第23話 櫛屋の技

 丸山つげ櫛屋に入ると直ぐに、節子さんは私を奥の職場に案内した。


 そこは薄暗い部屋に手元だけ白熱球を照らし、歳を取った職人さんと若い職人さんが向かい合って座り、黙々とつげ櫛の歯を製作する作業をしていた。


「この方たちが、うちの職人さんの親方とお弟子さんです」

「近くで見てもいいですか?」

「どうぞご覧ください」


 私は職人さん達の近くに寄って、その仕事ぶりを見る。台の上で固定された櫛を、左手で支えながら右手に持った細くて小さいのこぎりをす~と挽く。すると、出来上がった歯にくっつく様に曲がりながら、極細い歯がいとも簡単に出来上ってしまう。鋸を持ち上げると、綺麗に並んだ櫛の歯の縞模様がピンと浮き上がる。


「節子さん、この人達は凄いですね! 全くぶれずに細い櫛の歯を挽くなんて」

「そうなんですよ、私は何度やっても曲がったり厚みが違ったりするんです。この職人さんたちの集中力にはかないません」

「確かに凄い技だ。私も結晶を薄く切る仕事をしているんです、やり方を教わりたいな」

「結晶? ですか、真さんも何かの工芸品を作ってらっしゃるんですか?」

「いや、電気部品です。その合間に自家製の葡萄酒を飲んだり、花火を打ち上げたりしていますけど」

「……!? 一体どの様なお仕事をなさっているんですか?」

「申し訳ない、軍の機密に関わるのでこれ以上は言えないです。とにかく少し拝見させて下さい」


 親方は、櫛を挽き始める位置を慎重に見定めると、一気に鋸を挽く。その見事な手さばきをじっと見ていると、急に親方の手が止まった。


「旦那さん、こんな近くで見られていたら仕事にならんです」

「すみません、どうしても薄く切る動作を習得したいんです」

「おい小僧、この旦那さんに櫛の歯の挽き方を教えてやれ」

「親方、承知しました」

「あ、有難うございます親方」

「お国の為に働いている人を、粗末に扱う訳にはいかんからの」


 お弟子さんは席を立って私を加工台の前に座らせ、鋸を手渡した。

「え、ここにあるつげ櫛をこの鋸で挽いてもいいんですか、親方?」

「ああ、小僧が作っている櫛はまだ使い物にならん。練習用の櫛だ」


 お弟子さんは私の後ろへまわり鋸を持った私の右手を握ると、いきなり歯を挽き始めた。


「旦那さま、こんな感じでやってみてください」

「おおお、綺麗に切れる! 道具が違うのか」

「旦那さん、わしらの道具は命の次に大切な物なんだ」


 細くて小さい鋸の歯を見ると、複雑な並びの歯が美しく研がれていた。


「鋸の感触はどうですか? 真さん」

「ああ節子さん、びっくりしました。こんなに気持ち良く削れると思ってもみませんでした。何本か自分で挽いてみます」

「お怪我なさらないでくださいね」

「はい」


 私は夢中になって櫛の歯を挽いた。歯の厚みはまちまちだったが、真直ぐに削ることが出来た。この鋸が欲しい……私は何度も鋸の歯を見つめていた。


「親方、今日は大変勉強になりました」

「旦那さんは中々筋が良さそうだな、器用な手つきをしていた」

「有難うございます」

「若奥さんの節子さんも器用で、上手に櫛を作りますよ」

「親方、私は下手ですよ。お櫛の歯がいつもデコボコなんですから」

「旦那さん、この若奥さんは器量もよくて良く働くし、我々の仕事も手伝ってくれるんです。店に出れば、お客様の間で看板娘と呼ばれているんですよ」

「なるほど、そんな気がしていました」

「今度、鋸の作り方も教えてあげますよ旦那さん」

「え、本当ですか!」

「真さんは親方に気に入られたようですね、うふふ」

「節子さんとお知り合いになれたお蔭で、良い経験ができました。鋸の作り方を教わりにまた来ます」


 こうして私は丸山櫛屋へ通うことになった。


 航空機製造工場で暴風対策を施したアルミ筒の設計と出図をしながら、部品が出来上がる隙を見つけて、丸山櫛屋に鋸の歯の研ぎ方を教わりに行った。親方は、私の為に新しい鋸を用意してくれた。鋸の歯の研ぎ方は大変神経を使うもので、何種類ものやすりを使い、色々な方向に研いでいく根気のいる作業だった。親方は丁寧に鋸の歯の研ぎ方を指導してくれた。


 作業の合間には節子さんと二人で話をしたり、お茶やお菓子を頂いたりして、楽しい時間を過ごした。私にとっては心身ともに充実した毎日だった。そうして何回か丸山櫛屋に通うと、やっと私の鋸が出来上がった。


「出来ました、親方」

「おお出来たか、見せなさい」

 私は研ぎ終わった鋸を親方に渡すと、親方は歯の仕上がり具合を確認する。

「良し、これで大丈夫だ、大切に使ってくれよ。刃先がだれてきたら、またうちに来て研ぎなさい」

「分かりました、有難うございます」

「真さん良かったわね、お道具が出来上がって」

「節子さん、また直ぐに戻って来ますから。今度は私が作った美味しい葡萄酒を持って来ますね」

「葡萄酒って、どこで作っているの?」

「甲府の山奥なんだ」

「甲府? そろそろ葡萄酒と結晶と花火の関係を教えてくださいな」

「だめだめ、軍事機密なんだから。えへへ」

「真さんの意地悪!」


 節子さんは少しほっぺたを膨らまして私を睨む。


「ごめん、ごめん。いつかきっと教えるよ」

「きっとよ!」

「明日から甲府に行って、結晶部品の製作をするんだ」

「暫く会えないの?」

「一週間くらいかな」

「真さんは甲府にも女の人がいるんでしょ?」

「ああ、手伝ってくれる人が……」


 節子さんの顔が真っ赤になって来た!


「尋常小学校の女の子だよ」

「本当かしら」

「本当だよ」

「じゃあ、これ持って行って」


 節子さんは帯の中から自分の作ったつげ櫛を取り出して私に渡す。


「え、これ貰っていいの?」

「この櫛には "節子" って名前が彫ってあるから」

「どういう事?」

「真さんには京都に女がいるという証になるでしょ!」

「ははは、分かった、有難く頂戴するよ」


 何だか嬉しくてしょうがなかった、節子さんも私に気があるのかと思うとウキウキしてきた。こんな気持ちは初めてだ。私は節子さんに貰ったつげ櫛を、ハンカチで包んで大事に鞄にしまい込んだ。


 次の朝、航空機製造工場へ行き、改良されたアルミ筒部品を受け取る。また、外注先で製作された誘導装置の試作品を持って、甲府の山小屋へと向かった。


 山小屋に着くと直ぐに残りの葡萄酒の熟成具合を調べる。大きなガラス瓶の底に結晶が出来上がっているのが確認できた。明日からはまた、結晶作りをして圧電素子を沢山作らなければならない。だけど、この新しい道具の鋸があるので楽しい作業となる予感がする。マイクロフォンの完成に向けて、以前よりも製作意欲が湧いてきた。


 私は葡萄酒の入ったガラス瓶を棚からおろし、作業代の上に置く。蓋を開けてひしゃくで葡萄酒をすくって硝子コップに注ぐ。そうして葡萄酒の匂いと味を確かめた。


「う、旨いぞこの葡萄酒!」

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