第6話 紐帯の車窓
「――景色が変わって参りましたね、御嬢様…。もう直ぐでしょうか?」
「そうね……この並木林と、あの街並みは見た事があるし…。このぶんだと、到着は後40分程…といった所かしら?」
「……何だか、緊張して参りました…。」
「あら、ゲルシャ…。このぐらいで根を上げていては。これから控える、ヴァーセルリア公爵家での日々を乗り越えられなくってよ。……今回、モリーナはいないけれど…。貴方には
「…御嬢様っ。……はい、ありがとう御座います…。」
…オロレウム領の
何度か、通り掛かりの街の景色と。平野に放たれる牛や羊の遊牧風景…まだ掘り返されたばかりの焦げ茶色の土の田畑を眺め…。段々と、管理の行き届いた林や街並みが遠くに見え始め。その変化に気づいたワンフェナが、スカーレットへ話を振り。それに応えるスカーレットの言葉に、緊張してしまった様子のゲルシャを優しく励ましながら…。
スカーレット達は着々と、「目的地」ヴァーセルリア公爵家領の若干辺境拠りに存在する。ヴァーセルリア家本邸近くの街――"ヴルス"へ、到着しつつあった……。
(……やっぱり、緊張している様ね…。まぁ、仕方がないわ。私は婚約者であるエレルド様と、定期的に、親交を深める為に。度々、こうして此方へ遠出をするけれど。…武家のフェナーは兎も角……。文家のゲールは、流石に気後れしてしまうかしらね…。)
…実の処、ワンフェルとゲルシャは。スカーレットと同じ弱冠12歳のまだ――
"うら若き乙女"であり。れっきとした、「貴族令嬢」であるのだが…。彼女達の家は代々、オロレウム上級伯爵家から信頼厚き武家・文家の貴族家で。……スカーレットと小さい頃から親しくし、又その姿を慕い。現在はワンフェナは週に3日、ゲルシャが5日オロレウム家に泊り込む。所謂「行儀見習い」兼「花嫁修業」を兼ねた――スカーレットのヴァーセルリア公爵家輿入れ時、一緒に公爵家へ赴く"従者"として「教育と調整」をされている身なのである……。
――因みに、ワンフェナは『
……スカーレットが結婚できる、"18歳"の正式な成人の日まで。まだ、丸々6年間も在るのだが……。昨今のご時世――遥か遠い"東北の大国"『ロッサリオン帝国』の何度目かの"御家騒動"に、何よりも『混沌の季節』等の"不穏"で"不景気"な事柄が重なる時勢に際し…。ヴァーセルリア家とオロレウム家で少々話し合った結果、「そういった事へは注意していこう。」という意見が一致し。一応、上流貴族家であれば。「次期当主見込み」又は、特に「嫁入り」する子女や子息に。早くから、親しい忠臣筋の子息子女の子を従者として宛がう事は。間々ある為…。スカーレットには"オロレウム上級伯爵令嬢"として、ひいては未来の二大公爵家"ヴァーセルリア公爵家夫人"…つまり「エレルドの"妻"」となるべく。万全を期されていた――が…。
(――…でも、私が見た「悪夢」の中では。私は、エレルド様に"婚約破棄"を言い渡されている……。これは、どういう事?あの"悪夢"は所詮、転倒して頭を打ち混乱した私が見た「
…そんな、何か、深刻そうに物思いに耽るスカーレットの姿に。多少は、取り繕ってはいたものの…。上の空で、完全なそれではなかった為。先程まで、緊張した様子であったゲルシャは。日頃、将来完璧な専任侍女となるべく。スカーレットの言動・所作に注力し、見ていたゲルシャが――スカーレットの、僅かな「負の感情」による"心の揺らめき"を察知し。心配げに、声を掛けてくる…。
「…スカーレット様?如何致しましたか?……もしや、先の私の"不足"に何か――…。」
「ああ、いえっ、違うのよゲール…。少し、"別の事"を考え込んでいただけなの。…緊張する事は誰にでもある事よ。ただ、少し、その緊張を隠すのが上手いかそうでないかというだけで……ね…。」
「そうでしたか…。なるほど、やはり私はまだ未熟ですね……。申し訳ありません、彼方に着き次第。冷静に、実直な言動を心得…気持ちを切り替えたく思います。」
「…私も、ゲルシャの同様心掛けたく思います。…まだ私共は、今だ「見習い」の身ですが――スカーレット様のお役に立てるよう。"最善"を尽くさせて頂きます。」
「………。」
…不用意に、あの「悪夢」の事を思い出してしまった為に……。自身の信頼厚き"従者"であり、小さな頃からの"幼馴染"達に。多大な重圧と、緊張を背負わせてしまった事に。内心、深い嘆息を盛大に吐きつつ…。しかし、単に彼女達が自身等に気を使った様な"媚びた言葉"を、「欲していない」事も瞬時に理解しながら…。その上で、スカーレットはその口から、不思議と滑らかに――「今思う自分の気持ち」を言葉にして伝えていく……。
「――顔を上げなさいワンフェナ、ゲルシャ。…貴方達の気持ちは、良く分かったわ。…ヴァーセルリア公爵家へ着けば、それからは『
「それは……ですが、スカーレット様はっ……!」
「判っているわ。そうであるからこそ。私はただ、"
「……スカー…レット様…。」
…唐突なスカーレットの、今迄見せる事などなかった――自身に対する"皮肉"と"被虐的"な言葉に。ワンフェナとゲルシャが、驚きと困惑の表情を浮かべるのを…。スカーレットは微かに下がった視線の端でそれを確認し、「…まぁ、そうなるでしょうね。」っという感想を心中で呟きながらも。その後も、スカーレットは思うまま言葉を述べてゆき…。
「……貴方達に、そもそも私が関する事柄で…"拒否権"なんてない事は知っているし解かっているわ。でも、それでも…欠片でも、私に手を貸すのが嫌であったら――…。」
「――…レティ、そこまでで良いわ…。」
「…!…。」
…それをワンフェナが、今迄の"従者"としての言葉遣いを取り払い。主人であるスカーレットへ、まるで――"友人"に対する様な言葉遣いに切り替え。優しく、その友人スカーレットの話を押し留め。……代わりに、その話を引き継いでゆく――…。
「…今だけは…私は貴方のいち"友人"として、話をするわね……。
レティ、その問いの"応え"は貴方が思う通り。「はい」という答えしか、私達二人には"許されて"いないわ…。その理由も、貴方が思う通りのものだし。考えもそうよ。………でもね、レティ――…。」
…――そう、一旦会話を切り。ワンフェナは、その視線をゲルシャへ向けると。その視線を受けたゲルシャは、ワンフェナの"意図"を理解した様に…。小さく、一つ頷き掛けると。ワンフェナから更に、ゲルシャが、その話を引き継ぎ話始める……。
「…私達の…"親友"としての私達の答えは――もう、決まってる……。
私と
「…ゲール………。」
「……レティが何故、今、こんな話を切り出したのかは……。残念だけど、それは分らないし…話したくないのよね?私達は、それで構わない。だって、私とゲールは――自分達から好き好んで、レティの従者に成る事を決めたんだもの……。」
「……フェナー…。」
「だから、私達はいち"見習い従者"として。何よりも、いち"親友"として……深く、その事について言及しないし。追及もしない…………だけど…――。」
…回りまわって、ゲルシャからワンフェナ…ワンフェナからゲルシャが再び話を引き継ぎ。その手をスカーレットの手へと伸ばし、包み込むと…。スカーレットの紅栗色の瞳を真正面から見つめ、言葉を紡ぐ……。
「――…悩んでいて。もしそれが誰かに聞いて欲しい、聞かれても構わない悩みなら…。今回の様に、
「……。」
最後で切り替えられた、従者としての恭しい言葉遣いの中…。親愛の情が込められた、スカーレットの
…再び、その思いを口にし、言葉にして。彼女達に伝えて行く……。
「……そう……私は、本当に"馬鹿"ね…。すぐ傍に、こんなにも"頼れる親友である従者"が居るというのに…。うじうじと、何を言っていたのかしら?ああっ、本当に、腹立たしい事この上ないわ!」
「レティ御嬢様…。」
「…全く、こんな大変な時に栓無き事を話したわ…。…さて、ヴァーセルリア公爵家邸へ着くのも。もう、時間の問題だし。その前に――――料理長が気を使って包んでくれた、この"
スカーレットの、何処か"懺悔"にも似た発言から。…随分と重くなってしまった、豪奢で広々とした車内の空気を払拭すべく。スカーレットはオロレウム邸出立時に渡された――甘やかで香ばしい薫を纏う、様々な形状と木の実にジャムが乗せられたクッキーが詰められた…。手の平に乗る程に小さな籠を、二人の前へ差し出すと。その表情に、少しだけ…"悪戯っぽい"笑みを浮かべ。二人へそれと無く、菓子を勧める……。
それに、ワンフェナとゲルシャは一瞬。互いに、顔を見合わせ…。ワンフェナは少しばかり困ったような、呆れた様な苦笑を浮かべ。ゲルシャはその瞳を嬉し気に輝かせ、籠の中の甘い菓子に期待の眼差しを送る…。そうして、菓子の籠へ素直に手を伸ばしクッキーを掴み取った二人に続き。スカーレットも一つ、赤い
――もしかしたら、在り得たかもしれない…"在りし日の
今日、この馬車の客室で……。
……楽しく、送れていたのだろうか?
スカー・ローズは独り咲く ドクダミ @kumomodoki
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