1.3 守らなければならない

 トラックが停止して、荷台から外に出た。外気の冷たさを感じられるから、地下1、2階程度だろう。地下駐車場のようだ。打ち放しのコンクリートに囲まれていて、他に停められた車両はなかった。僕が経営するタワーたちの方がまだ幾分か飾り気がある。


「課長のところまでお連れして」


 ナイトウは待機していた部下らしきスーツの職員にそう命じると、僕に一礼してどこかへ行ってしまった。


 それから男女2名の職員に両脇を固められてエレベータに乗せられた。回数表示や規制重量表示のないエレベータは公共建築法違反のはずだけれど、そういった常識は通用しないらしい。エナメリックな冷蔵庫の内側に閉じ込められた気分だった。


 男性の職員が手をかざすと、エレベータが自動的に動いた。加速の感覚から、更に地下へ向かっているのが分かる。


「これから会う課長というのは、貴方たちの上司ですか?」

「はい。本件の責任者と理解していただいて構いません」

「ありがとうございます。色々訊けなくて不安だったんです」


 正直なところ、まともな回答が返ってきて安心した。このまま全員がロボットみたいだったら、息が詰まって仕方ない。


「局内に入りましたので、リラックスしていただいて大丈夫です。簡素ですが、お部屋も用意してありますので、後程ご案内いたします」


 男性職員が応えた。女性職員の方は応じる気配がない。役割分担が事前に決められているようだった。


「ナイトウさんもお二人の上司、というか、先輩ですね?」

「はい。チームリーダーのようなものです」

「あの人、愛想がなくて怖そうですよね」

「は、いえ……そのようなことは」


 イエスと言いかけて、慌てて訂正された。クスクスと悪戯っぽく笑ってみせると、二人ともはにかむ様な仕草をみせてくれた。ナイトウほど、彼らはシステマティックになりきれないらしい。人間的だ。だからこそ彼女がリーダーなのだろう。作戦の遂行上、適切な評価だと言える。


 エレベータが開き、何もない廊下を歩く。


 ひと昔前にブームがあった核シェルターを髣髴とさせる造りだったが、それなりに天井は高い。もしかしたら、本来はそういった目的で建設されたのかもしれない。


「お連れしました」

 男性職員がノックした部屋にはプレートがかかっていなかった。課長室という概念があるのかは不明だ。

「お待ちしておりましたオノデラさん。どうぞ中へ」


 扉が開くと待ちかねたように、中年の男性が僕に駆け寄ってきた。僅か5メートル程度の距離だから、急ぐ必要はない。つまり、この動作はポーズでしかないわけだが、不自然さはなかった。立場上、そういう技術を習得しているのだろう。


「オサダと申します。大変なところでしたね。無事保護することができて、誠に安堵しております」

「ええ、正直言って、何が起こっているのかさっぱりで。あの、ナイトウさんから課長のオサダさんから説明があると伺っているのですが」


「はい。報告を受けております」オサダ氏が頷いた。

「あの、彼女、僕をかばって怪我をしたようなのですが、無事でしょうか」

「問題ありません。しばらくカプセルで休めば、再生は一週間もかからないかと」


 そこでようやくソファに腰掛けた。オサダ氏も体面に座る。いつの間にか男女の職員は姿を消していた。


「この部屋の会話が外に漏れることはありません。局内でも極めて秘匿性が高い空間なのです。好きなことを率直にお話しいただけますし、私も話すことができる」


 信用できるかどうかは怪しいが、確かに生体通信は使用できなかった。時刻表示のようなネットワークを常時使用しない機構しか反応がない。


「ナイトウさんから、僕の父に関することで狙われていると聞きました」

「仰る通りです。正確には、お父上が共同研究に携わったα細胞の適合に関する問題に巻き込まれている、といったところでしょうか」


 オサダ氏は人差し指で額をとんとんと叩いた。ネットワークに繋げたいわけではなく、癖なのだろう。


「オノデラさん。私は何歳に見えますか?」


 核心に迫る質問だと感じた。


 やはり、そこか。


 嫌な予感ほど、よく当たる。


「外見上は」オサダ氏を観察してみる。


 少し広い額、僅かに弛んだ目尻の皮膚、細身だが姿勢は良い。筋肉は程よく、相応に鍛えていることが分かる。


「45歳程度に見えます」

 僕の回答に満足したらしく、オサダ氏は微笑んだ。

「実年齢は102歳です。手術を受けたのは、49年前でした」


 懐かしそうな目をして、彼は自分の頬を撫でた。


「もう少し若い造形にすることも可能なのですが、立場上、その、古風なのですが威厳が求められるので都合が良いのと、手術を受けた時の外見年齢から変える勇気が出ず、結局このままずるずると時間が経ってしまいました」

「当時は、今よりもっと高額だったのでは?」

「今でもそうですが公務員ではとても払えませんよ。出所は国家予算です」


 オサダ氏は手を振って否定した。


「運が良かったと言えます。当初、国家としてα細胞の技術をどう取り扱ってよいか方向性が定まっていなかったのです。私が被験体に抜擢された時も、同情的な見方が強かったぐらいですから」

「ああ、そうか。時間が経たないと、成功かどうか分からないですからね」

「はい。専門ではないので詳しくは存じませんが、後発的な免疫不全が報告されていました。テロメアがある日思い出したように一斉に寿命を迎える、なんて説もありましたね」


 結果的にいえば、それらの心配は杞憂に終わった。一般的な症例というよりも、特定の遺伝子要因との相性の問題だと後の研究で判明している。


「今日まで生きてこられたのは、オノデラ博士とアルファード・ライゼル博士のお陰だと感謝しております」


 オサダ氏が頭を下げようとしたので、慌てて止めた。僕は何もしていない。ただ父が成し遂げた結果の後の世界を生きているだけだ。


「オノデラさんは、ええと、博士の方ではなく、貴方は」

「ややこしいですから僕のことはクロムで結構です」

「すみません。クロムさんは、その、αではないのですよね?」


 オサダ氏はそう訊いて、コーヒーを口に運ぶ。


「ええ。αはライゼル博士の遺伝情報をベースに作成されていて、僕は父の方、通称ですがβをベースにしています」

 この程度の事は調査済みだろう。確認済みの確認にすぎない。

「お父様の細胞をベースにしたものは、血縁以外に拒絶反応が出やすいので計画途中で取りやめになっていますね。この国でも、適合させているのは全てαだ」


「ええ。予算がついて、人体実験の範囲を広げたら判明したと聞いています」

「つまり、今世紀まで富豪たちの間で流通しているα細胞は、全てライゼル博士の遺伝情報をベースにしたもの、ということになります」


 動悸がした。


 それは確かに、適合者が共通して抱えている密かな疑念だった。現に解決できない問題として、α細胞の適合者は特定の遺伝子組み換えを行っていないナス科の植物に対するアレルギーを示すことが分かっている。


「α細胞の成果が秘密裏に広まっていく過程で、軍も企業も同様の研究に莫大な費用を注ぎ込みましたが、結局他の細胞では再現性がなかった。今あるαを培養して使っていくしかない。私が新人だった頃、情報統制に従事していたので、よく覚えています」


 当初は眉唾ものの機密だったのだろう。ゆっくりと時間をかけて、それが本物だと認知されるに至ったのだ。


「遺伝的リスクについては、ゲノムレベルで解析されていたはずでしょう。実際、今日まで報告はなかった」


「その通りです。世界中の富豪たちが、そのリスクを考えなかったはずがありません。研究所を買収し、国家機関を操り、資本を投入して、人体実験が繰り返されました。そこでようやく、再現はできないがどうやら使っても大丈夫そうだ、と判断されていったわけです」


 僕の物心がつく前の世界で起きた争いを、僕には想像することしかできない。オサダ氏は、懐かしい思い出を語るような口ぶりだったが、僕にはノンフィクション的な物語としてしか、理解することができない。


「ただ正確には」

 オサダ氏が指を組む。それはどこか祈りの形に似ていた。

「昨日までは報告がなかった、ということになります」


 はっきりとした口調で、オサダ氏が僕を見た。


「適合者に対して作用するウイルスが確認されました。罹患から2時間で、α細胞が突如として免疫不全を起こし始めます。脳細胞に適用している場合、発症時点でほとんど即死だそうです」

「ウイルスは自然のものですか?」

「いえ、デザインされたものです。臨床データから、各研究者の共通見解として99%、AI判定でも同じ結果でした。まだ公表されていませんが、死亡したのは南米の大富豪です。情報統制が敷かれていますが、極秘裏に協力要請があり、政府間で情報を共有している状態です」


 しばらく沈黙が続いた。恐らくこの情報はメディアに出ないだろう。出ればパニックになるのは必至だ。


「僕が狙われたのは、β細胞の方を利用したい、という動機でしょうか」

「半々ですね。血縁にしか使用できないという点をどうにかして解決する、という考えであれば、誘拐が選ばれます。それを阻止して、このままウイルスで適合者たちを一掃したい、と考える勢力であれば殺害が選択肢になるでしょう」

「ですが、僕の適合情報は公益情報としてWHOにも提供済みですよ。わざわざ僕本体を狙わなくてもいいのでは」

「ええ、まあ、そうなのですが。やはり実際の適合者として、貴重な存在と考えられているわけです」


 貴重な存在という言葉に寒気がした。サンプルと直截に表現されなかっただけありがたいけれど。


「今回の情報入手時点で、日本政府としては、クロムさんを保護対象と認定し早急に手を打ちました。派手な動きは相手を刺激する恐れがあったため、あのような形になりましたが、相手側の動きも相応に機敏だったと言えます」

「今後、僕はどうなるのでしょうか。一応、仕事があるのですが」


 今日ほど真面目に業務に取り組む意思を示したことがあっただろうか。ツチヤ君が聞いたら感涙にむせび泣くことだろう。


「申し訳ありませんが、しばらく局内で暮らしていただきます。多少の制限はありますが、ネットワークは利用できますので業務に支障はないかと」

「そうですか。でしたら、まぁ」


 文句を言ったところで出してくれないだろうことは想像に難くない。


「宜しくお願いします」


 無駄な努力はしない主義だ。僕は早々に頭を下げて、保護という名の管理下に置かれることにした。

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