第26話 台風の的
ロケットエンジンの開発は困難を極めた。何しろ液体燃料が気化して弁に流れる様子を見ることも調べることも出来ないからだ。何種類もの弁を試しても、どこが悪いのかさえ解らなかった。設計者たちは頭をかかえていた。
私は新しく出来た弁の部品を取り付けた燃焼実験を精力的に手伝う。実験が失敗するたびに落胆する設計者にはいつも声を掛けた。
「赤伝を怖がっていたら、前に進みません。今まで世の中に無かった物を作るんだから。次も、とにかくやってみましょう!」
休みの日には丸山櫛屋へ行った、もちろん節子さんに会うためだ。
「こんにちは親方、また鋸を研ぎに来ました」
「旦那さん、この前から鋸の歯が全くだれて無いじゃないですか。本当は若奥さんに会いにきたんでしょう?」
「さすがにばれましたか、あれ、節子さんは?」
「食料の買出しに行ってるんだ、もうじき帰って来ますよ」
暫くして節子さんが帰って来た。
「ただいま、まあ真さん、いらしていたの」
「節子さん、今さっき来たばかりだよ」
「これから、にんじんと蕪の入ったすいとんを作るのよ、真さんも一緒に召し上がってください」
「蕪かあ、懐かしいな、昔を思い出す」
「蕪の思い出って?」
「ああ、昔ドイツにいた時、毎日西洋蕪ばかりを食べていたんだ」
「え、真さんはドイツに行っていたことがあったの?」
「ドイツに電気の勉強をしに行ってたんだ」
「へ~、そのお話を私にも聞かせてくださいな」
「すごく長い話になるよ」
「それなら、すいとんを食べ終わったら、じっくり教えてね」
私は節子さんの作ったすいとんをご馳走になり、その後節子さんにドイツの話をしてあげた。節子さんはその話を聞いて、笑ったり悲しそうな顔をしたりしていた。帰り際、暫くの間は甲府へ行かずこの京都で仕事をする事を話すと、節子さんは私の手を取って喜んだ。夜桜を見に行ってから二人は、お互いの恋心を膨らませていった。
◇ ◇ ◇ ◇
あれから約一年が経過した一九四五年の春、ラジオの大本営発表とは裏腹に戦況は増々悪くなっている。三月以降、東京、名古屋、大阪など大都市に米軍の大型爆撃機による空襲があった。国民は空襲警報に怯え、子供たちまでが学校で竹やりを持って敵と戦う準備をする。私が思った通り米軍はすぐそこまで攻めて来ているのか。
その頃、私は二〇回目となるロケットエンジンの燃焼実験に立ち会っていた。
「山本少佐殿、今度こそは上手くいきますよ」
「もうお前のその言葉は聞き飽きた、とにかく結果を出さないと私は戦場に送られてしまうんだぞ」
「かなりお怒りなのですか、上層部は」
「当たり前だ! 一年も計画がずれているんだ。早く米軍の爆撃機を打ち落とせと、毎日の様に電話が掛かって来る」
「今回は液体燃料の吹き出し口に、渦を発生させる工夫をしたそうですね」
「ああ、イ号一型の奴らに頭を下げて教えて貰ったんだ」
「もっと早く聞きに行けば良かったのではないですか?」
「うるさい、燃焼実験を早く始めろ!」
緊張の雰囲気の中、ロケットエンジンの燃焼開始釦を押すと、横向きに固定したエンジンの噴射口から爆音と共に勢いよく燃焼ガスと煙が噴き出した。燃焼は既定の時間の約一五秒間続いた。
「おおお、上手くいったぞ!」
「遂にやったぞ! 成功だ」
「やりましたね、山本少佐殿」
「みんな良くやった」
「お~」
設計者達も工場の人達も皆飛び上がって喜び、一斉に拍手が巻き起こった。
開発に携わった全ての人は、この瞬間をず~と待っていた。その期間が長ければ長いほど喜びが爆発するのだ。歓声と拍手はいつまでも鳴り止まなかった。
エンジンの実験が成功した二週間後、琵琶湖の岸で台風ロケットの飛翔実験が行われる事になった。やっと私の作ったマイクロフォンの実機検証が出来るのだ。
台風ロケットの横に簡易式の電波発信機とマイクロフォンを設置した。電波発信機には、マイクロフォンが壊れると電波が出なくなる仕組みを施し、地上のラジオで電波を傍受する。
台風ロケットの尾翼付近には、上昇した後で下降するときに蓋が空いて落下傘が出てくる仕掛けになっている。機体の損傷を少なくして回収する為だ。
実験場に陸軍と海軍の参謀達が到着する。黒塗りの車から二人が降りると、すかさず向井中佐と山本少佐は近づいて腰を大きく曲げながら挨拶をした。所定の場所に用意された椅子に二人が腰掛けると、山本少佐はロケットの打ち上げを指示した。
ロケットの打ち上げ目標物として、約二〇〇〇メートル上空に無人の気球を飛ばしている。鉄の矢倉で組んだ発射台に設置された台風ロケットは、作業員が気球に照準を合わせる微調整を行い準備が整った。
「良し、発射しろ」
向井中佐の合図で発射釦が押される。私は机の上に置かれたラジオのスピーカーに、耳をくっつける様にして電波発信機の音を聞いた。ピーピーピー。
爆音と白煙と共に台風ロケットは勢いよく打ち上った! が、その時。
ピーピープッ――、 あああ! ラジオの音が止まったのだ。
数秒後、台風ロケットは気球に命中し、さらに上昇する。「わ~」という歓声と共に拍手が起こり、万歳をする者もいる。参謀達とその傍にいた向井中佐と山本少佐は、空を見上げながら拳を挙げて大喜びしている。
私一人だけが、その輪の中に入れなかった――。 何が壊れたのか?
台風ロケットは一〇キロメートル以上の上空に達した後、下降を始める。尾翼付近の落下傘が開き、静かに揺れながら琵琶湖の沖に着水した。二艘の漁船に乗り込んだ作業員が台風ロケットを回収して、戻って来た。
ロケットが岸に引き上げられると、私は走ってマイクロフォンを見に行く。外観上は問題ない。マイクロフォンと電波発信機をロケットの機体から取り外して、鞄の中にしまった。
その夜、二人の参謀と向井中佐、山本少佐の他、工場の主な人達と私も足山旅館へ招待され、完成祝賀会が開催された。足山旅館には、丁度、節子さんも手伝いに来ていた。
「乾杯!」
「諸君、今日の実験は実に見事だった。東京に帰ったら、直ぐに実戦配備を上申する。量産体制の人員も確保するぞ」
「有難うございます、陸軍参謀殿」
「後は誘導装置を付けての自動追尾実験だな、山本君」
「海軍参謀殿、誘導装置もマイクロフォンも出来上がっております。直ぐに実験の準備をいたします」
「米軍の本土空襲の回数が増えて来た、急いで沢山作ってくれ」
「分かりました、明日から全力で生産いたします」
「君たち二人の昇級も近いぞ、わっはっは」
「はい、有難うございます」
「さあ、皆も沢山飲んでくれ。今日は羽目を外しても良いぞ」
この戦時中、庶民では食べられないような、豪勢な料理が並んでいる。私は乾杯の酒は飲んだが、一向に箸が進まなかった。マイクロフォンが壊れた原因をあれこれ考えていたからだ。皆がどんちゃん騒ぎをしている隙に部屋を抜け出した。
廊下に出てあぐらをかき、夜風に当たり庭を眺めながら考え事をしていると、節子さんが歩いて来た。
「真さん、どうして皆さんと一緒に飲まないの?」
「心配事があって食が進まないんだ」
「祝賀会と聞いていますよ、皆さん何か良いことがあったんでしょ?」
「私の作った物だけが上手くいかなかったんだ」
「まあそうなの、こんな板の間に座っているのも疲れますから、あちらの控えの間へ行きましょう。女将さんに言ってお粥でも作って持ってきますよ」
「ありがとう、節子さん。それではお言葉に甘えるよ」
私は宴会の騒がしさから、少しでも遠くに逃げ出したかった。
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