2.3 会わなければならない

 用意された部屋は留置所に似ていた。もしかしたら、人権の保護が確約されている分だけ留置所の方がマシかもしれない。


 宿泊施設ではないのだから仕方がないとはいえ、公安局の要人向けゲストルームよりは二段落ちる。ついでに言えば僕の自室のベッドからは六段落ちる。聞いたわけではないが、恐らく治験のモニターが宿泊するための部屋だろう。今の境遇にはある程度の諦念をもって臨んでいるつもりだけれど、ツチヤ君に寝具一式を買ってくるように伝えておけば良かったと少し後悔した。


 そんなことを思っているとナイトウからコールが入り、ツチヤ君がもうすぐ到着すると伝えられた。


「出迎えに行くよ」

「では、ご一緒します」

「そう、えっと、どこにいる?」

「隣の部屋です。壁を挟んで10メートルもありません」

「あ、そう」


 耳の裏に触れた指がずり落ちそうになるのを堪えて、じゃあ五分後に出るからと伝えた。さっきから姿がないなと思っていたら、まさかの距離だ。護衛任務なのだから妥当といえばそうかもしれない。飛行機に同乗していたナイトウの部下二人もいつの間にか消えているが、研究所の外で見張っているのだろうか。何を見張るのかは知らないけど。


 それにしても、と僕は宙を眺めた。ツチヤ君はさぞかしお怒りのことだろう。彼女が言いそうな嫌味を数パターン想像した。いずれか、あるいは全てが実現するだろう。それとも案外、主人たる僕の避けがたい運命に巻き込まれた不運を嘆いてくれるだろうか。そうだ、よく考えれば僕の責任ではない。細胞も、ウイルスも、権力争いも、僕が発端となって発生した問題ではないのだ。ツチヤ君ほどの優秀な秘書が、それを理解していないわけがない。


 そんな慰めを想像しつつ、腰掛けていたベッドから立ち上がり、顔を洗う。


 コールを切ってから五分きっかりに部屋を出ると、ナイトウは既に廊下に立っていた。


「そういえば、ツチヤ君とは面識があったね」


「緊急性の高い任務だと伝えるとすぐに取り次いでいただけたので、助かりました。実際にお会いしたのは、あの待合室ですから、ほとんど初対面です。個性的な服装をされていらっしゃいますね」


「うーん、まぁ、ね」


 あれは個性なのかという疑問はあるが同意しておいた方が無難だ。社内では僕を含めて誰一人、彼女のファッションに口を出せる奴はいない。その昔、揶揄した中途社員が翌週に一身上の都合で消え去ったという噂もまことしやかに流れている。


「ナイトウも着てみたら似合うかもしれない」

「ああいったフワフワした服は動きにくいので苦手です。いざという時に対処が遅れます」


 実用性の観点からメイド服を批評されるとは思わなかった。この二人の相性はどうなのだろうか、と思わず考えてしまう。


 エレベータに乗り込み、ナイトウが1階のボタンを押した。周囲を警戒しているのか、威圧的な雰囲気を醸し出している。研究所内部なのだから、不要だと思うのだが、口には出さない。僕自身も威圧されているからだ。


 ロビーを通り過ぎて、正面玄関を抜ける。滑走路は東側だ。


「わっ」


 何か動くものがあって、そんな声が聞こえた。ナイトウが僕の視界を遮るように前に出たので、姿がよく見えない。


「お姉さん、ごめんなさい」


 ナイトウの横から顔をのぞかせると子供がいた。7、8歳くらいだろうか。第二次成長期を迎えていない少年とも少女ともつかない中性的な顔立ちだったが、声から判断するに男の子だろう。ブロンドの髪が太陽を反射して輝いて見える。


「いいえ、こちらこそ」


 ナイトウが優しい声で男の子が落としたらしいものを返した。後ろ姿なので見えないが、もしかしたら笑顔を作っているのだろうか。僕は一度もしてもらったことがないのに。


 男の子は一礼して、そのまま僕の横を通り過ぎて研究所の中に入っていった。スタッフの身内ではないはずだ。遺伝的特徴を持つスタッフは、僕がサンプルを取られていた際に視認した範囲にはいなかった。


「今の子、珍しいものを持っていましたよ」

「何か落としてたね、なんだったの?」

「ゲームハードです」


 確かに珍しい。身体がネットワークに繋がる現在、ゲームハードとは身体そのものを意味する。DNAメモリも、体内電力供給もない時代の産物。余程特殊なMODでもない限り、内部化されていない機材を使用することはない。


「年齢的にまだ手術前なんじゃないかな」

「子供向けでももう少し高度なハードは幾らでもあります。今の子が持っていたものは、前世紀に発売されたモデルでした」

「レトロだね。見ただけで分かるの」

「いえ、視界から画像検索しました。危険物の可能性を一応考慮して」

「心配し過ぎでは?」

「子供に爆弾を持たせて突撃させる手法は、テロにおいては一般的です。内臓を改造すれば遠隔操作で起動する自律型の爆弾になりえます」


 流石に考えすぎではないかという気もしたが、真剣に語っているところを見るとかつて実際に使用された例があるのだろう。


「あの子供の存在は事前に連絡を受けていましたので、そこまで警戒していませんでしたが、まさか意味もなく走るとは思っていませんでした」

「子供ってそういうものだよ。昔はそうだったろう?」

「いえ、私は意味もなく走ったりはしませんでしたが」


 無邪気な頃が存在したという希望が打ち砕かれた。今の表情のまま、子供になったナイトウを想像してみたが、そちらは容易だった。


「やぁ、どうも」


 流麗な英語で話しかけられて顔を上げる。施設の曲がり角で立ち止まっていたせいで、近付いてくる人影にまたしても気付けなかった。ブロンド髪の成人男性が僕を見下ろしている。隣には車椅子の老婆と、その補助員だろうか、女性型のアンドロイドがいた。


「ひょっとして、オノデラ・クロム氏では?」

 ブロンドの男性は眉を上げ、車椅子の女性に語りかける。

「ほら、息子さんだよ。オノデラ博士の」

「あらまぁ」


 車椅子の女性が僕を見上げた。


 帽子の隙間から、皺の刻まれた皮膚の奥にある瞳が僕を捉えていた。丁寧になでつけられた白髪と紫を基調とした服装は、無言のうちに上品さを滲ませている。この種の空気は、ただ資産を積むだけでは纏うことができない。長い時間の洗礼が人間の資質に篩をかけ、最後に残った砂金のような美しさが必要なのだ。


 つまり、僕にはないものだった。


「これは失礼。御父上との共同研究者であるライゼルの息子で、セドリック・ライゼルと申します。こちらは、母のクリスティナ・ライゼルです」


「あ、これはどうも」


 セドリック氏は白い歯を見せて握手を求めてきた。外交官のような手慣れた振る舞いは、彼の実業家としての手腕を証明するのに十分だった。


「先程は息子がぶつかったようでしたが、大丈夫でしたか?」

「いえ、お気になさらず。日本公安局のナイトウと申します」


 ナイトウも流れで握手する。噂には聞いていたが、実際に会うのは初めてだ。この国の経済産業大臣がスケジュールを無理に押し込んで歓迎パーティを企画したのは、彼の存在が貢献した割合が大きいはずだ。僕と違って、表立った投資事業に積極的で、ネットニュースで名前を目にする機会も多い。


「素敵ね。オノデラ博士に目元が似ていらっしゃるわ」

「お会いできて光栄です」


 膝をついて、クリスティナ女史の手に触れた。骨に皮膚が張り付いた老人の腕が袖から覗く。普段、手術やデザインを経ていない純粋な老人という存在に接する機会は少ない。どれぐらいの強さで握ればよいのか一抹の不安を覚えたが、それを拭い去るようにしっかりとした手つきで、彼女の指が僕の手を握った。


「父をご存じなんですか」


 僕の母親の配偶者をご存じなんですか、と表現しそうになったが、なんとか我慢する。


「もうずっと昔のことになるけど」


 クリスティナ女史は遠い目をして、顔を僅かに上げた。


「私は大学で比較文化学部にいて、中国語と日本語を専攻していたの。自動翻訳はまだ過渡期だったから、留学していたオノデラさんを見つけては、よく助けていただいたわ。その時、彼と一緒にいた友人から熱烈なアプローチを受けたのね」


 それが後に彼女の夫となったアルファード・ライゼル博士。僕は続きを心の中で補足した。


「若い頃、よくうちに遊びにいらしたわ。私をほったらかしにして、夫が一晩中、楽しそうに議論しているんだから、嫉妬したものよ」


 口元に手をやって、クスクスと笑うクリスティナ女史は、僕を通してかつての幻影を眺めているようだった。僕にとっては呪いでしかない存在が、誰かにとっては美しい思い出の中に登場している。そういうことが、ありえることは分かる。でも、量子力学の様に、理屈では分かっても実感は湧かない。


「僕も国の担当者から色々教えてもらって、まぁ世界を救う手助けにでもなればと思って手を挙げたんですが、貴方と知り合えただけで元が取れた気分ですよ」


 爽やかな笑みをみせるセドリック氏を尻目に、ナイトウを見てやったが、何かありましたか、とでも言いたげな憮然とした表情をしていた。こっちはほとんど拉致だったのだけれど、我が国の恥をひけらかすこともないなと思って経緯については黙っていることにする。


「クロムさんは、もうサンプリングが済んだのですか?」

「ええ、だいぶ血を抜かれました」

「注射か。いくつになっても、あれは嫌なものです。子供の頃、技術が進んで痛くない注射が発明されることを夢見ていましたが、結局未だにスタイルが変わらないんですよね」


 セドリック氏がオーバアクションで腕をさする仕草をした。


「この子、5歳のときに予防接種で大泣きしたのよ。痛いのは嫌だって、病院の用務室に立て籠もってたの」

「恥ずかしいから止めてくれよ母さん。その話、もう50回は聞かされてる。いい加減に忘れてよ」

「あら、無理よ。楽しい思い出は忘れないものよ」


 理想的な親子だ。眩しいくらいに。


 僕にはないものが、そこにあった。生まれつき持たないために、その価値を正確に推し量ることができないけれど、きっとどんな宝石よりも大切にしたいと思えるものなんだろう。映画でもコミックでも、そう描写されている。僕は他者の振る舞いと紡がれた物語をなぞって、それを理解するしかない。


 きっと、こういう愛しさを守るために、人は生きているのだろう。


「人間の痛みなんて、注射の目的からすれば些細なことなんでしょう」 


 僕の言葉の意味に、セドリック氏はすぐに気付き、少しだけ真剣な顔つきになった。


「言えてますね。でも、それを受け入れたくはない。今の僕たちのようにね」


 それではパーティで、と言い残してライゼル親子は研究所に入っていった。あとに残された僕たちも滑走路に向かう。


 なんとなく無言のまま、等間隔に並べられた広葉樹を見つめて歩いた。ぼんやりと見つめすぎたせいで、勝手に検索が始まってしまい樹木の学名が表示されたので、すぐにまばたきして消した。

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