<食事>①
セキュリティの都合上、僕があてがわれた部屋は使えなかった。
申請を通してようやく提供されたのは地上近くの何もない部屋で、急遽飾り気のない事務机とパイプ椅子を運び込んで規定のテーブル配置を作成した。高さがどうしても合わなくて椅子の下にタオルを敷き詰めたので、少々ぐらつくが文句を言っていられない。テーブルクロスを敷くし、お互いに座っているからどうせ見えはしないだろう。
定刻になる。
僕の対面に妹が現れた。
同型配置による相互の立体映像なので、双方が同様のサイズと高さのテーブルと椅子を揃えないと幽霊やバグのように身体が貫通してしまう。この調整のために苦労をする羽目になったのだ。
「ヘルメット役に立ったよ。ありがとう」
開口一番、僕は言った。
妹の瞳が一瞬、僕を捉えた、ような気がする。
画期的な反応だ。快挙と言える。
「今は公安に保護されている。どうしてドローンが襲ってくるって分かったのか、教えてもらえると嬉しい」
沈黙。それでも音声は伝わっているはずだ。それが規則である以上。
「知りえた理由や情報の提供を依頼されているんでね」
沈黙。アイスティーを飲んだ。
妹はサラダボウルにフォークを突き立て、そのまま口へと運んだ。いつも通り、ドレッシングはかけない。妹は調味料に類する一切を使用しない。味の好みというより、味覚自体に関心がないとでも言うかのように。
僕は自分のテーブルを眺めて、カロリーバーを手に取った。緊急性が高いと認められたため、メニューは簡素な保存食だ。正直言って、普段からこの程度で済ませたいと思っているのだが、そうした我儘は<食事>の細則が許容していない。
乾燥したバーを齧る。
栄養バランスが考慮された適切な糖分とタンパク質の塊が口の中で溶けていく。その作業に野性味はなく、僕の歯は流れてくる部品をプレスする工場機械の様に一定のリズムで咀嚼を続けた。
「αの人間が人工的にデザインされたウイルスで殺されたのは知っている?」
僕は問いかけた。
沈黙。まばたき二回。
「被害者は南米のαで、犯人の名前、国籍、動機なんかは全て不明。ただ、僕が襲われたのは、そういう流れの中での勢力争いによるものだと分析されている。各国の調査部門が連携して捜査するらしい。……昔みたいに」
踏み込んだ。が、微動だにしない。
昔というのは、妹が
「来週は、ウイルスの抗体を作成するために、どこかの研究所へ行かないといけないらしい。ナイトウっていう、公安の女性が護衛にあたってくれるから心配はしていないけど、高所じゃなくてもヘルメットは必要かな?」
質問。無回答。
そう思って新しいバーに手を伸ばそうとした時、目の前の立体映像が動いた。
目が合う。射殺すように真っすぐに僕を見ていた。
「ウイルスが広まってほしい?」
鼓動が跳ねる。一瞬で過呼吸に陥りそうになって、平静を維持するためにゆっくりと深呼吸した。
ウイルスが広まれば、僕は多くを失うだろう。それと同時に手にするものは、僕の人生において無縁だった不安や苦労や恐怖に他ならない。けれど、心の内のどこか奥深い部分で、自分がそれを望んでいることを否定しきれなかった。
けれど、喪失への憧れは多くの場合、実行を伴わない。
「ノーだ。破滅願望はないよ、所詮はないものねだりだ」
会話が成立した。非常時でなければ、この感動を社員と分かち合うために本社ビルに石碑を建てて、今日を記念日に定めるかもしれない。
言葉を話した時、妹はじっと僕を見ていた。今まで存在しないかのように無視してきた僕の立体映像を、完全に意識の内に入れている。
言語化された思考に覗き込む技術は未だない。けれど、実現したらこんな気分になるのだろう。
僕が次に何かを言おうとした時、妹は糸が切れた人形のように虚空を見つめていた。
もう何を言っても返してはくれないだろう。
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