第4話 彼岸カノキシ

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 父さんの車で山奥に連れてかれる。サイコロよりヒドい。サイコロは明るかったけどここはすごく暗い。真っ暗。

 父さんは、俺が悪い子じゃなくなるまでここに閉じ込めておく、と言っていなくなってしまった。置き去りにされたかもしれないけど、窓がないみたいだから父さんの車があるかどうかもわからない。

 こっそり持ってきたペンをつつく。まぶしい。千里眼で地獄耳の父さんがこれに気づかなかったのはビックリした。怒り狂ってて、てゆう状況かもしれない。

 父さんが怒り狂ったのを見たのはこれが二回目。俺が生まれて初めて発作を起こした日。息ができなくて部屋でぶっ倒れてたのを先生が発見してくれて診察室に運んでくれた。

 苦しいなんてもんじゃない。死ぬってのはゲームとかペンで調べてわかってたつもりだったけど全然違った。なんとか治まって俺が診察室で寝てると父さんが荒々しく施設に押しかけてきた。父さんは先生を廊下に引っ張り出して、俺の発作を責めた。先生のせいで俺に発作がある、みたいな言い方だった。

 なんで先生のせいなのかわからない。先生の育て方がいけないってこと? 変な育て方をすると発作が出てしまうのだろうか。よくわからない。俺は硬いベッドに横になってたけど戸の隙間から先生の横顔が見えた。先生はずっと黙って床を見てた。何か反論すればいいのにじっとしてた。

 先生が何も言わないからそのうち父さんはあきらめて俺の具合をみにきた。俺の背中をさすって大人しくしてるんだよ、と言って帰っていった。

 俺がいけないのだ。俺が発作なんか起こさなければ先生は。そう言ったら先生は慣れてる、と言って優しい顔をした。

 先生は優しい。父さんに言わせると悪いことでも、先生は気にすんな、と笑って許してくれる。食器棚の中身をぜんぶ床に落としても、本のページを一枚ずつ破っても、洗ったばかりの洗濯物を泥水につけても。いま思うとガキみたいなことしかしてないけど。

 ゲームを買ってくれたのは先生だった。どこかに出かけたときに店頭用見本をやったらあまりに面白くてねだった。

 でも先生はなかなか買ってくれない。それどころかつまらないからやめろ、と言う。駄々はこねなかった。こうゆうのは、ただのわがままだとわかってたから。

 だけどそれからだいぶ経って俺がゲームがほしかったことなんか忘れた頃に先生が、面白いことをする、と言ってきた。

「建物ん中に宝物を隠した。今日中に見つけたらそれはお前のもんだ」

「宝探し?」

「そうだ」

「なに隠したの?」

「見つけれりゃわかる」

「教えてよ」

「見つけてみろ」

 なんで先生がそんなことをしだしたのかよくわかんなかったけど、その頃は本当に勉強がイヤだったから、勉強しなくて済むならなんでもやった。料理とかそうじとか洗濯とか草むしりとか。そのいっかんみたいなもんだと思って施設の中を走り回った。

 まず一階。リビング、ダイニング、キッチン。鍋の中とか生ゴミ入れとか。トイレ、バス。洗濯機の中も見た。

 二階は階段に近いほうから父さんの部屋、空き部屋、俺の部屋。父さんの部屋は父さんしか入れないし、空き部屋は何もないから隠す場所もない。

 残るは俺の部屋だけど、ここには俺がいたはずだから隠す隙はない。なしなし。庭、と思ったけど建物ん中、と言ってたのを思い出して渡り廊下の先へ。

 すぐ左がトイレでその隣がよくわからない部屋。よくわからないものがいっぱい置いてあるから、俺はよくわからない部屋と呼んでる。

 そこが怪しい気がしたけど、そこじゃねえぞ、と先生の声がした。先生は診察室から出てきた。

「ホント?」

「さあてな。信じるかどうかはお前の勝手だ」

「じゃあわかんないじゃん」

 先生は俺が困ってるのを見て楽しんでる。父さんみたいだ。でも父さんは意地悪の中の意地悪だからヒントなんか出してくれない。

「ヒントはな、今日が何の日かよーく考えてみろ」

 何の日? 知らない。

「それがどうゆうふうにヒントなの?」

「自分で考えろ」

 そうゆうと、先生はまた診察室に入ってしまった。診察室。もしかしたらここかもしれないと思ってノックしてみる。

 本当はイヤだった。この間ここに入ったばっかだったから。それにここの廊下が嫌い。あれを思い出す。父さんが先生を怒ってたときの。

 先生が顔をのぞかせる。ちょっとどころかだいぶ楽しそうな顔で。

「ここ?」

「探してみりゃどうだ?」

 この変なにおいがイヤだ。苦しくて鼻が詰まる。硬いベッドの下、先生の机のひきだし、瓶が並んでる棚。どこにも宝物っぽいものは。

「あったか?」

「ねえ、見つからなかったらどうなるの?」

「どうもならねえな。宝物はそのまま埋もれるだけで」

「先生のものになるの?」

「要らねえよ。もしもらっても突っ返すかもな」

「じゃあもらってきて俺にちょーだい」

「なんだそりゃ」

「だって先生はいらないんでしょ? 俺はほしいから」

 先生が吹き出す。

「なんで笑うの?」

「いや、隠した奴に探して来いって言ってるようなもんだぞそれ」

「だってわかんないもん」

「まだ探す部屋あるだろ。俺の部屋見たか? あとはそこ」

 先生は廊下のほうを指差す。ちょっとどきっとしたけどそうじゃない。廊下じゃなくてその先の部屋。本ばっか置いてあるほこりくさい部屋。

「やだよあそこ」

「なんで? 入ったら案外面白れえかもよ?」

「そこにあるの?」

「さあな」

 そっちは最後にしよう。あの部屋は面白くない。

 診察室を出て左に折れると両側に二つずつ部屋がある。手前の二つが空いてて、右奥がオオギ先生、左奥が先生の部屋。空き部屋はそもそも空っぽだし、オオギ先生の部屋も机と椅子とベッドしかないからすぐに探し終わった。ドアを開けて二秒で終わる。

 先生の部屋は、予想はしてたけど開けた瞬間顔を背けたくなった。アルコールのキモチワルイにおいが立ち込めてて、空き缶が床に散らばっている。ゴミだらけだ。それに洗濯後の服なのかこれから洗濯待ちの服なのか見分けがつかないくらいごちゃごちゃになってる。たたむとか整理整頓とかいう気がない。

 もしここに宝物があったらかわいそうだ。まさかとは思うけど、この部屋を片付けるとゴミの下から宝物が出てくるとか。

 そのとおりだった。積みあがった服の下から大きな紙袋が。俺はちょっとどころかだいぶ困る。先生の考えることは幼稚というかなんというか。包みを開ける前から何となくわかってた。ビックリプレゼントって感じじゃない。ゲーム機。

 それをきれいに紙袋に戻して診察室の戸をノックする。すぐに先生が顔を出す。まるで戸に耳をつけて待ってたみたいに。

「お、見つかったか? 良かったな」

「部屋片付けてほしいならそうゆってよ」

「いいじゃねえか。欲しかったんだろ?」先生は人の話をきいてない。

 さも自分で買ったことを忘れてるみたいに、紙袋と俺を代わりばんこに見る。うんうん、てうなずきながら。

「んじゃあ、約束どおりこれはお前のもんだな」

「いらない」

「なんでだよ。欲しかったんだろ?」

「ソフトがない」

 ゲームはハードだけもらっても意味がない。そんなの当たり前だ。

 先生はあ、と呟いて苦笑いする。俺が言うまで気づかなかったらしい。

「悪かった。これから買いに行こう」

「べつに」

「遠慮してんのか? どこからそうゆうの覚えてくんだよ」

「先生反対してたじゃん。なんで買ってくれる気になったの?」

「今日な、お前と俺が初めて会った日なんだよ。だからプレゼント」

「そうなの?」

 でもいままでそんなこと何もしなかった。だいたい俺は今日がそんな日だってことを知らなかったくらいだし。

「黙ってて悪かったな。お前の誕生日祝えねえから代わりに特別な日探したんだがやっと見つかって。明日王城オウギが来るってさ。今日は用事があって来れないみてえだけど、欲しいもんあったら教えろって言ってたぞ」

 ソフトはオオギ先生に買ってもらった。先生と違ってゲーム大好きみたいだったからもっと買ってくれるって言ってくれたけど今回はそれだけにした。あんまりたくさんあっても同時にできない。

 それもぜんぶ置いてきた。取りにいけない。

 誕生日。何度も調べたけど確認。そういえばペンは父さんにもらったんだった。だから取り上げなかったのかも。

 誕生日。俺には誕生日がない。

 あるにはあると思うけど俺は知らない。生まれた日を知ってもどうなるもんでもない。先生はすごく気にしてたけど俺は別にどうでもいい。

 誕生日。父さんの誕生日。本当に飛び降りたんだろうか。飛び降り。父さんの研究所の屋上。力が抜ける。のども苦しい。空気が悪いのかもしれない。ほこりっぽくても発作が起きる。

 そうか。父さんは俺を閉じ込めたんじゃない。閉じ込めて苦しませて死なせる気だ。こんなところで発作が起きれば俺は死んでしまう。悪い子はいらない。いい子なら助けてくれる。そうゆうことだ。

 なんだ。じゃあ俺も死ぬんじゃん。俺も。飛び降りじゃないけど、同じところにいけるんだろうか。逢えればいいけどいま会ってもうれしくないかもしれない。

 本当なのだろうか。先生が言ったこと。

 父さんは否定しなかった。違う、とも言わなかった。やっぱり本当なのかもしれない。でもおかしい。俺は知ってる。そんなわけないこともわかってる。あの時みたいだ。

 なんで眼が覚めたんだろう。眼が覚めただけなら別によかった。トイレに行きたくなって階段を下りた。ぎいぎい鳴ってちょっと怖い。気味悪い。廊下は暗いし寒いし。トイレから帰ってきて階段を上ろうとしたとき変な音が。

 変な音。そこで部屋に逃げ帰ればよかったんだけど、ちょっと気になってきょろきょろしてしまった。まただ。また変な、音? 

 音だろうか。音じゃない。声みたい。おばけは声を出すのだろうか。うらめしや、とか。でもうらめしや、じゃない。もっと短くて高い。

 渡り廊下。その向こう側から聞こえる気がする。

 そこでやめとけばよかったのに、恐る恐るその先へ行ってしまった。診察室が苦手だったはずなのに、そこの廊下がイヤだったはずなのに。好奇心。それがいけない。先生の部屋だけ明かりがついてる。まだ起きてるらしい。

 先生は夜更かししてビールを飲むのが好きだ。今日はオオギ先生が来てるから二人で飲んでるのかもしれない。俺はアルコールのにおいが嫌いだから部屋に入れないし、もし入ったとしても先生にすぐ追い出されると思う。ガキは寝る時間だ、てふうに。もうガキじゃないのにいつまでもそんな、音。

 音と声。施設は車で長々と山を上ったところの森の中にあるから周囲に人はいないはず。山ぜんぶが父さんのものだし許可もらわないと他人は入れない。だからいまこの山にいるのは俺と先生とオオギ先生だけってことに、声。これが俺じゃないってことは先生かオオギ先生ってことになる?

 でもおばけとか幽霊は父さんに内緒で入ってきちゃうかもしれないし、声。先生でもオオギ先生でもないってことを確かめるにはどうしたらいい? きいてみる? 

 ゆっくり廊下を進む、声。

 声。近づいた気がする。大きくなった。音もする。どうしよう。まさか先生の部屋? ドアが開いてないから耳をつける。耳なんかつけなければいいのに。

 声と音はそこからだった。何してるんだろう。二人いる? テレビみてる? ゲームはあり得ないからパソコン? 音楽聞いてるわけじゃない。音は途切れ途切れだし。よくわからない。

 わからないから帰ろう。部屋に戻ってもなかなか眠れない。気になる。ペンを走らせようにも何て入力したらいいかわからない。

 夜中、声、音。おばけと遊んでた?

 次の日きいてみようかと思ったけど何てきけばいいのかわからなくて、タイミングがつかめないままオオギ先生は帰ってしまった。オオギ先生がいないとその音はしない。わざわざ夜に起きて確かめに行ったから間違いない。来てもその日に帰ると聞こえない。泊まったときだけ聞こえる。先生の部屋から、しかも夜だけ。

 てことは、オオギ先生の声? オオギ先生ならわかるかもしれない。

 一緒にゲームしてるときに意を決してきいてみた。先生が来たときだけ夜に変な音がしてるんだけど、て。

「カタクラ君に訊きなよ。僕は知らないから」

「でも」

「よそ見してると負けるよ? ほら、僕の勝ちぃ」

 オオギ先生はゲームが終わるとさっさと帰ってしまった。つまらない。

 先生は部屋で寝てる。オオギ先生が来てるときはほとんど一日中ぐうぐう眠ってる。疲れてるのだ。

 先生を起こすのがかわいそうだから起きるまで待ってきいてみた。オオギ先生が来た日の夜だけ変な音がするんだけど、て。

 そしたら先生は白々しく眼を逸らした。

「なんで俺に訊く?」

「オオギ先生が先生にきけって」

 先生は舌打ちしてくそ、と言った。怒ってるというよりは悔しそうだった。オオギ先生が帰ったことを教えるともっと悔しそうな顔をした。歯ぎしりとか聞こえそうな。

「ねえ、何の音なの?」

「知るか」

「先生も知らないの?」

「知らん」

「じゃあ夜に二人で何してるの?」

「酒飲んでるに決まってるだろ。それよりなんで起きてんだ。ガキはうろうろしてねえでとっとと部屋に帰れ」

「トイレに起きただけなんだけど」

「起きなくていい」

「布団洗うの俺だし」

 先生はぐっと黙る。先生ができる家事は料理だけだから。

「ホントに知らないの? 先生の部屋から聞こえるんだけど」

「気のせいだ。幽霊じゃねえの?」

「幽霊と遊んでるの?」

「なんでそうなる? もういいだろ。ガキは細かいとこ気にすんな」

 二人とも教えてくれないから父さんにきくしかない。本当はイヤだった。ケラケラ笑われるのがイヤだ。父さんからもらったこれがヘボいからいけないと思うんだけど。

「ヘボくないよ。あづまの調べ方が悪いだけ。ちょっと貸して」

 父さんはぴっぴとペンを走らせる。俺よりうまい。きっと父さんがゲームやったら俺は絶対勝てない。対戦したくもないけど。

「はい、よく読んでごらん」

「なにこれ?」

「先生たちが夜にこっそりやってたこと知りたいんでしょ? それだよ」

 一回呼んでわからなかったからもう一度読む。それでもわからない。

「これが何?」

「もう少し勉強してからのほうがいいけど、一応説明してあげるね」

 いつもの父さんのわけわかんない説明が始まる。聞いてるのが面倒だから適当に返事してしまう。長すぎる。

「つまり何?」

「なんだろうね。人類永久の疑問だね」

「はぐらかしてる?」

「まさか、俺だって実物を持ってきてはいこれ、て見せてあげたいけどそうもいかない。方法を教えるくらいしかできないな」

「方法?」

「放っとくと厄介なんだ。問題が起きてくるから早めに解消しなきゃいけない。だから発散させるために人類はいろんなことを考えてきたわけだ。莫迦だね」父さんはケラケラ笑う。

 人類を救うために研究してるとか言ってたのをはっきりと覚えてるけど、見捨てる気満々としか思えない。

 父さんが帰ったあと、もう少し調べてみたけど全然わからない。でも仕組みはわかった。それによるなら俺だけだと子どもは生まれない。もう一人必要になる。俺とは違うタイプの人間。

 やっぱり変だ。先生が嘘ついた? 何のために? 父さんを怒らせるために? 約束を破るために? でも破ると俺と離れ離れになる。それがわかってたはずなのに。先生は俺と離れ離れになりたかったのだろうか。俺が嫌いになったのだろうか。先生も悪い子はいらないのだろう。だから見切りをつけた。先生だってやることがある。俺がいなくなれば好きなこともできる。何が好きなのかわからないけど、ビール? ラーメン?

 寝返りを打つのにもあきた。考えるのも思い出すのも疲れた。どうせ死ぬんだし。発作が起きたって構わない。だけど発作で死ぬよりは衰弱して死にたい。衰弱じゃなくてもいい。発作じゃなければなんだって。

 眼が慣れてきたけどサイコロと同じく何もなかった。眠ろう。寝たらそのまま死んじゃったってのはいいかもしれない。苦しくなくて。

 頭がひんやりする。氷がのってるみたいだ。風邪で熱出したとき、先生が看病してくれたっけ。先生。いまさら先生以外の名前で呼べない。父さんは父さんだし、おやじはおやじだし。つまりは先生も先生ってことになる。最後くらい先生って呼ばなければよかったかな。父さんて呼べばよかったかな。父さんがいなかったら呼べたかもしれない。父さんがいたら、そこで呼びかけた父さんということばは、父さん以外を指していない。

 父さん。

 なんであんなこと言ったの?

 夢だ。あの夢。でも途中からだった。●●●がチャーハン食べるところとか、案内してもらうところはカット。いきなり部屋の中にいた。

 ロフトの上に●●●が寝てる。体を起こす前に●さないといけない。それは決められてる。そうならなければいけないことになってるから。血が出てだらだら。俺は悪いことをしてるんだろうか。

 父さんは夢の意味を探れるらしい。でも教えてくれなかった。

「夢ってのはね、自分で解釈するんだよ」

 そんなのムリだ。全然意味がわからない。

「じゃあ一つ一つの場面について自分でどう思うか言ってごらんよ。まず炒飯」

「別に好きでも嫌いでもないけど」

「大食いってのは?」

「特に」

「そうゆうのテレビで観た? 時間内に食べたらタダってやつ」

「みたかも」

 チャーハンじゃなかったかもしれないけど、すさまじい量を食べてたからビックリした。そんなに食べそうもない雰囲気の人だったからなおさら。

「じゃあこれはそんなに意味ないのかな。たまたま印象に残ってただけかもね。次に行こう。家出だね。家出したいの?」

「別に」

「女の子と一緒に家出したい。ふうん」

「なんだよ、ふうんて」

「いいんじゃない? 醤油の中にソースってのは? 先生が間違えた?」

「いや」

「何だろうね。ラベルと中身が違う。これはどう思う?」

「ヒドいと思う」

「実際にされたくない?」

「されたくない」

 父さんはそこでキィを叩く。俺とのやりとりをいちいち記録しているのだ。

「十五で家出。ううん、実に象徴的だね」

「しょーちょーてき?」

「明日のほうがいい、今日は仏滅だから。俺はこれが気になるなあ。どう思う?」

「仏滅は縁起が悪いからやっぱり延期したほうがいいと思う」

「仏滅ってどこから知ったの?」

「ゲーム」

「仏滅が出てくるゲームがあるの? へえ、世の中は面白いね」

 カタカタ。キィ。

「それで、あづまはどこに行こうとしたの?」

「おぼえてない」

「そこだけ雑音みたいになってたって言ったよね。フロイトで言うところの検閲かな。それとも抑圧? どう思う?」

「そんなことゆわれても。わかんないもんはわかんないし」

「夢ってのはね、こうゆうのが一番大事なんだ。何か思い当たらない? どうしても行きたいところがあるとか」

「ないよ別に」

「じゃあ誰に会いに行ったんだろうね」

 モニタの明かりを使って出入り口の位置を照らす。眼が慣れて何となくわかってたけど確認したかった。

 誰かがそこにいる。父さんはとっくに帰ったから違う人。名前はわからない。顔はわかる。見えないけどわかる。

「バラすなっていったんだけどな」その人が言った。

「バラす前からわかってたんだけど」

「僕に似ればよかったんだよ。カタクラ先生じゃなくて」

 冷気が忍び込んでくる。うちとそとの狭間から。

 寒くはない。頭がすっきりして眼が冴えてくる。壁のずっと向こうまで見える気がして。

「えとり?」

「そう呼びたいなら構わないけど、あんまりお勧めしないな。君にはもう一人、えとりってゆう名前の知り合いがいる。混乱するよ」

「何て呼ばれてるの?」

「どうだったかな。世界にたった二人なら名前なんか要らないよ」

 それ。

「父さんも言ってた」

「ようじ? それともカタクラ先生?」

「先生は先生だから、父さんのほう」

「そんなこと言ったらカタクラ先生泣いちゃうよ? 結構涙もろい人だから」

「知ってる」

 哀しい顔もよくする。

「僕を怨む?」

「なんで?」

「訊いてみただけ。怨みたいなら別にいいよ。呪いさえかけないでくれれば」

 冷気の量が増える。白い霧。もわもわと天井を撫でる。画面はフリーズ。ペンは凍りつく。

 のどの辺りがすーすーして心地いい。発作なんか完全に治ったみたいに。

「これからどうしたい?」

 そんなの決まってる。

「ショック受けるよ」

「もうだいぶショックだし」

「だから名前はややこしいんだ。排斥運動を求めるよ」

「先生に会いに行かないの?」

「そっくりそのまま返す。会いに行ってあげてよ。君だけが心の支えなんだから」

「俺だけじゃない」

 かちかちちくたく。

「いつでもいいよ。タイムマシンなら僕が直しといた」

「ホントにタイムマシン?」

「君の仮説じゃないの? ようじが小さかったくらいで揺らいじゃいけない。あれは自由に外見の大きさを変えられるんだ。きのこ食べたりクッキィ食べたりして」

「変なの」

「そう、実に変なんだ。SFだよね」

 出入り口に片手をつける。ざらざらしてる。

「平気? 宙ぶらりんな心構えならトラウマになるよ?」

「とらうま?」

「知らない? 時の狭間に住み着いてる珍獣。頭が虎で体が馬。迷い込んだ人間を仲間に変える」

「げえ」

「実物は結構かわいいけどね」

「シュミわる」

 もう片方の手もつける。さらさらしてる。

「じゃあね。世界一不幸な僕の弟によろしく」

「ホントに弟?」

「信じてよ」

 夜だろうか。

 風が涼しい。高いフェンスに影がかかる。何か光った。星じゃなくて刃物だろう。包丁かと思ったけど違う。もっと形が。

「僕が●●●を●したのかなあ」

「しょーこがない」

「じゃあなんでこんなの持ってるんだろう」

 ナイフ。血まみれの。

「拾っただけだ」

「拾った? 拾ったって時点で僕が●したってことにならない?」

「見てただけなんじゃないか? お前の●●●が●●するとこ」

「思い出せないんだ、何も。さっきまで僕がどこで何をしてたのか。でも気づいたら手にこんなのがあって、床に●●●が倒れてる。もう決定だよ」

 ナイフが地面に落ちる。

「お前の●●●は死んでない。タイムスリップしただけだ」

「死体があるよ下に。見てないの?」

「俺には見えない」

「見てないだけだよ。二階の部屋。嘘だと思うんなら行ってきてよ」

「行きたくない」

 ●●●はフェンスによじ登る。あっという間に天空。

「ばいばい」

「一緒に行ってやろうか?」

「いいよ。君が死んだら僕は生きてかれない」

 手を取る。冷たい手。温度がない。

「やめてよ」

「お前がやめるなら俺もやめる」

「信じられないな。タイムスリップなんてゆってる人なんか」

「死にたいのか?」

 止まった。動きとか呼吸とか。

 ●●●はゆっくり下を見る。眼が合う。

「死にたいよ。僕はうまれたときからずっと死にたかった。うまれたときからだよ? もう耐えられないんだ。いいじゃん。●●●だっていなくなったんだし、君がこっちにいてくれれば僕は」

「俺だけ置いてかれても困る」

「なんだよ自分のことだけ棚に上げてさ。僕は絶望したんだ。そもそも君がいなくならなければ良かったんだよ。そこから僕はおかしくなった。入院もしたし自殺未遂もした。みんな僕が死ぬと困るとか言ってあの手この手で僕をこっちの世界に留めようとする。いい加減にしてくれ。厭なんだ。放せ」

 放すわけない。

「放してよ。放さないと巻き添えに」

「すりゃいい。どうせ●●●も●したんだろ? 一人も二人も同じだ」

「や、だ」

「やだじゃねえだろ。ほら」

 眼が泳いだところで思いっきり引っ張る。フェンスから転げ落ちる。もちろん地面じゃない方に。

 泣いてる。泣いてる声。

「ごめん」

「なんで謝るの?」

「俺が悪いから」

「タイムスリップなんか出来るわけないよ」

「どうだか」

 これも夢かもしれない。いつも見るあの夢の一種かもしれない。わからない。わかるにはもう少しかかる。●に何が入るのかわかるようになるまで待たないといけない。

「ね、直ってたでしょ?」

「どうだか」

 えとりと同じ顔をしたその人は、無表情のまま首をかしげた。

 父さんの車の音がする。外に出たことを察知したに違いない。千里眼と地獄耳にはマジで苦労する。


      2


 父さんにきちんと謝ったら施設に戻してくれた。でも破った約束はどうなるんだろう。父さんはすごく厳しいんだけどたまにすごく甘い。単に機嫌が良かったのかもしれない。気分屋のオオギ先生みたいに。

「いいの?」

「俺は人類を救うために忙しいの。だから人のことなんか構ってられないだけだよ。あづまなんか勝手に大きくなればいい」

「ありがと父さん」

「父さんじゃない。もう知ってるだろ?」

「でも俺の父さんは父さんだから」

 父さんが変な顔をする。父さんの変な顔なんか初めて見た。

「しばらく迎えに来ないから淋しくしてればいいよ」

「電話」

「どうせ無視するくせに」

「出るようにするから」

 父さんはポケットからケータイを出す。

「そっちから掛けて。番号」

「知ってる」

 父さんは車に乗り込む。ウィンドウが下りる。

「じゃあね」

 それだけ言うと、父さんはためらいなく発進。俺は車が見えなくなるまで手を振る。たぶん本当にしばらくは会えない。

 しばらくってどのくらいだろう。淋しい。父さんのことは嫌いじゃない。千里眼と地獄耳があるけど、千里眼と地獄耳があるだけだ。大したことない。

 父さんもひとりぼっちなのかもしれない。なんとなくそう思った。ちょっとだけえとりに似てる。横顔とか雰囲気とか。

 電話が鳴った。

「事故るよ?」

「停めた」

「父さん、俺からかけろって」

「次からでいいよ。ひとつ言い忘れた。発作はね、安静にしてればそのうちすっとなくなるから。カタクラ先生のいうこと聞いて大人しくしてるんだよ」

「そんなのいつもどおりだし」

 沈黙。

「もしもし?」

「俺がカタクラ先生怒ったの憶えてる? 診察室に怒鳴り込んで」

「うん」

「なんで怒ったんだと思う?」

「わかんない」

「昔、おんなじ発作を持ってた人がいたんだ。その人に呪いをかけられたんじゃないかと思って」

「うん」

「俺はその人にすごく悪いことをしたんだ。ううん、悪いなんてもんじゃない。土下座して腹斬っても許されない。その人がかけた呪いが、俺じゃなくてあづまにかかってると思った。そうゆうのってわが身に降りかかるよりつらいんだよ」

「うん」

「うんだけ?」

「うん」

 沈黙。

「父さん?」

「その呼び名やめない?」

「やめない」

「つらいよ。呪詛返しみたいでさ」

「でも他に呼び方ないし」

「あづまは俺が父親だと思うの?」

「うん」

「いいよ、気ィ遣わなくて」

「じゃあ父さんも父さんてことにすれば?」

「そんなに要らない」

「俺は父さんがいっぱいいてもいいと思う」

 沈黙。

「父さん?」

「変な子」

「父さんに似て」

「俺じゃないね。俺に似てたら大変だ」

 エンジンの音。

「あづま」

「なに?」

「えとり君、死んでないよ」

「知ってる」

「ならいいけど」

 たぶん父さんは笑った。いつものケラケラ笑いじゃなくてもうちょっと自然な。

「人類救ったらでいいから会いに来てね。俺、じゃましないように待ってるから」

「別に邪魔じゃないよ。あ、そうだ。学校の件だけど」

「いいや。面倒そうだし」

「まあ、そう言ってくれるならうれしいけど」

「ねえ、なんで学校嫌いなの?」

「行ったことないから」

「なにそれ」

「じゃあね。元気でやるんだよ」

「父さんもね」

 父さんとはそれっきり。電話も来ないし、かけてもいつも留守電。

 薄々気づいてたけど父さんはタイムスリップで忙しいのだ。いろんな時代に行って人類を救ってる。えとりもそうやって助けてくれたのだ。

 でもそうすると未来がおかしくなると思うけど、どうせぐちゃぐちゃなら、とも思う。

 そう、最初からぐちゃぐちゃなんだ。もっとぐちゃぐちゃにしよう。

 父さんとの約束を破ったあとの先生は施設に帰ってなかった。オオギ先生のところで泣いてたらしい。どうせそんなことだろうと思った。

「泣いてない」

「うそだあ。一緒にいた僕が言うんだから、ねえ?」

 でもそうゆうオオギ先生の眼も少し腫れてた。一緒に泣いてたんだろうか。想像したくないから黙ってた。

「これでもう一人帰ってこれば言うことないんだけどね」

 先生が泣きそうな顔になる。オオギ先生が急いで慰める。自分で言っといて自分で慰めてたら先生がかわいそうだ。何かの実験に使われてるみたいで。先生はこうゆうと泣くけどこうゆうと怒る、てゆう取説が完成しそう。なんだか疲れる。

「帰ってくんじゃない?」

 そんな口ぶりだった。いつになるかはわからないけど必ず。俺はともかく、先生のほうに会いたいに決まってるんだから帰ってこないはずない。

 山奥に父さんが到着する寸前まであの人は俺の斜め後ろに立ってた。背中を向けてた理由は大したことない。顔を見たくなかった。

「相変わらずだなあ、ようじも。事故って谷底真っ逆さまなんてことにならなきゃいいけど」

「父さんは先生の運転真似してるから」

「だろうね。最低の師匠だ」

「どーかん」

 ジェットコースタとまではいかないけど父さんの運転も滅茶苦茶だ。力任せでハンドルを切ったりとにかくアクセルを踏みつける。急ブレーキばっかだからタイヤがすぐ減る。でもどこにもぶつけてないところが奇跡だと思う。

「君も発作?」

「も?」

「君の発作は僕のが遺伝した。だから僕が悪い。ごめんね」

「ううん」

「ここは責めていいよ」

「気にしてないし」

「許してくれる?」

「別に許すとか許さないとかじゃないと思う」

 笑えばいいのに。この人は笑わない。

 父さんの車の音が近づく。車の音とゆうかタイヤの音。きいきい。そろそろ車体も見えそう。

「君にはもう一回会いたいな。そう思わせるところがすごいね」

「先生は施設ってとこにいるから」

「知ってるよ。あれは僕が住むために造らせたんだから」

「先生と?」

「どうかな。面白い君と、かもしれないよ」

 ないと思う。言わなかった。こうゆうのは言わないほうがいい。

 車のフロントガラスが見えたと思ったら後ろの気配が消えてた。後ろを向いても意味ないけど見てしまった。その足で施設に向かってくれたらいいのに。ダメか。

 先生に許可をもらってひとりで電車に乗った。言い出したときはものすごい剣幕で反対されたけど(主に先生のほう)オオギ先生が説得してくれた。あづまももう子どもじゃないんだから、て。確かに。

 切符の買い方とか乗り換えの駅とか駅に着いたらどっちに歩くかとか細かい道案内をあらかじめ教えてもらってメモしてあったのに、何度も何度も着信があった。ぜんぶ先生。ぜんぶ無視ってわけにいかないから、三分の一くらいは出た。もしかしてこっそり付いてきてないだろうか。視線を感じる気もする。まあいいや。心配性ってのは実はビョーキなんじゃないかと思う。ときどきだけど。

 病院の駐車場で足を止める。ここであったことをイヤでも思い出してしまう。別にイヤってわけじゃないけどこれから会いにいく人間と大いに関係があるから考えざるを得ない。父さんが父さんじゃなくなって、先生が親父だと言った。

 そうだ、親父。ここで働いてるなら会えるかもしれない。

「元気な奴は帰れよ」

 さっそく会えた。幸先がいいってやつだ。親父は父さんと同じ白い服を着ている。白衣というらしい。廊下を歩いてるだけで同じ格好の人を何度も見かける。

「気になるか? これが怖いって奴もいるぞ。まあ、たいていガキだがな」

「別に怖いわけじゃないし」

 訂正。幸先はよくなかった。

「ここで何してんの?」

「何してると思う?」

「仕事」

「アタリ」

「そうゆうのやめたほうがいいよ。父さんそっくりだから」

「気のせいだろ?」

「ううん」

「おおそうだ、アレ。どうだ? 進んだか?」

「まだ全然。けっこう長いよね」

「お前のやり方が下手っぴなだけじゃねえの? レベル上げ要らねえんだからさくさく進められっだろうに」

「ボスは倒せるよ。そうじゃなくて話が長い」

「そうか? あんくらい詰まってねえと面白くねえがな」

 ネームプレイトは出ていない。出しても仕方ない。世界にたった二人だけなら名前はいらないらしい。それもある。

「一人で行くか?」

「ごめん」

 どこかで聞いた流れ。やっぱりそっくりだ。

「親父の父さんてどんな人?」

「さあな、知らね」

「会ったことある?」

「憶えてねえな。俺と似てねえってことくらいしか」

「会ったことあるじゃん」

「一瞬だ一瞬。そんなんでわかるかよ、どんな奴なのか」

「会いたい?」

「くたばったら会いに行ってやるよ、仕事サボって」

「いまだってサボってる」

「うるせ、さっさと行って来い」

 親父が俺の背中を叩く。痛かった。手形がついたと思う。親父が廊下を曲ったのを見てから部屋に入る。

 あの部屋だった。夢で出てくるあの。

 急いで梯子を上る。ロフトの上。誰もいない。

 おかしい。いつもならここに●●●が。

 ●●●?

 だれだ? 誰のこと? ●●●てだれ?

 砂嵐が聞こえない。テレビがない。

 ●●●も●●●もいない。だれもいない。

 この部屋にいるのは俺だけ。

 俺ひとり。

「●●●!」

 名前を呼んでも意味がない。だって名前がわからないのだから。

 ●●●じゃ届かない。なんなんだ、●●●て。

 部屋の外に出ようと思ったけどドアが開かない。外から鍵がかかってる。外から? わけがわからない。窓も同じだった。ガラスを割っても意味がない。頑丈なシャッタがあって。

 閉じ込められた? 

 でも夢なら醒める。待ってればそのうち。でもいつまで待てばいいのかわからない。一生待ってなきゃいけなかったらどうしよう。

 そんなのイヤだ。

「●●●! おい、いないのか?」

 あんまり騒いじゃいけないこともわかってる。発作。

 だけどよく考えたらここは夢の中なんだから発作なんか出ないかもしれない。発作が治ってるかもしれない。そう思って何度も何度も●●●を呼んだ。

 ちっとも苦しくない。ほら、思った通り。そのせいで疲れてるのかどうかわからない。声が枯れてるのもわからない。自分の声が聞こえなくなってくる。

 耳が故障した? それとも口? 眼は何とか見えてるけどそのうち真っ暗になるような気がする。タイムマシンの前兆みたいに。

 タイムマシン?

 しまった。騙された。父さんに毒された親父のやりそうなことだ。二人で共謀して俺を夢の世界に押し込めてタイムマシンでどこかに飛ばそうとしている。

 信じられない。発作も魔法か何かで無理矢理止めてる。だからきっとタイムマシンでどこかに到着したらどっと襲ってくる。溜めてたツケみたいに。

「父さん!」

 かちかちちくたく。うるさいうるさいだまれだまれだまれ。俺はこんなところで父さんの実験材料にされてる場合じゃない。俺はやらなきゃいけないことがある。だからひとりで電車に乗って病院まで来た、先生に心配電話とか尾行とかされながら。

 それなのに。ムカつく。腹が立つ。外に出たい。俺は探しに行かなきゃいけない。ベッドの中にいるはずの●●●を。見つけて●●で●さなきゃいけない。それは決まってる。そうしないと夢の筋が変わってしまう。筋が変わったら。

 どうなるのだろう。

 考えてなかった。筋は変わるのだろうか。俺が変えてもいいのだろうか。いいに決まってる。だってこれは俺の夢だ。父さんがずかずか入ってきて踏みにじっていいようなものじゃない。夢は自分で解釈する。そう言ってたじゃないか。ウソつき。

 まずキッチンに行って●●を捨てる。これを使わないとどうなるのだろう。血は流れない。血が流れなければそこから先に続くかもしれない。

 続きが見れる。

 ゆっくりロフトに上がる。ぎいぎいぎい。天井に近くなる。息がしづらい。きっと上のほうが空気が薄い。白い布団。中身は空っぽ。だけどあったかい。

 透明人間が横になってるみたいに何かある。

 俺にはわかる。

「●●●?」

 違う。●●●じゃない。●●●じゃなくて。

「えとり?」

 あづま君?

 聞こえないけどわかる。直接頭の中に入ってくる。

「どこにいる?」

 わかんない。

「じゃあ何か見えない?」

 見えないよ。真っ暗。夜みたい。

「寒いか?」

 うん、すごく寒い。

「風吹いてないか?」

 うん。でもどうしてわかるの?

「いまからいく」

 かちかちちくたく。タイムマシン。

 屋上だ。父さんの研究所の。

 夜だろうか。

 風が涼しい。高いフェンスに影がかかる。何も光らない。

 ほら、違う。●●を捨てたから内容が変わった。えとりだってフェンスに背中をつけてない。

「ホントに来てくれたんだ」

「何してんだ?」

「何って、憶えてないの?」

「何を?」

 えとりは俺がいないほうを向いた。表情は見えない。夜だから。

「やっぱ憶えてないんだ」

「だから何を?」

「一緒に●んでくれるって言ったじゃん」

 違う。確かに違う内容になったけど。

「忘れちゃったの?」

 これは、こんな内容は。

「忘れちゃったんだね、その顔」

「帰ろう」

「やだよ。そのつもりで今日まで頑張って生きてきたのに」

 望んでない。

「なあ、俺にいつそれ」

「昨日だよ? 昨日の夜、ここで」

 違う。ここにいるえとりには違う過去があった。

「僕が一緒に●んでくれって言ったら君は、明日にしようって」

 言ってない。ここにいる俺はそんなこと。

「来てくれたと思ったのに」

 腕をつかむ。細い腕。

「帰るぞ」

「君が帰りたいなら帰ればいいよ。君がいなくなったら僕はそこから」

 飛び降りる。フェンスを指して。

「ばいば」

「いじゃない。いいか、えとり。ここは夢の中なんだ。しかもお前の夢じゃなくて俺の夢の中なんだ。だからお前は●なない。飛び降りもできない。帰ろう」

 かちかちちくたく。大丈夫。戻れる。ここは俺の夢の中なんだから。無理矢理にでも連れ帰る。イヤなやつだと思われてもいい。約束も守らない最低のやつだと思えばいい。それでいい。どうせ夢の中だ。眼が醒めればぜんぶ忘れる。

「●はわかった?」声がする。

「わからない」

「わからないと帰れないよ」

「帰る」手に力を入れる。

 ●●●だ。チャーハンを食べてカネをもらったり、家出したり、俺を●●●●に連れてったり、砂嵐をみてた●●●。

 声だけ。姿はない。えとりにも聞こえていない。

「それは君の●●なえとりじゃないかもしれないよ?」

「えとりだ」

「どうかな。だって君が知らない約束をしてたんだよね? そこの時点で」

「うるせえ消えろ」

「おー怖い。せっかく会わせてあげたってのに、そうゆうのってヒドイな」

 無視する。

 早く醒めろ。

 これは夢なんだ。夢なんだから。

「夢じゃないよ」

「夢だ」

「証拠がない」

「俺が夢だと思えば夢だ」

「どうかな。いま君が連れてる人をよく見てみなよ」

 細い。細すぎて放してしまった。

 いない。

 そこには誰も。

 また、ひとり。

「てめえ、えとりどこやった」

「知らないよ。だってさっきまで君がつかんでたのはえとりじゃないもん」

「じゃあだれだよ」

「えとりじゃないヒト。あ、ヒトじゃないかも」

 呼んでも無駄だ。ここにはひとりしかいない。わかる。そのくらいは。ここは俺の夢の中。現状把握くらい。

「ねえ、なんで●したの?」

「●してない」

「知ってるよ。そのせいで●●●に怒られた。●●●は優しいからそうゆうの甘いけど。私も●●●と同様に賛成しかねるなあ。えとりはそんなの望んでなかったのにさ」

 望んでない?

「あんなのね、単に君が●したかっただけ。ヒドイ」

「うるさい。なんでお前にそんなこと」

「私は●●●だから、何でもわかるの。悔しかったら眼を醒ませばいいよ。確か夢だって言ってたよね? まーそーゆーこと」

 望んでなかったはずない。だってあの時は。寒くて。冷たくて。体温のないえとりがちょっとだけあったかくなったんだから。

「いつものこーき心だよ。知りたかったんでしょ。●●●●先生と●●●先生が夜中ふたりでなにしてたのか。せっかく●●●が丁寧に説明してくれたんだから試してみたくなるよね。ホントに●●●●●のか。どーだった? えとり慣れてたんじゃない?」

 なれ、て。

「ありゃりゃあ意外そーな感じ? 教えてあげよーか。えとりがどんな子なのか」

 どんな、て。

「いい。いらない」

 知りたくない。知りたくないけど。えとりのこと。俺はなんにも。

 知ろうとしてなかったわけじゃない。話したくなさそうだったから。

 興味がなかったわけじゃない。言いたくないなら無理に。

「嫌われたくなかったから訊かなかったんじゃーないよ。君はね、えとりが出してた助けてのサインを見ないふりして、●たいことをゆーせんしたんだ。ヒドイ。えとりがどんな想いでサイコロに泊めてくれってゆったのが気づきもしないでさ」

 どんな、て。

 どんな想い。

「なんでえとりが血まみれのナイフを持ってたのか。誰を●したってゆってた? 嫌いだったにしてはやりすぎだよね。つまりは●●●が憎かった。いなくなればいいと思った。いなくなりさえすれば楽になれると思ったんじゃない? よっぽど追い詰められてたんだね。でもえとりは●●●のこと好きだったんだよ。こんなに好きなのに●●●は関心を寄せてくれない。名前も呼んでもらえない。息子なのにね」

 えとりの父親。それはタイムスリップした未来のえとりじゃ。

「ちがうちがう。あれはえとりじゃない。えとりに死にたい病を感染させたかわいそーなヒト。手元に置いときたいくせに見てやらない。監禁しときたいほど所有欲が強いくせに言葉をかけてやらない。れーぞく? ちがうちがう。おかし●くなるくらい●きなだけ」

「デタラメゆうな」

「サイコロに泊めて欲しいってゆったりゆー。そろそろわかったよね。えとりはあのヒトと物理的に離れたかった。離れてないと」

「だまれ」

 考えない。考えたくない。こいつのゆうことなんか信じない。

 えとりは。俺のこと。

「ゆってないよ。ぜんぶ君のそーぞー。えとりは君のこと、自分の頭のなかに棲んでる都合のいい友だちくらいにしか思ってないよ。ともだち。にゅーいんしても薬なんか飲みたくない。なんで飲まないと思う? 飲んだら治っちゃうからだよ。飲んだらもーそーもげんかくも消える。つまりは君が消えちゃう。かわいそーに。てーせいしなきゃ。俺は」

 うるさいうるさいうるさいうるさいうっさい。

 この髪がいけない。さらさらの栗色。ひらひらするスカートも。うっとうしい。

 いなくなれ。

 なんで邪魔する。なんで。俺を苦しめて愉しいのは。

「起きていーよ。起きれるんなら」

 ひとり。しか。

「父さん?」

 父さんのつながり。父さんとつながってる。おんな。父さんはだまされてる。父さんだけじゃない。先生も親父もだまして。俺と。えとりの。じゃまをする。えとりを苦しめてるのもこいつだ。

 そうだ。そうに決まって。

「なんで私が君の父さんなの? 私は●●●。もう、話聞いてよ」

「何の研究か知らねえけど、ちっとも人類のためになってねえよ。さっさとやめろ。こんな下らねえことしてるくらいなら、俺に会いに来い」

 しんとなる。自分の瞬きがうっとうしいくらい静か。

 声がしない。かちかちちくたく。たいむましん。よかった、戻れる。眼が醒めればもう平気。

 どこにつながるだろう。ドアを開けた瞬間に帰れればいい。そうすれば一番最初にえとりに会える。それがいい。そうしよう。

 そうしろよ、父さん。

 風を感じる。

 涼しい部屋。クーラとかじゃなくて窓が開いてる。カーテンが揺れる。部屋の中央のベッドは無人だった。

 それはそうだ。こんなとこで寝っ転がってたくない。こんな部屋に閉じ込められたくない。

 窓の外。ベランダの下に。

 手を振ってる。

 いこう。外はいい風。

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ひんがしひがひがし 伏潮朱遺 @fushiwo41

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