第17話 列車の陰

 私たちは急いでストックホルムの黄色い建物に直行する。三階の部屋に辿り着いた時は皆、息を切らして両ひざに手を付きながら呼吸が整うのを待った。

 数分たって、向井中佐と山本少佐が話を始める。

「向井中佐、この街は危険です。早く日本へ帰った方が良いのでは?」

「我々がペーネミュンデに行っていた事が、ばれている様だな」

「帰りの旅程は決まっているのですか?」

「いや、未だだ。しかし、あの図面の写真を失くしたのは痛かった」


 その時私は、ホルストから貰った手帳の事をここで話すべきか迷っていた。向井中佐も山本少佐も、あのTaifunロケットに興味を示さなかったからだ。しかし、私が黙って手帳を所持したまま、安全に日本へ持ち帰る事が出来る気がしない。何処かで持ち物検査にでもあったらスパイと間違えられてしまうだろう。


 私は手帳の事を話すことにした。


「向井中佐殿、ホルストから大事な事が書いてある手帳を貰いました」

 鞄から手帳を取り出して向井中佐に渡した。向井中佐は手帳を受け取ると中を調べ始める。あるページのところで眉が吊り上がり、驚きの表情を見せた。

「凄いじゃないか、あの小さいロケットの図面が描いてあるぞ!」

 山本少佐も手帳を覗き込むと、

「旗島君、良く貰ったな、こんな重要機密を」

「彼はこのロケットが、必ず日本の役に立つと言っていました」

「おおそうか、無いよりはましだ。しかし、これを日本まで持って帰る事は困難を極めるぞ」

「どうしますか、向井中佐」

「そうだな、スウェーデン大使館の武官殿に相談する」

「電話でですか?」

「いや、この電話は盗聴されている可能性がある。直接大使館へ行って話をしてくる。この手帳は君が持っていてくれ」

 向井中佐は手帳を私に戻すと、部屋を出て行った。


 二時間後、向井中佐が部屋に戻ってきた。

「武官殿に相談して、帰る方法を教えて頂いた。手筈が整い次第ここを出る」

「どの様な順路ですか?」

「来た時と同じだ、ソ連のモスクワへ行きシベリア鉄道に乗る。イルクーツクから乗り込む外交官に手帳を渡す手筈だ。外交官特権で、彼の持ち物は検査されないからだ」

「なるほど」

「あと、山本少佐、米国製の煙草を十カートン買ってきてくれ」

「何に使うのですか?」

「フィンランドとソ連の国境で、検問があった時に渡すんだ」


 その夜、部屋の呼び鈴が鳴って三人が外に出ると、前と同じ大使館員が運転する車に乗って北に向けて走り出す。フィンランドに入国してソ連との国境を越える時、フィンランドの兵士がいる検問所では煙草を渡すと難なく通過できた。そのまま車はゆっくり進みソ連の検問所がある小屋の前を通り過ぎたが、幸運にも小屋から誰も出てこなかった。私たちは無事ソ連に入国する事が出来た。


 モスクワに到着して駅の近くに車を止める。満州里行きの切符を買うとすぐに車に戻る。シベリア鉄道の発車時刻まで五時間以上あったが、ぎりぎりまで車の中で待機した。発車時刻の五分前に車を出て、駅のプラットホームへ走る。発車寸前で列車に飛び乗り指定の座席に座る。列車が動き出すと、私は少し安堵した。ここから約十日間は平和な旅が始まるからだ。


 イルクーツクから日本人の外交官と、頭に包帯を巻いた一名の負傷兵が乗車して来た。私は手帳を外交官に渡すと、外交官は無言のまま別の車両へ移動した。

 残った負傷兵は、向井中佐に尋ねてきた。

「中佐殿、ここに座らせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「ああ、座りたまえ」

「ありがとうございます」負傷兵は敬礼して私の隣に座った。

「怪我をしているようだが、どうしたんだ」

「私は間違って国境を越えてしまい、その時に撃たれました。捕虜となっていたのですが、交換を条件に帰れるようです。この怪我は大したことはありません」


 満州との国境の手前で列車が停止した。


 その時、私はホルストから貰った写真を思い出した!


「しまった、この写真を外交官に渡すのを忘れました」

 私は鞄から写真を取り出して、向井中佐に見せた。

「まずいぞ、これは。ドイツ人将校のシャックマン大佐が写っている」

 向井中佐は写真の裏を見る。

「ペーネミュンデにてシャックマンと、と書いてあるじゃないか!」

「外交官に渡してきます」私は席を立とうとする。

「もう時間が無い、何処かへ隠すんだ」

 私は焦った、何処を見回しても隠すところが無い。


「お前、この写真を今すぐ食べてしまえ!」


 山本少佐は血相を変えて怒鳴る。


 すると負傷兵が、腰のベルトに括り付けてある弾薬ごうの蓋を開けた。その弾薬濠の中には何も入っていなかった。

「この弾薬濠の蓋の裏に、写真の隠し場所があります」

 負傷兵は私の写真を奪うと、革の弾薬濠の二重になった上蓋の隙間に写真を潜り込ませた。


 暫くしてソ連の兵士二名が車両内に入って来て一人づつ旅券の確認と持ち物の検査を始める。私たちの所へ来ると、三人の旅券と負傷兵が持っていた書類をソ連兵に渡す。ソ連兵はそれを受け取ると、旅券の写真と顔を確認してから持ち物の検査を始める。ソ連兵は負傷兵を立たせて彼の腰の所にある弾薬壕も蓋を開けて調べたが、中身が空だと分かると直ぐに蓋を閉めた。

 持ち物検査は問題なく終わり、兵士は次の車両へ移って行った。


「助かりました、ありがとうございます。お礼にこれをどうぞ」

 私は山本少佐から貰っていた米国の煙草十箱を、負傷兵に渡した。

「いやあ、ありがたい。戦場で煙草は重宝するんです。お返しにこの弾薬濠を差し上げますよ」

 負傷兵はベルトを外し、写真の入った弾薬濠をそのまま私にくれた。


 列車は満州里に到着すると、改札口に外交官が待っていた。私が手帳を受け取ると、外交官は負傷兵と共に去って行った。三人は用意された車に乗り込み宿舎へ移動する。部屋に入ると、真っ先に向井中佐が風呂に入る。最後に風呂に入った私が出てくると、二人は居間の応接椅子に座り美味しそうにビールを飲んでいた。


「まあまあ座りたまえ、旗島君。今回はご苦労だった、一杯どうだ」

 私が椅子に座ると向井中佐はグラスにビールを注いだ。それを一気に飲み干すと、今までの疲れが一瞬で吹っ飛ぶ気持ちになった。


「無事に重要機密を持ち帰ることが出来たな」

「あの手帳には何が書いてあるんだ?」山本少佐が尋ねて来た。

 私は鞄から手帳を取り出して中に書いてある文字を読んだ。

「いくつかの発射装置から発射される対空ミサイルであるこのTaifunは、敵の空襲に備える。誘導装置が付いていないので、飛行機が飛来した時に十二発のロケットを同時に発射する。このロケットを誘導式に改造するには、三本のTaifunを正三角形の頂点に配置するように固定して、その中心に飛行機のプロペラ音を感知するマイクロフォンと姿勢制御装置を組み込むことで達成できる。と書いてあります」

「なるほど、誘導式に改造出来るのか、良いロケットではないか」

「向井中佐、このロケットの開発を直ぐに上申しましょう」

「まだ早いのではないかな」

「あと、この様な事が書かれていますよ。プロペラ音を感知するマイクロフォンは、時速三六〇〇キロメートルの風圧に耐える物を開発しなければならないと」

「うむ、難しそうだな」


「このマイクロフォンの開発を私にやらせて下さい!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る