第20話 結晶の夢

 私はタライの中にある葡萄の搾りかすを包んだ木綿の布の端々を、棒に縛り付ける。それを持ち上げてから棒を捻じって葡萄の汁が出なくなるまで搾り切る。そうしてタライに残った汁を口の広いガラス瓶に移し替えた。これを何瓶か作り葡萄汁の入ったガラス瓶に隙間のある木の蓋をして、棚に並べて毛布を掛けて発酵と熟成を待つ。一つの瓶だけ、葡萄汁の中に少量の砂糖を混ぜた。


 私はアルミ製の筒の設計をする為、一旦京都の航空機製造工場に戻った。

 翌日から一週間掛けて、設計室で十種類の筒の図面を描き、山本少佐に承認を貰いに行った。


「山本少佐殿、図面の承認をお願いします」

 出来上がった図面を山本少佐の机に置いて広げる。

「何んだ、十枚も描いたのか」

「太さと長さを変えて実験したいのです」

「今までの経験上で、筒の形状を判断できないのか」

「今回は低い周波数の音のみ捉えたいのですが、圧電素子の厚みと大きさも変えて、色々と実験したいので、筒の部品も種類が多くなってしまいました」

「しょうがない、署名してやるか」

 山本少佐は図面の表題欄に署名して私に返した。

「有難うございます。この図面は青写真を撮って製造部に回します」

「ところで誘導装置の外注先が決まって、今日の夕方に打ち合わせする事になっているから、君も出てくれ」

「分かりました」

「それからこれは君に頼まれていた物だ」

 山本少佐は一枚のレコード盤を机の引き出しから取り出して私に渡す。

「海軍の九六式陸上攻撃機に乗り込んで、プロペラ音を録音した物だ」

「はい、有難うございます」

「あと旗島君、ワインは出来たのか?」

「今はまだ発酵と熟成中です」

「出来上ったたら俺にも飲ませてくれよ」

 山本少佐は立ち上がって私の横に来ると肩を叩いた! 痛い。


 私は図面の青写真を撮り製造部に提出した後、夕方の打ち合わせに出席した。この打ち合わせは、誘導装置の仕様の説明だけであったが、私はプロペラ音の周波数八〇から一二〇ヘルツの音だけを取り出す帯域通過波器の追加を要求した。取り合えず試作品を製作することで両者は合意した。


 数日後、アルミ製の筒十本が出来上がり、それを持って甲府の山へ向かう。途中、矢代郡市川大門の花火製造所へ立ち寄り、特注の二段式ロケット花火を注文した。その後、山小屋に着いた私は真っ先に葡萄酒の出来具合を確かめた。


 棚の上に並べた瓶に被せた毛布を取ると、砂糖を混ぜた瓶だけが気泡が噴き出て発酵が進んでいた。その瓶を取り出し机の上に載せる。木の蓋を取り除き、ひしゃくですくい上げて瓶の中の葡萄酒を別の瓶に移し替えた。


 瓶の底に残った物をさじで掻き出して乾燥させる、これが酒石酸だ。これに炭酸ナトリウムを加えて粉末にするとロッシェル塩となる。ここから結晶を作る為に純水を加えた飽和溶液を作るのだが、これが厄介な仕事であった。ロッシェル塩が水に溶けると温度が下がるが、結晶化すると温度が上がるからだ。飽和溶液の温度を一定に保たなければきれいな結晶が出来ない。


 私はマスクをして作業机に行き、白い陶器のすり鉢の中にロッシェル塩の塊を入れ、すりこぎで細かく砕く。粉末となったロッシェル塩の中の不純物を取り除いた後、天秤皿の上に紙を敷いてその上に載せる。さらに天秤で測りながら炭酸ナトリウムを天秤皿の紙の上へ足していく。


 ――ガタン! 窓の方から何か音がした。


 窓の方を見ると、あのおかっぱ頭の少女、菊子ちゃんが窓枠に手を掛けて窓をこじ開けようとしていた。頬を膨らませたその顔は、無邪気さに溢れていた。


「こら! 見るのはいいが、窓は絶対開けちゃいかん」

「……お兄さん何してるの?」

「大事な物を作ってるんだよ」

「大事な物?」

「日本を守る為の物だよ」

「ぶどう酒で日本を守るの?」

「ははは、まあ、そんな事だ」

「いっしょに、なわ跳びしませんか? めがねのお兄さん」

「これが終わったら遊んであげるよ、もう少し待っててね」


 私は天秤皿の上のロッシェル塩と炭酸ナトリウムを混ぜ、ガラス小瓶の中に入れて蓋をする。マスクを外して外に出ると、菊子ちゃんが長い縄跳びを持って待っていた。葡萄の枝に縄跳びの片方の端を縛り付け、縄跳びを振って遊んであげた。山小屋生活も息抜きをしながらでないと続かないから、良い運動だ。

 

 次の日、結晶を作る準備をする。まず、蓋の着いたガラス瓶に計量したロッシェル塩を入れる。この瓶をぬるま湯の張った銅製の鍋に入れて、温度計で鍋のぬるま湯の温度を測る。水の温度が摂氏三〇度になるよう、日当たりの良い場所へ持っていく。水温が摂氏三〇度になったところで、純水を少しづつをガラス瓶の中に入れ、水溶液を作る。ガラス瓶の蓋をして温度計を監視しながら結晶が生成されるのを待つのだ。


 山小屋の中で温度計をじっと睨んでいるのも辛い仕事だったので、銅の鍋ごと外に持ち出して、葡萄酒を飲みながら結晶の成長を見守ることにした。葡萄酒を一口飲む、……ただの甘い葡萄汁だった。


 鍋の水の温度が高くなれば日陰に移動して氷を足し、低くなれば日当たりの良い場所へ移動させる。葡萄酒を飲みながら結晶の成長を見ていると、出来上がった姿を想像しては早くマイクロフォンを完成させたいと願う。


 多角形をした結晶が出来上がり、加工作業に取り掛かる。結晶を糸のこぎりで薄く切り、外側を円形に加工する。それを砥石の上で擦って厚みを均一に整える地道な作業を繰り返す。数種類の大きさと厚みの結晶、すなわち圧電素子を作って、マイクロフォンの感度実験に備える。圧電素子には二本の銅線を半田付けした。


 出来上がった圧電素子をアルミ製の筒に組み込んで、マイクロフォンとなる。プロペラ音を録音したレコードを掛けて、マイクロフォンの音圧レベルの感度を電圧計で確かめる。これで必要とする圧電素子の大体の厚みが分かった。後は遠くの音を確かめたい――。


 夕方になって上空に戦闘機が飛来して来た、私は急いでマイクロフォンで音圧レベルを確かめようとしたが、直ぐにいなくなってしまった。何種類ものマイクロフォンの性能を確かめたいのだが、一日二回しか飛ばない戦闘機を待つのでは効率が悪い。ここの山の西側二キロメートルくらい離れたところに山がある。あの山にマイクロフォンを持ち込んで実験したいのだが、レコードを掛ける事が出来ない――、そうだ! 菊子ちゃんに頼もう。


 次の日、私は菊子ちゃんの家に行き、お母さんに話をして菊子ちゃんに手伝ってもらう事になった。菊子ちゃんと私は山小屋へ戻り、大きなスピーカーに繋いだレコードを山小屋の外に持ち出して準備する。


「菊子ちゃん、私が向こうの山に着いて赤い旗を振ったら、このレコードのここの釦を捻るんだよ」

「うん、分かったわ」

「少し大きい音が出るから気を付けてね」

「うん」

「じゃあ行ってくるよ」


 私は数本のマイクロフォンと電圧計を持って隣の山へ歩いて行った、山に到着して実験の準備を終える。向こうの山小屋の近くには菊子ちゃんが手を振っているのが見えた。私は赤い旗を振った。


 菊子ちゃんがレコードを掛ける動作が見えたと思ったら、耳を塞いで何度も飛び上がっている姿が見えた! 私は申し訳ないと思いながらも向こうの山から聞こえる小さいプロペラ音にマイクロフォンを向けて、電圧計の数値を確認した。


 実験が終わった。山小屋の方を見ると、さっきまで飛び上がっていた菊子ちゃんがいない。目を凝らして探すと、山小屋の前で寝っ転がっているようだった。菊子ちゃん……疲れたのかな?

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