前奏曲Ⅱ Banish Misfortune

女王を讃えよ アヴァロンの民を総べし麗しき君を

遍く全て地と海は 白き御手の中に

まことの栄光は 輝く王冠にこそあれ

女王を讃えよ 其は勝利すべき名

美しき女神の化身 偉大なるヴィクトリア


                              女王賛歌集より







 アイルランド音楽と一口に言っても、その舞曲はいくつかのジャンルが存在する。四拍子のReelや三拍子のJig、拍子やダンス形式で大まかに区分されてはいるものの、そのほとんどが口承によって伝えられてきた。おまけに、僅かな音のミスすら許されないオーケストラとは異なり、その旋律は演奏者に委ねられている。最低限の骨子となるメロディさえ覚えてしまえば、細かな音やアレンジは奏者次第。無論、だからといって支離滅裂な演奏が許されるというものでもないが、音楽に特別な素養のない者でも親しみやすいといってよいだろう。


 故に、アイリッシュを愛する人々は音楽と共に在った。誰かが演奏を始めれば、また他の誰かがそれに続く。そんな光景が、町の至る所で見られたのだ。商人が聞こえてきた曲を鼻で歌い、遊んでいた子どもたちが陽気に踊り、夫の愚痴を言い合っていた妻たちも手を叩いた。辛い時も悲しい時も、彼らは歌い踊り、音を紡いだのだ。






 弓を構える。チューニングはバッチリ、張り具合も完璧だ。さあ、始めよう。


 心の底から楽しんでいる、フローレンスの演奏を聴いた者、一目見た者はみなそう口にした。たとえ椅子が用意されていようと、そんなものは必要ない。彼女はスッと立ち上がると、Morning Dewの演奏に入った。

 ――だってアイリッシュは、リズムに合わせて踊って弾いてこそなんだから!

 Reelといったアイリッシュは舞曲であるが故、リズムに乗って演奏することが重要なポイントとなる。だからといって演奏者までが踊る必要は全くないし、つま先で拍を数えるだけで十分なのだが。踊りに音楽、彼女は短いアイリッシュの中に自らの人生と思いを凝縮していた。時に踊り、時に弾き、途中で奏者とダンサーが入れ替わったりもした。

 ――それが、楽しいんじゃあないか!

 音を間違える。当然だろう、全力で踊りながら全力で弾いているのだから。

 ステップがずれる。当たり前だ、全力で弾きながら全力で踊っているのだから。

 でも、それが彼女の音楽で、彼女の大好きなアイリッシュだった。






「リール、か……」

 四拍子の舞曲であるReel、時間にして僅か二分。たった数十秒の曲を二回し、それを二曲。副団長ウィリアムが呟くのを横目に、団長ブリトマートはニッコリとしていた。

「――アイリッシュの中でもかなり簡単な部類に入る2曲だったけれど……面白い新人ね、貴女」

「……ありがとうございます。 とっておきを、とのことだったので、私の原点……最初に覚えた二曲を、演奏しました」

 そう語るフローレンスもまた、目の前の団長に負けじと満面の笑みだ。全力のダンスも終えた彼女は、折角整えた髪も乱れているが気にする素振りは見せない。

「ん? 団長その口ぶりですと、もしかして今の二曲をご存知だったのですか?」

「ええ、だってわたしですよ? それにローレライの家に生まれた者が聞いたことのない曲があるとするなら、それはこれから世に生れ落ちる旋律しかあり得ませんから」

 半端な者であれば傲岸不遜としか思われない言葉も、眼前の女性ならば当たり前の事実の様にしか思えない。そう感じさせるほどの、自負に満ちた物言いだった。フローレンスもうわぁ……と心の中で若干引きつつ、認めるしかなかった。

「さて、ではお疲れ様でしたミス・ガートルード。 独奏披露はこれで終了ですから、本日は上がってもらって構いませんよ」

「……え?」

 あっさりと、ブリトマートは終了を言い放った。技術面の厳しい指摘に始まる試験講評があるとの前情報が覆され、これまで肝が座っていたフローレンスも流石に驚く。

「え、あ、あの……もっとこう色々……ズバズバ言われたりは、しないんです?」

「ええ、特に私からは何もありませんので。 副団長も、よろしいですね?」

「……そうですね……ご苦労だった、ミス・ガートルード。 初任地通達まで、ゆっくり休むといい」

 始まるまではその眼光でビシビシとプレッシャーをかけてきた副団長も、嘘みたいにあっさりと解放してきた。余りにもあっさりとした反応に、今度は不安に襲われる。

「あ、あのぉ……ではひとつだけ。 もしかして……酷かった……ですか?」

「そうね」

「論外だ」

 バッサリと切り捨てられ、あのまま帰ればよかったとフローレンスは後悔した。





「でねーこの前読んだ小説がさ、なんとスパイもので、しかも実は英国のお姫様を含む女の子四人でチームを組んでロンドンで大活躍するって話でさ……って聞いてるフロー?」

「――あ、すいません聞いてませんでした。 えっと、香辛料の話でしたっけ?」

「そりゃスパイスでしょーが。 あ、でもその小説にさ、極東の島国でハーブやらシナモンやらをかじって超人になるっていうスパイが出てきてたわ!」

「……えー……極東コワイ……」

 予想外にあっさりと終わった独奏披露の後、ロンドン市街にある喫茶店でフローレンスはアリッサと共にお疲れ様会を開いていた。昼のロンドン中心部のストリートは活気に溢れており、行き交う人々も多種多様だ。流石は世界第二位の大国の心臓部といったところか。

「というか、私はもう上がりだったからいいとして、アリッサさんはこれ実質サボ」

「りではないのよフロー」

 続く言葉を遮り、アリッサは声のトーンを上げつつ己が論を述べ始める。

「パートのみんながやるべきことは全部教えてきたし、後はひたすら個人練よ個人練。 分からなきゃ分からんもん同士でまずは考える、それでまだ分かんないなら明日私が教えてやるってね。 それでさっきの話の続きなんだけど実は主人公は王女と瓜二つで――」

 読んだ小説の感想をネタバレ上等で熱く語るアリッサの話は九割方受け流すとして、フローレンスは今後について少し考えることにした。

 ――故郷から無我夢中で飛び出して、ほとんど勢いで入団したはいいものの、これからどうやってアイリッシュを広めていこう……

 フローレンスの夢である、アイリッシュの布教。それを叶えるのにもっとも適した職業だと、彼女は彼女なりに考えて、こうして王立遣奏団へと身を置くことにしたのだ。しかし、トップ二人のあの反応。知識として知ってはいても、今後おいそれと演奏を許されそうもなかった。一応、面白いとは言ってくれたが忘れてはいけない。遣奏団は王立、つまりは大英帝国の公的な使節団のひとつでもあるということを。

「そりゃお仕事だし、責任ある演奏だっていうのは分かるけど……でも格式ある演奏だけが誇らしい音楽って決めちゃうのは違うと思う……アイリッシュを楽しんでもらえれば、きっと使節任務だって上手くいく……はず……」

「……あーもう! じれったいわね!」

 ぼそぼそと自論を呟いていると、アリッサがガシィっと頬を両手で挟んできた。そのままぐいっと顔を上げさせられると、彼女の燃えるような赤い目とぶつかった。

「独奏披露でボロッカスに言われたのかどうかは知んないけどさ、フローはそれでも、諦めなかったんでしょ? だったらいいじゃん。 どんどん派遣先で演奏すればいい。 公的な場で駄目なら、休憩時間や非番の日に、街中で堂々と弾いてこい! 私達って、そういうもんでしょ?」

 立場なんて関係ない。弾きたいなら納得するまで、満足するまで奏で尽くす。私達は遣奏団であると同時に、一人の音楽家なのだから。そう、アリッサは言った。

「そう……ですね! 悩む必要なんてない、私はいつも通り、これからも弾きたい時に弾き続ける! それでいいんですよね!」

 例え使節の一員として演奏が却下されても、一人のアイリッシュプレイヤーとして広めていく。遣奏団はそのための足、そのためのホームだ。

「元気になったじゃん。 それじゃ二次会、フローが絶対好きなアイリッシュパブ見つけてあるから、行くでしょ?」

「……ッッぜひ!!」

 たった一人で決意したこの旅路。アリッサみたいな理解者ばかりではないことは百も承知だ。けれど、きっと、いいや必ず、やり遂げてみせよう。いつか、もう一人のわたしフローに、胸を張って演奏できるように。



「あ、でもちゃんと任地での演奏はしっかりすること。 夢にかまけてへたっぴな演奏なんかしたら、きっと怖ーい副団長さんがフルートで後ろからドスッだからねー」

「……えー……副団長コワイ……」






「副団長、あなたとてつもない新人を用意してくれたわね」

「地方での演奏試験では、他の曲種も問題なく演奏していたので……」

 ウィリアムの威圧感に溢れた眼差しはどこへ行ったのか、弱弱しく伏せられている。普段から厳しくしごかれている団員達が見れば、この世の終わりアポカリプスだと騒がんばかりの変わりようだった。フローレンスを退室させた後、二人は件の新入りに関しての処遇を話し合うため残っている。

「一番最初の面談時より、彼女がその出自上アイリッシュを好んでいたのは知っていました。 しかしまさかこの独奏披露の場ですらそれを貫き通すとは……」

「勘違いしないで、私は別にあなたを責めているわけではないの」

 訂正するブリトマートの声は、誰が聞いても分かるほど上機嫌だ。また、悪い癖かとウィリアムは内心で辟易する。こうなった彼女は、どんな突拍子もないことを言い出すか分からないからだ。おまけに大抵、こういった場面で矢面に立たされるのは……

「ふふ、ねぇ副団長……何? その顔は?」

「いえ、別に。 それで、私はどうすればよろしいですか?」

「流石は私の右腕」

 ブリトマートはそう言って立ち上がると、部屋の隅に置かれていた共用のヴァイオリンへと手を伸ばす。

「この前来ていた任務があったでしょう? 帝国陸軍省直々の、の派遣任務が。 あなたとあの娘で、行ってきて頂戴ね」

 弓の張りを調節しながら、まるですぐそこの店までお使いを頼むような感覚で下知を下した。

「――了解しました。 王立遣奏団副団長ウィリアム・バートウィスル、ジャムシード帝国への遣奏任務を承ります」

「よろしくね……さて、仕事の話はここまでにして。 さっきの演奏で私も久しぶりに弾きたくなっちゃったわ。 ジグのお相手頼むわね、

 麗しき銀の瞳を細め、微笑むブリトマート。昔から変わらない。副団長バートウィスルではなく、笛吹きのウィリアムに向けられる、この笑顔は。

「……仕方ないな」

フローが聴けば狂喜乱舞し、飛び入りしたであろうJig Setの柔らかな二重奏が、午後の遣奏団本部内に響き渡った。しかし後日即座に出立を言い渡された彼女は、不幸にもこれを知る由もなかったのだった。

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弦奏のハルモニア Palmette Lotus @PalmetteLotus

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