第25話 氷結の塊

 次の日、私は朝早く工場の設計室に向かった。昨日の夜から早く図面を描きたくてうずうずしていたからである。


 アルミ製の筒の横に設けた、側面からの音を打ち消す為の長穴の形状を、笛の鳴き口形状に変更する。これで筒に入って来る風が長穴から出て行くと、音が鳴る仕掛けだ。これで風切り音の問題が解決されるだろう。図面を描き終えると直ぐに山本少佐の所へ持って行った。


「図面の承認をお願いします」

「また作るのか、この赤伝野郎」

 赤伝とは、設計変更を依頼する伝票の紙が、赤い縁取りをしてあるのでこう呼ばれているのだ。

「今度は上手くいきます」

「信用できん、どの様に工夫したんだ」

「風切り音を笛の音に変えて、プロペラ音の周波数からずらします」

「……なるほど、考えたな。じゃあ承認してやるか」

 こうして承認された部品図を製造部へ回し、部品が出来上がるのを待った。


 数日後、出来上がったアルミ製の筒の部品を持って、甲府の山小屋へ向かう。

 山小屋に着いてマイクロフォンを組み立てようと思ったら、圧電素子を使い切ってしまっているのに気付いた。また結晶作りからやり直しだ。


 今日は春にしては気温が高い日で、村から引いた水道の温度も上昇していた。

 例によって山小屋の外の日陰にに結晶溶液を持ち出して、冷蔵庫で冷やした葡萄酒を飲んでいた。少し飲みすぎて、温度計を見るのが疎かになってしまった。

「やばい、溶液の温度が上がってるぞ」

 私は急いで小屋へ行き、冷蔵庫から氷を取り出そうとした。

「あれ、氷が解けてる! 冷蔵庫の扉がしっかり閉まっていなかったのか?」

 慌てて水を注ぐが、温度が下がらない。

「あああ、これが最後の結晶溶液なのに」

 去年の秋に作った葡萄酒は、これが最後の瓶だったのだ。この結晶溶液が無駄になると秋まで待たなければならない……本当に困った。


 私はがっかりして小屋の前でうなだれていた。


「めがねのお兄さん、どうしたの?」

「……」

 また菊子ちゃんが来たが、相手にする気力も無くなっていた。

「今日は自転車に乗ってきたのよ、お兄さん、見て見て」

「……」

「お兄さんてば」菊子ちゃんは自転車から降りて私の肩を揺すった。

「ああ、菊子ちゃん、……氷がなくなって困っているんだ」

「え、氷が欲しいの?」

「うん」


 すると、菊子ちゃんは自電車に乗って帰ってしまった。


 暫くすると、菊子ちゃんが戻って来た。菊子ちゃんは自転車から降りると、

「お兄さん、これ使って」と言いながら、自転車の前かごから手拭いに包んだ氷の塊を取り出した。

「え、菊子ちゃん、氷を持って来てくれたんだ」

「お兄さんは、わたしのお友だちだから」

「ありがとう、菊子ちゃん」


 私は急いで氷を砕く。結晶溶液のガラス瓶を収めてある、水を張った銅の鍋の中に氷を入れた。みるみるうちに水の温度が下がって行く。


「助かった! これで何とか結晶が出来る」

「お兄さん、良かったね」

 私の作業を心配そうに見守っていた菊子ちゃんは、一緒に喜んでくれた。

「ありがとう、菊子ちゃん。何かお礼をしなくちゃ、ちょっと待っててね」

 私は小屋に戻り、菊子ちゃんにあげる物を探した。

(何をあげれば喜ぶかな? 葡萄酒は子供は飲めないし、仕方ないこれにするか)

 私は鞄の中から節子さんに貰ったつげ櫛を取り出した。

「はい、これあげる」

「え、こんなかわいいお櫛をもらえるの?」

「ああ、京都の友達にもらったんだ」

「お兄さんの大切な品じゃない?」

「またもらえるから大丈夫だよ、今日はほんとうに助かったんだ」

「じゃあ、もらっておきます、ありがとう」

「どういたしまして」


 何とか結晶が出来た。それを鋸で薄く切り、外形加工と半田付けが終わると直ぐにマイクロフォンに取り付けた。


 次の朝、ロケット花火を打ち上げる準備をして戦闘機が飛来してくるのを待つ。

 九時少し前に戦闘機が見えた、私はドキドキしながら頃合いを見計らって花火を打ち上げる。「頼む、上手くいってくれ」電圧計を睨みながら叫んでいた。


 ピーピューン。


 マイクロフォンを載せたロケット花火は、花火自身の音と共に笛の音が混じりながら上昇して行く。「おお、電圧計の針が動いた」さらに電圧計の数値が徐々に上がって来た。


「やった~、成功だ!」


 その瞬間、私はこの上ない満足感と達成感で体が震えていた。

 これでひとまず問題は解決した。後は実際のロケットに搭載して確認するだけだ。


 私は京都の工場に戻り、山本少佐と一緒に向井中佐の所へマイクロフォンの完成を報告しに行った。


「向井中佐、旗島君のマイクロフォンが完成しました」

「おおそうか、良くやった」

「有難うございます、向井中佐殿」

「旗島君の考案で、風をよけながら笛の様な音を出して、プロペラの音だけを検知するマイクロフォンだそうです」

「だいぶ苦労したようだな」

「はい、初めから防風と風切り音の対策が課題だと思っていましたが、やっとのことで解決策を見つける事が出来ました」

「後は実機で確認するだけだな、ところでロケットの方はどうなんだ? 山本君」

「はい、エンジンの開発で暗礁に乗り上げてしまいました」

「はあ? まだ出来ないのか」

「申し訳ありません、燃焼室に送るエタノールと液体酸素を混合させる弁が上手く機能しない様です」

「やはりその部分か。おい、旗島君もエンジンの開発を手伝ってやれ」

「え、私がですか」

「そうだ、燃焼実験などの手伝いだ」

「は、はい、分かりました」


「あと、このロケットの正式な開発名が決まった。『イ号二型・台風』だ」

「二型ですか? うち以外にもロケットの開発があるのですか?」

「イ号一型は航空技術研究所で爆撃機に積むロケットを開発するそうだ。空から敵艦船に向けて攻撃する空対地爆弾だ」

「なるほど、我々の台風ロケットは地上から敵爆撃機に向けて発射する爆弾ですからね、二種類の迎撃ミサイルを開発するという訳だ」


「山本君、陸軍航空本部からは台風ロケットの完成の催促が来ているんだ、開発を急いでくれよ」

「向井中佐、どうしてそんなに急ぐのですか?」

「陸軍のある飛行戦隊が敵艦船に体当たりしたそうだ、それで本部の幹部達は危機感を持っている」

「体当たりって、自殺行為じゃないですか!」私は叫んだ。

「彼らは国の為に、自らの命を投げうって敵艦船にぶつかって行ったんだ」


 そんなに追い込まれているのか、南方に進出した日本軍は。


「海軍のある武官は、体当たりの特殊航空隊の編成を立案するようですよ」

「特攻隊か、そんな事をしたら戦闘機の操縦士がいなくなるじゃないか。人間が誘導して飛行する爆弾などあり得ない!」

「向井大佐殿、それほど戦況が悪化しているのでしょうか?」

「ああ、ガダルカナル島の撤退以降どんどん戦況が悪くなっている」


 特攻隊――。軍の偉い人達は一体何を考えているんだ。

 血の通っていない氷の様な人間ばかりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る