2.2 耐えなければならない

 空港に降りると思ってばかりいたが、研究所のサイドエリアに滑走路があるのだという。


 インドの国立研究所らしく、外観は宮殿を模した造りになっていた。暇があれば現地の観光でもしたいところだが、恐らくずっと軟禁状態だろう。ナイトウに言わせれば、最も安全で効率的な処置なのだろうけれど。


「ターヤといいます。ここの主席研究員を務めております」


 出迎えてくれた研究員の言葉は現地語だった。耳の裏インプラントの自動翻訳が彼女の声に限りなく近い機械音声で同時通訳してくれる。


 髪を後ろで縛り、ジーンズにTシャツというラフな格好だった。


 スタイルは良く、目鼻立ちのはっきりした美しい顔立ちをしている。だが、都市を闊歩する女性のような作り物の匂いはしない。もっとも、人間の外見なんてものは<先天的な準備>によるものか<後天的な処置>によるものかの違いでしかない。


 研究者という生き物は大半が自己の外見への興味が薄いので、ナチュラルな部分が多いのだろう。フォーマルな服装という拘りがないのは、恐らく文化よりも気候の影響によるものと思われる。


「公安局のナイトウと申します」


 ナイトウが耳の裏に指を当てた。しばらくして公式なデータ通信が完了したらしく、チョウ博士と僕も順番に通信を交わし、ターヤと握手をした。


「綺麗なところですね。美術館みたいだ」

「敷地内だけですよ。街に出ればカオスです。巻き込まれないために系を区切っています」


 そう言ってターヤ主席はアスファルトを指さした。公道との境目で舗装のレベルが格段に異なっている。敷地を「系」と呼ぶあたりは科学者だな、と思えた。


「今日は一通りのデータを測らせていただきます。それから休憩を挟んで夕食を。簡素ですが歓迎パーティをご用意しております」

「パーティの予定は、計画にありませんでしたが」


 ナイトウが片眼鏡に触れながら言った。予定表をオーバレイしているのだろう。視線が空を上下している。


「申し訳ありません。オノデラ氏が来訪されることが、厚生局経由で高官に伝わってしまったらしく」


 ターヤ主席は両手を顔に当て、うんざりといった声で呟いた。


「経済産業大臣が是非ともご挨拶したいとのことです」

「流石クロムさんですね。本来なら僕たちも頭が高いのではないでしょうか」


 チョウ博士が笑い、僕は溜め息を堪えた。だから外出は嫌なのだ。なんて、この状況で漏らしても仕方ない。僕はプライベートな状況であれば極力国外に出ることがないし、やむをえない場合なら秘匿した上で出掛けるので、好機と思われたのだろう。挨拶の内容も、大抵想像できる。


 遺産を継いだ直後、まだ幼かった僕はうっかりパブリックなネットワークで好きな食べ物はカレーだと公言したことがあった。それは紛れもなくただの事実だし、今に至るまで変わりはない。けれど、僕の嗜好が表沙汰になることによって東南アジアからインドを中心としたスパイスの先物市場に買いが入り、連鎖的に他のコモディティにまで影響が波及して騒ぎが治まるまでに2カ月半を要したことがある。そこで発生したバブルと共に泡になった人間や、高騰した小麦もトウモロコシも買えずに、つまりは購入する社会価値を持たない人間が飢えて倒れていった。


 このカレー事件以降、僕は一挙手一投足に細心の注意を払うようになり、時間が経つにつれて情報を表に出さないことによって負荷の軽減を図るようになった。けれど、この時の影響力を覚えている政府の要人は多く、今でも「ご挨拶」のイベントが生じてしまうことがあるわけだ。


「愛想笑いできる元気が残っているかな」

「測定はすぐに終わりますから」

「貧血で倒れてなければいいけど」


 さっきクッキー食べましたよね、とばかりにナイトウが僕の方を向いた。このレベルの皮肉なら許容されるということが、短い付き合いで理解されつつある。


「部下を呼んでもいい?」


 想定される面倒な事態をあらかじめ収拾すべく、手を打たなければならないだろう。ナイトウも事前計画になかったようだから、承認されるだろうという見込みをもって提案した。


「こちらに呼ぶ以上は事情の説明が必要です。機密事項ですので、みだりに人数を増やすわけにはいきません。一人でお願いします」

「じゃあ、秘書のツチヤ君を。ほら、あの襲撃があった時に一緒にいた」


 メイド服の、と言いかけたが止めておいた。もしかしたら、この2週間で彼女もTPOを弁えた服装に目覚めているかもしれない。


「分かりました。ただ、時間を考えると政府専用機でもギリギリかもしれません」

「じゃあ、うちのジェット機で呼ぼう。払い下げの戦闘機を買ってあるから」


 耳の裏に手を当てる。コールと同時に、確認のためマスターセンターからツチヤ君のアカウントを開いた。第一秘書として優秀な彼女は、戦闘機の手動運転免許も当然取得済みだった。つまり、パイロットの手配は省略できる。


「戦闘機って買えるものなんですねぇ」

「私ならその費用を測定機材に当てたいですけれど」


 チョウ博士とターヤ主席が研究者同士の交流を深めているのを横目に、コール音は続いた。接続があるということは、寝ているわけではない。コール先が僕だと理解した上で無視している、という可能性について考慮したが、程なくしてツチヤ君の声が聞こえた。


「これはどうも、ご無沙汰しております」


 明らかに不機嫌だ。


 襲撃の後、あからさまな情報規制で適当な嘘をでっちあげたのを根に持っているのが分かる。僕のせいじゃないのに。だが、そんなことを気に病んでいては彼女の雇い主は務まらない。


「あ、ツチヤ君。悪いんだけど仕事をお願いできるかな」

「お願いも何も、ここ2週間ずっと代表代理として私が働いておりますが」

 墓穴を掘った。が、気にしない。

「ところで、ツチヤ君は、ラーメンとカレーなら、どっちが好きかな?」

「え、食事としてですか? どちらかといえばカレー、でしょうか」

「そっか。それは良かった。じゃあ今から3時間以内にニューデリーまで来てね。位置情報はあとで送るよ。現地に滑走路もあるから、それじゃ、よろしく」


 え、とか、あ、とかいう声が聞こえた気がしたが無視してコールを切った。ついでにネットワークをオフラインモードに切り替える。


 ツチヤ君がカレー好きで本当に良かった。これで彼女もインドへの出張を楽しんでくれるだろう。ラーメンが好きだと言われたら、君は本当に美味しいカレーをまだ食べたことがないんだ、と言うつもりだったので、結果に影響はないけれど、本人の意思を尊重した形になって重畳ではある。


「パワーハラスメントですねぇ」

「パワーハラスメントですよね」


 いつの間にか仲良くなっているチョウ博士とターヤ主席に向き直り「雇用契約上、彼女はこの命令を許容しています」と一応説明したが、訝しまれてしまった。


 ナイトウは興味がないのか、それとも単に事務連絡で忙しいのか僕らに背を向けて、腕を組んだまま人差し指で耳の裏を叩いている。小さな声で何かしら指示を出していた。恐らく、私設空港にブチ切れながら走るツチヤ君の前に立ちはだかって事情を説明する役を、部下にふっているのだろう。

 

 轢かれなければいいけれど。


   *   *   *   *


 心臓の鼓動がサインカーブを描くのを、じっと見つめていた。その時間が一番長かったように思う。


 測定は滞りなく終わった。時間だけで言えば、僕の会社や公安局の研究所と大差はない。国家予算が入っている性質上、積極的に効果を発揮しない一部の設備が老朽化している節があったけれど、分析AIとスキャニング装置は紛れもなく最新のものだった。お金をかけるべき箇所にかけられるだけの優秀な頭脳と実務者が存在するということだ。


 もちろん、重要なのはサンプルデータを得た後の研究であり、α及びβ細胞が他の細胞群と接続して新しく生まれ変わる現象の解明こそが主眼だといえる。ここさえ可能なら、データの取得にかかる時間なんて大差はない。一定のラインまでは歩いても車でも辿り着けるけれど、月に行きたければロケットが必要だ。


「当時からすれば機材もAIも格段に性能が上がっています。にも拘らず再現できる兆しの一つも見えないということは、根本的な前提条件が間違っているとしか思えないんです」


 ターヤ主席が大きく息を吐いた。僕はベッドに腰掛けたまま言いつけを守って「安静に」している。彼女のスタッフたちはずっと計器を弄っていて、チョウ博士もそのメンバに入り指示を出している。


「流通会社の卸売データから、当時の研究機関に存在したものと同じものを揃えたんですよ。倒産したメーカーのものもありましたけど、できるだけ」

「道具は同じで、実験のバリエーションはAIがしらみつぶしですか?」

「そちらもやっています。でも、きっと無理です。そのアプローチはここ十年の間、世界中で試されていますから」


 だから前提条件が違う、と考えるのは確かに理にかなっているかもしれない。


「相続財産の中に秘密の論文とか残ってませんでしたか?」

「もしあったなら、管理団体の誰かがこっそり持ち出して、既知の技術になっていますよ。僕がわざわざここで大人しく注射に耐えているのが、不在証明です」


 この話題は人を変えて何回もふられている。


 不老を約束する、生命の循環をひっくり返す発明に、都合よく再現性がないのは不自然すぎるという陰謀論だ。正直言って、僕自身少しだけこの説は信憑性があると感じている。父とライゼル博士は自らが生み出した細胞が人類の未来を捻じ曲げる結果になることを予見して、レシピを焼き払ったのではないか、と。


「あったら素敵なんですけどねぇ」


 チョウ博士がモニタ越しに会話に加わった。こういう時は、思考操作よりもアナログ操作の方が都合が良いらしく、器用に片手でモニタに触れている。


「ライゼル博士の奥様にも今日お会いする予定なので、そちらに期待しましょうかねぇ」

「あぁ、僕以外にも人が来るんですね」


 良かった。他にゲストがいるなら、愛想笑いに囲まれたパーティに終始することはなさそうだ。


「αの方のサンプルですか?」

「いいえ、奥様はナチュラルなので、サンプルの方はお子様に協力いただく予定です。まぁ、お子様といっても成人してらっしゃいますけどねぇ、奥様には当時の研究環境についてインタビューしたいんです」

「へぇ」思わず眉が上がる。

「ナチュラルなんですか」


 少し意外だった。α細胞の発明者にして父の共同研究者であるライゼル博士の配偶者が、夫の最大の功績を享受していないなんて。相続財産の利権規模を考えれば、手術が受けられないわけがない。それはすなわち、自らの意志によって不老を拒否していることを意味する。


「今は広く受け入れられましたけどね、昔の方は結構、自然なままでありたいという思想が根強いんですよ。そういう宗教もあったぐらいですから」


 自然なまま。それは、老化によって死に近づいていく身体を受け入れるということだ。けれど、細胞手術は今や高級な選択肢として一般化した。あと十年、二十年もすれば、もっと安価になるはずだ。成人したら当然のように年を取らなくなる世代が群を成して、それが当たり前になったとしたら、老化する人間の方が不自然な存在になるだろう。


「不謹慎ですけど、財産の大半はご子息に生前贈与されているようですから、クロムさんの強力なライバルなんじゃありませんか?」

「別に争っているわけではないですから」


 適切な運用効率を求めた結果として財産が増えただけだ。僕はこの世界で一番になりたいわけではない。ライスワークをせずに済むことは確かにありがたいけれど、僕にとって僕の人生にまとわりつく財産の呪縛は、もっと根が深い。


 説明しても理解されないだろう。


 理解されるという幻想に縋る程、僕は弱くないつもりだ。それに、コウモリであるとはどういうことかを理解できないのと同じように、根本的に不可能な事柄でもある。相手が理解したことを、僕は理解できないだろう。違う人間なのだから。

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