたので、何と申せば良いやら」
シン大臣は複雑な表情を浮かべ、鼻息を鳴らした。彼の背後を通過した給仕ボックスに手を挙げ、飲み物を受け取る。
「仏教では解脱するんでしたっけ。いや、あれは善行したからできるものでもないのか」
「そうですね。悟りを開けば、輪廻を抜けることができるわけです。もう生まれ変わることはありません」
高い社会価値を示せば、人は死ななくなった。
それは、社会の基本体系が公共的価値を主軸として変貌を遂げる際、最もラジカルな摩擦が生じた箇所でもある。既存の社会も文化も法律も経済も、基本的には一人の人間が死ぬことを前提に設計されてきた。それが不変であり、基礎だったのだ。二人の研究者がその絶対的ルールを破壊するまでは。
今の社会は、半壊した建築物に気付かないフリをしながら住み続けているようなものだ。もはや補修は効かないが、かといって新しい住処に移住することもできない。これまで培ってきた人間的価値への信奉が、それを許さないだろう。
「私の家も、仏教徒です。手術を受けて以来、破門になってしまいましたが」
シン大臣は首を振った。
「僕はどうだったかな。祖先は多分、仏教徒だったはずですが、そういう習慣がなくなってしまったもので」
自覚はないが宗教白書に登録がされているかもしれない。なにしろ各宗教の申請人数を合計すると、世界の人口の6倍程度になるのだ。ありがたいことに、世界遺産を訪れてゲートを潜れば自発的な表敬と寄付をするぐらい熱心な信者として認定してもらえる。
「それでは皆さまお集まりのようですので、世界の危機に対抗するこの素晴らしいプロジェクトの成功を祈念して、誠に簡単ではございますが決起集会を開催したいと思います」
ターヤが講義用の壇に上がり、グラスを掲げた。僕が知らないうちに開催の名目が決起集会になったらしい。歓迎会だと期待があからさま過ぎるという反省がどこかにあったのだろう。
研究員たちがわらわらと給仕ボックスの周りに集まって、受け渡し口からグラスを手に取る。黒く濡れたようなボディの給仕ボックスは無骨な会議室の内装から明らかに浮いていた。空くのを待ってから給仕ボックスに手を挙げ、こちらに来てもらった。
「何ヲ飲マレマスカ?」
「グリーンティを」
乾杯用のグラスをお願いする。すぐに排出口から出てきたのでそれを受け取ろうとしたら、ナイトウが僕を制してグラスを取った。
「一応、毒味をしますので」
「大丈夫だよ、みんな飲んでるし」
そもそも、ここに来る前に厳重なチェックがあったはずだ。そう主張したが、聞き入れてはもらえなかった。視覚と味覚の検査を経てから、新しいグリーンティを受け取った。
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