2.4 振らなければならない

 行きに乗って移動した敷地内のモービルに乗り込むと、自動的に動き出して滑走路へ向かった。遠目にライゼル氏が乗ってきたのであろう旅客機が見える。勿論、プライベートジェットだ。


「彼には護衛が付いてないみたいだけど、いいのかな」

「いいえ、六人ほど周囲にいますよ」


 気付いていなかったんですか、という呆れ方でそう言われた。


「嘘、どこに?」

「研究所内部に先行して、彼の国のエージェントが二人。東西50メートル離れた敷地の出入り口に二人、あと二人は先程は物陰に隠れていましたね。私の部下二人が、既に接触して協力体制にあります」

「全然見えなかった。その片眼鏡って、やっぱりそういう機能がついてるわけ?」

「これはただのお洒落です」


 モービルが石を踏んで、ガタンと車内が揺れた。


「冗談だろう」

「冗談です。面白くありませんでしたか? なんだか気落ちされているように見えたので、気を使ってみたのですが」

「ああ、うん。ありがとう、ごめんね、気を使わせて」

「護衛対象の精神衛生管理も任務の内ですから」


 本当にただのお洒落だったらどうしようかと思った。ドローンが突っ込んできた時より驚いたかもしれない。


「そういえば、僕は分かるけど、セドリック氏の方はわざわざ来なくても良かったんじゃないかな。α細胞なら、ベースサンプルは世界中にあるだろうに」

「やはり直接人体があった方が計測しやすいものもあるのではないでしょうか。あと、ターヤさんがクリスティナさんにお会いしたいとリクエストしたのも、セドリック氏が来訪する理由になったのだと推察します」

「例の機材再現の件で?」

「ええ、ナチュラルの方ですから。当時の映像記憶をアウトプットできないので、実際に目で見てもらいたいと話していました」

「なるほど、不便なものだね」


 前世紀までは、それが当たり前だったのだけれど、前世紀の人間だって更に前世紀の生活の不便さは想像することしかできないだろう。このギャップの存在こそが、人類の進化の証と言える。


「でも、失礼かもしれないけど、機材なんて見ても分かるのかな。僕だって、大半は冷蔵庫と区別がつかないのに」

「彼女も、そこまで期待している様子はありませんでした」

「ターヤさんと喋ったの?」

「ええ、クロムさんの検査待ちで時間があったので。事前の通話で『分子の振る舞い』という用語を使ったら、分子が歌ったり踊ったりするのかしらと言われたそうですよ」

「先は長そうだな」


 それでも予算をかけてまで呼んだという事は、何かしら事前の通話で得たものがあったのだろう。もしかしたら勝算があるのかもしれない。研究者としての直感のようなものがターヤさんの内に秘められているはずだ。


「あ、あれ、そうじゃないかな。僕の飛行機だ」

「管制センターから確認が取れています。ツチヤさんが搭乗されたものです」


 モービルから肉眼で着陸態勢に入った飛行機が見えた。視力を調節すると、飛行機のボディに僕の会社のマークがあった。


「急ごう。せめて誠意をみせて機嫌をとらないと」


 僕の言葉に反応してモービルが速度を上げる。とはいえ敷地内の法定速度を守るので、歯痒いスピードアップではあった。


「そこまでされるのなら、あんなにも無理に呼びつけなければ良かったのでは」

「うーん、何というか、そういう関係をお互いに演じている節はあるかもね」


 客観的にみれば雇用主と雇用者でしかない。それは契約に従った関係であり、労務の益に対して、それに見合った社会価値を渡す。名実共に対等な存在であって、ツチヤ君はそれを理解している。だからこそ、彼女は不遜なまでにへりくだらず、僕はことさら道化の様に振る舞っているのだろう。


 僕にとって彼女は貴重なキャラクターなのである。


 とはいえ、何事にも限度はあって、もしかしたらデート中だったり、貴重なリラックスタイムを中断したりしている可能性があるので注意が必要だ。稀に本気で怒り狂っている時があって、うっかり地雷を踏むと強烈なカウンターを喰らう場合がある。


「――あ、もしもし、ツチヤ君?」


 モービルは滑走路に着陸した飛行機を目指し、通信の射程に入った。断続的な電子音が二回鳴って、僕のコールが繋がった。


「ただいま到着いたしました。ご用件を伺う前に片付けておくことがありますので、先にそちらから」


 その言葉と共に、飛行機のハッチが開いた。


 強風にたなびくロングスカートとエプロンが、英雄のマントを髣髴とさせる。メイド服を着た青年将校と言われても納得の存在感だった。


 久しぶりに見る我が秘書は、普段よりも目つきが鋭角で、疲労とストレスの蓄積が見れとれた。僕がいない時ぐらい休めばいいのに。生真面目だなぁ、と感心する。


「下がってください。彼女、銃を持っています」

「まずいな。穴あきチーズみたいにされるかも」


 ナイトウが警戒心を全開にして僕の前に立つ。階段を下りてくるツチヤ君は、確かに右手に拳銃のような装置を握っていた。


「止まりなさい。銃を捨てて。いくら苛立たしい上司であっても撃つことはないでしょう。平手打ちなどでも十分貴方の怒りは解消できます」

「できれば平手打ちも勘弁してほしいな」


 後ろで呟く僕を無視して、ナイトウは銃を構えた。


 腰には装備していなかったけれど、どこから出したのだろう。ツチヤ君は鉄仮面のような表情を変えず、僕にまっすぐ歩み寄ってくる。アスファルトにわずかな砂埃が立ち昇り、足元は良く見えない。古武術に見られる歩法を連想するほど、その姿勢にブレがなかった。


「何をおっしゃっておられるのか分かりませんが、どいていただけますか。狙いがズレると危ないので」

「待ちなさい。クロムさんは現在、通常よりも更に重要度の高い立場にあります。貴方の軽率な行動が、世界の均衡を崩すことになりかねないの。お願いだから、銃を降ろして」


「ナイトウ」


 僕は意識して優しく声をかけた。


「大丈夫だから」


 多分。


「しかし」


「ですから、貴方と同じく」


 ツチヤ君は小首を傾げた。

 ナイトウを見て、それから初めて正面から僕を見た。


「そこの苛立たしい上司を守るのは、私の仕事でもあるんですよ」


 言い終えて、そのままの握手する手を差し伸べるかのような自然さで、ツチヤ君が引き金をひく。放電を認識した瞬間、僕の後方で何かが弾ける音がした。振り返るとアスファルトに1センチぐらいの黒い塊が落ちている。焼け焦げて、細い煙を出していた。


「あれは……?」

「蠅です。恐らくマイクロコンピュータが仕込まれています」


 唖然とするナイトウに、ツチヤ君は淡々と解説する。正直に言うと、1%ぐらいは本当に撃たれるかもと思っていた。気付かれないよう、肺に溜まった重たい空気をゆっくりと吐き出す。


「投資情報を事前に知っておけば、追従するだけで莫大な利益になりますから、スパイ生物の駆除は最優先事項なんです。なにか勘違いさせたようで、ごめんなさいね。撃たないでくれてありがとう」

「いえ、こちらこそ失礼しました。素晴らしい腕前ですね。あの一瞬で仕留めるなんて」

「見つめるだけで照準補正が付くんだから、簡単でしょう。貴方の銃だって、同じ機能があるはず」


 事も無げにそう云い放つと、ツチヤ君が僕の方に向き直り、恭しく、仰々しく、ロングスカートの両端を摘まんで、貴婦人の様に頭を下げた。


「ご無沙汰しております代表。お呼びに応じ、国境を越えて馳せ参じました」

「ありがとう。来てくれて嬉しいよ」


 この挨拶と態度に含まれている嫌味の数を考えつつ、とりあえずは応じておく。


「僕がここにいる事情は、もう知っている?」

「はい。公安局の方から、ご説明いただきました。突然K2に単独で登りたいからしばらく連絡してくれるなとおっしゃられて行方不明でしたので、心配しておりましたが、事情を聞いて納得しております」


 これはジョークではなく、盗聴・ハッキング前提の緊急符号だったので、ツチヤ君の側でも情報収集に躍起になっていたはずだ。ちなみに「無人島で暮らしたい」の場合は病気・怪我をしている、「宇宙旅行に行きたい」は誘拐されている状況など、あらかじめ決めてある。


「ウイルスにまつわる諸々だけなら君を呼ばなかったんだけど、この国の大臣が、まぁ、パーティがしたいとかで、あとセドリック・ライゼル氏も同席するんだ。色々と動かすかもしれないから、手伝ってもらおうと思って」

「セドリック・ライゼル氏ですか」


 ツチヤ君の表情が曇る。先に伝えておかなかったのが不味かったのは、薄々知っていた。コールした後で出会ったのだから不可抗力というか、タイミングの問題なのだけれど、この点に関しては僕の不運といえる。


「代表とお二人で、この世界の資産の何割を占めるんでしょうね」

「さぁ、計算してみたことがないから」

「せめてコールの段階で事前にお伝えいただければ、もっと多くのバック作業とシミュレートに割く時間があったんですよ。ああもう、いえ、何でもありません。データを用意させますので、ええと、パーティは何時からです?」

「3時間後」

「正確には、2時間47分後です。正式なものではないので、そこまで時間通りかは不明ですが」


 ナイトウが僕の言葉を補足した。苛立ちを加速させるツチヤ君を初めてみるのだろう。少し怯えているようだった。


「セドリック氏とこの国に投資する形で共同事業をする場合の戦略シミュレートを準備しておいて。僕が判断する時間が20分は欲しいかな。できたら送って。それじゃ、よろしくね。僕は自室で待っているから」


 ツチヤ君は妹のように無言だった。どこかで冷たい金属が割れるような音が聞こえた気がしたけれど仕方がない。それが彼女の仕事なのだ。


 踵を返してモービルに向かう。後ろを振り向いたりはしない。ナイトウは黒焦げになった『蠅』をビニルに包んでから、僕の後ろをついてきた。


「その蠅、僕の会社の敷地内なら、個人的な利潤目的の線もあるんだけどね」


 今僕がここにいること自体が極秘である以上、当然に相手側がそれを上回る情報収集能力を有しているということになる。


「この程度までは予測済みです。攻撃ではなく、敵勢力が観察に切り替えたなら、命の危険が縮小しているわけですから今回の任務としては成功率が高まったと言えます」


 そういえば、今回は護衛だったな、と思い返す。


「折角ウイルスを作ったのに、その抗体を作られたら困るだろうから、むしろ積極的に攻撃してくるかもしれないよ」

「対策研究はここがメインというだけで一か所ではありません。むしろ、世界中のα細胞保持者たちが公私の研究所を問わず動いていますから、相手側もこの動きは予測済みかと思われます」


 予測の予測にはなるが、その通りだろう。ジェノサイドが目的なら、同時多発的にばら撒いたはずだ。だが、そうなるとこの警戒が、何を目的としているのかが霧の中に埋もれてしまう。


 モービルに乗り込むと、ナイトウがちらりとサイドミラーを見た。その場で立ち尽くしながら通信で指示を出しているツチヤ君を気にしたのだろう。


「言い訳させてもらうとさ、いじわるしているわけじゃなくて、一番適任で優秀なのが彼女なんだよ。だからこう、たまに理不尽に見える仕事を振らないといけなかったりもするんだ」

「私が部下だったら、撃ってますね」


 ナイトウがさらりと言った。


「平手打ちじゃなくて?」

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