第5話 エリートの取り柄ポエトリィ

      1


 世界で一番愚かな方法ですよ。どうしたんですか椎多シイタさんにしては。

 一瞬ぞくっとした。北廉ホスガ先生かと思ったから。

 北廉先生。

 えとり君は似すぎている。

 悔しい。なんでなのかわからないのがもっと。

 腕の力を強める。暴れないのは、博士の息子が幻覚だから。

「無駄ですよ。おわかりですよね? そんなことしたって僕はちっとも損害を被らない。だってあづま君は」

 ここにいるんですから。こめかみ。メガネのブリッジ。

 北廉先生はかけてなかった。それ以外はそのまま。

 背中。フェンス。正面。

 北廉先生のコピィ。

 幻覚は動かない。大人しい。幻覚らしくじっとしている。

 隙を窺っているのだろうか。私の腕の力が抜ける一瞬を。

「死にたいならどうぞ。僕はここで見てます」

 ケータイ。どこに捨ててきたっけ。きっといまごろ。

 着信履歴の洪水。彼の配偶者だから。

 八方手を尽くしましたが。

 その先に続く言葉が聞きたいのに。私は聞く術をもたない。

 ミスればいいのに。天才外科医の腕が。

 滑ったとかで取り返しの付かない致命傷の。

 妻が駆けつけたときにはもう。仰向けの顔面に白い布を掛ける仕事しか残ってない。

 部屋の隅で艮蔵カタクラ先生が蒼い顔して。

 白いベッドに縋り付いて泣きじゃくるのは妻の私の役目。あなたになんか譲らない。

 一滴でも涙を落としてみなさい。

「あづま君の説ですが、僕の父さんは、大人になった僕がタイムスリップで過去に戻った姿だそうです。面白くないですか? つまり椎多さんの」

「ありもしない妄想に付き合ってる暇はないの。知ってるんでしょう?言いなさい」

「北廉てんぎは僕です」

「怒るわよ」

「僕はそうは思ってませんが。あづま君がそうゆうならそれでもいいかなって。そう仮定するといろいろな疑問が一挙に解決するんですよ。父さんが僕に関心を払わない理由。僕は僕なんかに興味はない。しかも過去の僕だ。見たくないでしょうね。ようじさんい言いなりな理由。僕だから。僕はようじさんには逆らえない。そうプログラムされてるから。いなくたって、いなくなったって北廉てんぎは最初からいなかったし、ここに存在するんです。認めてください。椎多さんの慕った教授は」

 突き落としたくなる。腕の人質。

 突き刺したくなる。眼前の戯言。

「もう一度聞くわね。うまく伝わってないみたいだから」

「僕が北廉てんぎです。それが一番面白い」

「ホントに殺すよ」

「死にませんよ。いないんですから」

「莫迦じゃないの? いい加減にして。あなたの眼の前にいるのよ。見えないの?わからない? 薬飲んで出直してよ。もらってるんでしょ?」

「そこにいるのはあづま君かもしれない。でも僕のあづま君はここにいるから」

 アタマのなかに。

「見えてても聞こえてても感じても。何が違いますか? ねえ、あづま君。そうだよね。早く帰ろう。久しぶりに僕の家に。ずっといていいよ。僕が死んでも」

 キ モ チ ワ ル イ

 北廉先生。あなたが突然いなくなったのは。死んだとかいうデマが蔓延ってるのは。

 私に対する嫌がらせなんでしょう?

三仮崎ミカサキ先生と結婚したのだって、別に三仮崎先生だからってわけじゃない。三仮崎先生が、たまたま、僕の父さんに見込まれたピンチヒッタ的講師だったから。それだけのことだ。手に入りましたか、僕は」

 僕のトウサンは。

「三仮崎先生は死んでませんよ」

「こっち片付けたら行くわ」

「さっさと済ませてください。艮蔵先生と約束してるから仕方なく捜しただけなんです。見つけたからもういいですよね。ああ面白くない。椎多さんがこんなにつまらないヒトだったなんて。できれば卒研発表の後に気づきたかった。幻滅です」

 人質が抵抗しない理由がいまわかった。

 抵抗する意味がないから。博士の息子はえとり君に訴える言葉を発せない。届かない。

 どうして。

「いまここにいるのよ。どうしてわかんないの? 殺さないわ。殺すわけないじゃない。どうせ同じ殺すなら先生の弟を殺してあげるわよ。そのほうが都合がよくない? 艮蔵先生だってもう限界だし、私は妹に自慢できる。自慢? 違うな。話題が」

「勝手にやればいいんです。もう帰っていいですか?」

「せっかく会えたんでしょ? タイムスリップだかなんだか知らないけど。いいの? 好きなんでしょ?」

「ええ、愛してますけど?それが」

 なにか言って。言いなさい。

 名前呼ぶくらい。

 泣くとか、気丈に振舞ってみるとか。

 しない。なにも。

 なんで。

「わかってるよ。無駄な時間だよね。僕だってそう思うんだけど。ううん、艮蔵先生が優しいからついね。ごめんごめん」

 だれと。話してるの?

 えとり君。

 眼の前にいる これ じゃないの?

 なんで。行かないで。どうして。

 置いてったら私、本当に。

 どいつもこいつもタイムスリップだのSFだの。そんなわけないじゃない。

 いま眼の前で未来でも過去でも飛んでみなさいよ。できないでしょ。

 嘘なんだから。

 フェンス。下から声が。似てる。

 艮蔵先生? どうして。彼のオペは?

 終わった? 違う。艮蔵先生の。

 年取った姿。

 父親? それとももしかして。

 ちがう。

 人質の名前を呼んでいる。えとり君が代わりに答える。

 すぐに行きます艮蔵先生。

 艮蔵先生?これが。

 未来から。

 息子を迎えに来たのだ。過去を変えるために。

 私がここで殺してしまうから。

 それを阻止するために。じゃあやっぱり、私は。

 ここで博士の息子を殺さないといけないんだ。

 なにこれ。ぜんぶ、博士のシナリオ通り。

 突き落とす?

 飛び降りる?

 厭だ。従いたくない。

 突き飛ばす。

 えとり君は。

 見てない。

 初老の艮蔵先生に怒鳴られた気がしたけど無視。

 もしこれで地下で。

 艮蔵先生に会えたら。

 諦める。潔く。

 落ちて。

 降りる。

 誰も追ってきてない。主治医もいない。

 妹は。

 辿り着けただろうか。

 暗証番号と指紋認証を飛び越えて。

 殺してあげればすべて終わる。

 反応しない。いてもいなくても。

 弟は。

 艮蔵先生しか見てない。

 厭なにおいがする。

 艮蔵先生の精液の。

 なんで誰も来ない?

 殺すよ。殺せないとでも思ってるの?

 妹にだってできたんだ。

 姉の私にだって。


      2


 最初に見たのが先輩の顔でほっとします。あのときみたいで。

 あのときとは違う。あのときは。

 俺の不手際だ。

 俺が使い物にならなかったから代わりにほかの奴が。

「あの」

「もうちょい寝てろ」

「生きてますか」

 想像ついてるくせに。

「別れていいぞ」

「それを」

 言ってもらえるのを待ってました。

「でも俺は」

「わかってます。一生報われない片想いで構いませんので」

 手。震えてる。

 仕方ないから握ってやる。

「怪我人病人には優しいんですね」

「うるせえ」

「もっと入院してたいなあ」

「もういいやお前明日退院しろ」

「なんて無茶な」

「主治医の俺がいいっつったらいいんだよ」

 手。震えが。

 震えてるのはこいつじゃない。

「ごめんなさい」

「なんでお前が謝る?」

「なにも」

 言えないから。慰めの言葉も的確なコメントも。

「じゃあ黙ってろ」

 云わなくていい。なんも。

 なんか。云わなきゃいけないのは。

 俺のほうだ。

「落ちたよ」

 落とされた。突き飛ばされて。

 フェンスは。

 なかったことにされて。

「落ちたあいつを見てたんだと。フェンス越しに。親父がさ、呼んだらなんですか、て屋上から下りてきて、それでも地面見なくて、やっと見たと思ったら」

 笑ったんだと。

 顔は俺も見た。見るんじゃなかった。あいつの。

 えとりの知ってるあづまはそこにいない。

 じゃああいつはなんなんだ。そっちがホンモノだろ。

 何云ってるんですかカタクラ先生。僕のあづま君は。

 こ こ に

 いないだろ。んなとこに誰も。

 いますよ。先生に見えないだけで。それより早く行ってください。三仮崎先生は大丈夫なんですか。生きてましたか。手術は。ああそうだ、ついでに。

 そ こ で

 潰れてる可哀相な

 そ れ を

 助けてあげてください。誰だか知りませんけど、勝手に飛び降りて。僕の真似でもしたかったんですかね。僕のストーカかなあ。あーあ、滅茶滅茶。

 助かります?

 こ れ

 そ い つ

 が

 あづまだよ。

 お疲れですね先生。

 こ れ が

 あづま君のわけがないでしょう。こんな

 き も ち の わ る い

 助かりませんね、もう。僕らがくっちゃべってる間に運んであげればよかったですね。

 ごめんね。

 僕の

 まねっこ。

 行こうあづま君。家へ帰ろう。退院しちゃおうよ。

 そんでずっと

 一緒にいよう。

 親父は何も言わなかった。言えなかった。眼の前であづまが。

 突き落とされて。受け止めようと走ったんだろうけど間に合わなくて。間に合ったところで下にいる奴が死ぬに決まってる。それでも親父は、あづま受け止めて死んだほうがましだと。そう思ったんだろう。

 なんで下がコンクリートなのか。アスファルトじゃないのか。

 同じだよ、どっちも。落ちたら。

 即死だ。

 ようじ。いるんなら。

 さっさと時間を元に。

 なんで止めなかった。時間止めるくらい。

「どこで止めればよかったの?」

 俺と

 お前が

「としきが不良だったあたり?」

 もっと前。

 俺が

 お前と

「やり直したい?ゼロから」

 俺がいなければよかった。俺さえいなければ。親父もお袋もあきともえとりも三仮崎も椎多先生も先生の妹も、あづまも。

「としきがいない世界はやだな」

「いまどこにいる」

「すぐ傍」

「見えない」

「感じてよ」

「わかんねえよ、俺に」

 見えるように聞こえるようにわかるように。

 ようじ。

「頼む」

「全裸で土下座しても無理だね」

「なんで」

「できないもん、俺そんなこと」

 タイムマシンだのタイムスリップだの。

「SFじゃん」

「いい加減なこと」

「としきのほうがいい加減だよ。落ち着いてよく考えてみてよ。俺の専門は」

「じゃあ」

 いままでの。

 あづまが急に現れて急にいなくなったり、いなくなったかと思ったら突然帰ってきて、全然でかくなってなくてあのときのまんまの。

 あれは、

 ぜんぶ

「としきは間違ってないよ。ちょっと変わった受け取り方をしてただけで」

 面白かった。やっぱり、

 としきだ。

 どっからどこまで現実でどっからどこまで妄想で。

 ぐらぐらする。床は天井だし天井はドアだしドアは。

「どこでもいいんじゃない? えとり君がああゆうふうに辿り着いたのだって間違ってないしなんにも変じゃない。同じだよ。としきの現実では俺は時間を自由に操れるし、あづまは年取らない。だから椎多先生が突き飛ばしたのだってあづまじゃないかもしれない。俺はそう思ってないよ。だってあづまは俺の」

 息子。

 親父といおらさんの。

「こんなとこで死んでもらったら困るよ。哀しくて気が狂いそうだ」

 あいたい

「俺も。両想いだね」

 おれたち

「生きてないんですね」三仮崎が言う。

「どうせ、ようじのとこだろ」

 手。滑る。

 すべて。

 俺のせいだから。

「あきとくんは」

「あとでもいいか。いま」

 なんも

 考えたくない。

「あの、私さっきまで意識不明だったんですけど」

「最初で最後かもしんねえだろ。てめえだって」

 やりたくねえわけじゃねえんだから。

 ずるい。俺だってそう思う。

 こうゆうときだけ利用して。散々踏み躙っといて。

「いまだけ」

 嘘吐いてもらえますか。

「苦手なんだ。知ってるだろ。すぐ、顔ん出る」

「構いません。嘘だってわかってて吐いてもらうので」

 悪い、あきと。

 言い訳するから許してくれ。

「やだよ」あきとが言う。

 やだったって。

「狭いだろ、ここじゃ」

「じゃあ引っ越す。心配しないで、俺けっこうカネ持ってるから」

「面倒なんだよ。荷造りとか」

「ぜんぶ俺がやるから。兄貴はなんもしなくていいよ。それにさ、屋根ついてる駐車場欲しくない?」

 それは、

 まあ。

「実は目ぼしいの見つけてあったんだ。これとかどう?」

 一緒に住みたいったって。いくつだよ、お前。俺だって一人のほうが。

「散らかし放題するだけじゃん。あんまり帰ってこないくせに」

 忙しくて。

 そんなの言い訳だ。忙しい。

 そう言って断ったからあんなことに。

「部屋はきちんと分ける。片付けは俺がする。料理も洗濯もやってあげるから。あの人帰ってくるまで」

「帰ってこねえよ」

 ようじは。

 いないかもしれない。そう思ったほうがつらくなくて。

「帰ってこない。だから」

「んじゃ隣。向かいでも下の階でも上の階でもいいよ。お願いだから俺の」

 傍に。

 すぐ傍。それはやっぱ。

 アタマん中かな。

「ライバル多すぎじゃん」

「あいつは欄外だ」

「そうじゃなくて、カウンセラの人。わかるんだからね俺、そうゆうの」

「選択肢にねえよ」

「ほんとに?」

「二回振った。あ、三回だったかな」

「三回振っても諦めてないっぽいよね」

「らしいな」

 やっぱバレてる。アタマごちゃごちゃになってたとはいえ。

「ヤった?」

「回数はお前のほうが多い」

「だって知らないよ。そのとき、俺」

 なんで、

 治ったんだろう。

 愛の力じゃ治らない。言われなくてもわかってる。結佐だって想定外だったはず。そうでもないか。ようじの仕業だと考えれば。

 礼は言わない。あづまのこともあるし。えとりのことだって。

「やっぱ無理言ってる?」

 再発したら困るから。

「いっぱい心配させたんだよね。ごめん、俺全然憶えてなくて」

「いい。思い出さなくて」

 俺も思い出したくない。なかったことにしたい。

 あきとが抱きついてくる。

「振り払わないんだ」

「んな元気ねえよ」

「ごめんね」

 許さない。

 ようじ経由で椎多先生から不幸の手紙が届いた。

 三日以内に千人。

 無理だろ、常識で考えて。

「仙人に送ればいいんじゃない?」ようじが言う。「そうゆうジョークだと思うけど」

「その仙人の住所がわからない」

 メール。本文。

 こいつを、早く。

「寄越せっての」

「責任もって仙人に転送しとくから」

「シンパがランダムで千人犠牲になんだろ」

「この上ないラッキィだと思うけどな」

「いまから行く」

「待ってるよ。冷蔵庫にビール詰めて」

「飲酒運転じゃねえか」

「泊まってって、て伝えたつもりだったんだけどね。遠回しに」

「直で言え」

 わかりづらい。わかんねえよ。お前の考えることは。

 無断欠勤で車吹っ飛ばす。そんな住所。

 地図上のどこにもないから。

 逢えるまで、

 エンジン空回り。


      3


 卒研の発表も終わってあとは卒業式。えとりはとっくに大学院に合格ってて、特にすることもなくて暇そうだったのでデートに誘ったら、やたらめったら嬉しそうだったので、俺にも伝染してすこぶる浮かれる。

「どこ行こっか」

「お前の行きたいとこでいい」

「僕はあづま君と一緒だったらどこでも」

 みたいな流れを延々と繰り返してるのでなかなか行き先が決まらない。いい加減バカップルだろ、とツッコむ気力も失せてきた。

 いいから早く決めてくれ。俺はどこでもいいんだ。

「僕だってどこでもいいよ」

 あんまりにもあんまりなので、えとりに内緒で丘槻オカヅキに相談してみた。予想はしてたが、死ねば?と一蹴。

「なんで俺に訊くわけ?莫迦じゃない? 地獄にすれば?」

「んなこと言うなよ。な? デートなんかしたことねんだって」

「俺もないけど」

 沈黙。

「んじゃ、どこ行ったらえとり喜ぶと思う?」

東海林ショウジが一緒だったどこでも、とか言ったんじゃない?」

「なんでわかんの?」

 溜息。

「北廉さ、いつも閉じこもって勉強ばっかしてたから娯楽施設は一通り行ったことないと思うよ。どこ行っても物珍しいと思うけど?」

「具体的には」

「知らないし。なんで俺が」

「お前だったらどこ連れてく?」

「教えない」

「んなこと言うなよ。わかんないんだよ」

 視線が痛いので喋ってもいいですよ的な部屋に移動。丘槻が図書館なんかに通い詰めてるからいけないと思う。

「なんでそんなに勉強すんの?」

「言わない」

「えとりとおんなじ?」

「だったらなに?」

 院に行くために。ははーん、なるほど。

「でもお前が行く頃にはえとりいないぞ」

「別に会いたいからとかじゃないし」

「別のってこと?」

「あんまからかうと教えない」

「悪い悪い。ごめん。教えて」

「図書館」

「やだ」

「冗談だし。ホントはこっち」

 丘槻はノートに挟まってたパンフを。

「地球外生命体展? なんだよこれ」

「知らないの?北廉、こうゆうの好きだよ。エイリアンとかUMAとか」

 知らなかった。全然。

 丘槻の得意そうな顔がムカつく。

「俺が誘おうと思ったんだけど」

 チケットまで買ってあった。

 やっぱまだ諦めてない。なんつー諦めの悪い。

「捨てるよりいいから」

「くれんの?」

「どうせ断られるし」

「ありがと」

 早速えとりのところに持ってこうと思って駆け出す矢先に呼び止められる。

「なんだよ」

「英語教えて欲しいってゆってくんない?」

「見返り?」

「言っといてくれるだけでいいから」

「断られても俺のせいにならないってこと? なら、まあ」

 えとりは俺のなのに。

「たまには話させてよ。一応、友だちなんだから」

 友だち。

 うーん、わかったようなわからないような。

「ゆっとく」

「ありがとう」

「素直だと気持ち悪いかも」

「死ねば?」

「そっちのほうがいいや」

 えとりは家でごろごろ本を読んでた。また眼悪くなると思うんだけど。俺が帰ってきてすっごく嬉しそうな顔になったから注意するの忘れた。

「早かったね。買えた?」

「予約しといたから」

 ゲーム。これ買いに行くと見せかけて丘槻に相談しに行ったとは言えない。

 チケットを見せる。

「ねえ、ほんとにゲーム買いに行った?」

「行ったよ、ほら。そんでなんとなく見つけて」

「大学行ったでしょ」

「なんで」

「丘槻に会った?」

「なんで?」

 じいっと。見詰められると。

「ごめん。行った」

「謝らなくていいよ。僕がどこに行くか決めらんないから丘槻に相談に行ったんでしょ。僕がこうゆうの好きだって知ってるの、丘槻だけだから」

 だけ。

 なんか、いやだ。

「大方僕を誘おうと思って買っといたんだけど、断られるのが怖くて仕舞っといたのを、たまたま君が相談しに来たから捨てるよりいいや、て君に託したわけだ。丘槻ってそんなに消極的な感じじゃなかったと思うんだけど、遠慮してるのかもね。らしくもない。ひとこと言ってやらないと。ありがとって。ほかに何か聞いてない?」

「英語教えて欲しいってさ」

「仕方ないな。いい?」

「いいったって、お前がいいんなら」

「嫉妬してくれてる?」

「するだろ、フツー」

「大丈夫。僕の一番はあづま君だけだから。信じて」

 そんな顔で言われたら。

 頷くだろ、ふつー。

「変な趣味でしょ」

「いいんじゃねえ?」

「実はね、動物も好きなんだ。言ってなかったけど」

「言えよ、そうゆうのは。俺はえとりのこともっと知りたいし、えとりのことだったらなんでも知りたいと思ってるし、好きなこととか趣味だったらなおさら」

「ごめんね。誰にも聞かれないからさっきまで忘れてた」

「じゃあ俺が聞くから、ちゃんと答えろよ。これ、一緒に」

「うん、もちろん。好きなんだ、こうゆうの」

 次の日、だいぶ早起きしてしまった。遠足の前の日の原理で全然眠れなかったのが正直なところで。ふと隣のえとりを見たらぱちっと眼を開けて。なんだ、おんなじ。ふたりで大笑いした。

「早すぎるよね。どうする?二度寝する?」

「寝れないから起きてるんだろが」

「んじゃあ」

「昨日もしたろ」

「昨日は昨日だよ。駄目?」

 駄目なわけない。時間つぶしにはちょうどいいかも。

 うっかり盛り上がりすぎて出発時刻をオーヴァしてしまった。ばたばたしてたもんだからせっかく丘槻にもらったチケットも置いてくる始末。気づいたのは会場に着いたあとで。えとりはちょっと不機嫌になった。

「んなこと言ったって、忘れてきたもんはしょうがねえだろ」

「だから僕はあれほど財布に入れといてってゆったんだよ。寝る直前まで眺めてた君が悪い」

「お前が確認しとけばよかったんじゃねえの?」

「僕のせい? そもそもここに来ようって言ったのは君じゃないか」

「お前だっていいっつったろ。見てえって言ったじゃねえか」

 駄目だ。言い争ってても仕方ないのに。売り言葉に買い言葉で、つい。

「いいよ。もう帰る」

「はあ? なんで。せっかく」

 デートなのに。しかも初めての。こんなんで終わっちゃうのだろうか。さっきまであんなに楽しみだったのに。こんなことで。たかが、チケットくらいで。

 方向転換するえとりの腕を掴む。離して、と暴れたって。

「ごめん。悪かった。謝るから、俺がいけなかった。だから」

 帰らないで。

 チケットくらい買い直せばいい。余計な出費だけど、あのチケットはもらい物だから。最初からなかった、と思えば。

「ごめんな。ごめん」

「僕も悪かったんだよ。ごめんね。予定が狂うとついかっとなっちゃって。臨機応変に対応できないのが僕の悪いところだよね。ごめん」

 なんか恥ずかしい。はたから見てればなんつーバカップルの下らないケンカだと思うかもしれないけど。仲直りできたっぽいし。えとりに笑顔が戻ったし。

「僕が怒ったのはね、ほら、チケット買うのにあんなに並んでるでしょ。それが厭だなって思ったからなんだ。だから前売り持って来てさえいたらあれに並ばずに入れたのにな、て思って」

「そっか。でも、ひとりで並ぶんじゃねえから、話してりゃすぐだろ。ごめん。気づいてやれなくて」

「ううん、そんなことで怒る僕がいけないんだ。最後尾あっちかな。並ぼう」

 えとりが怒るのも無理ない。親父だったらとっくにキレて帰ってる。そのくらい無駄に長蛇の列。なんでそんな時間かかるんだろう。

「売り場が三つしかないんだ。もっと沢山あればいいのに。手際も悪そうだよね」

 声がでかい。ちょっとばかし遠慮してもらえないだろうか。えとりは正直すぎる。

 障害物なしでやっとこさ窓口が射程圏内に入ったときにはすでにお昼も射程圏内で。腹が鳴った音をえとりに聞かれてだいぶばつが悪くなる。えとりは頬を緩ませたけど。

「先に何か食べようか?」

「混んでるだろ。なかに喰うとこあんのかな」

「どうだろう。ところで学生証ある?」

「ねえけど」

「僕のだよ。一般より安くなるんだ、ほらね」

 ほんとだ。

 えとりは学生証を窓口に出して。

「学生一枚」

 と言う。

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きたなむとりがなく 伏潮朱遺 @fushiwo41

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