第24話 夜桜の音
今日は朝から結晶作りを始めた。
葡萄酒を飲みながら結晶が出来上るのを見守る事が、病みつきになりつつある。しかも、この葡萄酒がまた、旨くてしょうがない! ……困ったもんだ。
結晶が出来上がり加工作業に入る。今回は新しい道具の鋸で薄く切る作業が驚くほど楽になった。切断面もきれいで、厚みも均一に出来る。良い物を作る為には良い道具が必要だとしみじみ思った……丸山櫛屋の親方に感謝!
暴風対策を施したアルミ製の筒に、結晶を加工して出来た圧電素子を組み込む。暴風対策は、筒の中に先端を丸くした円錐状の部品を追加した物だ。これで風をよけてプロペラの音の波が上手く伝わればいいのだが、実験してみなくては判らない。
マイクロフォンに長い電線を繋げて、試作品の誘導装置の入力に接続する。これでプロペラ音の八〇から一二〇ヘルツの音だけを拾う筈だ。ロケット花火は二本用意した、一本はマイクロフォン用でもう一本は電線用だ。夕方になって土に埋めた二本の水道管にロケット花火を差し込んで戦闘機が来るのを待った。
「めがねのお兄さん、遊びましょ!」
また菊子ちゃんだ! やれやれ、菊子ちゃんは私が遊びながら仕事をしていると思っている様だ、困ったな。
「大事な仕事なんだ、じゃましないでね」
「うそだ~、今日も朝からぶどう酒飲んでたでしょ」
まずいところを見られた! 言い訳が思いつかないぞ。
「……村の人には内緒にしてくれる」
「どうしようかな~!?」
「分かったよ、一緒に花火を打ち上げよう」
「うん!」
やがて戦闘機の飛ぶ音が聞こえて来た。
「菊子ちゃん、花火を点火する準備をしてね」
「はい!」
私は誘導装置に入力された電圧信号を電圧計で見守る。
「良し、点火だ」
「ほい!」
二本の花火が打ち上り、戦闘機に向けて飛んでいく。私は電圧計を睨んだ。
「あれ? 電圧が全く変化しないぞ」
花火が戦闘機に近づけば、プロペラ音の音圧が上がり、電圧も高くなる筈なのだが。全く変化しないうちに花火が落ちて来てしまった。
「どうでした? お兄さん」
「失敗したかも……」
「失敗って、何がいけないの?」
「風の音かな?」
私は、暴風対策を施した部品の風切り音が、プロペラ音とほとんど同じ周波数になっていると思った。――大きな壁に突き当たった様だ。
翌々日、新しくできた葡萄酒を持って京都の工場へ戻った。
「山本少佐殿、またやり直しです。今度はプロペラの音が、筒の中の風切り音でかき消されてしまう問題が出てきました」
「なに~、 未だ出来ないのか!」
「申し訳ありません」
「まったく、へぼな野郎だな、お前は」
「風洞実験をしながら風切り音の対策を練ります」
「ロケットの開発は順調に進んでるんだ、間に合わせろよ」
「はい、努力します」
私は完全に迷路の中に閉じ込められてしまった。どの様な暴風対策の部品形状を試しても、風切り音の周波数を変えることが出来なかった。――出口が見えない。
休みの昼過ぎ、節子さんのいる丸山櫛屋へ行く。鋸と新しく出来た葡萄酒も持って行った。
「こんにちは」
「あら、真さん。いらっしゃい」
「また鋸の研ぎ方を教わりに来ました」
「さあ、どうぞ中へ」
奥の職場では、親方が一人で櫛を加工していた。
「親方またお世話になります、あれ、お弟子さんは?」
「兵隊に取られちまったよ、まだ若いのに」
「そうねえ、この戦争は長引くのかしら」
「そうかも知れません。あの、これ持ってきました」
私は葡萄酒の瓶を親方に渡した。
「おお、これが旦那さんの作った葡萄酒か」
「これを持って、気晴らしにお花見にでも行きましょうよ」
「そうだね、それはいい考えだ」
「でも旦那、自治会からは花見は自粛しろって言われておるよ」
「親方、近所の方たちは夜にこっそり行って、夜桜を見るそうよ」
「そうしましょう、夜になるまで鋸を研ぐ練習をします」
「私はお弁当を用意するわ」
その夜、私と親方と節子さんの三人で近くの小山へ桜の花を見に行った。
親方は提灯とゴザを、私は葡萄酒と茶碗を、節子さんは提灯と弁当を持って行った。
小山には、既に何組かの花見客が陣取っている。二本の木の枝にロープを渡して沢山の提灯をぶら下げ、小さい声で歌いながら宴会をしていた。
「真さん、ここにしましょう」
節子さんは桜の木の下で立ち止まる。親方はそこにゴザを敷いて、私は二つの提灯を木の枝にぶら下げた。
提灯に照らされた桜の木は、陰影が立体的に見える枝ぶりと、桃色の花びらの奥に漆黒の空の対比が美しさを増していた。
「わあ、下から桜の花を照らすとこんなにきれいなのね!」
「いや~、本当に奇麗だ」
「旦那さん、来て良かったのう」
「でも南方へ出兵した人たちも、日本の桜を見たいと思っているでしょうね」
「ああ、桜は日本人の心のふるさとだからのう」
三人はゴザに座る。節子さんはお弁当の蓋を開けた。
「こんな物しか用意できないのは、ちょっと悲しいわ」
お弁当の中は、さつま芋とふきの煮物に梅干しが入っていた。
「色どりもいいし、美味しそうだよ節子さん」
「若奥さんは料理も上手だよ」
私は二人に茶碗を手渡して、葡萄酒の瓶の栓を取って茶碗に葡萄酒を注いだ。
「どうぞ召し上がってください」
親方と節子さんは葡萄酒を飲む。
「こりゃあ旨い! 初めて飲んだよ」
「ほんと、葡萄酒ってこんなに美味しいものなのね」
「今回は上手く出来たんですよ」私はふきの煮物をつまんで食べた。
「これもすごく美味しいよ、節子さん」
しばらく三人は、笑いながら小さな宴会を楽しんだ。
「おっと、急な用事を思い出した」親方が立ち上がる。
「お先に失礼します、旦那さん」
「え、」
親方は枝にぶら下げた提灯を持ってそそくさと帰ってしまった。
節子さんと二人きりになった。
「あら、親方どうしたのかしら?」
「ああ、二人だけになってしまいましたね」
少しの間沈黙の後、弱い風が吹いた。すると、節子さんの茶碗の中に桜の花びらが入ったのだ。
「おお、縁起がいい。葡萄酒の上に花びらが載ってるよ」
「ほんとだわ!」
「奇麗だね」
「この花びら?」
「君も……」
私はそおっと節子さんの頬に口づけをすると、節子さんはゆっくりと目を閉じた。
「節子さんを好きになってしまいました」
節子さんは目を開けると、私の目をじっと見る。
「……私も」
今度は節子さんの肩を抱き寄せて、唇に口づけした――。
「今日の様に、いつも一緒にいたいな」
「ええ」
「でも、まだ仕事が終わっていないんだ」
「また甲府へ行くの?」
「ああ、こっちの問題が解決したら」
「問題って?」
「風の音」
「風の音? さっぱりわからないわ、真さんの仕事」
「うん、難しい仕事なんだ」
また少し弱い風が吹くと、ひらひらと桜の花びらが舞う。
すると遠くから、風に乗って横笛の音が聞こえて来た。
「あら、横笛の音って少し寂し気に聞こえるわね」
「笛の音?」私は何かを閃いて夜の空を見上げた。
「どうしたの、真さん」
「分かった!」
「何が分かったの?」
「風の音を笛の音にすればいいんだ!」
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