第27話 実験の要
控えの間は四畳半の何もない部屋だった。私は鞄の中からマイクロフォンを取り出して、どうして壊れたのかと思案していた。
「また甲府の山小屋に行って作り直しだな」
暫くすると、節子さんがお膳に載せたお粥を持って来た。
「真さん、お粥を持ってきましたよ、少しでも食べないと体に良くありませんよ」
「ありがとう」
黒い大きな茶碗に入ったお粥の上に、菜っ葉と赤黒い具が載っていた。
「節子さん、この具は何?」
「ニシンの甘露煮をちぎった物よ」
「あ~良かった。昔、中国の大連で変な具の入ったお粥を食べたんだ」
「変な具?」
「壁虎」
「何よそれ」
「ヤモリだよ」
「あははははぁ、うそでしょ」
「本当なんだ、笑っちゃうよね」
「面白い人ね、真さんって」
「うん、少し元気が出てきた」
私は昔を思い出して、笑いながらお粥を食べた。節子さんも私を見て笑っている。
夜になって、宴会の間からはいびきが聞こえてくる。私は畳の上で肘をついて横になり明日の事を考えていると、節子さんが布団と毛布を持って来た。
「お布団を敷きますね」
「大丈夫、自分で敷くよ」
「遠慮しなくていいのよ」
節子さんは布団を敷き終わると、
「私はそろそろ家に帰りますね」と言って襖を開けようとした。
「節子さん、明日からまた、甲府に行かないといけないんだ。暫く会えなくなる」
私は節子さんの腕を掴んだ。
「え、」
「節子、君と結婚したい」
二人はこの部屋で一夜を過ごした――。
次の日の朝、目が覚めると隣に節子は居ない。だが、枕元には手紙が置いてあった。
『今度会える日を、楽しみに待っています』
明け方に静かに出て行ってしまったのだろう。毛布にはほんのりと節子さんの匂いが残っている、暫らくの間は節子に会えないだろう……この毛布を甲府へ持って行きたい。私は旅館の女将に頼んで毛布を譲ってもらう事にした。
その日、私は山本少佐にマイクロフォンが壊れた原因を調べ、対策を施す為に甲府へ行くことを告げた。移動中の列車の中で新聞を読む。『五月八日ナチス・ドイツ無条件降伏』と大きく書いてある……ホルストとカミラは無事なのだろうかと心配になった。
山小屋に着いたのは次の日、夕方の六時を過ぎていた。
山小屋の扉の鍵を開け電気を点けると、くもの巣があちらこちらに張られていた。移動の疲れと、脱力感が全身を襲う。また山小屋の生活が始まるのだ。取り合えず寝る所だけ掃除をして、今日は早く寝る事にする……足山旅館の毛布を抱いて。
次の日の朝、早く目が覚めた。私は部屋中の掃除を始める、窓を拭いている時にふと思った。この汚い部屋をゲルンハルトお婆ちゃんが見たら、卒倒するだろうな。そんな事を思い出しては、せっせと手を動かしていた。
午後になって、作業机の上に置いた壊れたマイクロフォンを分解する。やはり圧電素子が割れていた。防風対策をしてあるので、風圧による破損では無い。ロケットの発射時に起こる、アルミ製の筒の衝撃や振動によるものだろう。
私は、圧電素子をアルミ製の筒に固定する方法を検討した。
アルミ製の筒に掛かる衝撃力を模擬的に再現する為、約二メートルの高さから厚さ二ミリメートルのゴムを敷いた石の上に自由落下させて、圧電素子の損傷具合を確かめる事にした。筒の重さが三〇〇グラム、落下速度は六・二六メートル毎秒なので、衝撃力は六〇〇キログラム弱となる。
それ以来、圧電素子を固定する接着剤を色々試したが、圧電素子が割れたり剥がれたりで、中々良い方法が見つからなかった。一番良い物は、
二ケ月が過ぎたころ、一通の電報が届いた。
『スグニデンワヲヨコセ、ヤマモト』
山本少佐からの電報だ、私は電報を配達した郵便局員と一緒に、ふもとの町へ下りて行く。郵便局に着き、局長に訳を説明して電話を借りた。
「もしもし、山本少佐殿でしょうか? 旗島です」
「旗島君か、遅いぞ。新しいマイクロフォンは未だ出来無いのか。台風ロケットを三角形に三本並べて、中心に姿勢誘導装置を設置した物はもう出来ているんだ」
「申し訳有りません」
「米軍に硫黄島も取られ、沖縄にも上陸した。この工場だっていつ空襲に遭うかわからん」
「完成には、もう少し日にちが掛かります」
「そんな悠長な事は言っていられないぞ! 来週の土曜日にロケットの自動追尾実験をやるんだ、参謀達も見に来る。琵琶湖の上空でプロペラ音を録音したレコードを載せた飛行船を飛ばして、そいつを派手に迎撃する所を見せるんだ。それまでに持ってこい。分かったか!」
「分かりました、努力します」
あと十日しか無い、急いで完成させなくては。
次の週の木曜日、山本少佐からまた同じ電報が届いた。私のマイクロフォンは未だ満足する結果が出ていない。再び郵便局へ出向き、電話を掛けた。
「もしもし、旗島です」
「遅い! もう待てんぞ、旗島」
「もう少しの所なんです」
「前のマイクロフォンを使って自動追尾実験をやる」
「待ってください、必ず壊れます」
「ここにある物より、ましな物は無いのか」
「圧電素子を膠の接着剤で固定した物が今の所最良ですが、予定の三分の一の衝撃力しか耐えられません」
「良し、分かった」
「今、ゴムを挟んで固定したものを実験しています、それが出来るまで待って貰えないでしょうか?」
「待てん!」――電話を切られてしまった。
私は急いで山小屋に戻り、ゴムを挟んで固定した物の衝撃実験を繰り返した。
徹夜で作業をした結果、やっと二メートルの高さから落下させても圧電素子が壊れず、剥がれない固定方法を見つけたのは、金曜日の昼過ぎだった。私は改善されたマイクロフォンを持って、急いでふもとの郵便局へ向かった。
「もしもし、山本少佐殿。旗島です」
「何だ」
「やっと六〇〇キログラムの衝撃力に耐えられるマイクロフォンが出来ました」
「もう、間に合わん。こっちにある奴を使う」
「待って下さい、その膠で固定する方法では二〇〇キログラムの衝撃力しか持ちません。これを持って行くまで、自動追尾実験を待ってください」
「参謀達も京都に来てるんだ、もう待てん!」――また電話を切られてしまった。
私は走ってバスの停留所に向かった、どうしてもこのマイクロフォンで実験して貰いたいのだ。
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