第22話 旅館の光

 私は正座をして両足の膝の上のズボンを捲り、きつく握りしめ、じっと耐えていた。


 足山旅館の一室で、会合という名の宴会が行われている。私の前の席には陸軍と海軍の参謀、その両脇に向井中佐と山本少佐が座っていた。


 初めは、あまり口を開かなかった二人の参謀も、向井中佐と山本少佐の酌で酒を飲み始めてから急に口が軽くなった。最初は今日の視察の話を笑いながら話していたが、突然両参謀が喧嘩を始めたのだ。その話の内容は私には耐える事が出来ないものであった。


「向井君と山本君、君たちはいい仕事をしているな、あのロケットは大したものだ」

「海軍参謀殿、ドイツで必死になって教わってきました、なあ山本君」

「はい、向井少佐殿。あの時は大変でした」

「東京に帰ったら、成果を上げていると報告しておく」

「有難うございます」


「ところで向井君、満州事変に発展した柳条湖事件は、中国軍の仕業ではなく関東軍の参謀達が仕掛けた自作自演の事件だって知ってたか?」

「陸軍参謀殿、詳しくは知りません」

「奴らが勝手にやりやっがって、自分たちの手柄にしたんだ。中央からの指示ではないぞ」

「そんな事をしたら、中央からおとがめがあるんじゃないですか?」

「いや、あろうことか処分は無かった。本来なら懲罰ものだが、国民に支持されたから、そのあと事後承認されたんだ」

「国民の間では、満州建国の立役者として英雄扱いされてますよね、羨ましい」


(今の大戦の導火線に火を付けた奴は、個人の計略や出世欲で事件を強行したのか!国家の意思決定手続きを無視して、軍人が勝手に行動を起こすとは……)


「あの事件があってから、出世の為に真似をする参謀が増えた。そいつらも前例にならって昇級してるのだ、あれ以来中央では、現地軍の統制が出来ん様になった」


「海軍参謀殿、日米開戦の時はどの様な話し合いがあったのですか?」

「話し合いも何も、石油が止められてから首脳部は大混乱だ。海軍はアメリカと国力差があり過ぎると主張するが、陸軍がそれを最高指導者の連絡会議で海軍大臣に言わせろと言うんだ、そんな事言える訳がない。海軍は弱虫だと思われる」

「何を言ってるんだ、海軍が先制攻撃して軍事力の差が無い内に、アメリカの戦意を喪失させると言っとったじゃないか!」

「開戦後、真珠湾攻撃は上手くいったぞ!」

「ミッドウェー海戦で四隻も空母を失ったのに、海軍は何故黙ってたんだ!」

「お前の所だって、ガダルカナルの消耗戦で多くの兵士を見殺しにしたのは、撤退時期を間違った陸軍の汚点だろ!」


(ミッドウェー海戦もガダルカナルの戦況も、ニュース映画はみんな嘘っぱちだったのか! 陸軍と海軍の意見がばらばらで、それぞれが自分の組織の事しか考えていない。しかもお前らの作戦の失敗で、多くの兵士が死んでいるんだ。軍の優秀な上級官僚がそろっていても、国家の将来を見据える事ができないのか!)


「陸軍は南方を占領した時点で守備固めしようとしたのに、海軍がアメリカを叩く為にハワイやニューカレドニアまで戦闘範囲を広げたから、物資の輸送が出来ず、今の様な不利な戦況になったんだろ!」

「その前に陸軍が占領地域の利権を貪って、開発業者と癒着していたと聞いているぞ!」

「海軍だってニューギニア開発で新興企業に大判振る舞いして、たんまりと見返りがあったそうじゃないか! この強欲どもが!」

「何だと、陸軍の方が強欲の塊の集団だ!」


 これは、何の目的で誰の為の戦争なんだ、ばかばかしくて聞いてられない!

 戦争を始める前に戦争を終わらせる筋書を考えていなかったとは、このままでは間違いなく本土決戦に持ち込まれるぞ!


「申し訳有りません、仕事が残っておりますので……」

 私は居ても立っても居られず、席を立った。急いで襖を開けて廊下に出る。


「お先に失礼します」

 お辞儀をして襖を閉めたとき、


「きゃ」――ドタン!

 紺色の和服を着て白いタスキと前掛けをした若い娘が、私にぶつかって倒れてしまった!


「大丈夫ですか?」

「ごめんなさい、私が悪いんです」

 倒れた娘を見ると、左肘から血がにじんでいる。

「ああ、怪我をさせてしまいましたか? すみません」

 私はしゃがんで娘の腕を支えながら体を起こして、左肘の傷口を見る。

「大丈夫です、ご心配には及びません」

 娘は和服の裾を整えながら両膝を曲げて立ち上がろうとする。


「待って、ハーッ」

 私は娘の左肘に息を吹き掛けた。


「こうすると、早く治るおまじないなんだ。母から教わったんだよ」

 娘は私の顔をじっと見ると、少しほほ笑んだ。

 その顔は色白で、細面に眉の長い優しい顔立ちだった。少し目じりの下がった黒い目の瞳の奥は、キラキラと輝いて見えた。


「お客様、面白い方ですね」

 私は娘の腕を取って、立ち上がるのを手伝った。――カラン!

 その時、何かが転がる音がした。

「何か落としましたよ」

 拾い上げて見ると、手の平の大きさで、櫛の左右の丸みが非対称で、見た目の形がとても可愛いいつげ櫛だった。

「あら、恥ずかしい! 失敗作なんです、このお櫛」

「え、あなたが作ったんですか?」

 娘は私が手に持っていた櫛を取り返すと直ぐに、タスキからほどけた袖の中にしまおうとする。

「上手に出来てるじゃないですか、この櫛。何か小動物の様な可愛さがありますよ」

「私は櫛屋の娘なんです、こんな恥ずかしい物は店の名を汚します」

 娘はうつむいて、頬を赤らめた。

「私も物づくりの仕事をしてるんです。今度あなたのお店にお邪魔して、つげ櫛を作っている所を見て見たいな」

「うふふ、本当に面白い方ですね。こんなお櫛に興味を持つなんて」

「お店の名前は?」

「うちの店は隣町の花見町の丸山櫛屋です」

「それでは、明日見に行きます!」

 娘は返事をしなかったが、頬が緩んでいたので悪い気がしていない様子だと、勝手に思った。


 私は娘と別れた後も、暫くの間あの娘のキラキラした黒い瞳が脳裏に残っている。

 参謀達の嫌な話がいつの間にかかき消され、少し元気が出てきた。


 次の朝、私は花見町へ行く。その街並みは、狭い道路の両側に二階建ての土壁と木で作られた家々が立ち並ぶ。各々の家は、一階部分の黒い瓦屋根が手前に張りだしたり、山形になったりで一軒一軒は全く違う顔を持つ。一目ばらばらに見えるが、街並みの奥まで通しでみると、何故か風情があり全体の調和がとれているのが不思議だ。


 私は黒い瓦屋根に白い壁の二階建ての一階の上にも瓦屋根が少し張り出し、そこから紺色の大きなのれんに白字で書かれた丸山櫛屋を見つけた。


「ごめんください」

「はい! あら、昨日のお客さん、本当に来たんですね」

 娘は驚いた表情をしている。

「どうしても、つげ櫛を作るところを見たくなってしまって……」

 本当は娘に会いたかったからなのだが、ごまかした。

「うふふ、どうぞ中へお入りください」

「有難うございます。ところで、あなたのお名前は?」


「丸山節子と申します、お客様のお名前は?」


「私は旗島真です。旗島の旗は日の丸の旗です」


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