第19話 葡萄の木
まず最初にプロペラ音の周波数を調べる。戦闘機の調査報告書によると、八〇ヘルツから一二〇ヘルツだと分かった。低周波数帯域なので、検出部材は圧電素子で決まりだ。
音圧は至近距離では一二〇デシベルもあるが、百メートル距離が離れるたびに三デシベルづつ低下したとすると、約四〇〇〇メートルの距離まで敵機が近づかないとプロペラ音を検出できない。かなり接近してからロケットを発射するのか。或いは敵機の機影を目視した後に進路を予測して発射させるのか。
ロケット本体の騒音を検出しないようにするには、ガンマイクの様な指向性を持たせる必要がある。問題は風圧と風切り音だ、この対策は非常に難しいと感じた。試作と風洞実験を繰り返して、性能を調べるしか方法が無いように思える。
私は製作計画案を作成した。その内容は、
一、指向性を持たせる為に、マイクロフォンの外形はアルミ製の筒型構造とする。
二、筒の周りには側面からの音を打ち消す干渉長穴を設ける。
三、検出部材は葡萄から採れる酒石酸から析出した結晶で、圧電素子を清浄室の中で作る。
四、圧電素子と電気回路は筒の底部に固定する。
五、風圧と風切り音の影響を調べる為、試作品の風洞実験を行う。
六、試作品は数種類の筒と、厚みと大きさの違う圧電素子を組み合わせて行う。
この計画案と、構想図を持って向井中佐の所へ行った。
「向井中佐殿、製作計画案が出来ました」
「うむ、見せてくれ」
それを見た向井中佐は、書類を睨みながらしかめっ面をしている。
「何だ、試行錯誤して作るのか」
「はい、風圧と風切り音の対策が読めないものですから」
「この清浄室とは何だ」
「圧電素子を作るために、この工場の中に
「そんな場所も予算も無い」
「……」
「あと、うちの風洞実験機は風速八〇キロメートルしか出せんぞ」
「ロケットの速度は時速三六〇〇キロメートルでしたかね……」
「そうだ、実物のロケットでないと再現実験はできないな。ゼロ戦は時速五六〇キロメートル出るが、間近かでプロペラ音を拾っても意味がない」
「困りました」
「花火しかないな」
「花火ですか?」
「そうだ、花火の打ち上げ速度は確か時速二~三〇〇キロメートルで、風洞実験機よりはましだ。飛んでいる飛行機に向けて、マイクロフォンを付けた花火を発射させて実験しろ」
「はあ、そうですか」
「良し決まった、空気がきれいで葡萄の木のある山奥で、圧電素子とこのマイクロフォンを作れ。そこで花火を使って実験するんだ、小屋は用意してやる」
「……分かりました、アルミ製の筒はここで作っていただけますか?」
「もちろんだ、それはここで作る。圧電素子を作る場所を早急に探してきてくれ、甲府辺りが良さそうだな」
「明日からで、よろしいでしょうか?」
「今直ぐ行ってこい」
急遽、私は葡萄の木のある甲府の山を探す羽目になった。
工場を出て京都から列車に乗って甲府へ着いたのは、夜になっていた。駅前の旅館に泊まり、次の朝早く起きて、取り合えず駅に向かった。駅の待合室で観光地図などを調べていた時、戦闘機が飛ぶ音が聞こえた。
この時私は閃いた、戦闘機の飛行航路の下にある山を探せば良いと。私は直ぐに改札口にいる駅員に聞いてみた。
「すみません、少し伺いたいのですが」
「はい、何でしょう?」
「あの戦闘機はいつも飛んでいるのですか?」
「はい、毎日朝九時ごろと夕方四時ごろに飛んでいますよ」
「分かりました、有難うございます」
今度は交番へ行き、警察官に尋ねた。
「お巡りさん、ご苦労様です。少し尋ねたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「何の用でしょう」
「私はニュース映画を製作している者ですが、毎日飛行している戦闘機が通過する山があれば、その場所を知りたいのですが」私は名刺を差し出した。
「レコード會社の人ですか、映画でも撮るのかね」
「は、はい」
「あれは、芦田さんちの近くを飛んでるよ」
私は芦田さん宅の住所を聞き紙に書く。交番を出て駅に戻るとタクシーに乗り、運転手に芦田さん宅の住所を告げた。タクシーは曲がりくねった幅の狭い山道を数十キロメートル行った先で脇道にそれ、急な坂道を登り切った所にある、
「お嬢ちゃん、ここの家の人?」
少女は縄跳びを止め、私に近付いて来た。
「うん、お兄さんはどこの人?」
「東京から来たんだよ、ここは毎日飛行機が見えるのかな?」
「うん、毎日朝と夕方に飛んでるよ」
「この辺にぶどうの木はある?」
「すぐ近くにあるよ、あっち」少女は砂利道の先の林の中を指さした。
「ありがとうお嬢ちゃん」
私は再びタクシーに乗り、砂利道の先を進むように運転手に指示した。車が五分程走ると白樺に囲まれた六〇メートル四方の空き地があった。その空き地の左隅には、一本の葡萄の木が立っていた……ここだ、ここに山小屋を立てよう!
甲府から京都へ戻り、向井中佐に地図で場所を示して報告する。向井中佐は東京の調達部に電話して、土地の所有者に連絡を取り山小屋を立てるように要請した。私は製作に必要な機器を発注して、山小屋でマイクロフォンを製作する準備を始めた。
九月初め甲府の山奥の山小屋が完成し、機器の搬入も無事に終わった。丸太で組んだ山小屋の中は仕事場と居住区に分かれている。今日から週に四日はここに籠って、マイクロフォンの製作に没頭する覚悟だ。京都の工場へは筒の設計をしに戻るが、何としても迎撃用の検知器をここで実験を繰り返して完成させるのだ。
私は外に出て葡萄の木の前に立ち、葡萄の実の成り具合を確かめた。
十分収穫できる程、たわわに実っている事を確認した後、山小屋に戻りゴザとタライと木綿の布を用意する。葡萄の木の前にゴザを敷き、その上にタライを置く。そのタライの上に布を張った。手でもいだ数房の葡萄を、布の上に並べて葡萄を包むように布を被せる。
そして靴を脱いで裸足になり、ゴザの上に乗って濡れた手拭いで足を拭く。葡萄の枝を手で持って体の支えにしながら、タライの中の布に包まれた葡萄を足で踏み続け、葡萄の汁をタライに貯めた。私はぷちぷちと心地よい音と共に、葡萄が絞れていくのを感じながら足踏みをしていた。
「お兄さん、何してるの?」
振り向くと、あの芦田さんの家にいたおかっぱ頭の少女が立っていた。私は足踏みを止める。
「びっくりした、お嬢ちゃん。いつ来たの?」
「えへ、さっきから白樺の木に隠れて見てたの。ここは私の遊び場だったのに、こんな小屋までできて迷惑だわ」
「それは済まなかった」
「今何をしてるんですか?」
「ああ、これはぶどう酒を作っているんだよ」
「お兄さんはぶどう酒を作りにここへ来たの?」
「いや、他にもいっぱい仕事があるんだ。所でお嬢ちゃんの名前は?」
「菊子だよ、お兄さんは?」
「真だ、しばらくここで暮らすから、仲良くしようね」
「うん」
こうして私の山小屋生活が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます