第3話 悲願カナシキネガウ

      1


 先生の車の音がして階段を下りる。渡り廊下に出たときに、先生が車から降りてくるのが見えた。おやじじゃなくて先生だった。二十年後のおやじ。

「おかえり」

「ただいま。あいつ帰ったか?」

 一応うなずいといたけどわからない。父さんはどうなったんだろう。タイムマシンが完全に直ってなかったなら、父さんだってどこかに行ってしまったかもしれない。別に哀しくなかった。父さんなら自分で何とかできる。また一ヵ月後にひょっこり顔を見せる。そんな気がする。

 だけどえとりは、時の狭間とかで迷子になってたら。

 そうだ、ゲーム。あれにヒントがあるかもしれない。先生にごめんと言って部屋に戻る。クリアデータが残ってる。ロード。

「そんなにやりたかったのか?」先生があきれ顔で部屋をのぞいてる。

「ねえ、先生。ホントはゲーム好きなんじゃない?」

「なんでだよ。好きじゃないさ、そんな架空の」

「先生って弟いる?」

「いや、ひとりだよ。お前と一緒」

「じゃあ子どもは?」

 背中にじっとりとした膜が貼りついたみたいだった。

 画面はちょうど時の狭間。いろいろな時空を回って、そこに迷い込んだ仲間を助け出す。やっぱり時の狭間ってのを探さないことにはえとりに。

「なんでそんなこと訊く?」

「前にもきいたじゃん。もう一回きいてみたかっただけ」

「いないよ」

 嘘のような気もしたけど本当のような気もした。先生は部屋に入ろうとしない。廊下から部屋の中を見ている。俺はゲームが忙しかったから特に相手をしなかった。

 しばらくして静かにドアが閉まる。別に開けっ放しでもよかったのに。先生はすねたせいで気が回らなかったのだ。この部屋は風が通るから気持ちいい。

 時の狭間。入力。でも大した答えは得られない。そんなことわかってるっていう情報しか出てこない。役に立たない。ヴァージョンが古いのだろうか。

 たぶん朝ごはんだった。フレンチトーストなんてゆうわけのわからないメニュだったせいで頭が混乱した。先生は完全に和食派だしこうゆうのは絶対に食べないから絶対に作らない。オオギ先生だったら好きかもしれないけど。甘いから。

 でもオオギ先生は今日は来ない。突然来るってこともあるけど朝から押しかけてきたのは見たことない。

「うまいか?」

「うん」

「たまには違うのもいいかと思ってな」

 違いすぎだと思う。先生は何か変なものでも食べたのだろうか。もしくは頭を打ったとか。

「あいつ、なんか言ってたか」

「ゲームするなって」

 先生が苦笑いした。ゲームするなってのは最近の父さんの口癖だから。

「他には?」

「先生、えとりって知ってる?」

 言っちゃいけない名前だったのかもしれない。先生は何かを言いそうになっていったん飲み込んだ。しかも無理矢理。苦い薬を我慢して飲むときみたいに。

 未来人は過去の人に未来のことを喋っちゃいけないけど、現在の人に過去のことを言う分には別に支障ないんじゃ。

「なんで知ってる?」先生は食べ終えてからそう言った。

 その間は食器がぶつかる音しか聞こえなかった。わざと黙ってるみたいな間で居心地最悪。

「ようじに聞いたか?」

「俺は会ったことあるよね」

「どうだろうな。俺は知らないが」

「先生は会ったことある?」

「ある、とだけ言っとく」

「いつ?」

「だいぶ前だ」

 二十年?

「えとりの父さんには?」

「もういいか。これ洗っちまうから」

 話を逸らされた。都合が悪くなるとすぐこれだ。都合が悪い? えとりよりもえとりの父さんのほうが都合が悪い?

 もしかしたら何かのはずみで続きを話してくれるかもしれないと思ってテーブルで待ってた。先生は手早く食器を片付ける。ほんの五分弱。一度も眼が合わなかったし、一言も口を利いてくれなかった。わざと無視してる。そうすればあきらめて俺が部屋に戻ると思って。

「ゲームしていいぞ。俺は怒らない」

「先生は俺の父さん?」

「その話は何度もしたろ。俺は多忙なようじの代わりにお前と一緒に暮らしてるだけの」

「なんで先生が選ばれたの?」

「暇そうだったからじゃねえの? それより、ちょいやることがあるんだ。邪魔しないでくれるか」そう言い放つと、先生は診察室に行ってしまった。

 部屋に戻るならわかるけど、診察室になんかこもったって何もすることないのに。わかった。俺が近づかないようにわざとそこを選んだ。俺は診察室が嫌いだから。廊下の前を通るだけで息が苦しくなる。渡り廊下の向こうに行ったらすぐに右に曲らないとダメ。

 ゲームする気が起きなかったので洗濯をする。庭に出ると診察室の窓が見える。先生は見えない。端から端まできっちりカーテンが引いて。俺と会いたくないならこもってないで車でどこへでも行けばいいのに、俺を置いてほいそれと出かけないところが先生らしい。

 子ども扱いなのだろうか。心配性なのだろうか。とにかく先生はえとりを知ってる。えとりの父さんも知ってる。顔見知り程度じゃない。けっこう深い。深い?

 未来に持ってこれたのはゲームだけ。人間はダメなんだろうか。部屋の電話が鳴った。相手は千里眼で地獄耳の父さん。他にいない。サボってるとすぐこれだ。

「勉強しない子は悪い子だね」

「えとりは?」

「そこに続く言葉はなあに? どこ? それとも」

「知ってんだろ。言えよ」

「探しに行けば?」

「いいの?」

「当てがあるんでしょ? 帰れなくなるね」

 父さんは遠回しにダメだと言ってる。帰れる自信がないなら行くな。そうゆう意味だ。

「でもね、残念だけどえとり君はいないよ。あづまが居なくなったことがわかって絶望して飛び降りちゃった」

 切るだけの勇気がない。疑うだけの情報もない。

 飛び降りた?

「反論しないの? 嘘だ、とか」

「それでいないのか」

「物分りがいいね。さすが俺の息子」

 えとりはあの時点の過去にしかいない。それから先は存在していない。だから時の狭間にもいない。父さんの誕生日までだ。何年目なのかわからないけど、その日だ。その日より前に行かないと。

 渡り廊下に先生がいた。庭を見ている。物干し竿の洗濯物に気づいた。

「悪いな。気が回らなかった」

「えとりはいないんだね」

 先生は何も言わなかった。何も言わないということは。

「だいぶ前ってそうゆうこと?」

「何年経ったかな」

 二十年。

「十年かな」

 先生は俺を見る。またあの顔。父さんと会う日の朝の。

「十年?」

「永いよ。永いってことすら忘れそうだ」

「ホントに十年?」

「何でお前が口出すんだよ。お前生まれてねえぞ」

 てことは、十年後。十年後の父さんの誕生日に飛び降りる。

 そうか、そうだった。えとりの父さんのことすっかり忘れてた。たぶんえとりはあの時飛び降りたことになってて、本当は未来にタイムスリップしてて、二十年経ってからまたえとりが生まれる前まで戻って、どこかで生まれたえとりを引き取って育てて。

 つながった。

「ありがと先生」

「おう、なんだ?」

 会えるかもしれない。えとりが最初にタイムスリップした先がこの現在かもしれない。だとしたらまだ望みはある。

 電話をかける。えとりの家。出ろ出ろ。

 変な声で使われてない番号とか言われた。あの家にいない? 違う場所? どこだろう。そんなのひとつ。

「先生、お願いがあるんだけど」

 先生はまだ渡り廊下にいた。俺が走ってきたから発作の心配してる。でもそんな場合じゃない。

「父さんの研究所に」

「駄目だ」

「お願い。一生のお願い」

「何度も言ったよな。例え万に一つもあり得ないだろうが、あいつが呼んでもあそこには行っちゃいけないことに」

「お願い。お願いだから、先生。父さんに怒られたら俺がかばうから。悪いのは俺だから。先生は悪くない。俺がわがまま言ってうるさかったから仕方なく連れてっただけだから。ねえ、先生」

 先生は黙って首をふる。これ以上言ったらたぶん怒鳴られる。構うもんか。怒鳴りたいなら怒鳴ればいい。こっちは一刻を争うんだから。

「お願い」

「理由は?」

 先生は怒鳴ってない。我慢してるわけでもなさそうだった。

「逢いたいやつがいるから」

「誰だ?」

「えとり」

「なんでそこにいると思うんだ?」

「いる。絶対いる」

「どのくらい確かだ?」

「千パーセント」

「お前、パーセントは百までしかねえぞ?」

 洗濯物が風に揺れる。先生は干してあったタオルを無理矢理ポケットに入れようとする。入らない。入るわけない。でもぎゅうぎゅうに押し込んだ。まだ湿ってるのに。

「まずいぞ、あづま。タオルがねえな、ここに干しといたやつ。お前知らねえか」

 先生がおかしくなった。怒鳴らなかったせいだろうか。なに言ってんの。いま自分でやったことおぼえてないの? タオルなんかほとんどズボンのポケットから出てるし。きょろきょろしながら首をかしげてる。教えようと思ったらさっきよりも大きな声で。

「参ったな。今日風強えからどっか飛んでったかもしんねえな。仕方ねえなぁ、あれ俺の気に入ってるやつだからな。探しいくぞ。ほら車乗れ」

 先生はガキみたいに笑う。

 わかった。やっとわかった。俺は急いで車に乗る。こんなに拷問ジェットコースタが楽しみだと思ったことはない。シートベルト。

「どこだろうな。お前どこだと思う?」

「父さんのとこじゃないの? そっち向かって風吹いてるし」

「んじゃお前の勘信じてみっか」

 やっぱり先生だ。うれしくなる。同じ。ぜんぶ同じ。過去から何も変わってない。先生はおぼえてるだろうか。サイコロから出してくれたこと。ゴミだらけの家に連れてってくれたこと。おいしいラーメン食べさせてくれたこと。ゲーム買ってくれたこと。

 聞こうと思ってやめた。いまはいいや。いまはそうじゃなくて。

「正直言って、お前があいつに似なくて良かったよ」

「なんで?」

「あんなのがもう一人いたら敵わん」

「いいの? そうゆうこと言うと」

「もう遅えよ」

 先生は父さんに逆らえない。逆らうとクビになる。クビになるだけならいいけど、たぶん施設から追い出される。俺はひとりぼっちになるのだろうか。過去のえとりみたいに。淋しい。

 それはイヤだ。俺が父さんを説得しないと。先生と離れ離れになりたくない。

 できる? できる。俺は悪い子でもいい。

「なんか昔っからこんなんばっかだな。決まり破ってばっかだ」

 知ってる。

「真似すんなよ。金輪際やめとけ」

「先生に似てんならムリじゃない?」

「似てねえよ」

 先生はまた怒鳴らなかった。親とか似てるとかそうゆうのは禁句だったのに。笑ってるようにも見える。父さんからすると悪いことしてるはずなのに。

 悪いこと。二人で悪いことする。

 俺も父さんに叱られる。

 先生の勤めてた病院。駐車場に。急ブレーキ。

「一人で行くか?」

「ごめん」

「いいさ。俺の一人のほうがいい。それに手分けしたほうがタオルも見つかりやすい」

「だね」

 言い訳ばっちり。父さんに通じるかどうかは微妙だけど。

「通じるわけないじゃん。何してんのさ?」

 千里眼と地獄耳には勝てない。サイコロまでダッシュしようと思った矢先だった。

 先生が俺と父さんの間に立つ。

「答え方によっては契約違反ってことになるよ」

「あづま、用があんだろ? 行け」

「困ったな。契約違反だ」

 ゲームみたいだった。ラスボスの先に待ってる世界壊滅装置を止めるために、仲間の一人がラスボスを引き付ける。その間に主人公が。

「何やってんだ」

「行かないよね、あづま。俺のいうことは聞いてくれるもんね」

 なんか変だ。なんかすごく変。それが気になって先に。

「いいから、ほら、行けよ」

「やめたほうがいいよ。いまここでいい子になったら何もなかったことに出来るけど」

「あづま!」

 怒鳴られた。ビックリしたけど走れない。走っちゃいけない。走ったらサイコロに着いてしまう。サイコロ?

 二十年て。父さんの足が見える。

「えとり君ならいないよ」

「わかってる」

「何しに来たの?」

「あづま、そいつの話なんざ」

 父さん。どうして。

 どうして小さいままなの?

「ホントに?」

「飛び降りたよ。俺が嘘ゆったことある?」

 ない。

「どこから?」

「研究所の屋上」

「父さんは見てた?」

「見てたら止めたよ。何も俺が留守のときにやらなくたっていいだろうにね」

 父さんが俺より小さいのは何故だろう。答えは簡単。

「ごめんなさい、先生」

 いない。勘は大ハズレ。

「先生だけじゃないよね? 俺にも謝ってよ」

「ごめんなさい」

 先生はすごい怖い顔をした。にらんでる。俺を。父さんなわけない。父さんなんかにらんだら命がなくなる。

 突然腕を引っ張られる。先生だ。父さんの視線を感じる。じろじろじろ。

「一応、どこ行くか聞いとこうか」

「ようじ。そろそろ潮時じゃねえか?」

「意味わかんないな。何の話?」

 腕をつかまれたまま、先生の顔が眼の前。怖い。

「あづま、いいこと教えてやるよ」

「カタクラ先生、料理の隠し味の伝授なら間に合ってるんじゃない?」

 先生は父さんの言葉なんか無視してガキみたいに笑った。

「お前の親父はそこでくっちゃべってるガキじゃあない。俺だ」

「知ってる」

 先生は困ったような顔。先読みされて悔しそうだった。

「なんでわかった?」

「えとりに聞いた」

「そうか、そりゃいい。ついでだ。お前の母親はな」

「カタクラ先生、それ以上言うと本当に」

 先生は父さんをにらみつける。俺からは見えなかったけどすごい怖い顔だったと思う。あの父さんがひるんだくらいだから。

「お前の母親は」

「先生!」

 聞くんじゃなかった。こうゆうのは実際に聞いてからじゃないとわからない。もしあの時父さんが先生を抑えられていれば、こんな最悪のこと聞かなくて済んだ。ちっちゃくなったラスボスなんか無視してサイコロを見に行けばよかった。家を出たときの流れでそのまま先生の段取りに従っていれば。

 先生はクビにはならなかった。引き続き施設にいられることになった。でも俺は戻れない。追い出されたのは俺のほうかもしれない。ゲームもぜんぶ置いて先生と離れ離れ。二度と会わせない、て言ったときの父さんの声がすごく印象に残ってる。

 先生は父さんと約束をしてたらしい。俺の本当の父さんと母さんについて。それを秘密にする代わりに先生は俺を育てることが許された。それでいままで内緒にしてたらしい。約束を破ったのに先生は全然哀しそうじゃなかった。またガキみたいに笑って。

 先生。俺の、遺伝子上の父親。


      2


 鎖も縄も猿轡もないけど、ドアに鍵がかかっている。僕を閉じ込めて廃用症候群にでもしたいらしい。

 待遇改善を申し出たら結佐ユサ先生の返事は。

「運動してますよね、はい」

 だった。下品だ。

「私だけではないでしょう、ええ、知ってますよ。ですから隠さずにね、お願いしますよ」

「同じことしかしてませんけど」

 記録だってしているはず。そこにもここにもあそこにもカメラがある。会話も筒抜け。僕の一挙一動が研究材料にされている。んだったらまあいいけど、商品になっていたらどうしようか。出演料くらいはくれたっていいのに。

「ええっと、薬は」

 飲んでるわけない。あまりにも不味いから昨日床にぶちまけた。あ、昨日だったかな。もっと前だったかもしれない。時刻も日付も僕には関係ない。だって僕は近々死ぬんだから。軟禁されてたって監視されてたって逃げ出してやる。

「その、首吊りではね、いけないのでしょうか」

「自殺をさせないために閉じ込めてるんじゃないんですか」

「これをですね、一気に飲めば逝けますよ、ええ」

 サイドテーブルに新しい包み。錠剤。粉薬。ぶちまけた分の補充だ。どうせ飲まないのに。飲んだって治らない。治りたくないから飲まない。わかってないんだろうか。きちんと説明したはずなんだけど、幻覚妄想だったかな。

 窓がない。たぶん地下だ。目隠しされてベッドに縛り付けられて連れてこられたから曖昧。いろいろが混線してわけがわからなくなってる。昨日誰に会ったのか。もうわからない。憶えてない。思い出せない。

 そのうち結佐先生が結佐先生かどうかもわからなくなると思う。毎回自己紹介してもらおうか。それとも心許ない名札。

「外に出てもね、いいのですがね、はあ、せめて薬を飲んでいただかないと」

「何の薬なんですか」

「ご存知の通り、はい、頭痛薬ですよ。ただの。何の変哲もない」

 確かに僕は頭痛持ちだけど、こんなにたくさん飲まなくたって治まる。いつも飲んでたあれで充分。あれが切れてるから調子が悪いのだ。丘槻がくれた頭痛薬。あれを飲むとすっと頭が軽くなってきもちよくなれる。

 父さん。僕が死んだって生きてたって関心ないくせに。見舞いにだって来ない。息子が入院してるってのに。自由を奪われて薬漬けにされそうだってのに。やっぱりどうでもいいんだ。僕のことよりもっと大事な。

 タイムマシン。あの説が正しいなら父さんは未来の僕ってことになるけど、それはあり得ない。SFじゃないんだからさ。

 あづま君。逢いたい。君に逢えたら心置きなく飛び降りれるのに。君が心残りで何もできない。手に付かないし考えられない。

 中学をやめて大学に行ってみたけど、面白くない。父さんは相変わらずだし、ようじさんと物理的に近い距離になったから息苦しくてしょうがない。入院ってことで休学扱いになってるけど、戻るかどうか。戻っても。

 これならあのまま中学にいればよかった。居たかった。父さんにそう言ったのに伝わらなくていつの間にかスキップってことに。サッディな際居キワイは何してるんだろう。丘槻オカヅキは。

 逢いたいなあ。逢いに行こうかな。

 本当はいつでも抜け出せる。僕が望めばこんなところ。内線。出ない。知ってる。結佐先生は不真面目だから逐一僕を観察してない。観てるのはようじさん。

 鍵は内側からも開く。外側から掛けて、内側からも掛けられる。意味ない。

 問題はおカネ。カードで電車に乗れたっけ。わからない。中学まで辿り着けるだろうか。それも不安。せめて薬があれば頭がすっきりするのに。痛い。ずきずきずきずき。

 家に戻れば。父さんはいない。おカネをもってこよう。ちょっと散歩に行くだけ。気が向けば戻ってくるから。誰も心配してくれないけど。誰も捜してくれないけど。飛び降りるのはまだ先。あづま君に逢えるまでは。

 せっかく丘槻に何年かぶりに会うんだから、再会を劇的に演出するためにオリエンテーリング方式を採ろう。各チェックポイントに僕の手書きのヒントを設置。もちろんハズレの分岐も。丘槻の思考パターンくらい手に取るようにわかる。だからすべてのヒントを回収してくれるはず。楽しい。

 自宅宛にファクスを送りつけて何時間で会えるか。予想。わくわくしてきた。頭の痛みも僅かに引いてくる。手があったかい。まるで生きてるみたいに。

 最終目的地はこれまた最高。我ながら名案。際居のアパートの前。さあて、僕の予想は当たるかな。

 最後のクイズ。際居の下の名前に似てる鳥の親友は?

「犬」

 アタリ。丘槻ならわかってくれると思った。

「あのさ、生きてんなら」

「生きてないよ。一回死んだ」

「比喩?」

「飛び降りはしたんだよ。結果が失敗しただけで」

「ふうん」気のない返事。

 それも嫌いじゃない。素直じゃないな、君は。

「聞きたい?」

「失敗したならやり直せば?」

「それがそうもいかない。自殺念慮があるとマークされるんだ。発信機が組み込まれてる」

「どこに?」

「脳」

「SF?」

 最高。

「虚構だよ」

 駅に向かう丘槻の後をつける。へえ、いまは夏なのか。暑いし空が夏っぽい。丘槻が私服だから何年経ったかわからない。ちょっとは大きくなってるかと思ったけど、あんまり変わってない。僕が育っただけかも。右手首の包帯だって。

「腱鞘炎は相変わらずみたいだね。学年首席は死守してる?」

「知ってんならきかないでほしいんだけど」

「世間話だよ。僕の質問が不快だったら君が尋ねればいい」

「死ねば?」

 ああ、うれしい。

「久し振りだねそれ。僕に死ねって言ってくれたのは君だけ」

 それが聴きたかった。憶えててくれたんだ。

「全国模試で二位だったらしいね」

「どっかのだれかのせいで」

「僕じゃないよ。点取り合戦には最初から興味がない。こないだも受けたんだってね」

「だから何しに来たわけ?」

「もう一回別れを言いに」

 ウソウソ。嘘だって。

「今度は成功させる」

 お願いだから本気にしないでよ。いつものホラ話。

「ホントに飛び降りた?」

「低かったんだよ。三階建ての屋上だったから」

「際居連れに来た?」

「それはないね。死にたくなさそうな顔してる」

 やっぱりそこが気になってる。直で訊いてくれれば即で答えるのに。僕は回りくどいより婉曲よりストレイトに言ってくれたほうが好ましい。

 そのくらい、知ってるよね。

 眩しい。太陽って邪魔だな。僕のメガネが曇ってることを知らしめるみたいにぎらぎら照り付けないでよ。

 丘槻がちらちらこっち見てるから、見せてあげる。

 裸眼。

「もう伊達じゃないよ」

「ふうん」

 あーあ、眼逸らしちゃって。

「連れてかなかったの怒ってる?」

「どこに?」

 空を指す。迷惑な太陽の方向。

「こっちじゃない?」

「丘槻は下だと思う? どうかな。僕は天のほうがいい」

「地獄行きのくせに」

 駅に着いたけど、様子見。どこまで切符買えばいいんだっけか。とかそんな素振りで時間稼ぎ。

 丘槻なんかちゃっかり券売機の前。手にあるのは、それ、カード? 定期?

「じゃあ」

「淡白だよね」

「心中しようとしたんじゃない?」

「誰と?」

 際居、て口が動く。それはさっきというかすでに否定したのに。

「先に逝ったわけ?」

「誰が?」

「相手が天だが地獄だかで待ってるからそうやって急いでるように見えるけど」

 そうなのかな。あづま君はどこかで待っててくれてるのかな。

「聞いてもらいたいから来たんじゃないの?」

 そうだった? あれ、自覚なかったな。薬がないせいだ。頭働いてない。電車が来ちゃった。どっち行き? 

 電車、どこまで行くの?

「地獄」

 オカヅキならそっちで待っててくれるんだ。じゃあ地獄にしようかな。あづま君はどっちにいるかわかんないんだし。もしハズレちゃったら立ち直る自信がない。

 話してあげるよ。ずっと死にたかった僕に死ねばってゆってくれたお礼に。

「相手は生きてるよ。たぶんね」

「たぶん?」

「僕に弟がいるのは知ってる?」

「さあ」

「兄かもしれない。なんだか変な人で外見年齢を自在に変えられるんだよ。出会ったときは僕より二つ下だったけど最後に見たときは僕より七つは上だった。二十歳前後に見えたよ。その兄が自分の子だって言って連れてきた子がいたんだ。でもその子はどう見ても僕より二つくらい下。ホントの子だったかどうか」

「意味わかんないんだけど」

「僕だってわからないよ」

「逃げられた?」

「ううん、どうかな。こっそり約束したのがバレてどこかに連れてちゃったんだと思うけど。だから心中じゃない」

「待ってるわけ?」

「そのつもりだったんだけど、なかなかうまくいかない」

 サイダ。丘槻の好物。グラスに泡。

「捜せば?」

「捜せないんだ。いないから」

「いない?」

「僕の頭の中にいただけかもしれない」

「なにそれ」

「よくわからない。とにかくいろいろが不鮮明で。変なもの飲まされてるせいかも」

 僕の頭をおかしくする薬。無理だよ。もうこれ以上おかしくなんてならない。

「さっきから頭痛いんだ。ベッド借りていい?」

「誰の」

 フツーそんなこと訊くかな。ほんとう丘槻は面白い。

 廊下だと思うけど、いま見えてるのが天井なのか床なのかわからない。どっちも差がないかな。単に上か下かの。

「ヤバいんじゃない?」

「実はそう。外なんか出るんじゃなかった」

「薬とか要る?」

 くれるの? あの時の頭痛薬。

 丘槻はしぶしぶ僕を部屋に入れる。あれ、忘れてるのかな。くれれば治ったのに。

 それどころかいそいそと参考書とノートと筆記用具をまとめて。

「あっちにいるから」

 なんて、あからさまに意識してるよね。

「ここですれば? いびきなんかかかないよ」

「気が散るし」

 なるほど。まあ、僕の無防備な寝顔とか溜息者の寝息とか聞いちゃったら。じゃあ仕方ない。でもダメ押し。

「見てないのをいいことにいろいろ破壊するかもしれない」

「別にいいんじゃない?」

 つれないな。つまんない。頭痛薬。やっぱ忘れちゃってるんだ。

 寝ちゃえ。眠いよ。

 厭な夢をみた。あの時の、ようじさんの研究所の屋上から飛び降りようとしたときの。タイムマシン。のわけがない。

 夢。結佐先生が止めに来たからやめたわけじゃない。結佐先生のあまりにもフツーな態度に興醒めした。

 僕が死んで困る理由。自分がクビになるから。

 最悪。

 がさがさ音が。薄眼を開ける。わからない。メガネは枕元だったかな。

「そんなに眼悪いの?」

「この距離で君の輪郭がぼやける」

 丘槻。ちょっと汗のにおい。

 床に紙袋。まさか。

「買ってきてくれたの?」

 頭痛薬。三箱も。

「五年分」

「にしては少ないね」

 一箱八十錠入りで、一回に二錠飲まなきゃいけないから、それが三箱で。えっと、寝起きで頭こんがらがってる。ずきずきずきずき。

「手持ちがなかった」

「いいよ。ありがと」

 水の代わりにサイダ。飲めるかな。二酸化炭素の味だけど。

「飲ませてってゆったら」

「死ねば」

「だよね」

 何を気にしてるんだろう。親は留守。たぶん旅行。しかも海外。ゴミ箱にパンフレットが捨ててあった。これ見よがしに。世間は夏休みなんだ、きっと。

 五年?

「そんなに経ったの?」

 四年。プラス一年。

「なに寝ぼけてんの?」

 丘槻は机の上にあったカレンダを見せてくれた。ほんとうだ。それが正しいならほんとうに五年経ってる。丘槻と会えなくなってから、あづま君と会えなくなってから。僕の自殺未遂は、いつだっけ。

 四年前。なら、一年多い。

「ねえ、いま高校?」

「受験だし」

 高三? 嘘だよ。なにそれ。

「じゃあ僕は、何年眠ってたの?」

 わからない。タイムマシン。あの時あづま君が言ってたことはでまかせじゃなくて、ほんとうの。あづま君はほんとうに未来から。タイムマシン。何かの決まりに引っ掛かって僕を一緒に連れてくことが出来なくて、でも僕を元の時間軸に戻すのを失敗して、僕だけ五年後に飛ばされた。

 そんな、厭だ。

 逢えないよ、ぜったい。だって僕は大学生で。五年?

「よくわかないんだけど」

「僕だって」

 わかんない。四年前。僕はあづま君のことを何も知らない。一年前。死んだって生きてたって、逢えるかどうかも、なにも。

 飛び降りようか。四年間待って。

 駄目だ。ここ、二階。

「飲めば?」

 ずきずきずきずき。メガネ掛けてるはずなのに、丘槻の顔が見えない。どこにいるかもわからない。もしかしたら、丘槻も僕の頭の中に。だからあっという間に五年経つし、僕の望むジョークをくれる。

 なんだ、そっか。

「暑い中買ってきたんだけど」

「シャワー浴びていいよ」

 加速度。二酸化炭素の。にがい。ぬるい水。

 やっぱり顔が見えない。メガネがあってもこの距離じゃ、ぜんぜん。

 包帯。もしかしたらその下はつながってないなんてこと。腕。手首。

 つんとするにおい。しろい。湿布。

「右手、使いすぎなんだよ」

「泊まるわけ?」

 ずきずきずきずき。眠らないと効いてこない。せっかく飲ませてくれても、起きてる状態だから。

「それは君の望み?」

「死ねば」

「治まったらね」

 重力。質量と体積。

 どうしても顔が見えない。

 天井のほうが近い。床は遠い。

「僕は正直が好きだな」

「知ってるし」

「どかないと」

 やっと見えた。近視だからこの距離なら。メガネが意味ない。ずれてて、肉眼。

 二酸化炭素の味が残ってる。口で。

 お

 れが

 いるか

 らし

 なない

「で?」

 ようやく本音。死ねば、は僕の気が楽になればと思って言ってくれてただけ。本気で死ねば、なんて君には言えない。僕が死んだら困るから。僕が死んだら君は。

「どうする?」

 いっしょに。

「死んでくれる?」

 頷かない。首も振らない。僕の上から退く。それが君の答え? ずいぶんと消極的な。僕の好きな丘槻らしくもない。

 全教科でパーフェクトスコアをとる方法。

「わかった?」

 無言。

「いつから?」

 とぼけてみたけど、反応は芳しくない。眼が合わない。後ろ向かれちゃ、ねえ。

「もうやってないよ」

 学校行ってないんだから。

「君が止めればやめたのに」

「ウソ」

「うん、嘘」

 英語、国語、社会、理科、数学。ほんとは数学だけ。だって必要ない。僕は天才だから勉強なんかしなくたってテストスコアくらい軽く。数学は際居だったから。サッディをいじめられるのは世界中で僕だけ。

「サッディってなに?」

 ほら、声に出さなくても聞こえてるってことは。丘槻は僕の頭の中にいる。決定。

 サディスト・ティーチャの略だよ。

 あづま君も、いるんだろうか。呼びかけてみようか。あづま君。いるなら返事して。五年かかった。四年かもしれないし一年かもしれないけど。君がそこにいることに気づくのに。ごめんね。僕は天才だけど、自分のことには滅法疎いんだ。怒ってる? 怒ってるから返事してくれないの? そうだよね。五年も無視してたんだから。五年だよ、五年。四年より一年多い。酷すぎるよね。

 なんだか死にたくなってきちゃったな。薬が効いてきたおかげかも。

「もういっかい、いい?」

「なにが」

 わかってるくせに。僕が君に言ってほしいことなんか。

「死ねば」

 そう、それ。ありがと。元気でた。

「帰るの?」

「命令が来てるんだ。ここに、ぴぴぴってね」

 手。あったかい。薬のせいのまぼろしかもしれないけど、いいや。まぼろしも丘槻も僕の頭にいることは間違いないんだし。

 じゃあね。僕のたった一人の親友。

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