1.4 考えなければならない
そしてジャスト100時間が過ぎた。余りに暇だったのでカウントしてしまったのだ。
オサダ課長の話では、およそ2か月で情勢の混乱は収まるだろうとの予測だった。元々オープンだった僕の適合情報に加えて、現在の状態から得られた追加情報や検査結果を、政府が安全保障契約上の秘匿情報として各国に提供することで鎮静を図る目論見らしい。皆で情報を共有しましょう、というわけだ。欲しいものが手に入れば、どんな駄々っ子だってやがて玩具に興味を失っていくだろう。
そんなわけで、ビジネスホテルよりは多少マシな程度の一室に閉じ込められた僕の仕事は二つに絞られた。
一つ目は、少々ハードな健康診断。
二つ目は、突然行く先を告げずに旅行に出かけた主人に対するツチヤ君からの嫌味の籠ったメールを宥める少々の努力。
ちなみに、ここでいう「少々」とは「吐きたくなるほど」という意味だ。
インサイダー取引になりかねない気がしたので一応許可を取ったが、指示を出してファンドの資産バランスも弄ってみた。すぐに飽きてしまって、ベッドに寝転がる時間が増えていったけれど。
仰向けに寝転んでも空は見えない。
「お休みでしょうか?」
ノックがあって、呼びかける声に僕は身体を起こした。
「いえ、大丈夫です。どうぞ」
「失礼します」
扉が開くと、ナイトウが立っていた。別れた日とは違うスーツで、今日はスカートスタイルだった。
「良かった。もう怪我はいいんですか?」
「ご心配をおかけしたようだったので、ご報告に参りました。最新のカプセルと治療で、相当な資金提供を受けたと聞いています。ありがとうございました」
「僕を助けるために負った怪我ですから、せめてそれぐらいはしようかと」
「明日から復帰しますので、クロムさんの警護を担当することになっております。よろしくお願いいたします」
そういうとナイトウは右腕をあげ、動かして見せた。表情が変わらないので中々にシュールな光景ではあるが、完治したというアピールなのだろう。さりげなく呼び名がクロムになっているのは、オサダ氏との会話の結果と推察できる。
「それでは」
用件が済んだとばかりに一礼して踵を返そうとするので、僕は慌てて引き留めた。普段の僕からは考えられない行動だが、ずっと閉じ込められていたせいで、話し相手に飢えていたのだ。
「コーヒーでもいかがですか。というより、それぐらいしか場所を知らないのですが」
「ええ。それぐらいでしたら」
意外なことにオーケーが出た。気が変わらないうちにと食堂までエスコートする。多分、ナイトウの方が施設には詳しいだろうけれど。
局内の全貌は不明だが、食堂は半球型の空間で、片隅にカフェテラスが設置されていた。どこか作り物めいているのは、最低限の福利厚生として準備されただけで、使う人間が乏しいからだろう。僕が隔離されているフロアは明らかに人の出入りが少ない。
「そういえば、もう課長から訊かれましたか? クロムさんの完全な保護が解かれるのは月末になるそうですよ」
「あ、そうなんですか。知りませんでした」
口頭で伝えられるレベルということは、特に制限がかかっていないということだ。どうやら僕という被検体の追加情報の公開は成功しているらしい。
テラス席に到着して、彼女を座らせた。僕が誘ったのでと断って、コーヒーメーカのボタンを二回押し、テーブルにカップを運ぶ。
「ここってアルコールはないんですね」
「楽しく騒ぐ必要がありませんので」
「まぁ、そうですが」
特に飲みたいわけではなかったので、大人しく引き下がる。
「一応公益施設ですから、その手のものは外から取り寄せるしかありません」
場所自体も秘密のはずだが、どうやっているのだろう、と僕は不思議に思った。
「ナイトウさんは飲まれるんですか?」
「私は未成年ですので」
空気が止まった。ジョークなのか本気なのか、表情が読み取れないので判断に迷う。折衷案として、乾いた愛想笑いを浮かべるしかない。彼女の紅い瞳には、飛び級で公安に入った可能性を排除しきれないだけの力があった。
現代社会にとって、相手の年齢を尋ねることはかなり踏み込んだ質問に属している。性別や人種と同じぐらいセンシティブな情報なので、距離感を掴むまでは迂闊に触れられない。
「折角ですのでここでお伝えしてしまいますが、警護にあたるのは私と、初日にクロムさんをお連れした男女の二人組の三名です。あらためて、明日から宜しくお願いします」
頭を下げられたので、慌てて僕も頭を下げた。
「警護といっても、ずっと缶詰めでしょう」
人件費の無駄遣いではないか、という気はする。
「それはそうですが、まぁ、そうではなくなる場合に備えた対応とお考え下さい」
「え、外に出られるんですか?」
「可能性として、です」
暗に教えてくれているのかもしれない。職員を三人も配置する時点で確度は高い。何らかの指令が下って、正式な事務手続は済んでいない、といったところだろう。
「何かあった場合はすぐに駆けつけますので、遠慮なく通信を使用してください。局内限定で使用できる回線を、後でお知らせします」
「すぐにということは皆さんここにお住まいなんですね」
「上のフロアに、職員用の居住スペースがあります。クロムさんを保護しているのは要人向けの部屋です。緊急時にはパニックルームになりますから、2カ月程度なら中で暮らせますよ」
どおりで使用された形跡が少ないわけだ。
「上も見てみたいな。エレベータ、僕には反応しないんですよね」
「残念ですが」ナイトウが首を振る。「職員のみです」
「隣の非常用扉も試してみたけど頑丈でした」
「あちらも同じです。緊急時以外は開きません」
自主的には出られないらしい。保護というより軟禁というのでは。
それにしても、月末を待たずに警護を付けてまで外出しなければいけない場合とはどういうものなのだろうか。必然的に意識はそちらに向かう。
「ナイトウさんは」
「ナイトウで結構です」
ストップという意思表示らしく、ナイトウが僕に掌を向けた。
「資金援助と同時に、政治家に献金されましたね? 現時点で、貴方は特例の監査権限を保持している」
バレている。妹が周囲の動きを察知してヘルメットを贈ってきた以上、僕だけが大人しく保護されているわけにもいかなかったのだ。受動的な行動は、【遺言状】の規則に反する恐れがあった。
「内容が内容だけに、自分で調べる必要があるかもしれないと考えました。ご迷惑でしたか?」
「迷惑というより困惑しました。要人保護は経験がありますが、この早さで権限の主導権を握られたのは初めてです」
「黙って部屋で寝ているのは性に合わないもので。ナイトウさんの」
「ナイトウ、です。良好なコミュニケーション関係を築くのも仕事の内ですので、まずは呼び方から」
「そういうわけにも」
「すでに現場外での権限は貴方が上です。それに、不愛想でも怖いわけでもありませんので、ご心配なく」
聞いていたのか。いや、後から聞いたのかもしれない。きっと女性職員からのルートだろう。睨まれてしまった。
「捜査の邪魔をするつもりはあり、ええと、ないよ」
それから多少押し問答が続いたが、真偽のほどはさておき、この点を譲る気はないらしかった。そこについては妙に押しが強い。逆らうメリットはないので、従うことにする。
「えっと、じゃあ、ナイトウは、僕たちを襲撃したのはどんな勢力だと思っている?」
「不明です。ドローンはハックされたもので、爆発したのは貨物の方でした。送り主は行方不明ですが、代行業者を経由しているので、足取りは掴めません」
「そうじゃなくて、どう思うかという話」
僕がコーヒーを口に運ぶのと同じタイミングで、ナイトウもコーヒーに口につけた。他者の何気ない飲食の所作を眺めてしまうのは、癖になってしまっている。
「そうですね、あのドローンはただの脅しだと思います。殺害だけなら、もっと確実な方法があったはずです」
「うん、それは同感」
直前まで、僕は無防備にもタワーの屋上に寝転がっていたのだ。狙撃すれば終わりだった。会社代表者が仕事をサボって屋上で寝転がる習性があるというデータが、AI予測に足りていなかっただけかもしれないが。
「ですので、目的はクロムさんを我々に保護させること。少なくとも、襲撃の可能性に備えて長期間避難させることだと思われます。今この状況は、襲撃側からすれば理想的な展開といえますね」
「え、そうなの?」
それならこの状況は、わざわざ相手の思惑に乗せられていることになる。
「事態は複雑なのです。こうすることで、別の過激派を抑えるコストが下がる、と考えたのではないでしょうか。クロムさんの死亡がメディアに流れれば、必然的にα細胞関連の背景が疑われますから、噂レベルの動きが確信に変わるはずです。ですので、今回の騒動自体を公にしたくない勢力があるのでは、と」
この点について既に会議で話し合っているのだろう。ナイトウの意見には淀みがなかった。
「ああ、なるほど。数十年間みせなかった弱点が、いきなり発見されたようなものだから、隠したいわけか」
「過激派からすれば、世界の勢力図を大きく塗り替えるチャンスですから、無茶なこともしてくるでしょう。そうなる前に、危なそうな駒を盤上から一つ取り除いたと考えられます。政府としても安全保障上の発言権が強まるので、まぁ利害が一致したというところですね」
恐らく、とナイトウは付け加えるのを忘れなかった。あくまで一職員としての意見であって、他の意見もあったのだろう。けれど、僕にはナイトウの説がそれなりに的を射ているように思えた。
「過激派というのは、テロ組織をイメージすればいいのかな」
「それもありますし、軍隊のような公的機関もありえます」
「え、どういうこと?」
「今仰られたテロ組織というのは、α細胞の適合者ではない、つまり高額なイニシャルコストもランニングコストも払えない、世界の権力の外側にいる勢力を指していますよね?」
「うん」
前世紀以前の社会システムでは、権力の座についた者が、永続的な支配を手にすることはできなかった。寿命という絶対的な交代制度によって、せいぜい数十年の維持しかできなかったのだ。世襲や相続という手法も、完全な代替には程遠い。繰り返すたびに摩耗して、分裂し、やがて消えてしまう。
「我々が警戒しているのは、どちらかといえば内側の勢力です」
「ああ、つまり、ウイルスを手に入れて、他を排除すれば取り分が更に増えるってことか。なるほどね、強欲だ」
つくづく愚かしいとは思うけれど、他者を押しのける競争がこの社会の基礎を形成してきた以上、それは避けられない。
「うん、ありえるな。生き延びるために始めた戦いなのに、手段と目的を取り違えたままなんだよ」
「失礼を承知で申し上げれば、クロムさんも内側だと認識していますが、やはりもっと多くを欲しいという気持ちになるのでしょうか」
「僕には理解できない。けれど、そういう人間が存在することは知っている」
オーバーに溜め息をつき、首を振って応じた。無限に存在しないことを知りながら、無限を求める。人間にはそういう設計ミスが許されている。ファンドのプログラムだってオプションにセーフティはあるというのに。
「あとは、そう、防御策という線もあるね」
「積極的に排除したいわけではない、と?」
「なにせもう余程の事がない限り死なないわけだから、必要なのは費用を捻出できるだけの資産の維持ぐらいだ」
一定のラインにまで到達すれば、それはもはやルーチンワークに近い。
「そう考えて安心していたら、予想外の脅威が出てきた。ウイルスだけなら閉じこもっていればいいけど、他の強欲な奴らにウイルスを送り込まれてしまうかもしれない。それなら、自分で安全に管理したい、という発想になる。大体が支配者層だし、そういう人間は問題解決に対して主体的だ」
「なるほど。その考え方なら分かる気がします」
「いずれにせよ推測の域を出ないけど、まぁそんなところかな」
「AI予測の推定割合も、大方一致しています。次の動きまでは、様子見ですね」
そう言って、ナイトウは足を組み替えた。革靴に見せかけたスポーツシューズを履いている。いつでも動けるように、という配慮だろう。
「……私の脚がなにか?」
「あぁ、いやごめん、なんでもない」
ついまじまじと見てしまった。他意はなかったのだけれど、慌てて否定するとそれはそれでやましい気がしないでもない。
「今日は格好が違うんだな、と思って」
「ああ、今日まで休養なので、私服ですから」
「え、それ仕事着じゃないの?」
「持っている服の中ではカジュアル寄りです」
どうみてもスーツだった。休暇中の人間が身に着けるには、あまりにフォーマルだ。僕の驚きに対して、ナイトウは淡々と説明する。
「いつでも出動することができるように、統一しているんです。一々着替えるのも面倒ですから、最初からこういう服を着ていれば面倒な工程が省力化できますから」
「あ、そう」
ワーカホリックなのかもしれない。僕には理解できない境地だが、人のスタイルにとやかく言う趣味はない。
「スーパーマリオみたいだね」
何となくそう呟くと知らなかったらしくナイトウは小首を傾げた。いつも同じ服を着ているので、ぼんやりとそう思ったのだが、よく考えたらマリオの方が色々な変身をしているのでお洒落度は上かもしれない。
「どなたですか、それは」
「ずっと昔のコンピュータゲームだよ」
「えっと、ああ、分かりました。そういう意味ですか。こういうオーバオールなら、動きやすくて良さそうですね」
耳の裏に触れながら喋っていたので検索したのだろう。途中で分かったらしい。僕が笑うとナイトウもクスクスと笑った。
「このゲーム、確か歴史の授業で見たことがあります」
「僕はプレイしたことがある。プログラミング教育の一環で」
こんな平穏さは、襲撃の時に比べるべくもない。莫大なエネルギーや資本は必要なく、ただ椅子とテーブルがあればいい。消費するのはコーヒーだけ。精神にも環境にも優しい。そういうことが、強欲な連中にはどうして分からないのだろう。どれだけ貯めこんでも不安だというなら、それは病気でしかない。
コーヒーはいつの間にか空になっていた。
「誰がウイルスを作ったんだろう」
独り言のような疑問が漏れたのを、ナイトウは問いかけだと解釈したらしく、分かりませんと答えた。
「じゃあ、問い直そう。死ぬまでに使い切れない程の資産を持って死ななくなった哀れな奴らの時間を、強制的に進めようとしているのは、どういう動機なんだろう」
「個人に対する殺意であれば、強引な方法を用いれば個体としての死は実現可能です。サイクルを組み込んだ不老であっても、不死になったわけではないですから。単純な暴力によって解決することができます。ですが、ウイルスの作成となれば個人が狙いではない。生き続ける者たち、そして生き続けることを許容する社会システムそのものを破壊することになります」
「それは、やっぱりテロだね」
背景にどういう思想があろうと、社会を脅かす以上はそこに行き着く。
「ええ、ですから我々の仕事になるわけです。クロムさんは、テロではないとお考えなのですか?」
「そういうわけじゃない。けど、そうだな、上手く言えないけど、テロと見なすための必要条件なのか、十分条件なのか、という疑念めいたものが根底にあって」
慎重に言葉を選ぶ。
「金持ちが死なないこの社会が、本当に正しいのか。マリオみたいにいつでもコンテニューできるのは、不公平なんじゃないかって思う時があるんだ」
「マリオだって、失敗し続ければゲームオーバーですよね。生き続けるためには、それだけの社会価値をコストとして支払っています。ノブレスでなくとも、オブリージュは課せられますから」
資本主義が形を貌えて社会価値主義に移行しても、価値の形態がより抽象的な概念に変わっただけだった。けれど、父親たちの発見から生み出された<幸運な>相続資産に縛られた僕は、一体何に貢献したというのだろう。工場の運営は、僕でなくてもできる。宇宙開発が僕より得意な奴はいるし、農産物は今やほとんどがオートだ。ファンドマネジメントもAIに任せればいい。
「残機が買える奴らは、本当に生き続ける価値があるのか。ここでの価値っていうのは、社会貢献ポイントじゃなくて、もっと感情的な意味合いだ。多分、ウイルスを作った奴はそう考えているんだと思う」
これは問いかけなのかもしれない。ウイルスの作成者から、社会への。
「内側にいる方とは思えない発想ですね」
「内側にいるからこそ、自問することも多いんだよ」
時計を見上げた。時間が知りたいわけではなく、そろそろお開きというジェスチャだ。人に飢えていたとはいえ、誰かとこんな風に会話したのは珍しい経験だった。
ナイトウから空のカップを受け取り、ゴミ箱へ歩く。ペダルを踏み、中へシュート。
「あの」
テーブルの傍に立ったまま、ナイトウは耳の裏に手を当てていた。まだネットワークに接続しているようだ。
「一つ確認したいのですが」
「なにかあった?」
「先ほど残機と仰いましたが、すみません検索しても出てこなくて」
「答えられることなら、何でもどうぞ」
そう言ってやると、ナイトウが真面目な顔で僕の方を向いた。
「マリオって機械なんですか?」
教師に対するような質問の態度に、思わず笑ってしまった。
「人間だよ。クールな言い方をするなら、プログラム。いや、キャラクターか?」
キノコ王国に住んでいるんだっけ? いや、助ける対象がその国のお姫様というだけで、人間社会は別にあるのか。まともに考えたことがないので、はっきりと分からなかった。
まともに考えたって、きっと分からないだろうけど。
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